【第十一話】お弁当と疲弊への歩み





「昨日はすみませんでした」


 会って早々頭を下げてくる沙織に「いいよいいよ」と笑顔で答えてやるも中々沙織の悲しそうな表情は拭えなかった。


 昨日、沙織は母から送られてきた緊急メールのにより、孝裕に急いで帰る旨を綴ったメールを送り、帰宅していた。そのこと自体孝裕は怒っていないし、むしろ仕方のないことだと思っているのだが、当の沙織は違ったらしく、会うや否や物凄い悲哀感を持った表情を浮かべて謝ってきたのだ。

 確かに少し寂しいとは感じていたが、ここまで謝られることでもないと孝裕は沙織の目線の高さに合わせると、真っ直ぐ沙織の目を見る。


「沙織ちゃん、そんなに悲しい顔しないで。少し寂しかった気持ちはあったけど、それより今沙織ちゃんが悲しそうな顔してる方が僕は辛いな」


「‥はい。すみま‥‥ありがとうございます」


「うん!」


 まだ薄らと暗い面持ちをしているが、意識的に変えようと沙織は頑張って笑顔を作ることに成功する。


 今はそれでいい。妹のことだけでなく、自分のことまで気にかけてくれていた沙織の心持ちに孝裕は胸を幸せでいっぱいにしていた。

 明るくいようとしてくれる沙織に孝裕は笑みで返し、一つだけ気になっていたことを尋ねることにする。


「それで、妹さんは大丈夫だった?」


 孝裕は沙織が慌てて帰った理由となった沙織の妹ーー栞の急病について聞いてみる。孝裕自身この話はあまり気軽に聞いていい話でもないと思ってはいたが、流石にこのまま聞かずにいたら無事なのかどうか心配で眠れなくなってしまうのではないかというくらい孝裕の心に残っていた。


 孝裕からの心配を受け取った沙織は徐々にいつもの太陽のような笑みを取り戻していき、その表情を湛えたまま、


「はい!おかげさまで。もうほとんど回復して、いつも通りです!」


「そっかぁ!それならよかった」


「それで、孝裕君」


 栞の無事を知ることができ、そっと胸を撫で下ろす孝裕に沙織は恥ずかしそうに身をもじもじさせながら上目遣いで見上げてくる。急な沙織の様子の変化にも慣れてきた孝裕だが察しが悪いのが難点だった。

 不思議そうに沙織を見る孝裕の瞳をちらちらと確かめ、ランチバッグを胸の前に持ってくれば流石の孝裕も気がつく。


「あ、もしかして!」


「はい、そのもしかしてです。昨日約束した」


「お弁当!!本当に作ってきてくれたの?」


 パッと顔を輝かせた孝裕は沙織に一歩詰め寄るとランチバッグではなく、沙織の手を握った。

 急接近に目をパチクリと瞬かせ頬を紅潮させる。


「孝裕君の美味しそうに食べる顔が嬉しくて」


「でも、昨日は大変だったろうに」


「いえ、私はお母さんの手伝いをしてだだけですし、今日は妹の代わりにお弁当作らなきゃいけなかったので大丈夫ですよ!」


「そっか」


「なにより、孝裕君との約束は守りたいですから」


「‥‥ありがとう」


 昨日のこともあり、沙織が無理をして作ってきたのではないかと心配になる孝裕は嬉しながらも沙織の身を案じる。

 しかし沙織の屈託のない笑顔を向けられたことで心が晴れ渡るような感覚を味わう。それもそうだろう、あれほど急いで帰った案件だ、相当大変な状況であっただろうしそれなりに疲れていただろう。それなのに妹の代わりと約束を果たすために朝早起きをしてお弁当を用意してくれたその優しさに、健気さに胸を穿ち抜かれていた。

 自然とありのままに思った感動が口から溢れ出そうになるが、『それ』は今は伝えられないと、なんとか喉元で止め、こちらも素直に思った感慨としては同等の感謝を沙織へと送る。


