第11話 月と剣のメトト
あくる朝。というか、昼過ぎ。
テンシーは誰に起こされるでもなく起きた。
これは彼女にしては珍しい。起きる時間に関わらず、珍しい。早く目が覚めることはまずないし、遅くなりすぎれば誰かが起こすからだ。
ひとりでに目覚めることができたのは、なにやら外が騒がしかったからだ。
はじめは渋々着ていた鳥人間じみた衣と仮面に、すでに若干の愛着すら感じつつ、ゆるりと着替える。ここ最近では横着に磨きがかかり、寝転がったままの体制で、転がり進みながら部屋を出るまでに着替え終わるという技さえ編み出していたテンシーである。
台地の岩盤をそのまま家の壁面として利用し、極太の柱を広場へ向けて階段状に連ねて建造されている宮家の、板張りの中庭に出る。普段なら世話係の何人かとすれ違うはずだが、不思議と一人の気配もない。地上へ降っていく長い階段の入口で足を止め、広場の様子を伺う。
中央の篝火は変わらず燃え続けているが、いつもは規則正しくものんびりとして見える人々の動きが、妙にせかせかして見えた。
「おはよー、みんなどうしてそんなに急いでいるの?」
老若男女問わず、村中の人々が住居や岩だなの倉庫から、長く編んだツタのロープやら、メトトの石柱ほどもある麻織りの絨毯の丸めたのやらを、せっせと運んでくるのを尻目に、テンシーは手近な農夫に声をかけてみた。
「ああ、おはようテンさん。大変なんだよ、ア=ルエゴ様の一団がもうこの辺まで来ているんだと! 宮家の人たちも朝早くから出迎えに行っちゃったよ。俺たちも夕暮れまでに儀式の準備をせにゃあ!」
「あるえご? あるえごって、まさか、あの?」
テンシーはさんざん踏んできた失敗を糧に変えるべく、知らないことをさも知っているかのように尋ねてみた。
「びっくりだろう? いつもは来る前にちゃーんと使いが来るんだが、今回は季節すらお構いなしなんだからよ。こりゃあもしかしたら、レルル様をさらいやがった”厄災”絡みかもしれねえな」
思わぬ収穫があった、と。テンシーは自分の成長をほんのちょっぴり自画自賛する。
そういえば昨夜、ちょうど件の”厄災”なるものについて尋ねようとしていたところだったのを思い出す。
もう少し、上手く聞き出せそうだ。
「あー、そういえばなんだったっけ。ほら、あるえご、様の。あれ、メトト」
「あ? メトト? さてなんだったっけなぁ、おーい、とっつあん、とっつあんてばっ。なんだっけ、ほら! ア=ルエゴ様の! メトト! え? ”月”と、なに? あ? ”剣”? あー、何でもねエ! いいんだいいんだ! テンさん、”月”と”剣”だってよ。そういやそうだった」
「あ、ありがとう……」
ことコミュニケーション能力――もとい、面の皮の厚さにかけて、上には上がいる。
テンシーは若干もじもじしながら礼を云うと、そそくさとみんなの手伝いに回った。
”天秤”と”剣”。
”太陽”と”月”。すなわち、昼と夜が。これで揃った。
何はともあれ、これも収穫に違いない。
ことは、大きく動くかもしれない。
そんなテンシーの希望的観測は、彼女が思っていたよりもずっと早く実現することとなった。
※
夕暮れ時。
薄く広がる雲海の上から、血のように赤い斜陽がにじむ。
ところどころ破れた雲間から降り注ぐ”天使の梯子”も、色一つ変われば見方も変わる。確かに幻想的な景色ではあったが、どこか落ち着かない。心ざわつかせるような、妖しの美だった。
村人たちはすでに広場の設営を終えて、宮家の帰りを待っている。
いつもはこざっぱりとした広場も今や非日常の様相を挺していた。
極彩色に染め上げられた麻織りの巨大な敷物が足元を彩る。
円形の広場を四方で囲むように長いツタのロープが上下三本に渡り、四隅には大きな篝火が焚かれていた。
遠くから、太鼓の音が聞こえる。
身を寄せ合う村人たちの心音を映し出すように。
遠くからゆっくり、近づくにつれて徐々に早く。
黄昏をとうに過ぎ、影のない薄明の中で、無数の篝火の動きがよく見える。
こちらへ向かってくる一団は、篝火だけでもここにいる村人の数より多い。
目に見える距離になって初めて、太鼓以外の音色も聞こえてくる。
骨を削って拵えた笛の音。貴重な金無垢器が織りなす、大小高低折り重なった”りん”と”しゃん”。
村人たちが一人、また一人と敷物のうえに膝を折り、地に伏せるように首を垂れていく。
みんなの様子を観察しているうち、とうとうテンシーが最後の一人になったころ。
一団が、広場に入った。
途端に、空気が変わる。文字通りの意味だ。テンシーが嗅いだことのない甘ったるい香りが、音もなく広場を席巻する。見れば、一団のもっとも外側に立つ者たちが、鎖付の燻煙器を回しながら歩いていた。
