第9話 太陽と天秤のメトト


 何はともあれ、この地に生きる人間とコンタクトを取れたことは、シレイ達成の第一歩だと云えた。


 なのでテンシーはとりあえず、眼前で手をつないで歩く二人――盲目の少女レルルと、屈強だが口の利けないジジイに導かれる形で、彼らの村にお邪魔することに決めた。


 村と外の境界線を示す石柱の前まで来ると、ジジイは二人を残して先に村へ向かった。


 「ジジイ、なんだって?」


 「テンさんが着るものを見繕ってくるそうです。なんかほら、えーとその、テンさん、まだほとんど裸、ですし」


 先ほどの中途半端な自己紹介以降、レルルはテンシーのことを「テンさん」と呼んでいた。特に間違っている訳でもないため、テンシーも訂正しなかった。

 

 「そっか、でも一応、この腰蓑と胸蓑もあるし、別に」


 「それ、ジジの着替え用なんです。本当はどっちも下に履くためのものだから、もうちょっとよいものをって――」


 ――ぺいっ。


 レルルが云い終わるよりもはやく、テンシーは上下に身に着けていた粗末な蓑を脱ぎ捨てていた。ジジイの股間を覆っていた蓑で上と下を隠すくらいなら、いっそ裸のままの方がマシというものである。


 「ん、今何か?」


 「ううん、何でもない。ねぇレルル、どうして君はジジイの云いたいことがわかるの? あの人喋れないのに」


 「な、長い付き合いですから」

 

 「ふーん」


 にへらっと笑うレルルに違和感を覚えたテンシーだったが、追求するよりも先にレルルの方が尋ねてきた。


 「ところでテンさん。そろそろ教えてほしいんです。どうやって、私を助けてくれたんですか? 私、二晩かけてあの崖まで登ったんです。あんな高いところから落ちたのに、急にあなたの声が聞こえてきて……気付いたらジジが介抱してくれてましたけど、ケガだってしてなかった」


 「そりゃあ、つ――」


 「つ?」


 つばさを最大出力で展開して。そう云おうとして、寸でのところで言葉を飲み込む。

 いくら世間知らずの箱入りテンシーでも、この地の人間の背に翼がないのはわかっていた。


 「つ、ついね。君の姿を見つけて、ついつい身体が動いちゃった。も、もともと身軽なんだボク。身内にはずっと重たい人もいるんだけどね。特にお胸とかお尻とか」


 「そ、その方は、テンさんの……その」


 お互い、違う意味でまごつきあう時間が十秒ほど続く。

 別の話をしようと思い、テンシーは近くに建っていた石柱に近づいた。天然の岩を削りだしてもので、雨風に晒されて風化しかけてはいるものの、中々に凝った意匠が施してある。


 物珍しく見つめているうちに、テンシーはあることに気付いた。


 「レルル、この石柱って」


 「ああ、それは私たちの”メトト”です。一応、このあたりじゃ一番古い一族なんですよ。だからって偉いとか、そういうわけじゃないですけど。そういえば、テンさんのメトトは? ジジがこの辺じゃ見ない顔だって云っていたから、きっと遠くから旅してこられたんですよね。じゃあもしかして”風”と”渡り鳥”の? あ、でもおひとりだし、もしかしてお連れの方もどこか……」


 せっせとお喋りをしているレルルの言葉を、テンシーは途中からほとんど聞き流していた。それくらい、目の前の石柱――メトトに彫りこまれた意匠を食い入るように見つめていた。


 大人二人分ほどはある石柱の天辺には、太陽と思しき円がある。太陽だとわかるのは、そこから下に向かって光線が降り注ぐ様が、何本もの直線で表現されているからだ。

 さらに、直線は下に行くにつれて徐々に形を変え、テンシーの目線くらいの高さで槍のような形となって刻まれている。

 そして最後。最も地面に近い部分に、柱の四面に跨って描かれているのは、


 「……天秤。レルル、これって」


 テンシーがさらに尋ねようとしたその時、ちょうどジジイが戻って来たので、話は宙ぶらりんのまま途切れてしまった。

 ジジイは腕いっぱいに服を抱えていたが、蓑を脱ぎ捨て再び裸になっていたテンシーを見るなり、ぎょっとして持っていたものを落してしまったのは仕方のないことだった。


 

 

 「あのさ、本当にこれ、着ていなくちゃだめ?」


 「すみません、初めてだとみんなびっくりしちゃうかもしれないからって。ジジが」


 「でもさ、ジジイ。普通に考えたらこっちの方がよっぽどみんなびっくりするんじゃ」


 湿気のこもった暗がりから見たジジイの顔は、「心配ない」と告げていた。

 肯定するほどの信用も反論する根拠もなかったので、テンシーは黙って従うことにした。


 しばらく歩いていくと、徐々に密林の景色が開けていく。

 草木の焼ける匂いが湿った風に乗ってやってくる。においに遅れること数分、密林を切り拓いて作られた焼き畑の景色がテンシーを出迎えた。


 ところどころでは炭化した樹木に残り火が揺らめき、散開して作業する人々が熱い土壌と灰をかき回して回っている。みんなレルルたちを見ると手を振って駆け寄ってきたが、ジジイの背に隠れていたテンシーの姿を認めてると、一様にびっくりしたように足を止めた。