 純粋なお礼を伝えられた沙織は曇りなき表情のまま「はい!」と強く頷くと握られていた手に視線を移す。


「あ、あの、そろそろ離してもらってもいいですか」


「ご、ごめん!?痛かったよね」


「そうじゃなくて、少し恥ずかしかっただけですので」


 「えへへ」と照れながらそう言った沙織は孝裕にランチバックを差し出すと二人並んでいつものベンチへと向かって行った。

 このベンチに腰をかけるのも慣れてきた様子の二人は、いつも通りの日常に幸せを感じる。周りには普段と変わらずうさぎや花々が世界を彩っており穏やかに安心できる環境が整っていた。


「どうぞ、開けてみてください」


 沙織に促されバッグの中から取り出した弁当箱の蓋を開ける。そこには、


「うわぁ!なにこれ!すごい美味しそう!」


 色とりどりに並べられたおかずと白く美しいお米が綺麗に詰め込まれていた。その中でも孝裕の目を一番惹いたのは、


「お、ミートボール入ってる!」


「はい!以前に好物だと言ってらしたので」


「覚えててくれたんだ!嬉しいな!しかもこれ手作りだよね?」


「はい、もちろん!」


 話し始めて間もない頃によくありがちな好きなものの話の中で孝裕が昔から好きだと語った好物、ミートボール。他にも卵焼きやタコさんウインナー、ポテトサラダが入っており、子供心くすぐる賑やかな具材たちが並んでいた。全て手作りで朝から作るには大変だが、そこは意地でなんとか早起きしてやり遂げた沙織は自信満々に微笑むと「どうぞどうぞ」と食を促す。

 目を子供のように輝かせた孝裕は鉱物が立ち並ぶお弁当に手を合わせ、「いただきます」と食前の挨拶を済ませて箸で口に運ぶ。


「んん!美味しい、美味しいよ!すごく美味しい!」


「ふふっ、それはよかったです!よく噛んでゆっくり食べてくださいね」


 丹精を込めて作った弁当をこれでもかというくらい美味しそうに頬張る孝裕に母親のような感慨を抱くとともに安心で胸を撫で下ろす。自信作ではあったものの、やはり作り手としては味付けが好みに合うか、美味しいと思ってもらえるか多少なりとも口に合うか不安に感じていた。そもそも孝裕の性格を思えば「まずい」なんて言うはずがないと分かってはいたが、それとこれとでは話が違う。

 だがそんな沙織の不安を吹き飛ばすかの如く、少年のような笑みを浮かべながら美味しい美味しいと食べてくれる孝裕を見て心から安堵することができた。


「沙織ちゃんはご飯食べないの?」


「あ、はい!食べます!」


 自分の作った弁当を幸せそうに食べ続ける孝裕に気を取られ、自らの昼食をとることを忘れていた沙織は、孝裕の指摘によりようやく食べ始める。

 開いた弁当の中身は孝裕に作ったものと全く同じもの。

 沙織は二人で一緒のものを食べるという幸福でしかない空間を噛み締めながらその後のランチタイムを楽しむのであった。




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 午後の授業終わりのこと。

 続々と帰宅を始めるクラスの中で沙織は孝裕から送られてきた一通のメールに目を通していた。


『ごめんね。クラスの人の手伝いと実行委員の仕事があって帰りが遅くなっちゃうから、今日一緒に帰れなさそう。ごめんね』


 沙織は内容を確認するや否や、すぐさま返信を打ち返す。


『大丈夫ですよ!お花の水やりやっておきますね』


 金曜日ということもあり、一緒に帰れないことは寂しいことだが、仕方のないことだときっと孝裕もおんなじ気持ちでいてくれていると思うことで沙織はなんとか寂しさを拭うことができた。

 すると、送ってから一分もしないうちに返信が届く。


『ありがとう!でも先に済ませたから水やりは大丈夫だよ!気をつけて帰ってね!』


『わかりました。孝裕君も実行委員、頑張ってくださいね!』


『うん!それとお弁当ありがとね!すっごい美味しかった!今度は僕が作ってくね!』


『いいんですか!?楽しみにしてますね!』


『うん!』


 間髪入れずに続いたメールのやりとりは、孝裕の返事を最後に打ち切られることになった。本当はもっとやりとりしたい気分ではあるが、やることのある孝裕の迷惑にならないよう沙織はぐっと我慢することにする。