集団の中元には、一辺十人がかりで四辺。計四十人で担ぐ神輿の上には巨大な御座があり、踊る篝火に照らされ優雅に座す者と、傍に立ち侍る者の二人が乗っていた。
<止まれ>
たった一言。それだけで、百人規模の一団は微塵の狂いもなく足を止めた。
違和感が、テンシーの脳裏を満たす。だが、答えを出すよりも先に、神輿の上から朗々とした声が響いた。
「宮家の者からこの中に、”風”と”渡り鳥”のメトトを名乗る者がいるとの奏上があった! テンとか申す者、いれば即刻名乗り出よ!」
テンシーは周りの人々を見回した。みんな一斉に自分を見上げるかと思ったからだ。
だが、村人たちは皆、地に首を垂れたまま誰一人動かない。微動だにすら、しない。
違和感が、一つの答えを脳裏に浮かび上がらせる。
テンシーは一人、無人の野を往くように歩を進め、たった一人で百人規模の一団と向かい合った。
「よくぞ名乗り出た! だが生憎、神話に語られる一族の末裔がたった一人で、このような小さな村を訪れたなどという話は到底信じられぬ! テンとやら、何か己が身の証を立てるものはあるか!」
「や! ない!」
朗々と響く男の声に負けじと声を張るテンシーだったが、無理が祟ったせいで存外に子供っぽい返答となった。
神輿の男は座の主と何事か言葉を交わし、再びテンシーに声をかけた。
「いさぎよし、大いに結構! ならば偉大な先祖の御霊に誓い、いまこの場でその身の証――勇気の儀を見事成し遂げることで示されい! さすればそなたのここに集う二つのメトトから正式な眷属として認められ、永遠の敬意と感謝を送られることであろう!」
「おーっ」
テンシーは、昼間に効果をもたらした”知ったかぶり戦術”を遺憾なく発揮し、威勢よく応えて見せた。
「なれば早速準備に取り掛かる! アク様! 何卒御下知を!」
「……あれ、確かトップの名前はあるえご、じゃなかったっけ」
てっきり神輿の座の主がその人物かと思っていたテンシーは思わずぼそっと呟いた。
次の瞬間、
<動いてよし>
広場中が一気に息吹する。それくらいの空気の弛緩が一気に訪れた。
見れば、敷物の上の村人たちの多くが、突っ伏したまま肩で息をしている。
神輿の一団も、担ぎ手の何人かは口から泡を吹いて失神したまま、ただ無意識に脚を動かしていた。
テンシーの疑問が、確認に変わる。
「間違いない。言霊の力」
間の抜けた鳥頭の面の奥で、見知った人々が一分弱、完全に生殺与奪を握られていた。
滅多にないことだが、テンシーの辰砂色の瞳には、薄らかながら怒気が滲んでいた。
一団は神輿を旋回させて、四辺に木組みの台をかませると慎重に神輿を下した。
その一団から離れて、宮家の人々が帰ってくる。ジジイたち世話人は広場に散り、村人たちの介抱を始めた。
女中たちに支えられて歩いてくるレルルを見つけ、テンシーは駆け寄った。
目が見えない中で長い時間歩き続けたのだろう。顔には疲労と焦燥が浮かんでいる。
「レルル、大丈夫? 辛くない?」
声をかけてきたのがテンシーだと気付いたレルルは、ひどく取り乱したようにテンシーに縋り付いた。
「テンさん、あんなにあっさり勇気の儀を受けるだなんて……あなたなんてこと……なんてことを!」
何故怒られているのか分からないテンシーは、仮面の奥で目をしばたかせるしかなかった。
なんとか落ち着かせようとレルルの手を握りつつ、考える。
勇気の儀とやらは、そんなに危険なものなのかな。
「あ、あなたやっぱり知らないで……あっ!?」
「え、レルル、今どうしてボクの――」
「”渡り鳥”のテンよ! どうした、今になって臆したか! 参られい!」
二十人からの槍持ちに護衛された神輿の男の声が朗々と響く。
「とにかく、行かなくちゃ。レルル、大丈夫だから、心配しないで」
「だめっ、お願いだからやめてください。今からでも辞退すれば――あっ」
つないでいた手が離れ、テンシーは男たちについて宮家へと向かっていった。
残されたレルルは、離れていく手の温もりの残滓をかき抱くように、その場にぺたんと崩れ落ちる。
だが、そんなレルルの肩に、音もなく駆け付けたジジがそっと手を添える。
二人はしばしの間そのまま黙していたが、
「うそ……貴方それ、どうして今まで黙って……え、私が? とにかく止めなくちゃ、ジジッ、おねがい手を貸して!」
そう云っておぼつかぬ足取りでテンシーたちの後を追った。
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