第24話 新たなる法


「そなた、自分が何をしているのか、わかっていような」


 みんなが呆気にとられ、ジジが哀しい眼で見つめる中、ア=ルエゴの刺すような問いがレルルに投げかけられる。


「はい」


 「この十日間、そなたのことは感心していた。アク様方の御力添えも多分にあったのであろうが、今は目が見えぬことを差し引いても、十分に宮家の当主として立てる器となりつつある、とな」


 「……」


 「我々の中で“厄災”を最も憎んでいるのはそなたのはず。尊くも身内が犠牲となったのだから。今のそなたがしようとしていることに、そなたなりの理由があるかどうかは知らぬ。だが、これだけは違えるべきではない」


 ア=ルエゴは仲間から槍を受け取り、目の見えぬレルルに切っ先を突き付ける。


 「次の犠牲者が出てからでは遅いのだ。ここで彼奴を根絶やしにしなくては、すべてがじきに元の木阿弥となろう。それが、そなたが大切に想う者たちが望むことだと思うか」


 ア=ルエゴの言葉は、突き付けている槍よりもまっすぐに、レルルの心に突き刺さっていた。

 深い悲しみの中で無意識的に閉ざしかけていた心を、それでも無理やりに開いてみんなの心の声を聞く。


 恐れ、戸惑い、苛立ち、猜疑の感情が、さざ波のように去来する。

 その中で一時も絶えることなく、人ならざる母の哀しい声もまた、響き続けている。


 それらすべてに応える言葉など、レルルは持ち合わせていなかった。

 だから、幼子が駄々をこねるように、滔々と涙を流しながらかぶりを振るしかなかった。


「どいてくれ、レルル様。こいつはテンシー様の仇だ。あんたの大事なテンシー様が、こいつのせいでひどい目にあったんだぞ。本当に許せるのか」


 「お亡くなりになった当主様のことだってそうだ。全部こいつのせいで、俺たちは奪われ続けてきた。俺たちで、“新たなる法”を創るために、今度はこいつを生贄に捧げるんだ。それですべてが変わる、なあそうだろう?」


 「……ちがう」


 「レルル様、生まれる前の命を殺すために手を汚したくない気持ちはわかるが、今は――」


 「ちがう、ちがう、ちがう! みんな勝手なこと云わないで!」


 「な、勝手なことを云っているのはどっちだ。こんな土壇場で“厄災”をかばうなんて、正気の沙汰じゃない。おかしいのはあんたのほう――ひっ」


 ジジの槍が横ざまに振りぬかれ、みんなの首の前でぴたりと止まる。

 それだけで、反論は立ち消える。


 「テンシー様は私に云ってくれた。哀しい法を変えるために、こんな私にでもできることがあるのかって。何をすればいいんだろうって途方に暮れていた私に!」


 『――あるがままに。レルルが大事だと思うことを、一緒にやろう。それが、もう誰も悲しまない、新しい法になるはずだから』


 本当ならだれにも見せたくはない。聞かせたくはない。

 テンシーが自分だけにかけてくれた。今一歩を踏み出す勇気をくれた大切な言の葉。


 それを、“念話”に心象を交えて、ありったけの集中と共にみんなにたたきつける。

 それだけで、何人かは膝からぐらりと体をかしげた。


 「テンシー様は“厄災”を殺そうなんて一言も云っていません。お姉ちゃんだってそう。私たちのことを大切に想ってくれていた。とってもとっても怖かったはずなのに、あの人の心には最後まで、妬みや憎しみなんて一欠片もなかった!」


 『大丈夫……レルルならきっと、大丈夫。お姉ちゃん、信じてるからね』


 今も心の中で生き続ける、亡き姉がかけてくれた最後の魔法の言葉。

 抱いてくれた暖かさを。永遠の別離の哀しさを。二度と戻らぬ時へのむなしさを。


 無防備なまでに心を開き、自分の記憶と感情を巨大な思念の奔流に変え、みんなの心に流し込む。

 ジジのかざした槍が小刻みに震え、老成した瞳からは涙が流れていた。ほかの者たちも胸を押さえ、膝をつくものも出た。


 ぴし。


 そんな、ほんの幽かな音がレルルの背後から聞こえてきたのは、ちょうどその時だった。


 ――アぁ……うマ……れル


 「え……?」


 レルルが声に気を取られ、見えもせぬ後ろを振り向く。


「いかんっ、かくなるうえは――っ!」


 その所作の意味するところに気付き、かろうじてただ一人、気を取り直したア=ルエゴが、ジジの静止を振り切って槍を構え、突進する。


「――っ、だめええっ!!」

 

