再生の代償(1)



 遠くから、声が聞こえた気がした。

「グリちゃん、使う。それしかない」

「警告します。

 最悪のシナリオでは、社会秩序ならびに地球環境が脅かされる可能性があります。その場合、結果は不可逆です。

 本当に実行しますか?」

「はい」

「あなたは、国連による革新的先端技術カッティング・エッジを扱う構成員の倫理憲章に同意、署名しています。たとえそれが自家製造されたものであっても、結果には責任を問われます。

 本当に実行しますか?」

「はい」

「本件の意志決定について記録しました。

 ですよね。聞くだけ無駄とわかってはいました。やりましょう」



 ***



 沈んでいたハルキの意識が、ゆっくりと水面に浮かんでくる。

 長い夢を見ていたような。そんな感覚があった。

「ぅ…ぁ…」

 声が上手く出せない。

 視界がぼんやりと焦点を結んでいく。どこかに横になっていると理解するのに、かなり長い時間がかかった。

「マスター、お目覚めになられました」

「意識レベル、正常値の範囲。まだ寝ぼけてる、かも」

 優しそうな女性と、可愛らしい少女の声が聞こえてきた。

 少女の方は聞き覚えがあった。たしか、リゼと呼ばれていたことを思い出す。

 反射的に声の方に首を動かそうとするが、まったく動かない。代わりに、目線だけを動かしてそちらを見る。

「あら、もう自発的に眼球を動かせるんですね。めざましい回復です。ふふっ」

 唐突に、見知らぬ女性が顔をのぞき込んできた。

 整った端正な顔立ち。健康的な少し日焼けした肌色。肩まで伸びた藍色の髪。少しいたずらっぽい笑みを浮かべている。

「脳波、問題ない。アーちゃんの話、理解できてる」

「そうですか。それなら、状況をご説明した方が良さそうですね」

 女性はそう言うと、視界の端の方に座った。

 彼女は見慣れない不思議な服装をしていた。後から聞いた話では、由緒正しい伝統的なメイド服、だそうだ。本人のチョイスらしい。

「こんにちは。齋藤悠貴さん。私はアーニャ。汎用アンドロイドです。

 ここは病棟の一室で、あなたは今、重傷を負っていて絶対安静が必要です。首から下は治療用カプセルの中に固定されているので、無理に動かそうとしないでください」

 ぼんやりとベッドの上だと思っていたが、間違いだった。人体の修復を目的とした治療用カプセルに体を突っ込んでいるらしい。首から上だけがそこから飛び出ている状態だ。ICU集中治療室などにこういった設備があることは世間常識として知っているが、実物に遭遇したのは初めてだった。 

「ぁ…ぅ…びょう、いん」

 ようやくひとつの単語を口にできた。たったそれだけのことに、尋常ではない努力が必要だった。

「そうです! すばらしいです。もう発話できるなんて。

 でも、無理はしないで下さいね。端的に申し上げると、あなたはほんの数時間前まで、生死の境をさまよっていました。無理をすると急変してしまうかもしれません。ですから、私の説明も最小限にしますね」

 こほん。アーニャはわざとらしく咳払いした。青みがかった髪がふわりと揺れる。

 ずいぶんと人間くさいアンドロイドだ。というより、人間とまったく・・・・見分けがつかない。感情を持たず、ロジックが情動モーションを選択しているだけのはずなのに、街中で見かけたアンドロイドとは印象があまりにも異なる。人間がアンドロイドの振りをしていると考えた方がしっくり来るくらいだ。これが超高級品の実物なのだろうか。

「まず、ここは安全です。安心してゆっくり休んでください。

 あなたがここに運ばれてから、一週間が経過しました。外科手術と投薬、医療用ナノマシン・・・・・・・・を総動員して、破壊された体組織の修復と再生を試みた結果、どうにか持ち直して意識を取り戻しました。いまも全身をナノマシンが駆け巡って生命維持しながら、回復を後押ししています」

