第26話 エーナインとテンシー


 ……あれ。ボク、どうしたんだろう。


 そうだ、エーナインを正気に戻したときに、後ろから“厄災”の棘に刺されたんだっけ。

 痛かったなぁ。エーナインの拳骨より痛いものなんて初めてかも。


 それにしても、すごく暗いな。そして寒い。

 疲れているんだろうな。瞼が重くって目も開けられないし。


 でも、今きっと。ボクは裸で、冷たい暗闇の中にいる。

 それだけは、何となくわかる気がする。


 ……死んじゃうのかな。このまま。

 というよりもう、これが死んでるってことなのかも。


 だとしたら何となく、嫌だな。

 こんなに疲れているのに。体が重くって、すぐにでも眠ってしまいたいくらいなのに。

 それなのに、すごく寒くて、震えが止まらない。


 ああ、今ボク、独りぼっちなんだな。

 城に帰ったら、アイに話したいことがいっぱいあったのに。いつでも話せることだからって、何気なくずっと云っていなかったことだって、いっぱいいっぱいあったのに。


 エーナイン、怒っているかな……うん、絶対怒っているよね。

 もしここから生き返ったとしても、また死ぬほど拳骨くらうんだろうな。 

 それはそれで嫌だな。



 ……あれ。

 なんか、少しずつだけど、あったかくなってきた?

 よかった。これでようやく、眠れそう。


 ……あれれ。

 なんか、さっきからどんどん明るくなってきてない?

 青白い光――“言霊”の力かな。でも、こんなに明るい光を放つ“言霊”を使えるのなんて……。


 ……どうしよ。

 眠たいし、眠りたいけど。

 でも、目を、明けてみたくなっちゃった。


 きっと、今眠ったらとっても気持ちいい。

 そして、今目を開けたらきっと、眠れなくなっちゃう。

 自分でも不思議だけど、そんな気がする。


<テンシー>


 あ、呼ばれた。

 そういえばもう、一月も声を聞いてなかったけど。誰かなんてすぐにわかる。


<待っていますよ。帰ってきたあなたに、『おかえりなさい』と云える時を>


 そうだった。ボク、出発するまえに云ったんだ。

 やっぱり、ここにはいられない。



 眼を、開ける。見知った顔が、目の前にいる。


 なあんだ。ボク、独りぼっちじゃなかったんだ。

 でも、どうしてここに?


 ……え、どういうこと?


 待って。ねえ、待ってってばっ。

 いや、――善きかな、じゃないよ、こっちは全然良くない。


 せめて、せめてさ。

 一緒に怒られてよ。


 じゃないとボク、またこっち来ちゃうかもしれないよ……




<おきなさい>


ごく短い“言霊”で、テンシーは目を覚ました。


「この寝坊助、やっと起きたわね」


 そこは小さな天幕テントの中だった。

 深い瑠璃色の布地は、薄暗がりの中で見上げると星のない夜明け前の空のようだ。


「ん、んん……あぇ。おはよ、エーナイン。あれ、今日は手、とっても暖かいね」


 テンシーは自分がふかふかの毛皮を幾重も敷き詰めた寝床の中にいた。体中がもふもふとした感触で包まれていて、とても気持ちがいい。

 ふと、服を着ていないことにも気づいたけれど、むしろこのもふもふを全身で味わえるなら好都合だとさえ思った。


「あんたが冷たいのよ。まるで氷みたいだったんだから。今はこれでもだいぶマシになってきたところなんだからね」


 「ううむ、そういえば確かに、体がかちかちになっちゃっているかも」


 エーナインは、そんなテンシーのすぐそばで、同じ床に入っていた。

 柔らかくてすべすべした脚が、テンシーの足を挟んでくれている。そこから伝わる、むずむずするほどの熱を感じて初めて、テンシーは自分の体がいかに冷え切っているかを実感していた。


 「でも、不思議だな。ぜんぜん違う場所のはずなのに、自分の部屋のベッドで寝ているみたいに安心できる。今はあの子もいないのに」


 「あの子?」


 「うん、本当はここにも持って来たかったんだけど。アイが自分以外は持ち込むことができないって云っていたから」


 「ふふっ、あんた、だからあの時、部屋に戻りたがったの? お気に入りのぬいぐるみを持っていくためだけに?」


 「変かな? だって、特別大事なものだから。あの部屋にあったものぜーんぶ、ボクの宝物だもん」


 「……」


 「エーナイン、泣いているの?」


 「おばか。あくびよ、こうやってあんたに添い寝してあげている間、ずっと起きてたんだから。このエーナイン様が徹夜よ、てつや。このばかちんが」


 エーナインの声色は明るい。いつも通りの……いや。

 いつもよりも、努めて明るい声だと、テンシーには分かっていた。


 だから、まだ力の入らない身体を奮い立たせて口にする。


 <ありがとう>

 <ごめんね>

 <ゆるしてね>


 云うべきすべての感情を、精一杯の言霊に乗せて。


 エーナインは、不意に寝返りを打ってテンシーに背を向けた。

 テンシーは、寝床に広がる赤髪に額を押し当てる。

 赤と青、正反対の色の髪が、そっと交わった。


「ボク、今きっとおきなさんの言霊の力に包まれているんだ。それで、エーナインも傍にいて、だから、城にいるみたいに安心できているんだと思う……おきなさんのこと、本当にごめん」


「別に、あんたが謝ることじゃないでしょ。全部あのジジイが勝手にやったことよ……でも、そうね。もしあんたが少しでも悪いと思っているんなら」


「うん」


「……今まで添い寝してあげた分、今度はあんたが私の枕になりなさい。今回はそれでチャラにしてあげる」


「わかった、おいで、エーナイン」


 エーナインは顔をそむけたまま、毛皮の中に頭まですっぽりと入った。

 そしてテンシーに自分の顔を決して見せず、毛皮に潜ったまま、テンシーの胸に頬を寄せた。


 テンシーは何も言わず、裸の胸にエーナインを抱いて、そっと頭を撫でた。

 二人がよく知っている。けれど元の歌の名も知らない、アイの旋律を静かに口ずさむ。


 毛皮の中の小さなすすり泣きが、やがて安らかな寝息へと変わる、その時まで。




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