第23話 レルルの選択
『セント……ームへようこ――』
どこからともなく聞こえてくる。
無感情で無機質で。酷い
だが、一行には初めて耳にする不思議な声に気を取られる暇はなかった。
――ガアアアアッ!!!
“厄災”の咆哮が女性の声をかき消し、部屋の中に響きわたったからだ。
「――いかんっ。みんな伏せろっ!!」
空気が逆巻き、立ち舞う埃の焼けこげる臭いが鼻を衝く。
背筋の凍るような爆音と共に、部屋に青白い稲光が明滅する。
全員がとっさに身を伏せ終えた次の瞬間、青い電光が部屋を駆け巡った。
「ひいぃっ……」
「くわばらくわばらくわばらくわばら……・」
それは、小規模ながらもまさしく天災そのものであった。
抗う力を持たぬものにとっては、ただ頭を垂れ、過ぎ去ることを祈り待つことしかできぬもの。
荒れ狂う稲妻はすでに物言わぬ壁の計器類を滅茶苦茶に破壊し、照明設備のことごとくも割れ砕けた。
先ほどまで昼日中のように光に満ちていた部屋は、一転して嵐の夜に変貌する。
『この施……イ持、防エ――玩用としても……質的にはB.o.W……』
織成す破壊の中で、雑音だらけの無機質な女性の声だけが、幽かに聞こえている。むろん、その場にいたレルルたちは誰一人として、その言葉を聞くゆとりを持ち合わせていなかったが。
いや。今となっては、おそらく
女性の声は至極淡々と。誰に対してでもない言葉を非情なまでの流暢さで告げていく。
『……卵は――電でフ……り込みによる調――ン話によるコミュ……』
そうしてしばらくの後。
終わりのない嵐がないのと同じように、部屋を満たしていた雷はぱたりと止んだ。
女性の声も、いつの間にか聞こえなくなっている。
後に残ったのは、耳を圧迫するほどの静寂のみ。
「……お、終わった、のか?」
流れた電撃にあてられたか。はたまた恐怖のゆえか。
一行のうち、何事もなく立ち上がることができたのは数名だった。
(……レルル様?)
ジジが、冷えてこわばった体に鞭打って立ち上がった時には、近くに伏せていたはずのレルルの姿はなかった。
部屋は暗闇に包まれており、松明もほとんど立ち消えてしまったため、もはや部屋の全貌を確かめる術は何処にもない。
だが、ただ一つ。雷撃の嵐を運よく乗越えた照明が、部屋の中央をスポットライトのように照らしている。
レルルは、その光の中に立っていた。
(――っ、レルル様! いけません、そこは――!!)
目を見開いたジジが、必死に“念話”で呼びかける。
細かく砕かれ敷き詰められた、骨や枝葉の寝床の上に、人がやっと抱きかかえられるほどの大きさの卵を乗せて。
背からどくどくと血を流しながら、猫のようにしなやかな漆黒の体を伸ばし、ぐるりと囲むように守る、“厄災”。
“厄災“の巣。その目と鼻の先で、レルルは膝から崩れ落ちた。
※
――お、キテ……マの、ダイ、ジ……。
「あなたも、私たちと……」
轟音で一時的に耳の感覚をなくしたレルルには、彼女彼女の声がはっきりと聞こえていた。
“厄災”はすでに、こと切れかけていた。巣に置かれた卵をぐるりと囲むように横たえた体の下には、大きな血だまりが出来ている。
先ほどの稲妻は、おそらく残された命すべてを削って絞り出した、文字通り最後の輝きだったのだろう。
人間であるレルルが目の前にいるにもかかわらず、もはや牙をむくことも頭をあげることすらもなく、焦点の定まらない視線だけが、呆けたように虚空に向けられていた。
おそるおそる。というよりもむしろ、おずおずと云ったほうがよいのか。
レルルは、刃で切り裂かれた“厄災”の鼻面へと、手を伸ばしていた。
だが。
――ガアアアアアアッ!!
「きゃっ」
まだ首をもたげるだけの力はあったらしい。だがそれだけだった。
吹き出た血がレルルの衣を濡らし、黒く染めていく。
(レルル様っ、危のうございます、早くこちらへ)
駆け付けたジジが、血だまりの中で力なくへたり込むレルルの肩を抱き、後ろへ下がる。
「みな、さっさと起きんか! “厄災”はすでに虫の息だ、今こそ
気を失ったもの、おびえて蹲ったままでいるものたちは、ア=ルエゴが朗々とした鼓舞を受け、ようやく気を取り戻していた。
「は、はは……本当だ。これならもう、放っておいてもすぐに」
「ああ、あとは、残っている卵さえ砕いてしまえば」
「そうだ、これですべてが終わる。アク様方の御心にも、これで報いることが出来よう」
一行の胸にはある種の万感の想いがこみ上げていたが、そこから導き出されるべき行動が何であるかは、もはや完全に一致していた。
「ジジ、“厄災”に深手を負わせたのはあんただ。あんたが第一功なのはみんな認めている。俺たちが生き証人だ。あんたがケリをつけるなら、文句はない」
一人が、手に持っていた槍をジジに差し出す。
だが、ジジはすぐには受け取らなかった。疲労と陰鬱がないまぜになった物言わぬ瞳は、死にかけの“厄災“ではなく、その血を受け衣を染めたレルルだけを見つめていた。
「どうした、ジジ。これでみんな終わるんだ。若くして身を捧げられた当主様の仇が討てるんだぞ」
かつての主。
かつて、たった一人で法を破り、けれど力遠く及ばず、声と望みを失った。
一生失われたものと諦めていたものを取り返す瞬間が、目の前にある。
ジジの手がゆっくりと、けれど指の一本一本に意思の力を込めて、差し出された槍を握りしめる。
(レルル様……よろしいですね?)
呆けたように、けれど今にも泣きだしそうな顔で。
レルルはジジを見上げ、二人は無言のまま見つめ合った。
――……マ?
――テ……イキテ。
(ジジ……声が、聞こえるの。この人たちの声が。みんなにも聞いてほしいのに、上手く心の波長を合わせられない。でも、私にはちゃんと聞こえるの)
(レルル様、エーナイン様とテンシー様が、我らのためにこの機会をお与えくださったのです。お二方と、亡きお姉さまの御心に、お答えしなければ。)
ジジは大きくごつごつとした、けれど慈しみ深い手でレルルの目にかかる髪を優しくかきあげる。もの見えぬレルルの目から、静かに涙がこぼれていた。
(お姉ちゃん……テンシー様……)
もし姉がこの場にいてくれたなら。なんと云ってくれるだろう?
自分の仇である”厄災”を滅ぼすことを、喜んでくれるだろうか?
もし今、この場にテンシーがいてくれたなら。果たして自分になんと云うだろう?
何と云って、自分の背中を押してくれるだろう?
レルルの心には、亡き姉が最後に自分に残してくれた言葉が。
また、”勇気の儀”の夜、自分の手を握りながらテンシーがかけてくれた言葉が。不思議と一つとなって思い出されていた。
何度も思い返す。何度も、何度も。心の中で繰り返し唱える。心を込めて与えてくれたその言葉はもう、自分自身の一部でもある。
(あるがままに……だいじょうぶ。私なら、きっと)
キッときつく唇を結び。
血まみれの衣の重さを感じながら。
(……レルル様?)
レルルは涙をぬぐい、“厄災”と巣の卵に背を向けて立つと。
「おい、いったい何のつもりだ!?」
「お願い、ジジ、みなさん――どうか」
言葉少なに両手を広げ、仲間たちの前に立ちふさがったのだった。
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