 後ろに迫る槍の気配に身を凍らせたレルルは、無我夢中で卵に飛びつき、上から覆いかぶさった。


 次の瞬間。

 卵が割れ砕け、槍が深々と突き刺さる音が、部屋に響き渡った。



 ――ユルサナイ。キズツケルノハ。


 “厄災”が、二人の間に割って入っていた。

 おっくうそうに首をもたげ。光を失いかけた血色の双眸に最後の力を込めて。


 「あ……ああ、あ……」


 全員が、思わず後ずさった。中には腰を抜かす者もいた。

 ア=ルエゴの顔からも、完全に血の気が引いている。血の匂いのする熱い息が、髪を逆立てるように吹きかけられている。


 レルルを――いや、卵をかばった“厄災”の鼻面には、ア=ルエゴの槍が突き刺さっていた。 


 誰も動けない。指一本、瞬き一つすらできない。それほど圧倒的なプレッシャーが、部屋を満たしていた。

 

 だが、


 ――ぴい。


 そんな押しつぶされたような静寂を、小さく甲高い声が破った。


 「ああ、そ、そんな――」


 全員の視線が、ひとところに集中する。

 腰を抜かしたレルルの膝の上で、体の粘膜をなめとっていたのは、“厄災”の雛だった。

 卵は、孵ってしまったのだ。


 雛の体長は猫ほどのものだったが、姿形は堂々として艶やかだった。生まれたばかりで皮下脂肪などがないせいか、薄い表皮はまだ漆黒ではなく、濃い碧玉の青サファイヤブルーだ。

 濡れた小さな頭はほぼ逆三角形に見え、上あごからはすでに鋭い小さな牙が突き出している。親譲りの鉤爪も牙と同じ象牙色で、内側に湾曲した部分には鋸状の微細な凸凹が備わっている。


 まだ、確かに小さい。

 だが、正真正銘、“厄災”そのものであった。


 生まれたばかりの小さな狩人は、割れた卵の殻と一緒に自分を膝の上にのせて呆けているレルルの顔を、身じろぎもせずじいっと見つめている。


 (レルル様!!)


 勇気を振り絞り、ジジが槍を持ち特攻する。

 だが、決死の特攻は三歩も進まなかった。


 レルル何も言うことなく。すっと後ろ手をかざしてジジを制したからだ。


 代わりに、レルルの心を介して、みんなの心に響いてきたのは、幽かな声だった。


 ――マ……マ?


 (え……わ、たし?)


 戸惑うレルルの後頭部に熱い息がかかり、長く黒い髪をくしゃくしゃにする。

 どろりとした生暖かい液体が首筋に垂れだが、逆にレルルの背筋は凍り付いた。

  

 ――ヨカッタ……ママ、ノ、ダイジナ……


 槍を生やしたままの血まみれの鼻面が、そっと我が子に近づき語り掛ける。 


 ――マ、マ?


 雛は応えた。母親の名前を、人にも解することができる言葉で。


 だが、雛が呼び掛けたのは、実の母に、ではなかった。


 ――マ、マ!

  

 「きゃ」


 雛の片言の念話は、先ほどからずっとレルルに向けられていた。本当の猫のようにごろごろと喉の奥からリラックスした声を出して、彼女の膝の上で丸くなって甘えている。


 実の親が己が命を懸けて巣に帰り、誕生を見守り、今こうして生を終えようとしている実の母には、目もくれることなく。


 ――ヨカッタ……イキ、テ……ドウ、カ。


 大きな水音を立てて、“厄災”の巨大な首が床へと落ちる。


 それが、密林の覇者にして絶対者の、最期であった。


 「ど、どういうこと、なんだ?」


 (……鳥の雛と、同じだ。生まれて初めて見たものを、親だと認識する)


