第2話 テンシーとエーナイン


 「テンシー、テンシー。寝ているなら起きなさい」


 城内に無数にある部屋の一つ。

 回答は沈黙とわかりつつ、それでもなお律儀に三回ノックした上で声をかけたのは妙齢の美女だ。鮮やかな赤い髪と涼やかな青い切れ長の目が、気の強そうな相貌によく映えている。


 「テンシー、アイが呼んでるわ。ついに私達二人にシレイが来たのよ」


 多少焦れたように、言葉尻の語気が強まる。

 これほどの美女が、こうまでして呼んでもドアの向こうからは小さな動きの気配すらしない。


 形の良い美女の眉が一瞬、困ったようにハの字になる。

 だが、次の瞬間にはそれがキッと力強く反転し、麗凛な青い瞳に意思が宿った。


 「んもう、あくまで出てこないつもり!? さっさと起きなさいってばっ」


 ――さもないと。 

 そう云いつつ、美女は右手を顔の前に掲げ、指を鈎状に折り曲げて力を込めた。

 

 当然、返答はない。たとえあったとしても遅かっただろう。

 赤髪の美女――エーナインはドアノブをガッツリと掴み、思いっきり引っ張った。


 そして勢いよく、


 「ふんっ……あら?」


 勢いよく、


 「んっ、んんっ……あれ、えっと」


 勢い、よく……?


 「んぎぎぎぎぎぎぎっ……だぁーっ! あいっかわらず頑固ねこのドアは!」


 勢いよく、何も起きなかった。


 先程までの妙齢の美女の威厳はどこへやら。

 シックで瀟洒なドレス姿も。腿まで裂けた大胆なスリットから覗く艶やかな脚線も。

 今やガニ股で踏ん張り物言わぬドアと孤軍奮闘する様を更に滑稽に見せるための演出以外の何物でもない。


 仕方がないのだ。見ている人がいないのだから。

 美女と云えども人格がある。たとえ彼女が”人ならざるもの”であったとしても。


 これが、いつもの彼女。

 飾ることない天の次女エーナインの姿だった。


 「ったく、変なところばっかり主に似るんだから。かくなるうえは……」


 ひとしきりドアと格闘し、荒くなった鼻息が一息で落ち着く。

 そして、


 <開きなさい>


 先ほどまでとは明らかに異なる、異質な声が廊下に響く。

 声は低く小さな囁きのように。けれど力強く、どこか甘やかに。


 すると、あれほど頑なに閉ざされていたドアはにわかに震え、次の瞬間にはあっさりと音もなく開いた。


 ――言霊。

 世界創世の時分より在り、万物のまことの名と全ての言の葉の源となった力の総称である。


 力を有し、意志ある者が意思もち紡げば、それは森羅万象への命令と化す。

 とりわけ力あるものが使えば、今のように無生物にすら働きかけることも出来るのだ。


 だが、そんな人知を超えた力を使ったばかりの当人はといえば、


 「……むきーっ、なによ、あんた今日は押し戸じゃない! あーあ引いて損したわ!」


 などと、開いてなお沈黙を保つしかないドアに八つ当たりをかましていた。

 無理もないのだ。彼女たちにとって言霊の力は当たり前に備わっているものなのだから。


 ともあれ、ぶつぶつ云いながら部屋の中に入ったエーナインは、またしても絶句する。


 なにしろそこは、異境だった。

 

 「んげっ、またちょっと見ない間にこんなにしちゃってまぁ……」


 何をお手本にして作ったのかわからない、粘土や木彫りの奇妙キテレツな仮面の数々。

 あちらの棚には昆虫標本、こちらの棚には鉱物標本がところ狭しと軒を連ね、かすかに覗く壁にはカラカラに干からびた薬草の束だの、ナイフや剣をはじめとした多種多様な武具だのが飾られている。

 これが市ならどれもこれも、好事家相手にひと財産築けそうな品々だ。


 机には書きかけの草稿たちが終わることのない校了を待ち望むように散らばっているし、彼らのもとになった何十冊もの本は今やベッドの上に乱雑にばら撒かれている。見開きのまま裏返しておいてあることから、一応あとで読み返すつもりだったらしい。


