第10話 村での日々


 「へー。じゃあやっぱり焼き畑のおかげなんだ。昔から何度も場所を変えて手を入れているから、ここは外の密林と違って開けているんだね。長い時間をかけてきたんだね」


 「おうとも。この前焼いていたところなんかはとっつあんが俺くらいのころに手を入れていた場所なんだ。十五年以上は放っておいたから、地力もすっかり元通りさ。ただ、最初の年は実りこそ良いんだが、どうにも葉っぱの調子がよくねえのよ」


 「そうそう、撒いておくだけでそっちこっちでぐんぐん育つから楽なんだけどな。収穫することになると決まって葉っぱがこう、それこそ灰っぽくなっちまうというか」


 「ちげえだろよ。きれいだった葉っぱの色がまだらになってくんだ。一目見りゃあ具合が悪いってわかるもんさ」


 「どう思うよ、テンさん。なんか良い知恵ねえか」


 「うん、まずは適度な間引きをして茎や葉っぱをぎゅうぎゅうにしないことかな。それから、ここの灰をたっぷりの水と混ぜて、定期的に葉っぱにかけてあげれば、病気にかかる葉っぱも減るはずだよ」


 「ほー、でもどうして間引かなくちゃなんねえ? 最初の年は質こそそこそこだが毎回決まって大収穫なんだ。むざむざそれを捨てることになっちまう」


 「確かに量はね。でも考えてもみてよ。今ここで三人とも、ぴったりくっついて立っていたら息苦しいと思わない?」

 

 「そりゃまあ」


 「それに皆の村のお家だって、みんな適度に離れて建っているじゃない。何だって、くっつきすぎてるとあんまりいいことないんだよ。僕たちは自分でそこから離れられるけど、この子たちは自分じゃ動けない。だから、世話してやる人がちょくちょく手を入れるんでしょ?」


 「で、でもようテンさん。みんな初物を楽しみにしてんだぜ、収穫が減っちまうのはやっぱり」


 「だいじょーぶ。適度に離してあげた方が、収穫したときの大きさだって変わってくるんだから。もし心配なら、あそこの一画で試してみるだけでもいいからさ」






 「おっ、またかかった。よっ、と」


 「ほー、テンさん早いな、もう八尾目か。こりゃ負けてられんな」


 「おいおい、忘れたのか。勝負じゃねえんだよ。みんなで十五尾釣れりゃあ充分なんだ。一度にあんまり取りすぎちゃあ、前みたいにただの溜め池に逆戻りだぜ」


 「しっかしまあ、ちょいと手を入れてやりゃあ、こんな古い溜め池でも立派な生簀になるんだな」


 「ま、最初にテンさんから『池の水ぜんぶ抜く』って云われた日にゃあ、面食らったけどな。おまけにあたりの藪まで刈り取らされて、ブヨに噛まれるわドブくせえわでたまったもんじゃなかった」


 「ごめんね。でもおかげで、はじめにこの池を作った人が思い描いていたとおりに作り直せたと思うんだ。深さも、広さも、ドブの底に根付いていた水草も。ちゃんと計算されたうえで設計されてた。一度ドブをさらって、日差しを遮る藪を刈っておけば、あとはお日様がしっかり当たるだけで自然と中の水をかき回してくれるようになってるんだ。これを作った人は、とっても頭のよい人だったんだろうね」


