第3話 アイとシレイ


 「二人とも、遅かったですね。何かありましたか」


 赤髪を振り乱し肩で息をするエーナインと、とぼけた様子で明後日の方向を向いているテンシーの様子を伺い、アイは小首をかしげて尋ねた。


 「聞いてよアイっ、テンシーが、テンシーがぁ」


 「エーナインってさ、本当にいろんなものに好かれるよね。それが常日頃云ってる『かりすま』がどうたらってやつ?」


 若干涙目で何事か訴えようとしたエーナインがキッとテンシーを睨むものの、テンシーの方はどこ吹く風だった。

 

 いつもと変わりない掛け合いに、アイは小さく肩をすくめた。

 もっとも、彼女はこの城の主なので、城で起こる大抵のことは聞かなくてもわかっていたりする。それがさして問題ないことであれば放っておくし、解決が必要なことであれば誰に相談することもなく人知れず対処し解決する。それが彼女の性分だった。


 極端に肌の露出の少ない、白と黒のみで構成されたモノクロームの出で立ち。

 唯一覗く素肌は顔だけだったが、目元は黒い布で覆われ瞳の色を見ることはできない。

 永遠に時を引き伸ばしたかのような純白の髪と肌が、儚げでありながらもどこか超然とした印象を与える。


 この城を預かる者にして天の長女。

 そしてただ一人、シレイを読み解く力を有するもの。

 

 「集まってもらったのは他でもありません。ついにシレイが降りました。今回はエーナイン、テンシー、貴女たち二人に動いてもらいます」


 「私は構わないけれど。本当に良いのかしら、テンシーはこれが初陣になるのよ」


 「シレイは絶対です。全く心配していない、と云えば嘘になりますが、降臨の経験がある貴女と一緒ですもの。頼りにしていますよ、エーナイン」


 「任せておきなさい。エーの名が伊達じゃないってところを見せてやるんだから!

ところで、ねぇテンシー、聞いた? 今の聞いた? あんたは心配されてるけど私がいるから安心してるって。当ぅ然よね〜。なにせ経験が違うんだから。ま、この私が一緒に付いていてあげるんだから大船に乗った気でいて良いわよ。でも良いこと、お願いだから足だけは引っ張らないでよね……あれ?」


 アイから直々に頭を下げられて得意満面になっていたエーナインは、隣に居ると思っていたテンシーがいつのまにか消えているのに気づいた。


 テンシーはアイの目と鼻の先まで近づき、彼女の胸元あたりからしげしげと様子を伺っているところだった。三人の中ではテンシーだけ極端に背が小さいので、近くによると完全に大人と子供のそれである。


 「アイ、大丈夫? 辛くない?」


 静かに尋ねる声音は、エーナインへの接し方とは違う。まるで病弱な母を気遣う健気な娘のような態度だった。

 

 エーナインは聞こえないくらいの小さな舌打ちをしたが、別に文句は云わなかった。

 彼女自身がこの城で態度を偽らないのと同じくらい、テンシーの態度にも嘘はないことを知っているからだ。テンシーの二人への態度が異なるのは、何も彼女が猫をかぶっているからではない。むろん、エーナインに対しても。