「美智留さん‥‥はバイトで先帰っちゃいましたし、今日は一人で帰らないとですね」


 と、拭ったはずの寂しさを取り戻してしまった沙織は机に置かれた荷物を肩にかけ、帰路に着くのだった。




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「これくらいでいいかな?」


「おっけー、じゃあ次こっちの方お願い」


「うん!わかった」


 孝裕は体育係の木島に頼まれた体育倉庫の整備をこなす。


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「孝裕君、それはこっちの棚にお願い」


「わかりました!」


 孝裕は図書委員の小野に頼まれた返却本の整頓を手伝う。


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「安達、ここ教えて〜」


「えっとね、ここはこの公式を使えば‥」


「うぉ!!わかりやすい!」


 孝裕は同級生の金子に数学を教える。


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「大丈夫?」


「あ‥‥う‥ん」


「これ使って」


 孝裕は転んで怪我をした同級生の如月を介抱する。


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「この書類も頼んだ」


「はい!」


 孝裕は実行委員長の沖宮に任された書類を着実に仕上げていく。


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「あとは島崎君の分をやってっと」


 孝裕は島崎の分の仕事を代わりに片付けていく。




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「大丈夫ですか?顔色悪いですよ」


 週が明け、ついに前期祭のある五月に入った月曜日。いつも通り中庭のベンチで孝裕と昼食を食べる沙織はなんだか心配そうに尋ねてくる。


「そうかな?大丈夫だよ!元気元気!沙織ちゃんと一緒に入れてるから尚更元気だよ!」


「もう!孝裕君はどうして急にそんな嬉しいこと言ってくれるんですか!!」


 沙織の心配を払拭するべく、気丈に振舞った孝裕はつい思っていたことを口走ってしまう。

 実際、孝裕は沙織といると不思議と力が漲ってくるような感覚を覚え、沙織と話すだけで脳内いっぱいに幸せが咲き乱れるのだ。間違ったことは言っていないので否定する気はないが、急にそんな発言をして引かれたりしないか心配になった孝裕の不安は沙織の答えによって音速で打ち払われた。


 顔をしたに向けてれている様子の沙織を見てますます幸福感が増していく中、ふと沙織は顔をあげると、


「でも、なんだか今日の孝裕君はいつもより疲れてるように見えます」


「そうかな?いつも通りだと思うけどな」


 何かが違うと指摘した沙織の言葉に疑問を抱いた孝裕は考えてみる。確かに、疲れているといえば疲れているのかもしれないが、これもいつも通りだとしか感じなかった。他に何か原因があるのか。