 「ほら、やっぱりびっくりしてる。ボクやっぱり脱ぐ」


 反論する根拠ができたテンシーがぼそっとこぼしたが、ジジイは依然としてしたり顔で見下ろしながら、「心配ない」と顔で告げていた。今度は再び茶目っ気たっぷりウインクのおまけ付きだった。

 むろん、そんなもの単に顔がうるさいだけであり、安心など出来ようはずもなかったのは云うまでもない。


 結局、焼き畑を過ぎ、溜め池、キノコの栽培地と思しき朽木置き場、養蜂場と、彼らの生活圏を通りすぎるたびに、そこで勤めを果たしていた人々がみんなこぞってテンシーたちのあとを付いて来た。

 だが、やはり警戒しているのか、みんなテンシーたちとは常に一定の距離を保ったまま、後ろから付いてくるだけだった。


 ようやく、台地の岩盤のふもとに広がる居住地の広場に着いたころには、ぞろぞろと引き連れてきた村人たちの数は、いつの間にか数十人規模まで膨れ上がっていた。


 テンシーは自分を取り巻く人々の好奇の瞳と、村の様子とを見回した。

 みんな、出で立ちは似たようなものだ。野良仕事をする男たちはジジイのような腰蓑や、ひざ丈の麻織りを履いている。みんな頑健そうだが、誰もかれもジジイのような屈強さまでは持ち合わせているようには見えない。

 弾性樹とツタと樹脂、屋根に巨大な葉を重ねて拵えられた住居から出てきた女たちも麻織りの長衣を纏っていたが、こちらにはお洒落のためかそこここに刺繍による飾りが見られた。年配者の肩には極彩色の綾織物が掛けられていたが、どれもレルルのような上等なものではない。


 どうやらレルルは、この村でも並以上の地位を持っているらしいかった。


「レルル!? レルルかぇ!? ああっ、よかった無事だったんだねえ」


 遠くからしゃがれた声が、けれど岩棚に跳ね返って朗々と響く。

 声の出所はどこかと振り向けば、ジジイと同じくらい屈強そうな老人に背負われた老婆が、こちらにかけてくる。後ろに引き連れているのは、片手に松明、片手に槍を携えた壮年の男たちだ。


 かくして、踏み固められた円形の広場の中央。燃える篝火の傍に立つテンシーたちは、村人全員にぐるりと取り囲まれることとなった。

  

 囲みの外から、先ほどの老婆が真っ先に駆け寄り、護衛の老人の背から降りるや否や、レルルにしがみつくように抱きしめる。レルルの肩が激しく跳ねた。


「ああ、本当だ、本当にレルルだね。よかった、よかったよ。いなくなって三日、宮オジたちも諦めかけていたところだったんだ」

「し、心配かけてごめんなさい、おばあちゃん。あの、そろそろ離して、痛い……」


「おやおやごめんよ。しかしいったい今までどこに――それもこれも! お前がちゃんと注意していないからだよっ、聞いてるのかいこのくちなしっ。朴念仁が過ぎて耳まで亡くしちまったのかい、ええっ」


 レルルへ向けていた柔和な微笑みが、ジジイに対しては呪い殺さんばかりの形相に変わる。やりとりを見る限りレルルの祖母のようだが、テンシーは仲良くなりたいとは思えなかった。


 ジジイの方はと云えば、黙って片膝をついて首を垂れたまま、老婆の叱責と骨ばった拳骨とを甘んじて受け続けていた。

 もっとも、反論しようにも喋ることができず、かくしゃくとしていても年相応の老婆の拳骨など、鍛え上げた身体にはそよ風にも等しいから、ただ黙して嵐が過ぎるのを待っているだけのようにも見えた。


 案の定、老婆の体力はやはり年相応で、すぐに肩で息をする羽目になった。先ほども護衛に背負われてきたことからも、すでに脚も萎えているのだろう。

 だが、死にかけの生き物の多くがただ座して死を待つのみではないのと同じように、白く濁りかけた瞳にはまだ、軟弱な若者が思わずたじろくほどの、確固とした意志が宿っていた。

 

 どこか肉食の魚類を連想させる眼光を至近距離から浴びてしまい、ちょうどたじろいてしまったのが、他ならぬテンシーだった。

 怪訝そうな老婆が何か尋ねる気配を感じ取ったのか、レルルがわたわたと二人の間に割って入る。


「おばあちゃん、紹介するね。この人、テンさんって云ってね その、」


「テン、聞かぬ名だね。なんだいその恰好は。あんたのメトトじゃそれが正装なのかい」


 メトト云々、はともかく。恰好についてはとうのテンシー本人も同感だった。

 何しろ、今テンシーは、肌の露出が全くない。肌着こそレルルと同じものを着ていたが、その上から全身を羽毛編みの蓑で包み、頭に至っては木と皮で拵えられた鳥頭の仮面を付けていたのだ。いや、仮面と云うよりはむしろ全面兜に近い。はたから見れば巨大な猛禽の化物か何かに見えるだろう。


「あの、ボク――」


「――そう! この御方こそ、この”天涯の果て”を遥か旅する”風”と”渡り鳥”のメトトの末裔っ。何を隠そう、”厄災”に掴まった私を助けてくれた御方なのっ」

 

 老婆が濁った眼を見開き、取り巻く村人たちは一斉にどよめき出した。

 あれだけ顔うるさく「心配するな」と告げていたジジイでさえ、後半の部分は想定外だったらしい。目を丸くしてレルルを見上げている。


 全く状況を飲み込めないテンシーも、これだけはわかった。


 当分、ここを動くことはできそうにないな、と。


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