再生の代償(8)

「……っ、いてて」

 背中に軽い痛みが走って、思わず呻いた。

 まぶたをゆっくりと持ち上げる。

「まだ寝てなさい。脳震盪を起こしているかもしれないから」

 なぜかミサキの顔がすぐ近くにあって、ドキッとする。

 後頭部に、枕のような柔らかくて芯のあるものの感触がある。温かい。

 ———事情がよくわからないが、ミサキに膝枕されていた。

「うぇ!? どくよ!」

「危ないから寝てなさいって」

 額をミサキの手で押さえつけられてしまい、起き上がることができない。

「じゃあ、遠慮無く……」

 意図せず、同年代の女性に膝枕される経験値を獲得してしまった。

 ミサキは細身で引き締まった体躯をしている。とはいえ、出るべきところはしっかり出ているので目線のやり場を探すのに苦労した。さすがに直視はまずいだろう。いろいろと。

「俺はなぜ気を失っていたんだろうか」

「さあ?」

 しらばっくれているが、犯人はミサキしかいない。

 ミサキに気絶させられるほどのことをしでかしただろうか、と自問自答する。

 している。圧倒的だった。弁解の余地など一切ない。

「ごめん。全面的に俺が悪い。いくらなんでもあれは良くなかった。訴えられても文句は言えない。でも訴えないでください」

「……なんのことかわからないわね」

 そこもしらばっくれるらしい。ミサキの中では本当に何もなかったことになっているようだ。わずかに顔が赤い気もするが、たぶん気のせいだろう。気のせいということにした。

「ただ、ちょっとやりすぎたわ。一応、怪我人だってこと、忘れてた。あとでリゼかアーニャに見てもらって。

 ……謝るつもりは一切ないけど」

 顔をぷいっと背けたミサキが、怒ったように言う。本気で怒っているわけではないのは、声音から明らかだった。

 本当に怒っているなら、膝枕なんてせずにそのまま床に転がしておけばよかったはずだ。そうしなかったのは仕返しをやりすぎた分のお詫びも込めて、ということだろうか。

(うーん? ミサキが恥ずかしがる基準がよくわからんなー。変なヤツ)

 膝枕するのに躊躇はなかったようだし、露出が高めの格好でも気にしないくせに、言葉で褒められるのには弱いらしい。ちょっと変わっている。

「ま、方法はどうあれ私に当てたことは事実よ。それについては見直したわ。負けを認めます。

 ハルキは思い切りがいいのね。本番に強いのかしら」

「……なあ、さっきもそうだったけど、俺のことを買いかぶりすぎじゃないか?」

 怒られることをした自覚はあったが、まさか賞賛されるとは思っていなかった。

 ミサキはかぶりを振った。ポニーテールがつられて左右に揺れる。

「買いかぶってなんかいない。リゼを助けるために躊躇無く手を伸ばしたでしょう。誰にでもできることじゃないのよ、あれは」

 そう言うミサキの目は真剣そのものだった。茶化している様子はない。

「そういうもんか」

「そういうものよ」

 そのあとミサキが屈託無く笑う様子を見て、少しだけ彼女と打ち解けられたような気がする。

「もう大丈夫そうだ。起きるよ。ありがとう」

 起き上がって、ミサキの隣にあぐらをかいて座る。

 どうやら、フィットネススペースの床でそのまま気絶していたようだ。他には誰もいない。日頃から利用者を見かけないあたり、ラボの職員は引きこもりだらけなのかもしれない。

 ———さて、本題に入ろう。

「それで、勝ったからには教えてもらえるんだよな? ミサキの所属」

 意を決して尋ねた。ミサキはため息をつくが、表情は穏やかだった。呆れた、とでも言いたそうだ。

「負けは負けだから、約束は守る。ホノカもそこまで本気で隠す気はないようだし、いっそ説明した方が変に嗅ぎ回られなくて済みそうだもの。あとで私が怒られればいい話よ」

 ミサキは自分の端末リンクレットを操作して、身分証明のようなものをホロで表示した。

「この通り、私の所属は———」


『リカバリ完了。自動エラー訂正完了』


(え?)

 脳裏に、何の前触れもなく言葉がよぎった。


『オペレーティングシステム起動』


 耳から聞こえたわけではない。頭の中で声がするわけでもない。

 思考の中に、見覚えのない情報がそのまま流れ込んでくる見知らぬ感覚。

 無数の文字列が意識に浮かび上がってくる。まるで最初から知っていたみたいに。


『モデル名、X-003 griefグリーフ breakerブレイカ-

 起動シーケンス……操者ホストへの装填を確認。起動完了』


「え、なんだこれ?!」

「ちょっと、どうしたの? 私の話、聞いてた?」

 慌てて周囲を見回すが、隣に座っているミサキ以外には誰もいない。

 なにも端末リンクレットを身につけていないのだから、BMIブレイン・マシン・インタフェース経由のデータ受信ではない。もしそうだとしても、あれは「五感に入力があったように感じる」ものだ。表層意識に直接情報を書き込むような機能はない。危険すぎるからだ。迂闊にそんなことをすると、記憶や人格を破壊しかねない。

 それなのに、いま体験しているこれは、まるで頭の中に別の誰かがいるような———


『活性化レディ。致命的なエラー。実行可能なパッケージが見つかりません』


「活性化レディ……?」

「!」

 ミサキの顔色が変わった。体操選手のような流麗な身のこなしで立ち上がると、即座に距離を取って、なぜだかこちらに向けて拳を構えている。

「あなた今、活性化レディって言った?!」

「え? あ、ああ……頭の中にそんな言葉が浮かんできて」


『RCA開始。自動システムチェック……』


 急に気分が悪くなる。

 脳みそや全身を内側からごそごそと誰かにまさぐられている。そうとしか形容できない。

「うっ……」

 視界がぐにゃりと歪む。

「大丈夫!? ハルキ、あなた、血が」

 ミサキがあまりにも大げさに驚いている。何かと思えば鼻血が出ていた。

「うえ? だいじょうぶ……だいじょ」


 ごぷっ。


 何かがのどの奥からせり上がってくる感触があって。

「リゼ! アーニャ! すぐに来て! ハルキが血を吐いた!」

 なにもかも、真っ赤になっていた。


 俺は、いったい何をされたんだ———?

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