 孝裕は顎に手を当て沙織の得た印象の謎を追い求める。


 そんなこれっぽっちも心当たりがないといった素振りを見せる孝裕に沙織は「それならいいんですけど」と不安そうな声音で引き下がる。


 せっかく心配してくれたのにまともな答えを返せなかった孝裕は、少しでも沙織を安心させるために「大丈夫!」と力強く親指を立てると、


「少し疲れてるかもしれないけど、休めばすぐ回復するから問題ないよ!」


 と、力いっぱいに伝える。

 それを聞いた沙織はしばらく黙り込んだ後でにっこりと笑い、


「‥‥‥はい。ちゃんと休んでくださいね。無理しちゃだめです」


「ありがとう!今日はゆっくり休むよ」


「約束ですからね」


「うん!約束するよ!」


 二人は小指を絡ませ約束を結ぶのだった。




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「悪いな、付き合わせて」


「いいよ、気にしないで!それにしても幸輝が勉強教えてほしいって言ってくるの珍しいね」


「そうか?昔はしょっちゅう聞いてた気がするけど」


「そうだったっけ?」


「おう」


 夕暮れ迫る教室の中、孝裕と幸輝の二人は机を向かい合わせにして一方は勉強、もう一方はそれを教えながら前期祭の資料をまとめていた。


「お前、大丈夫か?」


「え、何が?」


「最近顔色悪いぞ」


「それ沙織ちゃんにも言われたよ」


「今こうして勉強教わってる俺がいうのもなんだけど、俺に何か手伝えることとかないか?」


「うーん、今はそんな大変じゃないし大丈夫だよ!ありがとう」


「そう‥か。ならいいんだけどさ。でもあんまり無理するなよ。沙織ちゃんが泣いちゃうぞ」


「そうだね、気をつけるよ!ありがとう」


 昼休みにもされた指摘を再びされ、当人にその自覚は無いものの心配してくれる大切な友人二人のためにも休まないといけないと心に決めた孝裕は、ふと窓の向こうを眺める。


 茜色に染まり始めた空は静かに暮れを語り、見える景色を変えてくれる。

 校庭では運動部が活動しており、いかにもな青春の風景がそこにはあった。そんな平和な光景を眺めているだけで心が落ち着くような錯覚を覚えるが、それも刹那のこと。


 孝裕は幸輝の発言により浮かぶ沙織の姿に、じわじわと迫るもの哀しさ感じて顔を僅かに曇らせる。


「そんな顔すんなって。沙織ちゃんも分かってくれてるだろ」


「そうだけどさ。やっぱ一緒に帰れないのは辛いなって」


 実行委員や人の手伝いなど任される仕事が日に日に増していき、それをこなすために授業後も居残りしなければならなくなっていた孝裕は、昼休みの去り際に沙織に事情を伝え、しばらくは別々で帰ることになっていた。

 本当ならもっと早いタイミングで伝えるべきだと分かってはいたが、沙織と一緒にいたい気持ちと傷つけてしまったり怒られてしまったりしてしまうのではないかと考えてるうちに言い遅れてしまったのだ。しかし別れ際、覚悟を決めて言った孝裕への沙織の反応は予想とは異なるものだった。


『そうですか‥‥残念ですけど仕方ないですね。頑張ってくださいね、応援してます』


 儚げな笑顔を湛えた沙織は少し背伸びをして孝裕の頭をよしよしと撫でたのだ。

 そしてーー、


『約束のことだけは覚えててくださいね』


 と、言ってくれた。

 その優しい気遣いに救われる孝裕はより一層やることを頑張らねばならないと意気込んでいた。


 しかしふと思い出してしまえば寂しさがふつふつと湧き上がり、孝裕を心憂い気持ちにしてしまう。

 そんな物思いに耽る孝裕を見ていた幸輝は「まあ」とペンを回しながら孝裕に話しかける。


「その分前期祭で楽しめばいいんじゃない?」


「‥‥幸輝」


「運動した後の水が超美味いみたいに、頑張った後の楽しみは何百倍も幸せに感じるだろうしさ」


「でも‥」


「でも?


「僕、沙織ちゃんと前期祭回る約束してないんだ」


 ポカンという効果音がふさわしいほど幸輝は呆気に取られ崩れ落ちるも、すぐに体制を立て直して持っていたシャープペンで孝裕の眉間をぐりぐりと押してやる。


「そんなもん、とっとと誘え!このリア充め!」


「痛い痛い、わかったからペン押し込むのやめて!」


「今誘え!すぐ誘え!直ちに誘え!」


「わ、わかったから!」


 幸輝の推しに負け、押された額をさすった孝裕はポケットから携帯を取り出すと「メール?電話」と問いかけてくる。


「どっちでも‥いや、こういう時は電話だな」


「うぅ、だよね」


 諦めたように登録された連絡先の中から沙織の番号を探す。


「い、いくよ」


「なんか俺も緊張してきた」


 通話ボタンを押す。しばらく待機音が流れ二人残る物静かな教室に緊張感が流れる。なにしろ孝裕は沙織と通話するのは初めてなのだ、こんなノリで電話をかけてしまってはいるが実際心臓がはち切れそうなほど緊張していた。

