再生の代償(3)



 入院着を装備した。防御力が三くらい上がった。

 代わりに、こころに取り返しの付かないダメージを負った。

「もうお嫁に行けない……」

「医療行為ですから」

「医療行為。問題ない」

 ようやく車イスに座った今でさえ、顔の火照りが未だに取れない。

 全裸がどうこうというのもあるが、そのあとも問題だった。

 アーニャに抱えられて車いすに座るとき、図らずも彼女のからだに密着してしまい、その感触を余すことなく堪能してしまったのだ。

(……はっ?! いけない! 思い出してはいけない!)

 不可抗力ではあったものの、アンドロイド相手にやましい気持ちが湧かなかったとは言えない。なぜなら、アーニャは人間とまったく区別がつかなかったから。肌の暖かさも質感も、果ては匂いすらも、困惑するほど精巧だった。

 たしかに『そういう目的』で製造されるものは人間とほぼ見分けがつかないと聞いたことがあったが、医療用と思われるアーニャがここまで精巧に製造される理由がまったくわからない。どういう目的なのやら。

「あら、どうかされましたか?」

「な、なんでもないっす!」

 まさかその肢体に惑わされたとも言えず誤魔化したものの、アーニャには見透かされているような気がした。

(本当にアンドロイドなんだよな……?)

 はぁ、とため息をついてから顔を上げる。

 リゼとアーニャが目の前に立っていた。

 今までは首を動かすことすらできなかったので、入院後にリゼの全身像を見るのは今が初めてだ。

 リゼはなぜか白衣を着ている。大きさが合っておらず、着ているというより着られている。

 かねてより疑問に思っていたことをリゼに尋ねる。オチは何となく見えていたが。

「あのさ、ものすごく基本的なことを今さら聞くんだけど、俺の主治医ってどこにいるの?」

「ここ」

 リゼが一単語だけつぶやいた。

「ここ、とは?」

 アーニャはアンドロイドだが医師だ、とでも言うのだろうか。それ以外に候補者などいないではないか。

 もうひとりの白衣の少女が医師だって? 馬鹿なことを言うんじゃないよ。

「リゼ、主治医。医師免許、ある」

「馬鹿な……」

 薄々そんな予感はしていた。アーニャ以外に看護担当者はおらず、彼女がマスターと呼ぶのがリゼなのだから。

 それでも、自分より年下にしか見えない口べたな少女が医師というのは、どうにも信じられなかった。時代が進むほどに医師に求められる知識は複雑化していて、最難関の職業であることは変わっていないのだ。

「あ、もしかして、そう見えて実はお年を召されているとか」

「リゼ、十六歳。ハルキより、ひとつ下」

 お金はかかるが、細胞操作などである程度は若返ることができる世の中だ。さすがに十代相当まで若返らせるのは諸々の規制に引っかかるので、ないだろうと思いつつ一応聞いてみただけだったが。

 ホロモニタに映し出されたリゼの医師免許は、たしかに本物と思われた。どこぞの大臣の電子花押が押されている。

 ———医師免許証 藤原利世

 その続きにはズラズラと専門領域などが記載されていたが、あまりにも数と文字数が多くて目を通すのを諦めた。そもそも端末リンクレットもなしに目視で真贋の鑑定はできない。

