第21話 勝利の代償


 「さア……こレデ、サいご、ネ」


 無造作にだらりと下げた手に、刀身が半ばほどで折れてしまった剣を握りしめて。

 妖しの光を見開く青眼に宿しながら、夜叉もかくやと云わんばかりの様相で、エーナインが這う這うの体で逃げようともがく“厄災”へと歩を進めていく。



 今のエーナインにはもう、目の前の敵を倒すこと以外のことを思うことができなかった。“新たなる法”を、他ならぬ人の手で成し遂げるために必要な、人の手による首功。

 あらかじめテンシーと示し合わせていたはずの約束さえも、今の彼女を止めることはできない。


 「まって、エーナインっ。レルルが何か大事なことに気付いたみたいだから、戦いは一旦おしまいにしよう」


  レルルの助けを求める声に応える形で、空から舞い降りたテンシーがエーナインと“厄災”の間に割って入る。

 

 「……?」


 だが、エーナインの歩みは止まらない。

 不自然なまでに瞬き一つしない。相変わらずぜんまいの切れかけた自動人形オートマタのようにせわしなく小首をかしげて。

 普段からは想像もつかないほどの冷酷な輝きを、切れ長の青眼に踊らせて。


 「……やっぱり、相手がいなくなるまで、止まんない、よね。だって――」


 ――Artificial Automated Artistic Absolutely Annihilation Angelic Android Assault Ace.


 その名は力。その役は断罪。

 その戦う力は、アイによってエーナインに与えられた最大の祝福にして、また呪いそのものでもあるから。


 だが、だからと云って。今のテンシーに彼女を止めない、という選択肢はない。

 彼女を止める。そのためのカードもまた、テンシーにはただ一つしか残ってはいないけれど。


 「こレ、で……おワ――り!!」


 言葉尻を置き去りにするほどの速さで、エーナインが地を蹴立てる。

 全身おぞけだつほどの殺気に身がすくむ。


 猶予はない。

 考える暇も。


 手加減するゆとりすらも。


 <エーナイン、止まれ!> 


 エーナインのそれよりも数段強力な、テンシーの全力の“言霊“が響き渡った。

 大抵のものを止めるなら、それこそ<止まれ>の一言で足りてしまうほどの、圧倒的な力。

 それに、対象となるものを明確に絞ることで精度を上げた。すなわち、エーナインの名を言霊で呼ぶことによって。


 結果。


 「――んみ“ゃっ」

 「おふっ」


 思わず笑ってしまいそうなほど呆気なく、いつもの状態に戻ったエーナインは。

それでも走り出したスピードを殺し切ることができずに、テンシーの薄い胸に頭突きをくらわせるように飛び込んだ。


 体格差を補うために、テンシーが背の翼ごとエーナインを抱き留める。抱き合う二人の体は二本線を引きながら地面を滑り、二秒ほどかけて止まった。


「う、う~ん……? あれ、テンシー、ちょっと、何がどうなって」

 

「いててて……やれやれ」


 戦闘状態から解放され、まるで寝ぼけているようにあたふたするエーナインを抱きながら、テンシーは軽い皮肉でも云ってやろうと口を開いた。


 おはよう、エーナイン、と。


 だが、声は出なかった。


 代わりに響いたのは、


 ――ガアアアアアアアアアッ!!!



 二人のすぐ後ろに音もなく迫っていた、稲光纏う”厄災”の咆哮だった。





 古来より、自然を相手に命を懸ける者たちに共通して語り伝えられる教訓がある。

 曰く、手負いの獣ほど始末に負えぬものはない、と。


 たとえ自分から背を向けて逃げ去ろうとしている時であろうとも。狩るものと狩られるものとの間には、一切の妥協も同情も許されない。それがあるとすれば、すべてが終わりを告げた後の話だ。


 生きている以上、同じように生きている相手に全てを明け渡すことはできない。それができるのは死んでいるものだけである。

 死した肉体だけが、たとえその身朽ち、皮も肉も骨すらも、他の生きとし生けるあらゆる命の糧として貪られることになろうとも、文句ひとつ言うことなく、世界と一つになって解けていく。

 