 「そういや、この辺の池は俺のひいひいじっさまのころに作られたって聞いたことあるな。へぇ、うちのじっさまたちはみんな切れ者だったってことか」


 「ま、当代はとんだぼんくらだったみたいだがな」







 「あらテンさん、いらっしゃい。今日はこれからジジと狩りだってね」


 「うん、今日は河の上流まで行ってみる予定。ハチミツ、貰っていっていい?」


 「はいよ、ちょっと待っててね」


 「テンちゃん、こっちおいで。いまおっきいのが焼きあがったとこだよ、食べていきな」


 「いいの? じゃあ、とと、あっ、熱」


 「ああ、せっかくテンちゃんの顔が見られると思ったのに。食べる時にも取らないんだね、その鳥頭」


 「ごめんね、レルルが――じゃなくて、そう。ボクのメトトの掟なんだ」


 「謝らなくたっていいよう。いつ聞いてもきれいな声だから、顔を見てみたいと思うのが女心ってやつさ」


 「ああ、中身だってきっと良い男に決まってるんだ。うちの娘だってしょっちゅうテンさんの話をしてるけど、やっぱり良いもんだね、新しい血ってやつは」


 「ん? 血がどうかした?」


 「いや、こっちの話さ」


 「お待たせテンさん。いつもより多めに入れておいたよ。あの子たちもテンさんが作ってくれた巣箱が気に入ったみたいでね。少しばかり拝借しても怒ったりしなくなったんだ」


 「ありがとう。もしたくさん取らなくちゃいけない時が来たら、麻布の漉しカスを集めて焚いた煙でいぶしてやれば、みんな大人しくなると思うから、時期が来たら試してみて」


 「あっはっは。一度に全部取っちまったら働き者のあの子たちに悪いよ。ま、祝い事の時にでも試して、お酒でも仕込んでみようかね。行ってらっしゃい」


 「さよな……じゃなかった。行ってきます」





「そっちだっ、そっちに行ったぞー、穴まで追い込め!」


「あっ、ばか、深追いするな。どつかれたら冗談じゃなく身体に穴が開くぞっ」


「ジジイ、ボクが引き付けるから、そのうちにお願い」


「……」


「うん、右に五十歩、奥に二十歩、わかってる」


「いけねえ、囲みが破られたっ、テンさん、そっち行くぜ」


「まかせてっ、さー、こっちおいで、おいかけっこだよー」


「……おーおー、速えなあ。しっかし、相変わらずとんでもない身軽さだ。本当に背中に羽でも付いてんじゃないのか」


「俺ぁ”渡り鳥”のメトトなんざ、カビの生えたヨタ話だと思ってた口だがよ。テンさん見てると信じざるを得ねえっていうか、な」


「ところでよ、その。ここだけの話なんだが。どう思う、テンさんのこと」


「あんだよ、文句でもあるのか。確かによそもんだしナリは小せえが、今じゃ男も女もテンさんを信用してんだ。今だって自分から囮役買って出て命張ってくれてんだぜ。おかげでここ最近狩りに出ればハズレなしだ」


「い、いや文句なんかねえって。違うんだよ。俺が云いてえのはだな、その。いや、俺がおかしいのかなぁ、そのぅ……」


「なんだよ煮え切らねえな。はっきり云えよ」


「あ、いや、なんて云うか……グッと来る、というか?」


「……はぁ?」


「そ、そんな目で見んなって。でもよ、テンさんいっつもジジとつるんでるだろ。狩りで夜明かしするときだって、寝てるテンさんの傍はジジが見張ってんだ。それでも、たまに近くで声を聞いたり、遠くで横になってる姿を見るとさ。なんかこう……変に意識しちまうというか。自然と眼で追っちまうという、か」


「……」


「あーもうわかってるよっ。俺がおかしいことくらい。ほら行くぞ、いつまでもテンさんにおんぶにだっこじゃ、村の女たちに示しがつかねえや」


「……よかった。俺だけじゃなくて」





 「つかれたー」


 気怠げな。気怠すぎて若干幼児退行気味ですらあるテンシーの声が、ひんやりとした岩壁と板の間に消えていく。


 「お務め、ご苦労様でした。テンさん。もう完全に村に馴染んじゃいましたね」


 板の間にむしろを広げて座るレルルはどこか嬉しそうだった。彼女の腿は今、疲れてへろへろになったテンシーの枕替わりになっている。

 

 テンシーが村の客人として歓迎されて、はや一か月。


 初めは鳥人間の風貌をしたテンシーの素性を怪しむ者が大半を占めていたが、彼女はレルルが想像していたよりもずっと早く、村の人々の暮らしに順応してみせた。

 彼らにとってメトトが定める掟というのは精神的にも大きなものらしい。テンシーの奇怪な恰好も、メトトの掟なのだとでっち上げればすんなり受け入れられたほどだ。

 

 ところで、初日のひと騒ぎのあと、テンシーは岩壁高くに造られた宮家にあるレルルの自室で、いくつかの疑問を解消していた。


 「ねえレルル、どうしてあんな嘘をついたの? ボクは自分の、なんだっけ、メトト? なんて君に教えてないし、そもそもボク、そんなの持ってないのに」


 「……本当にごめんなさい。私、おあばちゃん苦手で、問いただされそうになると殆ど反射的に応えてしまう癖があって」


 羞恥なのか、後悔なのか。レルルは板の間の隅に蹲って小さく震えながら応えた。


 「でも! ”渡り鳥”のメトトの名を借りることはジジの考えだったんです。古の時、自分たちの領域を持たず、この天涯の地を駆け舞い人々に平和をもたらした、おとぎ話の一族。私は眼が見えないので分かりませんけど、ジジはあなたがそのメトトの末裔じゃないかって思ってるみたいで」


