第4話 出立
「ん、あれ。ここは?」
「もう、アイったら過保護なんだから。見送りなんてしてくれなくていいのに」
「そうはいきません。なんと云ってもテンシーの初陣ですから」
三人はいつの間にか城の外、島の外縁まで移動していた。
切り立った崖の果てに築かれた、円形に開かれた石畳の踊り場である。
まさに虚空に浮かぶこの島の果て。そこは天地両界の境界線とも云うべき天涯。
三人が立っている石畳の踊り場から先には、文字通り何もない。
ただ、底の見えぬ虚空が、眼下に広がるばかりだった。
「ねえアイ。もしかしてもう出発しないといけない? 持っていきたいものがあるんだけど」
崖っぷちに立ってひとしきり眼下を眺めた後で、テンシーが尋ねる。
「ごめんなさいテンシー。この城から持ち出せるのは貴女達自身だけなの。仮にこの城から武器や道具を持ち出そうとしても、人界までは持ち込むことができない」
「そういうこと。あくまで武器も装備も現地調達ってわけ。なによテンシー、もしかして初めての降臨を前にしてビビっちゃった? ねぇビビっちゃったの?」
にまにまと露骨に皮肉な笑みを浮かべるエーナインに、テンシーは何も言い返さなかった。
代わりに、テンシーの心を読んだようにアイが助け舟を出す。
「シレイの拘束力は降臨するもの自身に規定されているのです。裏を返せば、物質的なものではない、”貴女自身に属するもの”なら、持っていくことができる。何か、望むものはありますか?」
テンシーは小首をかしげ、しばらく考え込んだ。
だが、ややあって何か合点がいったように一人頷くと、決心したように短く告げた。
「なら、翼を」
「あるがままの貴女らしい、よい選択ですね」
――では、唱えて。
アイは両手をテンシーに向け、テンシーは胸の前で手を重ねて目を閉じた。
<汝に翼を>
<我に翼を>
二人の言霊が一つの意思のもとで混ざり、再びテンシーの身体が青白い光に包まれる。
光は彼女の背中へと収束し、樹木が枝葉を伸ばすように広がっていく。
生まれたのは、青白い光そのものが渦巻く力場と化した翼だった。
極めて幾何学的な形態を有し、どんな生物の翼とも異なる、テンシーだけに属する翼。
祈りにも似た姿勢を解いたテンシーは、右へ左へと振り返って自分の翼を確認すると、嬉しそうにその場でくるくる回ってみせた。まるで新しく買ってもらった鞄を背負ってはしゃぐ子供のようだ。
「普段あれだけバカみたいに本を読んだり、キテレツなお面だのなんだのを拵えたりしているくせに、自分のこととなるとどうしてあんな想像力の欠片もない出来栄えになるのかしら」
呆れたようにエーナインがひとりごちる。
あの青白い光は”言霊”によって司られている、あまねく万物に宿る力が可視化されたものだ。
姿形は違えど、森羅万象の根はすべてあの光によって構成されている。
だから、形成過程によってはもっと有機的で優美な翼を形作ることもできたはずなのだ。
だが、あれでは”翼”の概念だけが力場となって顕れたに過ぎない。
あまりにも剥き出しで、あまりにも無防備で、危なっかしい姿。
そこまで考えて、エーナインは自分の疑問が自己解決されたことに気づく。
「……ああ、なるほど、そのまんまってことね」
「さぁ、エーナイン、貴女にもなにか贈り物を」
「結構よアイ。この私に欠けているところなんてあるはずないもの。そうでしょう?」
一瞬だけ間をおいて、アイは口元を綻ばせる。
「ええ、もちろん。テンシーのこと、よろしくお願いしますね」
「お・こ・と・わ・り。
いいことアイ、このシレイは私とあいつの勝負。どちらがより優れたナンバーズかを証明するためのね。さっき任せておきなさいって云ったのもそういう意味よ。あいつが初めてだからって導いてやる気も、こっちが経験者だからって手を抜いてやる気もないわ」
今度はわずかに困ったように唇を結ぶアイを、エーナインは満足げに見つめた。
出で立ちの通り心や情動の機微さえも押し包む彼女が、自分にはその片鱗を見せてくれている。アイが困ってくれることが嬉しく、アイに信頼されていることが誇らしい。
だから、エーナインはありのままでいる。ありのままで、い続けてやるのだ。
こうなってしまったエーナインを説き伏せることは、アイにも出来ない。
それをよくわかっているから、アイもそれ以上何も言わず、代わりに無言を持って、己が妹分を掻き抱く。
白繻子に包まれた手が、たっぷりとした赤毛の中に沈み込む。もう片方の手は赤子をあやすように、大胆に開けた背中を優しく叩いた。
こうなった二人に、言葉は不要だった。
そんな二人を、テンシーはじっと見つめていた。
「……では、二人とも、そろそろ時間です」
エーナインとの抱擁を解いたアイの号令で、二人は並んで踊り場の淵に立つ。
じいっと見つめられていた自覚のあるエーナインはコホン、とわざとらしく咳払いをすると、
「ほら、テンシー。もう当分会えなくなるんだから」
そう云って軽くテンシーの背中を小突いた。
テンシーの辰砂色の瞳が、二人を交互に向けられる。
「ん、アイ、さよなら」
いつもどおり若干気怠げなテンシーの、あまりに素気ない別れの言葉。
アイが幽かにはっとしたのが、口元から読み取れた。
「ちょ、ちがうでしょおバカっ」
「え、でも別れのときの挨拶でしょう。今まで使ったことなかったけど、間違ってた?」
少し焦ったエーナインは、真正の箱入娘然とした妹分に小さく嘆息する。
アイの口元に、微笑みが戻った。
「ふふっ、そうね。でもテンシー、こういうときにはもっとよい言葉があるのですよ。こう云うの、『行ってきます』って」
「そっか。じゃあアイ、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
最後の言葉を交わし終え、二人はアイに背を向け、天涯の果てから果てのない虚空に向かい合う。
ここから一歩を踏み出す。それだけで、世界が変わる。
二人は今、その境界線に立っている。
「そうだ。最後に一つだけ」
旅立つ妹たちの背中へ投げかけた、アイの最後の忠告。
それは、
「ゆめゆめ、人を愛してしまうことのないように」
そんな、シレイにも似た曖昧なものだった。
エーナインは振り返ることなく、「みなまで云うな」と云った具合に後ろ手をひらひらさせただけだった。
テンシーは振り返ったが、「なぜ?」と訊くことができなかった。エーナインに手を引かれ、意図せずして既に一歩目は踏み出されていたから。
テンシーの辰砂色の瞳が最後に映し出したアイのモノクロームの姿は。
何故か何処か、哀しげに見えた。
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