 たとえそれが、自分の姿かたちとは全く異なる存在であったとしても。

 本当の親はたった今、目の前で死んだことにも気づかずに。


 死してなお、自分を守るように 巣を抱いているということも、知る由もなく。



 再び、静寂が部屋を満たしていた。

 あるのは、どこか心を落ち着かせる、猫の喉音のようなごろごろという幽かな声のみ。


 (……レルル様。これから、いかがするおつもりですか)


 ジジが念話で語り掛けると、とたんに雛は警戒の色を見せた。雛も念話でコミュニケーションが取れる以上、母と思い込んでいるレルルの心の動きに敏感なのだ。


 誰もが、固唾を飲んで見守るしかない中で。けれどレルルはすぐには応えない。

 黙して、黙して……自分の中でもうすでに答えの出ているそれを、言葉として世に放つことを、最後の最後でためらっているようにも見えた。


――マ、マ。


 また、雛がレルルの顔を見上げて呼ぶ。

 レルルの顔がそっと、すでにこと切れた“厄災”の母に向いたように見えた。


 だが、次にみんなが聞いたのは、


(……はじめまして。わたし……私が、あなたのママよ)


――マ、マ……マ、マ!


 そんないびつな、仮初の母と子の初めての対話だった。


「声が……聞こえた。俺たちにも、聞こえたぞ!」


「でもなんという……“厄災”を子として育てるなんて!?」


 仲間たちからは当然当惑と反対の声が噴出した。


「ア=ルエゴ様! まだ、まだ間に合います、今からでもアレを――ア=ルエゴ様?」


「……レルルよ。一つ聞かせてほしい。だがその前に一度、心を閉ざせ。ソレはそなたの心を読む」


 ア=ルエゴの云う通りに、レルルは一度自分の心の窓を閉ざした。膝の上でリラックスした様子だった雛が、とたんにそわそわと落ち着かなくなる。


「これが、そなたが目指す、“新たなる法”なのだな」


「はい」


「……確かに、ものは考えようかも知れぬ。親は死んだが、まだこの地に他の“厄災”が息づいているとも限らない。これから我らが彼奴等のような存在に怯えず生きていくためには、何よりもまず“厄災”について理解を深めていかねばなるまい」


「ええ、その通りです。人の言葉を理解し、意志の疎通もできる。まだ、この地に生き残る“厄災”がいたとして、彼らが私たちの脅威となるならば……人間を――私を親と慕うこの子を育てることは――」


「――我ら人間と、“厄災”。相容れず交差し続けてきた二つの種族に調和をもたらす、天からのかけはしになるかもしれぬ、な。

 だが、わかっていような。この道は、今ここでケリをつけてしまうよりもずっと長く、険しい道となるだろうことを」


「私、もうこの子にウソをついてしまいました。そして、これからもつき続ける覚悟はできています」


――だから、と。

むずがる雛をそれでも強く、胸にかき抱いて。


<誓いましょう。我が“太陽と天秤のメトト”の名に懸けて>


「れ、レルル様。その、声は」


 みんなが目を見張るのも無理はない。

 雛を抱きかかえ、決然と立ち紡ぐレルルの言葉は。


<この子を人間と“厄災”とを繋ぐ御遣いとして育てることを>


(ああ……嗚呼。なんと、力強いお言葉か。まるで、当主様のような)


<もうこれ以上、人と“厄災”との戦いで誰の血も流すことのない日が、必ず来ることを信じて>


 力こそテンシーたちには及ぶべくもないものの。

 それはまごうことなき、“言霊”としての誓いであったのだから。



 かくして、”新たなる法”が、ここに敷かれた。

 草を薙ぐ風も、星と月の光すらも届かぬ、ただ一筋の光だけが差す深い地の底で。

 

 剣亡き天秤血の贖いではなく。

 天秤亡き剣血の抗いでもなく。


 新たなる“法を敷くものルーラー”として真の覚醒を遂げたレルルが、人の身でありながら紡ぎ出した“言霊”によって開かれた、第三の道。


 御遣いテンシー女神エーナインによって結ばれた、人間との絆。

 その絆がもたらした、正真正銘人の手によってのみ打ち立てられた誓い。




 それはまさしく――シレイの完遂を意味していた。




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