第20話 決着と幽かな声


 鋭く削り出された石の槍が、悲鳴のような音と共に無数の破片となって砕け散る。


 「――つギ」


 躱してなお風圧で顔が歪むほどの膂力を持つ“厄災”の爪を舞うようにすり抜け、腰に納めていた剣を抜き打ち、瞬く間に三つ四つ切り結ぶ。


 鼻づらを切り裂かれ激昂する“厄災”の咆哮めがけ火の手を放ち、ひるんだ隙に即座に納刀。そのまま二回、三回と後方転回を繰り返し、四回目の終わりと共に地面に突き立てられた次の槍を取る。


「さっすが。戦技無双の美姫――戦闘のエースAssault Aceの名は伊達じゃない」


 広場の中央にそびえたつ巨大なメトトの上で羽を休めるテンシーの口から、珍しく率直な賛辞が漏れる。


 戦闘は完全に、エーナインの独壇場に見えた。

 戦場である炎陣の広場には、事前に数十本からのの槍がそこかしこに突き立てられており、何度壊れても打つ手がなくなることはない。

 圧倒的な体格差から来る、互いの最適な間合いの違いを完全に支配しているがゆえに、“厄災”の爪牙が幾度闇を裂き空を切れど、未だエーナインにはかすり傷一つつけていなかった。

 

 だが、否。だからこそと云うべきか。


 「うん、予想通り。やっぱり、じり貧だよね」



 問題は武器であった。

 この地に生きる人々には、高度な冶金技術の体系がない。金属器は存在するし、錬成の知識もあるが、それらは専ら祭具や服飾品の製作のために用いられていた。

 狩りの際に主に用いられるのは、今エーナインが振るっては壊している石の槍だったが、それにしても獲物を密林の中で取り囲み、罠に追い込むために使うための武器としての側面が強い。


 それでも、戦闘能力を開放したエーナインが振るえば決して馬鹿にできない威力を誇ることに間違いはないのだが……。


「――つギ」


 穂先が破砕し柄だけになった槍に火をともしたエーナインが、目にも止まらぬ速さで厄災めがけて投げつける。鼻づらを焦がし視界を火の粉に覆われた厄災がひるんだ隙に、かれこれ十本目となる替えの槍を地面から抜き放つ。


 いかんせん、強度が足りない。

 こちらが傷一つ付かない代わりに、未だ“厄災“に決定打を打つことも出来ずにいる。熊よりも強く、猫よりもしなやかな巨躯を覆う漆黒の毛皮と、局所に覗く光沢のある鱗、そして分厚い皮下脂肪が三重の鎧となり、生半可な攻撃の一切を寄せ付けない。


 唯一、巫舞の際に用いた儀礼用の剣だけが、先ほど鼻づらを切り裂くことに成功している。だが、あれだけ俊敏な巨体だ。無理に急所を狙い刃を突き立てたところで、寸前で身をよじられでもしようものなら、間違いなく刃の方が折られてしまうだろう。

 

 しかし。これもまた、だからこそ。

 テンシーは今の状況を「予想通り」と洞察していた。

 

 なぜなら、この場における人間たちの主攻は、エーナインではないのだから。

 彼女はいわば、それを寸前まで相手に気取らせないための、最強の囮であり、絡め手であった。


 「よし、良い位置まで誘導できた。あとはまた、エーナインの火の手を合図に、ボクが“夜の陽”を打ち上げる。最後は君たち――人間の手で決着を」


 メトトの天辺に立ち。

 テンシーの問いかけに、無言の頷きを以て応えたのは、ジジ。

 その手には貴重な鉄の穂先を持つ槍を携え、両足にはツタが結ばれていた。

 


 三秒で良い。メトトの傍で、相手の動きを止める。


 たった一人で数分間、“厄災”をいなし続けてきたエーナインの真の目的は、ただそれだけだった。

 

 怒りと興奮、そして切り裂かれた鼻面から流れる血で荒くなる一方の“厄災”の呼吸。その身に燃え盛る憤怒はついに漆黒の体表にすら立ち現れており、電光纏う巨躯を俊敏に動かすために必要な熱が湯気となって、逆立つ鱗の隙間から覗く深紅の真皮から立ち上っている。


 篝火に揺れるエーナインの青眼は、“厄災”を密林の絶対的狩猟者たらしめている最大にして最強の要素――攻撃の要である前腕だけに向けられていた。

 人間相手ならば、たとえ槍で武装していようとも間合いは相手に分があり、一度でも黒光りする爪がかすったら最後、いかにナンバーズと云えど重傷は避けられない。

 

 だから勝負は、最小にして最善の一手を以て、相手の前腕をつぶすこと。

 