 ジャケットに殴られたとき、もしかしたらたいした怪我ではないのではないか、と予想したことを思い出した。

 とんでもない。ナノマシンで生命維持が必要になるほど死にかけていたらしい。

「腕や足はしっかりついています。回復すれば元通りに動けるようになると見込んでいます。よかったですね。

 残念ながら臓器はいくつか破損してしまったので培養臓器も併用していますが、定着すれば特に気にせず生活できるようになるはずです」

 それを聞いて、胸を撫で下ろした。

 四肢が欠損しても、再生や義肢での代替は不可能ではないが、長い時間とリハビリが必要になる。腕と足が無事で、内臓も動いているなら、あとは療養して治すだけだろうから。

「ふふっ。安心できたみたいで何よりです。脳波でわかりますよ。

 バイタルはモニタしていますから、心配なさらないで。あっ、思考や記憶には一切触れていませんから、そちらもご心配なく」

 当たり前だが、思考や記憶を読み取ることを本人の同意なくやってはいけない。基本的人権に抵触する。医師の判断であれば例外は認められるが、今回については必要がなかったのだろう。

「失礼ながら、あなたの個人情報パーソナルデータは、医療従事者の権限と責任によって必要な範囲で拝見いたしました。

 ご両親と学校には怪我をして入院されたとお伝えしています。当面は治療に専念することをご承諾いただきました。

 怪我の原因については、交通事故に巻き込まれたとお話しいたしました。事件性については触れておりません。過度な心配をさせてしまいますから」

 一瞬、なにか引っかかった気がしたが、頭がうまく回らなくて何がつっかえたのかはわからなかった。気のせいかもしれない。

「ひとまず、こんなところでしょうか。ふふっ」

 そうしてアーニャが微笑むと、わずかに小麦色の肌と相まってとても眩しい。くらりとする。

 彼女の声は透き通るようで、柔らかい。聞いていると自然と安心する。もしかしたら、そういう風に設計されているのかもしれない。

「何かご要望があればお応えしたいのですが、残念ながら口でおっしゃっていただくしかありません。投与した医療用ナノマシンが活動している間は、干渉を避けるためBMIブレイン・マシン・インタフェースからの脳波による機械操作は利用できませんから。何も操作できなくて退屈だと思いますが、我慢して下さいね。

 しばらくは、目を閉じて眠ってしまうのが一番よいと思います」

 要約すると、身の安全の心配はいらない。外形的な脳波は読み取っていても、言いたいことまではわからないから口で言え。ただし無理はするな。ということだ。

 しかしひとつだけ、無理をしてでも確かめないといけないことがあった。

「……あ……の……子……は……」

 渾身の力を込めて、口と舌を動かした。

 さきほどからリゼの声はしているが、姿を見ていない。無事なのか確認しておきたい。

「まあ。マスターの心配をしてくださるんですね。

 ほらマスター、お顔を見せてあげて下さい。命の恩人なんですから」

 アーニャの横から、おずおずとリゼがのぞき込んできた。

 銀色の美しい髪は雑にまとめ上げられていて、ぼさぼさだ。何とも冴えない印象を受ける。公園であったときの清楚な印象はどこへやらだ。ただ、それでもくりっとした青い瞳だけは健在だった。目が合うと吸い込まれそうになる。やはり美少女には違いない。

「ハルキ? リゼ、元気」

 うっすらと笑った、ように見えた。

「ょ…」

 よかったと言おうとして、声は出なかった。

 リゼは小さく会釈して、

「ありがとう、ございました」

 と、言い慣れていないのが丸わかりの様子でお礼を言った。

 それがなんだかおかしくて思わず笑いそうになるが、どうしても笑い声は出せなかった。

「ふふっ」

 アーニャが代わりに笑ってくれている。


 彼女を助けることができた。よかった。

 リゼの無事を確認して安心したら、唐突に眠気に襲われる。

 どうしてここにリゼがいるのか。そんな疑問を口にする元気は、まだなかった。

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