 だから死とは、命を完成させるものだ。


 「……え、テンシー?」


 急に倒れ込んできた妹分を受け止めきれず、抱きかかえたまま仰向けに倒れたエーナインが、呆けたように名前を呼んだ。

 いつもの気怠そうな声は、返ってこなかった。


 宵も更けている。

 いつからか天上には、強い大気の流れが生まれていた。


 厚い雲がちぎれ、途切れ途切れにではあるが、天球に無限に広がった星空が覗く。真円の月は未だ棚引く雲に覆われ、見通せぬ水底のように底知れない宵闇に、黄色い朧な輪郭を茫洋と浮かび上がらせている。


「な、なんで……うそでしょねえ、ちょっと、ねえってば、テンシー!」


 恐る恐る頬に触れ、徐々に荒っぽく体を揺する。

 薄氷色アイスブルーの髪はいつもどおりさらさらと揺れたが、それだけだった。


 生暖かく湿った風が、左回りの螺旋を描きながら“生贄の祭壇”へと吹き込んでくる。強く煽られた篝火が激しく揺らめいて火の粉を飛ばし、土台ごと倒れ火種をばらまき、いくつかはそうして消えてしまった。


 最後に地を焦がし消えていった篝火は、その場にいるみんなに連想させた。

 ほかならぬ、“死”を。

 

「――テンシー様っ!!」


 みんなが一寸の間、何もかもを投げ出してテンシーに駆け寄った。それ以外は何もかも些事だった。

 最後の抵抗に成功した“厄災”が、血の跡を地に残しながら茂みの奥に消えていくことさえも。


「テンシー様っ、テンシー様! ああ、ごめんなさい私なんてことを! 私が余計なこと云ったせいで……」


 ア=ルエゴに手を引かれて最後に駆け付けたレルルは、涙と洟で顔をぐちゃぐちゃにして、ぐったりしたテンシーに縋り付く。意識はなく、力場の翼は無数の光の粒となって霧散し始めている。

 だがまだ完全に消えてはおらず、直前まで抱き留めていたエーナインを守るように包んでいた。


「ア=ルエゴ様! はやく、はやく手当を!」


「ええい、わかっている! 傷はどこだ、遠間からでは何が起きたかよく見えなかった!」


(背中です。“厄災”の体に稲妻が走って、それがテンシー様に……。)


 最も近くにいたジジが、レルルを介した”念話”で説明した。


「背中? でも、見たところなんともないぞ。その不思議な翼で体を守ったんじゃ?」


 だが、一人がそう云ったのもつかの間。完全に翼が消失し、テンシーの小さな背中に、指一本分ほどの棘が深々と突き刺さっているのが露わになった。


 鳥の羽を編んで作られた上衣には、徐々に濃ゆい染みが広がっていく。

 誰もが、言葉を失っていた。


 「てんしぃ……てんしぃ……テンシー!! 返事しなさいよ!」


 篝火に照らされてなお、血の気の引いた顔を引きつらせ、エーナインが何度も名前を呼ぶ。返事はない。


 だが。


 「……あんたがいなくなったら、どうすればいいのよ」


 そうぽつりとこぼした、心底さみしそうなエーナインの声に。


 「あ、とを。おって」


 気怠げな。心底気怠げな声が、ようやく返った。


 「テンシー様! 気が付かれたのですね! 私のせいでこんなこと、本当に……」


 「れ、るる。かの、じょのあ、と……おって。まだ、おわってない。きちんと、おわらせて、おいで」


 「そんな! 今はテンシー様が大事です、すぐに傷の手当をしないと」


 「だい、じょうぶ。えーないんと、ここでやすん、でいくから。みん、なで、いっておい、で。さいごまで、やりとげて」


 「でも――」


 食い下がろうとするレルルの肩を、ジジがそっとつかんだ。

 

(レルル様、目的を、果たしましょう。テンシー様たちが作ってくださった機会を、棒に振る訳にはいきますまい)

 

 「あ、アク様。私は」


 「……ア=ルエゴ。あんたたちも行ってきなさい。この子は私が見ておく。人間の手で、ケリをつけてきなさい」


 「……御心のままに」


 

 かくして、傷ついたテンシーに想いを砕きながら、一行は地面に連なる血の跡をたどり、“厄災”のあとを追うのだった。


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