「こうして助けてもらったことだし、信じるしかないよな。リゼが俺の主治医。わかったよ」

 リゼが少し胸を張った気がした。えっへん、とでも効果音をつけるのがよろしいか。

 会話が一段落したと判断したのか、アーニャがポンと両手を小さく叩く。

「さて、それではまずは施設内をご案内しましょうか。マスター、よろしくお願いします」

「任された」

「え、アーニャさんが案内するんじゃないの?」

「私はこのあと用事がありますので。いってらっしゃいませ」

 にこにこしているアーニャに見送られて病室を発つ。

 自動走行する車いすだったが、リゼが押して施設を案内するというので任せることにする。

 そのあとは、だいたい想像通りだった。

 何がと言えば、リゼの説明の下手さ加減が、だ。

「ここ、病棟の事務所。いま、アーちゃんだけ」

「ここ、食堂」

「あっち、テニスコート。奥、グラウンド」

「そこ、トレーニングルーム。リハビリ、できる」

「こっち、トイレ」

「ここ、病棟のロビー」

「あっち、部外者立ち入り禁止。近づくとアーちゃん、すぐに来る」

「ハルキ、わかった?」

「うん、そんな感じだろうと想像はしてたよ」

 リゼが口べたなのはもはや疑いようがなかった。口べたというか、つっかえつっかえでも言うべきことは言っているのかもしれないが、情報量があまりにも少なすぎる。

 車イスをレバー操作してリゼの方に向き直る。

「とにかく、リゼのサポートにアーニャがついている理由はよくわかった」

「? アーちゃん、優秀。とっても賢い」

 そこでリゼが偉そうにする理由がわからなかったが、皮肉が通じていないことは間違いない。

 だめだ。真っ正面から行かないと、リゼとはまともにコミュニケーションが取れない。

「もう少し、それぞれの施設の使い方や諸注意みたいなものは教えてもらえないのか?」

 露骨に困った顔をされる。

「アーちゃん、詳しい。リゼ、あまり使わない」

「ドジっ子かっ。それならどうしてアーニャに頼まなかったんだよ……」

 リゼがビクッとして、目があちらこちらに泳ぎ始めた。

「えっと……」

 もじもじしている。左右の人差し指で糸を巻くようにくるくるくるくる。

 ひとしきり悩んだのか、意を決したリゼがぼそりとつぶやいた。

「お礼、したくて」

 初めて彼女の表情らしい表情を見た気がした。照れているというか、はにかんでいるというか。ありのまま感想を述べるなら、かわいらしい。

「悪かった。気付かなくて。うん、ありがとう。リゼの気持ちは十分伝わったよ」

 それを聞いたリゼは一度だけ頷いて、すぐに元の落ち着いた容相に戻った。どうやら元来は表情の変化に乏しい性格のようだ。

 それぞれの部屋や設備については、あとで自力で理解に努めるとしよう。わからなければアーニャが懇切丁寧に教えてくれるに違いない。

「じゃあ、他のことを質問するよ。

 この病院、俺以外には入院している人はいないんだよな? 見かけなかったけど」

「いない。あと、ここ、病院じゃない」

「は? 病院じゃない? でも、アーニャさんは病院って」

「? ここ、ラボ併設の病棟」

 病棟。

 その単語で、アーニャの説明を部分的に思い出した。


『こんにちは。齋藤悠貴さん。私はアーニャ。汎用アンドロイドです。

 ここは病棟・・の一室で、あなたは今、重傷を負っていて絶対安静が必要です』


 たしかに病院とは一言も言われていない。他に医師も看護士もいないのは、そういうことか。

 無意識に病院だと思いこんでいた。手術を受けて寝かされる場所といえば病院に違いないのだから。

「併設のラボって、なんのラボ?」

 どういう研究をしている場所なのか、と質問したつもりだった。

「ラボの所属、機密指定レベル二。目的、機密指定レベル五。言えない」

「はい?」

 なんだろう。聞き慣れない単語がリゼの口から発せられたような。

 どういう意味なのか更問いしようとしたところで、大きな衝撃音に割り込まれた。


 ドォォォォォォン!


 びっくりして振り返ると、ロビーのホロモニタのニュースの音だった。

「これ、この間の公園の事件か?」

 見覚えのある公園が映っている。映っている場面から見て、先ほどの音はジャケットが着地したときの轟音だろう。

 戦闘の様子は映されていなかったが、灰色のジャケットが公園に飛び込んだであろう瞬間が、離れた場所にある監視カメラに映っていたようだ。リゼたちはカメラの死角にいるのか一切映っていなかった。

 ホロモニタまで少し距離があるので、キャスターやコメンテーターの会話はところどころしか聞き取れない。

『白昼堂々ジャケット三機での戦闘があったと……怨恨の線で……容疑者はすでに逮捕されており……次のニュースです』

 グローバルネットワークに接続できなかったのでどのように報道されたのか知らずにいたが、二週間が経過しても取り上げられる程度の話題性はあったらしい。

 ようやく大事件に巻き込まれた実感が湧いてくる。

「リゼが無事でよかった」

 心の底から自然に出た本音だった。

 車いすの後ろから、リゼの言葉が返ってくる。

「無事で、よかった」

(うん?)

 なぜリゼが同じ言葉をオウム返しにしたのか、理解できない。

 肩越しに振り返ってリゼの表情を見やると、気恥ずかしそうにしていた。

 これはもしかすると、

「ハルキも無事でよかった」

 と言いたかったのではないだろうか。

(わかりづらいだけで、とても良い子じゃないか)

 無愛想に感じられるのは表情や言葉での感情表現が苦手なだけで、よく見れば仕草にはしっかりと情念が宿っていた。

 神秘的な美少女だったリゼの印象が、上書きされていく。

 銀色の小動物・・・。それが一番しっくりくる。

「おう。リゼのおかげでピンピンしてるぞ。まだ歩けそうにないけど、これもすぐ良くなるんだろ? リゼ先生」

「ばっちり。任された」

 リゼは得意そうに大きく頷いている。ぼさぼさの銀髪が大きく揺れて、かすかにいい匂いがした。

「でも、リハビリ、大変、かも」

「えっ? リハビリ? 聞いてないぞ?」

「言ってない。困難、分割するべき。ハルキ、がんばって」


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