少女の正体(3)



 中等部三年の頃だっただろうか。

 授業中、ハルキはホロに浮かんだ電子教科書に落書きしていた。

 講義内容は、ナノマシンを開発、実用化した偉人について。

 半円形の教室の奥で、若い男性教諭がしゃべっている。

「このように、それまで実用化のめどが立っていなかったナノマシンが、一気に生活の場に浸透する道を切り開いたのが、彼だ」

 壇上のホロモニタに表示されたのは、四十歳くらいの中年男性の立体写真像ホロフォトグラムだ。

 さっきまで落書きの餌食にしていた人物でもある。ハルキの手元では、ちょびひげを生やした三つ編みのマダムに成り果てていた。

(おっと、いかんいかん。笑ったらまずい)

 こういうものは、書いた本人だけがおもしろいヤツである。

 平静を装って教師の話に耳を傾ける。

「その後、ナノマシンは医療現場を皮切りに、我々の生活の様々なところで利用されるようになった。それでは、例をひとつ挙げてみろ。では、井口!」

「はい。たとえば、私たちが身につけている衣類の繊維にも含まれている場合があります。ナノマシンの働きで、多少のほつれや破れは放っておくと修復されます」

 当てられた女子が、見事に模範解答を発表していた。

「うん。いいだろう。服飾以外でも、農業、材料系の業界では非常によく見かける。日用品の多くに、直接的、間接的に利用されていると考えてよい。ひとつの原材料だからな。

 大切なのは、ナノマシンは私たちの身の回りのどこにでもあって、もはや取り立てて意識を向けない存在ではあるものの、生活する上ではなくてはならないということだ」

 そういえば、教科書を表示している立体映像装置ホロモニタもナノマシンの産物だった。ただ、どの部分にどう使われているかまではいちいち気にしていない。

 身の回りの日用品の原材料を正確に答えられるだろうか? まず無理だ。

 金属、カーボン、木材、ナノマシン。そんな並べ方になるくらい、ナノマシンはありふれていた。

「さて。このナノマシン開発者について説明できる者はいるか」

 教室に沈黙が流れる。大変な有名人なので知ってはいるが、説明しろと言われると躊躇してしまう。

 もちろん、普段なら端末リンクレットに尋ねれば即座に答えが返ってくる。しかし、それでは考える力が養われない。授業中はグローバルサーチは利用できないようになっていた。

 それでも、おずおずとひとりの男子生徒の手が上がった。

「では新庄、説明を」

「はい。旧欧州で『製造』された『撰修人種ブレイデッド・レース』で、ナノマシンの実用化後、彼自身の希望と当時の政府の判断で氏名と出自を公表されました。

 ナノマシンが民間で利用され始めるとともに名声を獲得し、誰もが知る存在になりました」

 教師は半分満足、半分不満、という顔をしている。

「技術史の授業としては点数をやれるが、倫理や政治の授業だと赤点だな。

 旧欧州で『生まれ』たと表現するように。極左だと間違えられると何かと面倒だぞ、新庄」

 新庄は「わかりましたー」と返事が軽い。

 教師は新庄に一瞥をくれると、軽く舌打ちしてから解説を再開する。

撰修人種ブレイデッド・レースは、真に天才であることを運命づけられて生まれてくる。

 撰修とは書物を著すこと、編集することを指す言葉だ。すなわち、撰修人種ブレイデッド・レースとは人為的に『書き起こされた』遺伝子を持つ者であることを意味している。

 彼らのヒトゲノムは、『ホモ・サピエンスの能力限界を追求』した科学的な芸術品だ。撰修遺伝情報スクラッチ・ゲノムとも言われている。

 その誕生までには長い時間と莫大なコストがかかる。遺伝子の大部分を、最高の能力を持つようにデザインして精密に編み上げているからだ」

 教師は、取り囲んでいる学生達をぐるりと見回す。

「この中にも、遺伝子を改変して生まれた者がいるだろう。先天的疾患を事前に除去するケースが一番多いが、ご両親が髪や目の色、容姿を事前に変更することもそれほど珍しくはない。

 ただ、そのことに触れるのは基本的にタブーだ。明らかにそうだと勘づいても、迂闊に指摘したり非難したりしないように言われてきただろう?

 言われたところで、本人にはどうすることもできないからだ。

 撰修人種ブレイデッド・レースも、同じだと思いなさい。

 彼らは『禁じられているゲノムレベルの能力強化を特別に施された存在』ではあるが、私たちの大切な仲間だ」

 ハルキはぼんやりと、友人の顔をいくつか連想する。

 地毛にしては特徴的な赤い髪のヤツ。目の色が片方だけ緑色のヤツ。両親はそれほどでもないのに、本人だけ妙に容姿が良いヤツ。この教室の中にだって心当たりがある。

 街中を歩いていても、そういう容姿の人間をちらほら見かける。取り立てて非難するほど珍しいものではなかった。ウィッグやカラーコンタクトと確実に見分けがつくかと言われたら、自信が持てない程度の差違なのだから。

 その延長として、撰修人種ブレイデッド・レースも同じく人類である。

 そういうことになっている。いくら人間離れした能力を持っているとしても、だ。

 教師は、授業の締めくくりに入った。

「皆が知っている通り、人類は撰修人種ブレイデッド・レースの偉業を活用して発展を続けている。私たちすべての人類が百年を要する進歩を、彼らは半分以下の時間で実現する。ナノマシンは、その最たるケースだ」

 ナノマシン以外にも、多くのプロダクトやテクノロジーが撰修人種ブレイデッド・レースの力に支えられている、らしい。公表されていないだけで。

「全世界でも数えられるほどしかおらず匿名のため、まず出会うことはないだろう。それでも、彼らが存在する事実を忘れないように」


 撰修人種ブレイデッド・レース。ヒトであって、ヒトでないもの。

 ごく少数の、超絶天才的なおっさん達が努力して科学技術や制度を発展させ、その恩恵を受けて人類全体が繁栄していく。

 それが、現代社会の構図。

 

 授業終了を告げるアラームが鳴る。

 教師はホログラムを消すと、去り際に問いを投げかけた。

「では、最後の質問だ。彼が最終的にどうなったのか、みんな知っているな?」

「「「「「暗殺・・されました」」」」」


 それ以降、撰修人種ブレイデッド・レースの話題に触れることがあったとしたら、時折ニュースで取り上げられたときと、ゴシップやソーシャルネットワークで見かけたときくらいだった。表舞台に出てくることは、滅多にない。


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