 十二本目の槍の穂先が砕け、エーナインの両手には長い柄だけが残る。

 ここで、エーナインは今までとは違い、すぐに距離を取りはしなかった。その場で足を止め、柄だけとなった槍を頭上にかざし、防御の姿勢を取ったのだ。


 “厄災”の血まみれの顔が、凶相へと変貌する。荒ぶる野生の狩人の前に、槍の柄の防御など枯れ枝を揉み砕くに等しい。

 “厄災”がそう直感したのかはわからない。だが、右の前腕に電光が走り、突き立てた爪が地面をえぐり取る。


 防御はエーナインの誘いであり、 理由はどうあれ“厄災”はそれに応じた。


 そこからの十数秒は、神がかり的であった。


 防御する槍ごとエーナインをへし切らんと振り下ろされた、“厄災”必殺の一撃。

 エーナインは瞬き一つせず半身を切り、唸りをあげる爪――小指の爪の、その側面に槍の柄を滑らせる。

 そして、一瞬も待たず地響きと共に地面を穿った黒い手の、放熱のために逆立った鱗の隙間めがけ、あらんかぎりの力を込めて剣を突き立てる。


 耳もつんざくほどの“厄災”の咆哮。地面ごと剣に刺し貫かれた絶対の武器である右手が、この戦いが始まって以来はじめて、動きを止めた。


 エーナインが高らかに火の手をあげる。一秒と待たず、星亡き夜空に流星が駆け、一気に広場を光で満たす。

 怒り狂う“厄災”の血色の双眸が、突如顕れた“夜の陽”に釘付けになる。まばゆい閃光が、ただでさえ夜に特化した眼をわずかの間、白く灼く。

 

 眼がくらみ、白く満たされた視界の中から、小さな黒点が身を躍らせる。

 年老いた英雄と、腹に括った一本の槍に姿を変えて。


 人間のありったけの勇気と共に繰り出された信念の槍が、“厄災”の背に深々と突き刺さったとき。


 幾本もの針の孔を通すようにち密に練り込まれた、詰みの一手がここに完成した。




 広場に、絶叫にも似た慟哭がはるか響き渡る。

 一つは“厄災”の苦悶の慟哭。他方は人間たちの歓喜の雄たけびであった。


「なん、と……まさか本当に……っ!!」


 冷や汗を流し続け、篝火にあてられた顔がテラテラと光るア=ルエゴの口からは、それ以上の言葉が出ない。目には、一筋の涙が流れていた。


 炎陣を守り抜いた勇士たちも、神がかりの大立ち回りを演じた立役者たるエーナインと、決死の大ジャンプによる唯一無二の一撃をもって“厄災”の背に深々と槍を突きたてたジジへ、惜しみない賞賛と歓声を送っていた。


 「あ、あの、ア=ルエゴさん? どうなったんでしょう、その、戦いは?」

 

 ただ一人、目の見えないレルルだけが、未だことの次第を把握できていなかった。ア=ルエゴは説明してやろうと口を開きかけたが、再びそれ以上の言葉が出てこなかった。


 「お、おい……おいおいおい! 生きている、まだ生きているぞ!」


 一度は沈黙した“厄災”が、再び動き出したのだ。

 

 「バカな、あの槍を受けてまだ動くのか!?」


 エーナインとテンシー、そしてジジの連携は完璧だった。詰みの一撃は確実に、“厄災”の動きの要とも云うべき脊柱起立筋を断ち切っている。“厄災”も生物である以上、動かすべき筋肉を欠いた状態では本来あるべき膂力は発揮できない。


 それを示すように、“厄災”にはもはや、目の前の敵を狩る意思はないようだった。むしろ、もう動かすことのできぬ前脚を無理やり引きずるようにして、エーナインたちから背を向けて逃げ出そうとしていた。


 「は、ははっ! やっぱり、効いてないわけじゃないんだ!」


 「放っておくと逃げるぞ! とどめを刺さなければ!」


 広場に飛び交う勇士たちの声に混じって、けれどレルルは囁きのような声を聞いた。


――ィ


――ナイ


「この声、さっきの……」


 それは、“厄災”がこの場に現れる直前まで、レルルの心にどこからか届いていた声だった。念話と云えども声音はあるから、この場にいるみんなのうちの誰かではないことくらいはレルルにもわかっている。


 ――ネナイ……シ、ネナイ。マダ、シネナイ……!


 「これって……女の人の声?」


 この場に女性はエーナインとテンシー、そしてレルルしかいない。ようやくはっきりと聞こえてきた声は、間違いなくレルルの知らない女性の声だった。


――ニゲ、テ。アノコ、ヲ……マモラナ、ケレ、バ……


 「逃げて、って……まさか!?」


 レルルの中で、不意に全てが繋がったような感覚が駆け抜けていく。直感的な推測は不思議と確信にも似ていた。

 今この場で、逃げることを最も望んでいるものは誰か?


 否、何か?


(テンシー様!!)


 レルルは思念を最大限に強めて、テンシーを呼んだ。

 返答はすぐに返ってくる。


(うわぁっ、びっくりした。レルル、どうしたの?)


(テンシー様、わかったんです。さっきから聞こえていた声が誰のものか。“厄災”なんです。私が聞いていたのは、彼女の声だったんです!)


(“厄災”の、声? でも、もう死にかけているし、ちょうどこれからエーナインがとどめを刺そうと――)


「――待って(待って)殺さないで(殺さないで)!」


 思わず心象にノイズが混じり、聞き手のテンシーがたじろぐのが心ごしにわかる。それでもレルルは叫ばずにいられなかった。無意識のうちに心と声、両方で叫んでいた。


 理由を告げる暇はない。裁断の刃は今にも振るわれようとしている。

 しかし、レルルの語気からただならぬものを感じたテンシーは。


(わかった。ボクにまかせて)


 そう言い残し、メトトの天辺から地上へと急降下した。


 



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