 「そんなに似ているの、その”渡り鳥”さんたちとボクって」


 「少なくとも、ジジはそう思ってる見たいです。そうよね、ジジ?」


 部屋の外で見張りをしているはずのジジイの影が陽気にポーズをとるのが月明りでわかった。テンシーはため息をついた。


 「わかった、それはもういいや。ボクもこの村にしばらく滞在できたらと思っていたし。じゃあ次、”厄災”っていうのは何? どうしてみんなあの時驚いたの? ジジイまでびっくりした様子だった。何か、良くないものっていうのは分かるけど」


 「”厄災”を、知らない? あなたは、いったい……?」


 目元の見えないレルルの表情に困惑と、かすかに怯えの気色が浮かぶ。

 またしても、テンシーは選択を誤ったことを悟った。レルルたちにとって、”厄災”というものはそれこそメトトと同じように広く共有されているものらしい。


 自分の出自を偽る理由はないが、無闇に明かしてしまうことでシレイにどんな影響が出るか分からない以上、語らなければそれに越したことはない。それが、テンシーの考えだった。


 だから、テンシーはそれ以上の追求をせず曖昧に話を逸らし、一瞬おびえた表情を見せたレルルも、敢えて訊き返したりはしなかった。


 そんなこんなで一か月、というわけである。


 テンシーはテンシーで。城で雑学程度に修めていた土木や農法などの幅広い知識をこねくり回すことで人々から何かと重宝され、なんとか村での居場所を確保できたという自負があった。

 なにより、困っている誰かの役に立ち、あまつさえ感謝されることなど今まで無かったものだから、「ありがとう」などと屈託のない笑顔で云われた日には背筋がむずむずするくらいである。どんな顔をしてよいものか分からないものだから、こういう時にお面で顔が隠れていたのは都合がよかった。


 とにかく、この一か月はテンシー、レルル双方にとって、それほど悪い期間ではなかったことだけは間違いない。


 ただ、同時にテンシーの頭の中を常に占めていたのは、達成すべきアイからのシレイのことだった。

 いまだに手がかりは、この村のメトト――この一月でテンシーはこれがある種のトーテムであると定義した――として刻まれている”天秤”の象徴のみ。


 むろん、のんびり屋のテンシーとて、何もこの一月遊び惚けていたわけではない。だが、一族の象徴、などという抽象的な話をいくら村人から聞こうとも、返ってくるのはせいぜい数代前の先祖の話くらいのものだった。


 唯一可能性があるとすれば、聞き出すべき相手はレルルや彼女の祖母、そして彼女たちの世話係であるジジイたち――”宮家”と呼ばれる者たちだった。

 だが、レルルとジジイ以外のものたちはみな何処か陰鬱で接しがたく、交流を図ることは村人たち以上に難航していた。

 

 だが、少なくとも村人たちや、レルルからは信頼を得ることができた。

 初対面なら聞き出すことのできない問いかけでも、今なら応えてくれるかもしれない。


 別行動中のエーナインのことも気になりだしていたテンシーは、いよいよシレイの究明に本腰を入れることにした。 


「レルルー」


「眠そうなお声ですね、テンさん」


 クスクスと笑うレルルの声に、警戒の色はない。

 聞けば応えてくれるはず。


「もうお休みになりますか?」


「うーん」


 でも、


「テンさん、聞こえてます?」


「うーん」


 今は、ねむいし。


「……今夜、一緒に寝ても、良いですか?」


「うーん」


 ここは居心地がよい、ので。


「れるる」


「はい?」


「んー……あし、た」


「……はい、また明日。おやすみなさい」


 すうっと力の抜けたテンシーの顔に、レルルの指がそっと触れる。

 もう一月も日の目を見ていない薄氷色の髪の毛が、部屋に差し込む月明りに映える。


 その美しさを、目の見えぬ彼女は知ることはできない。

 だが、識こそ違えど感じ入る。指で触れるだけで心に浮かぶ、そのかんばせの美しさを。


 同時に思い起こされる。

 あどけなく無防備な、かつて膝に乗せた違う相手のことを。


「お姉ちゃん、私、好きな人ができたよ」


 誰に言うでもない、消え入るようなか細い声。


 ジジイの影が一瞬、手で目頭を抑えたように見えた。


 余計な音はない。 


 静かな夜が、更けていく。


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