2話 少女の正体
少女の正体(1)
ハルキは血まみれになって処置室に担ぎ込まれた。
寝台に横たわって手当てと検査を受けている間、その思考は延々とループしていた。
(俺はいったい何をされたんだ)
(彼らはいったい何者なんだ)
(ここはいったいどこなんだ)
(———どうしてこんなことに?)
あのとき、リゼを助けなければよかったのだろうか。
そんな考えさえも脳裏をよぎって、それだけはありえないと必死に否定した。
『RCA完了。真因特定失敗。TTLまで残り、エラー。サスペンドに移行』
例の声のようなものは、そんな言葉を最後にぷっつりと音沙汰がなくなった。
いまは視界も元に戻っていて、血も止まっている。気分も悪くない。
血染めになった服は、アーニャが取り替えてくれた。
「ハルキさん、落ち着きましたか? バイタルは正常ですよ」
出血の多さに気が動転してはいたが、ついさきほどまでひどい吐き気に襲われていたため、取り乱すことさえできずに介抱されるがままになっていた。
気合いを入れるため、何度か首を振って、頬を叩く。
「もう何ともないみたいだ。ありがとう」
リゼたちはこの部屋にはいない。隣の準備室のようなところで話し込んでいるようだ。
一度だけ、トマスとミサキの怒号が聞こえてきていた。
「なにをやったのかわかってんのか、お前!」
「トマス! リゼが怯えているでしょう! 落ち着いて!」
「落ち着け? 落ち着けって、この状況で? ここで座禅でも組めばいいのか?!」
「それで落ち着くっていうならそうしなさい。軽口に付き合うつもりはない!」
それ以外は、静かなものだった。小声で話しているのだろう。
アーニャに質問しても、「私からはお答えできません」の一点張り。大人しく待っているしかなかった。
やがて、話し終わったのか処置室にホノカが入ってきた。それにリゼとミサキが続く。トマスは来ないようだ。
三人はハルキの正面に椅子を並べて座った。アーニャはリゼの傍らに控えている。
最初に口を開いたのは、ホノカだ。
「齋藤くーん。ごめんねー。びっくりさせちゃったよねー」
隣室で切迫した会話をしていたように聞こえたが、ホノカの調子はいつもと変わらない。
そのゆるい雰囲気に少しだけ助けられる。
「いえ……今は落ち着きました。驚きはしましたけど」
ホノカはハルキの目をじっと見つめると、その心境を推し量るようにしばらく黙っていた。
やがて、小さく嘆息するとぽつりぽつりと話し始めた。
「ほんとはねー。何も知らないまま、おうちに帰してあげたかったのよー。
世の中、知らない方がいいことっていっぱいあるじゃないー? 知っちゃうと戻れなくなっちゃうかもしれないからー。でも、こんなことになっちゃったし、さすがに説明が必要よねー。
最初はやっぱりリっちゃんから、齋藤くんに何をしたか———を説明するべきかしらー?」
ホノカがリゼに目配せした。
リゼが、おずおずと話し始める。
「運ばれてきたとき、ハルキ、瀕死だった。ううん、一度、死んだ。臓器、いっぱい入れ替えて、つないで、がんばって蘇生したけど、助からない状態だった」
しどろもどろになりながら、それでも必死に言葉を紡いでいくリゼ。
「新しい臓器、機能しない。人為的な多臓器不全。だから、グリちゃん、内緒で使った」
たまらず聞き返す。
「グリちゃんって、何のことだ?」
「形式名X-003、開発コード
「なんだって? ナノマシン? 新型? 声?」
話についていけない。たしかにアーニャは医療用ナノマシンを投与したと言っていたし、ここに来てから二週間くらい経ったころに追加投与もされた。それがどうして『声』と関係があるのか。
見かねたアーニャが説明を代わる。
「臓器を入れ替えても、それが機能するには、ハルキさんの体が新しい臓器を制御できるところまで自力で適応しなければなりません。ハルキさんは重体でしたから、いくら臓器が新品でも、それらに適応するだけの体力がない……そういう容体でした」
「それは、要するに、俺はどうやっても助からない状態だった……ということ?」
「はい。現代の一般的な救命方法では生存率ゼロでした」
愕然とする。