 アイもまた、全てをわかっているかのように、唯一露出された口元をほころばせると、ふわりとテンシーを胸に抱き、薄氷色の髪をなでた。

 テンシーも黙ってアイの背中に腕を回すと、弱めに、けれどしっかりと抱き着いた。


 「ありがとうテンシー、優しい子。大丈夫、今回のシレイは少し、熱かっただけ。さぁ、貴女たちにも見てもらう必要があります。用意は良いですか?」


 エーナインは心なしか表情を固くして頷いた。

 抱擁を解いたテンシーはアイの左手を取ったまま回れ右すると、後頭部をアイの胸に預け、傾聴の姿勢を取った。


 アイは右手を包む白繻子の手袋を外し、体の前に掲げる。

 右手には、輪郭がなかった。

 まともに見つめていれば吸い込まれそうになる、光を塗りつぶすほどの、黒の手。


 <繙きましょう>


 色のない声音が、唯一無二の言霊を紡ぐ。


 その圧倒的な力に、エーナインの背筋に冷たいものが走る。

 同じ言霊使いであるにも関わらず――否。”同じ”などとはおこがましい。

 これが言霊なのだとすれば、自分のそれは児戯にも等しい。そんな思いが脳裏をよぎる。


 アイの真黒の右手は、今や煌々とした白い輝きを放っている。

 光彩は黒から白、白から赤、赤から紫を経ると、最後は虹の輝きで見る者の目を奪う。

 相異なる色の光は、よく見れば全てが糸のように連綿と紡がれる文字で出来ていた。


 アイの虹色の手が、決して開くことのない扉に触れる。そこから血を擦り付けるように、ゆっくりと左右に動かしていく。

 七色の光彩は蜘蛛の子を散らすように右手から離れていき、はじめからそこが己の居場所であったかのように、自然とあるべき場所へと落ち着いていく。


 焼き付き、刻み込まれ、光と熱を失い、連なる文字となって。


 アイは、ずっと一つのメロディを口ずさんでいた。

 エーナインもテンシーもよく知っている。けれど元の歌の名も知らない旋律。

 それが終わる頃、ドア一面には意味ある文章が刻まれていた。


 "剣亡き天秤は無力

  天秤亡き剣は暴力


 傾く定規 過つ罫書

  傾ぐ天秤 禍つ筋書


 絆を結べ

 昼と夜のはざまで法を敷くものと


 立ち会え

 愛ゆえに掛け違えた罫線の果てで


  ゆめ路傍の石と侮るなかれ


  信ずるものは丹を成し

  偽るものは己を見出す ”


 「……」


 「……?」


 「……で?」


 最初に沈黙を破ったのはエーナインだった。

 シレイというものはこうして、たいへん抽象的な内容の詩歌に近い形で下される。シレイを直接受け取ることができるのはアイだけであり、曖昧なシレイの内容を類推・推定し、具体的な指示へと変えるのもアイの領分だった。


 「そうですね。いくつか読み取れることはあります。”剣”と”天秤”はともに正義を象徴するもの。どちらかが欠けても正義は成り立たない。それに”定規”と”法を敷くもの”。とある言語体系の中でこの二つは同じ言葉で表現されます。テンシー、何かわかりますか」


 「うん、たしか”ルーラー”っていう言葉だったと思う」

 

 アイの胸に頭を預けたまま、テンシーは思い出すようにピッタリ来る言葉を探し当てた。


 「ルーラー……法を敷くもの。それが、今回のターゲットってわけね」


 「おそらくは。それに”傾く定規”、”掛け違えた罫線”というのも重要でしょう。本来、罫線とは平行線。いくら伸ばしたところで、決して交わることがないもの。それが交差するということは、これはつまり……」


 「人界における【特異点】……人の歴史をそれ以前とそれ以後に分かつもの」

 

 つぶやくようなテンシーの言に、アイは頷く。

 エーナインは若干焦れたように、たっぷりとした赤髪を手で払った。


 「何でもいいわ。

 要はこれから降りる先には”ルーラー”とか云うニンゲンのトップがいるから、私達はそいつとコンタクトを取る。

 多分そいつはおそらく何か間違ったことをしているだろうから、こっちで手綱を握って上手いこと舵取りしてやれば一件落着。そういうことね」


 「エーナインさ、それでよく今までやってこれたよね。ある意味すごいと思う」


 「おだまり。律儀に隅から隅まで考えたところで、実際に行動しなくちゃ意味がないのよ。最重要の目的は割れてるんだから、遠回りせずに頭を狙いに行く。それがエーの誇りだわ。

 ねえアイ、私、間違ってるかしら?」


 アイは即答しなかった。

 代わりに、ややあってから、テンシーが尋ねる。


 「アイ、ボクたち、何をすれば良い?」


 熟考か。逡巡か。数秒の間、応えは返らない。

 だが、


 「あるがままに……テンシー、エーナイン。お互いの意思するところを行ってください」


 ――それが、私達ナンバーズに敷かれた法なのですから。


 そんな言葉を送ったアイに、迷いは見えなかった。


 直後、三人の身体から青白い光が溢れ出す。

 じきに彼女らは無数の青白い光の粒となって紐状に連なり、解けていく。


 最後にまばゆい閃光があたりを満たすと、次の瞬間。


 部屋の前から、三人の姿は消えていた。


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