少女の正体(6)



 それなりに話した気がするが、まだ食事は運ばれてこなかった。見ると、店内は混雑している。百人くらいは入っているだろうか。食事スペースは他にもあったので、このラボの従業員数はその数倍以上であろうことが伺い知れる。

「うーん。珍しく遅いわねー」

 さすがのホノカもしびれを切らしている。

 娯楽提供のつもりで、リゼに話を振ってみることにした。

「そういえば、リゼって学校はどうなってるんだ?」

 素朴な疑問だった。十六歳で、研究所で働いている———ように見えるのだから。

(……あれ?)

 ホノカが「あちゃー」と表現するべき非常にわかりやすい顔をしていた。

 その真意は、リゼの回答を聞いた瞬間に理解できた。

「リゼ、学校通ったこと、ない。個別教育。途中から、ひとり」

 そう言うリゼは、少しだけしょんぼりしていた。

 ———手編みブレイデッド相手に、いったい何を寝ぼけた質問をしているんだ?

 ホノカのリアクションは、きっと言外にそういう意味だ。

 彼らが一般常識に収まる人生を歩んでいるわけがない。明らかに尋ね方を間違えていた。

「……途中からひとりって、いつからだ?」

 慎重に言葉を選んで、質問する。

 振ってしまった話題を唐突に終わらせることは、できない。

「八歳。七歳まで、大勢の大学教授プロフェッサー、ついてた。そのあと、ひとり。ときどき、手編みブレイデッドの仲間、リモートで話した」

 それはつまり、七歳までに『複数の』大学教育課程を修了していたということだろうか。

 想像を絶するが———人為的な天才なら、ありえなくもない、のだろうか。

「大学の教授から七歳のころに教わっていたって、すごいな」

 リゼが首をぶんぶん振る。

「違う。リゼの話、みんな、ついてこられない。だから、七歳まで」

「———おう。そういう、ことね……?」

 思わず「はぁ?」と素っ頓狂な声をあげそうになり、それを横隔膜のすべての力を使って押しとどめた。

 リゼは、おそらくこう言っている。

 八歳になったときには、世界中で選りすぐられたであろう複数の研究領域の大学教授たちが付いてこられないレベルの高度な議論をするに至った。だから、そこから先はひとりで学習を———それはもはや世界最先端の研究と呼べるものを———進めてきた。

 想像を絶するどころか、想像することすら憚られる高みにある。

 程度ではなく、次元が、異なる。

「十二歳まで、博士号、いっぱいとった。医師免許も、このとき、ついでに。でも、だいたい、偽名。えっと、学会への配慮? 偉い人に、お願い、された」

 学会がどういうものか知識が無いので正確には理解できなかったが、端末リンクレットでサーチをかけるまでもなく、ある程度は推測できた。

 リゼが何の配慮もなく表沙汰に研究成果を発表し続けると、手編みブレイデッド以外の研究者たちでは相手にならない———だから、偽名で、それもひとりではなく複数の研究機関からの提出であるように偽装したのではないか。もしかしたら、手加減さえして。

 手編みブレイデッドの実力の片鱗が垣間見える。

 本当にとんでもない存在を相手にしていたのだと思い知らされる。

「十三歳のとき、このラボ、着任。それから、ずっと、ここ」

 ずっと、という言葉の響きに、違和感があった。

「うん? ずっと? どこかに出かけたりはしてるんだろ?」

 また、リゼが首をぶんぶん振る。

「定期健診、半年に一回。そのとき、出る」

「それ以外には?」

 三度、リゼが首をぶんぶん振る。

「ない。外、危ない、かも、だから」

 言葉に、詰まった。

 彼女は、この塀に囲まれたラボから三年もろくに出ていないという。

 あの公園での出会いは、半年に一回の貴重な外出の最中で。

 そして、そのときを狙った何者かに襲われて。

(こんな生活をリゼに強いることが、社会のために必要だって……?)

 教科書の一節にあった撰修人種ブレイデッド・レース

 ただの頭の良いおっさんとおばさんだと思っていた、造り出された偉人たち。

 急速に、リアリティを伴って記憶の中から立ち上がってくる。

 暗殺されて最期を迎えたナノマシン開発者。

 もし彼もリゼと同じような境遇で過ごしていたのなら、どんな思いで氏名と顔を公表したのだろうか。そして、殺されるときには何を思っていたのだろうか。その人智を越えた頭脳で、社会を、人生を、どういう風に捉えていた?

 いつの間にか、人間社会に対する憤りのようなものが胸の内に宿っていた。

 ———せめて、リゼに何か温かな言葉をかけてあげられないだろうか。

 そう思ったところで、ホノカが机に突っ伏したまま息も絶え絶えに声を上げた。

「あ、あの……もう、そのへんで、いい、かなー……いたいよー……」

 リゼが激しく首を振るたび、長い銀髪が鞭のようにしなってホノカを何度もしばき回していたらしい。



 そのあと遅れて運ばれてきた食事の味は、よく覚えていない。

 無心で胃に流し込みながら、必死に考えていたから。

 そうして、ひとつだけ、リゼにかけるべき言葉を思いついていた。

「リゼ。俺と、友だちになってくれないか?」

 そのお願いを、リゼは困惑した表情で受け止めていた。

「友だち、よくわからない。概念、知ってる。いたこと、ない。

 それでも、なれる?」

「ははっ。相手のことを損得抜きに心配できるなら、それはもう友だちってことだよ。リゼは俺を助けてくれたじゃないか。だから、友だちになれるよ。

 きっと、ミサキやトマスだって、リゼを友だちだと思ってるんじゃないか?」

 それを聞いたリゼは、目をキラキラさせていたように思う。

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