死にかけていたとは聞いていたが、百パーセント死ぬ状態だったなどと誰が想像するものか。
「マスターが投与した新型ナノマシンは、その状態からでも回復を見込める唯一の手段でした。実際に、ハルキさんの体内から細胞のシグナル伝達に介入し、複数の新しい臓器を強引に定着させることに成功しました。
サイトカインストームによる多臓器不全さえも克服する最新鋭の医療用ナノマシン———その試作機がグリーフ・ブレイカーです」
確定的な死を覆し、
ずいぶんと大仰な名前を与えられているわけだ。
リゼがアーニャの話に割って入ってきた。どうしても自分で説明したいようだ。
「ここ、ナノマシンの国立研究所。グリちゃん以外に、使えるリソース、多い。トマスのジャケット、ここまでハルキ、運んできた。事件現場、すぐ近く」
ようやく話が見えてきた。
もはや死ぬばかりの状態だったので、助けるためにジャケットでラボに運んできて、新型ナノマシンをたたき込んだ、と理解する。
「ハルキ、聞いた声、ナノマシンのオペレーティングシステムの声。民間の医療用ナノマシン、
「……何となくわかった。試験用だから普通の医療用ナノマシンと違ってしゃべるんだな?」
リゼがこくりと頷くと、アーニャがもう一度説明を引き取る。
「ただ、対話モードは
それが、運悪く再起動してこのような事態になってしまいました。急にシステム負荷が高まったので、ハルキさんの身体維持に大きな影響が出たものと推測されます」
ミサキがいかにも気まずそうに頬をかいている。
「それについては私にも落ち度があるから……ごめんなさい」
とはいえ、ミサキには責任はないように思われた。
「ミサキはさっきまで俺の中にあるナノマシンがそういうものだって知らなかったんだろ? だったら仕方ないだろ。そもそもあれは俺がミサキに」
「わー! わー! 言わなくていい! 言わなくていいから!」
ミサキの慌てっぷりをホノカがニヤニヤと気色悪い表情で見ているが、無視する。
こほん、とアーニャが咳払いした。
「話を進めます。試験機ですから、その調整は製造したマスターにしかできません。今日のこの状況を見ればわかるとおり、ハルキさんの体の状態は安定しているとは言えません。
しばらくはこの施設に留まっていただく必要があります」
アーニャの言葉の後、リゼはみんなに見えるように検査結果のホログラムを展開した。
「精密検査の結果、よくない。グリちゃんがハルキ、生かしてる。良くなるまで、外出禁止」
ホロに表示された検査結果の数値は、半数以上の項目がレッドゾーンだった。
「え…」
健康だと自覚していたため、それと相容れない事実を前に血の気が引く。
下っ腹に氷水を流し込まれたような、はじめて味わう感覚。
肝が冷える、という言葉の意味を知る。
いくら画面を見つめても、具体的な数字や文字が頭に入ってこない。
「ハルキさん、落ち着いてください。今すぐに命に関わる状況ではありません」
暖かなものに包まれる感触があって、我に返ると、アーニャが後ろから抱きしめてくれていた。
「ご、ごめん、ちょっとどう受け止めたらいいかわからなくて、混乱した」
落ち着いたのを見て、アーニャが離れる。
「ハルキ、心配ない。リゼ、責任持って治す。時間かかる、かも、だけど、絶対」
リゼの目には決意が宿っているように見える。それも、並々ならないものが。
そして、沈黙が流れた。
病状の説明は一旦これで終わりのようだった。
わかったとも、わからないとも言えずに、誰も発言できない時間が過ぎていく。
———静謐を破ったのはホノカだった。
「じゃ、次、わたしの番でいいかなー? わたしたちがどこの誰なのか、って話をするわねー。たぶん、聞いたら安心すると思うしー?」
空気を読んでいないのか、読んだ上でわざとそうしているのか、いつものトーンだ。場の空気が急激かつ強引に和らげられる。これはこれで特殊技能なのかもしれない。
ホノカは首につけていたチョーカー型の
ハルキの眼前にホロが展開される。ホノカの顔写真と所属組織が写っているようだ。
突然立ち上がったホノカは、ビシッと敬礼して名乗りを上げる。
「警察庁所属、黒峰穂乃花警部であります!