 そんな、書籍に自分の寝床を明け渡した部屋の主はといえば、


 「ちょっとテンシー、いい加減に起きないってば! ベッドの上にハンモック張って眠ってるやつなんて見たことないわよ」


 呆れたエーナインの言のとおり、ベッドの上に吊られたハンモックの中で幸せそうな寝息を立てていた。

 薄氷色アイスブルーのサラサラとした髪が顔を覆い隠し、毛先が寝息でかすかに上下している。


 テンシー。

 その名に相応しく、あどけない無防備な寝顔は汚れのない天使のようであった。

 成熟しきっていない美しい子供の多くは、外見ではその性別を推し量ることが難しい。テンシーもその例にもれず、姿形だけ見れば美少女にも美少年にも見える。


 だが、至近距離で声をかけても全く起きる様子のない図太い妹分を見て、エーナインの真っ白なこめかみに青筋が走る。

  

 「……いいわ。あんたがそうやってあくまで眠り続けたいって云うなら」


 再び、あたりの空気が一変する。

 エーナインが言霊を紡ぐ準備を整えるのに、二秒とかからなかった。


 <おきな――さっ、ん?>


 起きなさい。本当はそう云おうとしたエーナインの言霊は、へんなところで詰まって霧散してしまう。

 エーナインの切れ長の青い目は、寝ぼけたテンシーがもぞもぞと頬ずりしているぬいぐるみに釘付けになっていた。


 あまり綺麗な出来とはいえない、熊とも猫ともつかない不格好なぬいぐるみだった。年季も入っていて、ふわふわの生地もところどころ毛羽立っている。

 だが、寝ぼけたテンシーはそれこそ天使の微笑みを浮かべながら、幸せそうに緩んだ頬で後生大事そうにすりすりしている。

 かつて、テンシーがまだ小さかった時分に、エーナインが手作りしてあげたものだった。

 

 「まったく、あんたって子は本当に――」


 その言葉も最後まで続くことはなく、毒気を抜かれたエーナインは指先でテンシーの頬をちょいちょいと小突く。


 「ん、んん……あぇ。おはよ、エーナイン。相変わらず手、冷たいね」

 

 ようやく、テンシーは目を覚ました。

 髪と同じ薄氷色アイスブルーの長いまつ毛に縁取られているのは、若干気怠そうな辰砂色の瞳。


 赤と青。青と赤。正反対の髪と瞳を持つ二人の姉妹は、正反対のテンションで向かい合っている。


 「やっと起きたわねこのねぼすけ。はやく降りて支度しなさい、アイが待ってる」

 

 「ん」


 「承知した」


 アイ、という名前に刺激を受けたのか、再び眠りそうだった辰砂色の瞳に光が宿る。

 テンシーは体をハンモックの上で器用に二回バウンドさせると、三回目の反動でぴょーんとハンモックから飛び出し、慌てるエーナインの腕に抱きかかえられるように収まった。


 「ちょっともう! どうしていつも普通に起きてこられないの!」


 「だって、こっちのが面白いから」 


 「今だって『承知した』だなんて渋い声出しちゃって。いくらはじめてのシレイだからって浮かれてるんじゃないの?」


 「え、そんな渋い声なんて出してないよ」


 「え、じゃあ誰が……」


 「そう、ワシじゃよ」


 ポカンとする二人の目の前には、そう云ってふよふよと浮いている翁のお面があった。ご丁寧に長い白髪頭のお鬘付きなので、一見すると人面の白蛇にも見える。


 「は? 何これ気持ちわるっ。なんでお面が浮いてるの? 喋ってるの?」


 「ひょっひょっひょ、お人が悪い。貴女様からお声がけくださったのではありませぬか。至高のナンバーズ、しかも戦技無双の美姫よりお声を賜るなど、まさに恐悦至極ですじゃ」


 「お声って、そんなことした覚えなんてないわよっ」


 「いんや、確かに聞きましたぞ、ご丁寧に<おきなさん>と呼んでくだすったのをな」

 

 「げっ、まさかさっきのあれ!? いやいや違うから、あれは――」


 結局、二人がここからアイのもとに参じるまでに、またしばらくの時を要した。


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