 そして待機音が途切れ携帯の中から聴き馴染みのある声が聞こえる。


『もしもし沙織です!」


 なんだかいつもよりテンション高めな上擦った沙織の声が聞こえる。


「も、もしもし。沙織ちゃん?急に電話かけてごめんね」


『いえ、凄く嬉しいです!』


 沙織の声を聞いて孝裕も少し‥だいぶ声が弾んでしまう。隣にいた幸輝は初めて見る孝裕の姿に口を押さえて笑いを堪える。そんな友人のことなど既に眼中にな孝裕はもちろん沙織にご執心だ。

 孝裕はゆっくり恒例となった深呼吸を行い心を落ち着かせると上擦った声も整い、いつも通りの精神へと落ち着かせ、話を本題へと進める。


「それで話したいことが‥」


『孝裕君!もしよろしければ前期祭、一緒にまわりませんか?』


 進めようとした矢先に話を沙織に持ってかれ、孝裕は出端を折られる。

 その衝撃を残した孝裕を他所に沙織は徐々に戻ってきた調子を声に乗せ話を進めていく。


『せっかくのイベントですし、一緒にまわりたいなって!』


「その、僕と一緒でいいの?」


『なにを言ってるんですか?孝裕君だからいいんですよ』


「‥‥そっか。うん!もちろんいいよ!前期祭、一緒にいよ!」


『やった!!ありがとうございます!すごく嬉しいです!』


「沙織ちゃんも同じ気持ちでいてくれたなんて僕もすごい嬉しいな」


『当たり前です。だって、一緒に帰れないのは寂しかったですから』


「そうだよね、ごめんね。でもありがとう!」


 今までのように一緒にいられる時間が少なくなったことへの申し訳なさを抱えていた孝裕は、沙織の気丈な気持ちの持ちように救われる。だから謝ることを主体とせず、心からの感謝を送る。


『あ、ごめんなさい。孝裕君のお話遮っちゃいましたね』


「ううん。僕の用事はもう終わっちゃったから大丈夫だよ」


『あ、そうなんですか?ならいいですけど』


 孝裕が電話を掛けた理由にピンときていない様子の沙織に特に明言するわけでもなく、気づかれないのであればそれはそれでいいと答えを伝えずに終わる。だってこの電話を掛けた理由は沙織によって達せられたのだから。


『孝裕君はまだ実行委員のお仕事中ですか?』


「うん、幸輝に勉強教えながら資料まとめてるとこ」


『ふーん、そうですか。‥‥‥幸輝さんずるい‥』


「‥沙織ちゃん?」


『いえ、なんでもないです』


「そ、そっか」


 電話越しでは聞こえないほどの声量で何かを呟いた沙織に聞き返すもあえなく撃沈。答えを探るのはなんとなく気が引けたためここで打ち止めとすることにする。


『それでは、お仕事頑張ってくださいね!‥あと幸輝さんにもよろしくお伝えください』


「了解!ありがとね!」


『はい!では、また明日』


「うん!また明日」


 電話を切ると一気に教室から音が、高揚感が掻き消えるような錯覚を覚える。それは電話中必死に声を堪えていた友人の影響もあるだろう。

 携帯をポケットに仕舞い再び席に着くとジト目になった幸輝がジッと孝裕を見つめてくる。その様子に「どうした?」と問いかけると幸輝は「別に」と問題を解く作業に姿勢を戻し、


「なんか、お前が俺の知らない遠くに行っちゃったみたいでなんとも言えない感情に襲われてただけ」


「えぇ、なにそれ」


「いいや、幸せそうでなによりだなってこと」


「ははっ、ありがと!」


 長年の付き合いだからわかる感覚だが、孝裕は幸輝の反応は素直に祝福してくれているものだと理解できた。少し素直でないところは昔からも変わらないが根本的に優しい人間だと知っている孝裕はこちらも素直に受け入れ感謝の言葉でその気持ちを返す。


「あ、沙織ちゃんがよろしくだって」


「?なんで俺に」


「なんでだろうね、僕もわからないな」


 沙織の意図が掴めずにいる二人は仲良く疑問符を浮かべるが、「まあいっか」と深読みはやめて言葉そのままの意味で捉えることにする。


「さぁ!沙織ちゃんと前期祭を楽しむためにもがんばるぞ!」


 そう意気込んで改めて机に並べられているたくさんの資料に取り掛かるのであった。

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