……そういうわけで、私と、サキちゃんと、トマちゃんは警察署の方から来た者よー」
ミサキが即座にツッコミを入れる。
「その言い方だと警察を騙る詐欺師でしょうがっ。本物よ、本物。私は嘱託のバイトみたいなもので、トマスは厳密には警察官じゃないんだけど。今は割愛で」
警察———
彼らが警察関係者で、リゼの言うようにここが国立の研究所であるなら、彼らがいる理由もおおよそ読み解ける。
「ここにいるのは、このラボの警備ってことですか?」
「そういうことーっ! ここは国立の研究機関なんだけど、ラボのお偉方から警察庁に要請があって警備してるのよー。ほら、最近、物騒だからさー。
ラボの人たちからは
ホノカから、身振り手振りで「はなまる」をもらった。
隣でミサキが怪訝な顔をしているのは、ホノカの緊張感のなさに対してだろう。
やれやれしかたない、という仕草をして、ミサキが説明を代わった。
「あの日は、リゼの外出時を襲撃されたってわけ。ホシが捕まってないけど、ナノマシン研究に反対する極左集団じゃないか、って線で捜査中。
作業用とは言えジャケットを三機も投入するくらいだから、かなりヤバい連中よ」
ふと、ミサキの説明にひっかかるところがあった。
もしかして、と思い当たる。
「あれ? たしかニュースでジャケット
それを聞いたホノカは、指をぱちんと軽快に鳴らした。
「お、勘がいいわねー。そうよー。報道管制ってやつー。私怨から三機で乱闘して容疑者は逮捕済みってことになってるわよー。
そのまま報道されると、さすがに都合が悪いってことみたいねー。犯罪組織のプロモーションになっちゃうしー?」
まるで他人事のような言い方だったので、報道管制を敷いたのはホノカたちではなく、警察の別の組織だろうと推測できる。
「で、そんな危ない事件だったからさー。民間人の齋藤くんには何も知らないままでいて欲しかったのよねー。ほら、知ってるだけで危ない情報ってあるからねー? 記憶いじるのはリスク有りすぎて本当に最終手段だしさー」
「えっ? 記憶の書き換えができるんですか?」
人間の脳を操作する技術は、長い間それほど進歩していない。五感の入出力を分岐して機械操作したり、
ましてや、記憶を直接書き換える方法となると、未だに夢の技術とされている。なぜなら、健常者に対して安全確実に実験する人道的な方法が存在しないからだ。いくら優れた研究機関でも、そう簡単には進展させられない。
リゼは非常に渋い顔をしながらだったが、記憶の書き換えができることを肯定する。
「書き換え、限定的にできる。でも、記憶障害、人格破綻の可能性、とても高い。研究、うまく進んでない。リゼ、推奨しない。やりたくない……ハルキ、壊れる……嫌……」
心の底から気が進まない、といった沈痛な面持ちである。
「もうからだをいじられるのはお腹いっぱいなので遠慮します……」
怪しいナノマシンだけで十分だ。ホノカは苦笑している。
「そうよねー。でも心配しないでー。現場の一存でできるような措置じゃないからー。
というか、記憶操作関連って機密指定レベル五だったわー。
ホノカ本人にしか見えないので推測だが、彼女の聴覚か視覚にはチョーカー
それからしばらくすると、ホノカは急に真顔に戻って姿勢を正した。
「———というわけで、齋藤くんへの説明はおしまいです。
リゼとわたしから説明した内容は多くが高度な機密事項に該当します。したがって、口外、公表をしてはなりません。また、襲撃事件については報道管制後の内容を『事実』として扱ってください。
こちらが誓約書です。署名をお願いします」
あまりにも唐突に真面目モードに遷移するので、不意を突かれた感がある。やろうと思えばビシッとできるらしい。
ホロに誓約書が表示されている。
要約すると、約束を破った場合はどんな目にあっても文句を言いません、と書いてある。
さて、署名をするか、否か。
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