少女の正体(2)



 説明されたことは以下の通りだ。

 謎の『声』は新型ナノマシンのせいで、ホノカたちは警察で、襲撃事件はナノマシン反対派によるもの。

 ここで合意して署名すると、それ以上は何も教えてもらえない予感がする。

 聞きたいことは、聞けただろうか?


 ———答えは、明白にノーだ。

「黒峰さん。まだ、ミサキがどうやってジャケットを破壊したのか聞いていません。それは教えてもらえないんですか」

 ビクッ。ホノカが小さく震えた。

「え、えーとねー。それ、やっぱり聞いちゃうー?」

 その表情は「勢いで誤魔化しきれなかったかー」と言っているように見える。

「ほ、ほらー、それって齋藤くんの体のこととは何も関係ないしさー。お姉さん、できればお話しせずに済ませたいなー、なんてー」

 ミサキは隣で頭を抱えていた。やはりこいつに任せたのは間違いだった、という心の声が聞こえる。

 だらだらと冷や汗を流しているホノカだが、それでも話し始めるわけでもなく、時間だけが経過していく。ミサキも自分からは話せないのか、そっぽを向いて黙りこくっている。

 そこに、意外な人物が助け船を出した。

 トマスだ。

「ホノカ、もうハルキを引き込んじまうしかねーって。

 ここまで巻き込んでおいて『はい、ここまでねー』って、そりゃねーだろ。見てるこっちがつれえよ。ハルキの胃に穴を開けたいなら別だけどな」

 いつの間にか、トマスは準備室と処置室を隔てる壁に寄りかかって立っていた。

 がっしり腕を組んでいる様子からは、未だに何かに納得していないという嫌悪感が醸し出されている。さきほどミサキと喧嘩していた件だろうか。

「えーっ! わたしの権限じゃ無理よー!」

「知るか。そこを上手いことやれるのがお前だろうが。何とかしろ、この×××××。僕だって納得はしていないんだからな」

 トマスのあまりにも低俗な罵倒を受けて、ホノカは酸っぱいものを口いっぱいに頬張ったような顔をしている。

 ミサキが苛立たしそうにトマスをたしなめる。

「トマス、ちょっと言い過ぎでしょう。ホノカに責任はないわよ」

「……悪かったよ。とにかく僕はゲロっちまう方をオススメする。

 ハルキも無関係とは言えないだろ、『そんなもん』打たれた時点で」

 そんなもん、はグリーフ・ブレイカーのことだろう。

 ホノカはそれでも逡巡していたが、隣でミサキが首肯するのを見て、ようやく覚悟を固めたらしい。

「あー、もー! みんな優しいなー! 知らないんだからねー!?

 サキちゃん、プラグインに関する機密指定レベル七の説明を部分的に許可します!」

 待ってましたとばかりにミサキが拳を打ち鳴らす。もしかしたら、話したかったのかもしれない。隠し事が好きなタイプではなさそうだったから。

「公園で私が使ったのは、人体機能付与型プラグナノマシンイン

 斥力場自由制御機構サイキック・イネーブラーを搭載した戦闘用ナノマシンよ」

「……はい?」

 急に話について行けなくなる。

 いったい、ミサキは何を言っているんだ———?

「サイキック? サイキックって、超能力のあれ? ……正気?」

 鳩が豆鉄砲を食ったような様子を見て、ミサキは笑いを堪えきれず噴き出している。

「ごっ、ごめんなさい。そうよね、それが正常な反応だと思う。私も最初は面食らったし。

 ホノカ、実演した方が早いと思うから使用許可をもらえる?」

 渋々と言った様子で、ホノカが自分の端末リンクレットに何か指示を出しているのが見えた。

「はいはいー。すぐ切ってよねー。残量差分が出ると報告書つくるのめんどくさいんだからさー」

 ホノカの眼前にホロが展開されて、「権限行使事前承認プリ・アプルーバル」と表示される。

 それを確認したミサキが、小さく呟いた。

「———権限行使宣言イネーブル

 そのあとも彼女の様子は特に変わることなく、そのまま静かに座っているだけだ。

「……? いま、何かしたのか?」

「ハルキ、そろそろ喉が渇いたんじゃない? お茶でもどう?」

 何を言い出すのかと思えば、こんな真剣な話をしているときに喉の渇きなんて———


 ボトルに入った緑茶が、目の前に浮かんでいた。


「な、なん———!? 浮いてる?! なんで?! ここ、現実リアルだよな?!」

 トマスが部屋の隅で爆笑している。

「ぶわはははっ! あー、ちょっと溜飲が下がった。いいリアクションだ」

「はーい! サキちゃんおしまいーっ!」

「はいはい。権限行使停止ディセーブル

 途端、ボトルはごとりと床に落ちた。

 ミサキは「これでわかったでしょ」という顔をしている。

「安っぽく言えば、超能力を授けるナノマシン……と思っていいわよ」

 ずいぶんとチープそうに言ってくれるものである。

「待ってくれ……ちょっとついて行けない、うん、いや、でも、実際に見たし……?

 とにかく、この力を使うと生身でもジャケットを蹴り飛ばしたり破壊したりできるってことなのか?」

 ミサキは口の端を持ち上げて、不敵な笑みを浮かべる。

「そういうこと。もちろん訓練が必要だし、誰にでも使えるシロモノではないわよ。

 適応しない人間には使えないし、使えたとしても後遺症が出たり、いろいろ課題もある」

「お、おう……なるほど?」

 手品のトリックが何だったのか、この目で見たので事実として理解はした。


 ———しかし、それでも違和感は拭いきれない。


 ハルキの顔色を見て何か勘づいたのか、トマスが補足を始めた。

「お前さんが何を不思議に思っているのか想像がつくから、僕が説明してやるよ。

 そんな便利な技術、聞いたこともねーぞってことだろ? そりゃそーだ。民間人どころか軍人だって関係者しか知らないんだからな。ちょっとした切り札みたいなもんさ」

 ありがたい解説だった。しかし、根本的な疑問はそこではない。

 もっと、ごく簡単なことが腑に落ちなかった。

 原理の想像がつかない。

 技術として、既存の世界観から逸脱しすぎている。

 常識の範疇にそんな技術はない。物体を意のままに操るテクノロジーなんて、見たことも聞いたこともない。いや、あるのかもしれないが、直感的にあまりにも小さすぎる・・・・・

「そんな、ナノマシンみたいな小さなもので、どうしてこんなことが……?」

 もちろん、高等部の学生が識っている科学知識などたかがしれている。それはそうだが、それでも、日常的に触れているものとの乖離があまりにも激しすぎた。

 しっくり来ない気持ち悪さが、べっとりと張り付いている———

「リゼ、説明する」

 アーニャとともに沈黙を保っていたリゼが、不意に口を開いた。

 ホノカとミサキ、果てはアーニャさえも驚いている。

「マスター? 説明するとは『どこまで』ですか?」

 アーニャの質問には何も答えずに、リゼは懸命に言葉を紡ぎ始めた。

斥力場自由制御機構サイキック・イネーブラーの正確な原理、まだわかってない。現在も、研究中。三十三年八ヶ月前、当時の研究者、実験してたら、偶然できた。

 ピーちゃん……ミサキのナノマシンの原型、作ったの、『撰修人種ブレイデッド・レース』のひとり。その技術、常識の範疇外。リゼも原理、まだ解析不能」


 ———撰修人種ブレイデッド・レース

 ハルキは、それがどういうものか知ってはいた。

 義務教育課程で必ず学習するからだ。

 しかし、世界史の授業がどこか遠くの異世界の出来事として記憶されるように、実感を伴わない形で記憶の奥にしまわれていた。

 教科書の一節に書いてある、重要だが普段は意識しない人間社会の裏側———


 そのあとも、アーニャはなぜか執拗にリゼを止めようとする。

「マスター、それ以上は語る必要がありません。推奨しかねます。再考してください」

 リゼは首を大きく振った。

「ハルキ、知らないの、やっぱりおかしい。リゼ、ハルキのおかげで、生きてる。

 アーちゃん、藤原利世に関する機密指定レベル六、妨害解除。

 ———黙って!」

「承知しました」

 アーニャは表情を完全に消し去り、一歩後ろに下がった。

 リゼはその深いブルーの双眸で、ハルキの目を真っ直ぐに見つめる。

「ハルキ、聞いて。リゼ、ピーちゃん作った研究者と、同じ生き物。

 十六年前、撰修人種ブレイデッド・レースとして、生まれた」

 彼女の瞳は、見えない涙を湛えているように感じられた。

「リゼ、人間じゃない」



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