【第九話】幸せなひととき
「孝裕君、一緒にお昼ご飯食べませんか?」
それは一緒に帰るようになり、しばらく経った頃に沙織が持ちかけたお誘いだった。
それから二人はよく一緒にご飯を共にするようになり、帰りだけではなく、学校生活の中でも仲を深めていっていた。これにも美智留のアドバイスが生きていた。
ーーとある日のお昼。
『沙織さ、孝裕君とご飯食べたいとか思わないの?』
『え!?話が急ですね』
『ごめんごめん、それで、どうなの?』
『そうですね、もし一緒に食べれたら嬉しいですね』
『それじゃ、明日っ誘ってみなよ』
『うーん、でもいいんですか?』
『何が?』
『だって、美智留さんと食べるって約束が‥』
『そんなの気にしなくていいよ。たまに一緒に食べてくれればいいからさ、それに、私の方が沙織と一緒にいる時間長いしね!』
自慢げに鼻を高くして微笑む美智留。
いつも通りイチゴ牛乳を飲みながら、友人の幸せを望むその姿勢に沙織はつい感極まって抱きついてしまう。
『美智留さん!好きです!』
『知ってるよ。でも今の聞いたら孝裕君はどう思うのかな??』
『美智留さんは特別ですし、孝裕君は優しい人です!そもそも美智留さんは女の子なのでセーフです!』
『ははっ、何その理論‥‥‥でもありがと。私のことはいいから明日から孝裕君と一緒に食べて』
『それじゃあ、美智留さんの言葉に甘えさせてもらうことにします。ありがとうございます!』
美智留と同様イチゴ牛乳を口に運ぶ沙織は友人の気遣いに心の底から感謝を示す。本当に、優しい友人に出会ったと、心が温かくなる。
『また一緒にお昼食べれる時にでも二人の話、じっくり聞かせてね』
『はい!』
ーーといった会話が二人の中で繰り広げられたその帰りに、沙織は孝裕を昼食に誘い、お昼を共にするようになる。それから数日の時が経つ。
四月も終わりに近づいてきたこの時期、新入生が新しい校舎、友人などの学校環境に慣れてきた頃。沙織と孝裕の関係も初日以来大きく動かなくとも確かに進展していっていた。
「孝裕君は今日もコンビニのおにぎりですか?」
とは沙織が隣に並んで歩く孝裕にかけた言葉だ。
沙織の歩幅に合わせ横を歩く孝裕は小さなマイバックを持参しており、その中には三つほどのおにぎりと水筒が入っていた。
「うん、最近あんまり時間がなくてさ、ついついコンビニに頼っちゃうよね」
「そうですか、‥あまり無理しないでくださいね」
「うん、ありがとう!さて、今日のおにぎりはなんのおにぎりでしょうか!」
「うーん、今日こそは当てます!いつも通りの梅干し二つと定番の昆布です!」
「惜しい!梅干し二つとツナマヨだよ」
おにぎりの具材を予想するも外した沙織は少し悔しそうにする。これは毎日の日課になっていた。孝裕と昼食をとるようになって数日、孝裕は毎日コンビニで買ったおにぎりを持ってきていた。そしてその具はほぼ固定されており、梅干し二つとランダムな何かなのだ。それを当てようと奮闘するのが今の二人の日常の風景と化していた。
そんな何気ない会話を繰り広げながら廊下を歩く二人の姿は側から見たら友人関係ではなくカップルのように見えるほど仲睦まじいオーラを放っていた。
中庭のベンチに辿り着き、色とりどりの花々とぴょんぴょんと小屋の中を跳ねるうさぎ達を眺めながら昼食を食べるという少し贅沢な環境で早速持参した食事に手を運ぶ。
「「いただきます」」
沙織は包まれていた弁当を布から解放し、その中身を披露する。中身はご飯に卵焼き、タコさんウインナーと煮物にミニハンバーグと、とても子供心をくすぐられる可愛らしくも健康にも配慮した品目だった。
「沙織ちゃんはいつもお弁当だね。凄いなー、大変じゃない?」
「そうですね、大変ですけど、妹と交代番子で作っているので毎日じゃない分楽ですし、もう慣れてきました」
そういってハンバーグを口に運んだ沙織は頬を緩ませて味を堪能した。なんとなくその反応が子供っぽく思えた孝裕は「可愛いな」と感じながらもそれを伝えることはなく、自分もおにぎりを食べる。
「毎日コンビニのおにぎりだと飽きませんか?」
「ううん、そんなことないよ。梅干しは落ち着くし、他に種類もあるから飽きないよ」
「でも毎日おにぎりだと味気ない気が‥そうだ!明日、もしお弁当作って持ってきたら食べてくれますか?」
決しておにぎりが悪いわけではない、今の孝裕には中々時間がないのだ。それ故に仕方のないことだと分かっていながらもやはり気になってしまう。そして好きな人が頑張っているのならその分なにか手助けになりたいと思ってしまうのは沙織のエゴだろうか、しかしエゴだたとしても沙織は孝裕のためなら頑張れると思っていた。
しからば沙織がこの答えに行き着くのは必然だろう。
革命的な提案だと持ち出した沙織は目を輝かせながら孝裕に問いかける。
だが、当然孝裕の反応は決まっていて、
「いやいや、悪いよ!迷惑かけちゃうし。沙織ちゃんの作ってくれたものは食べたいけどそれは将来の楽しみに取っておくよ」
などと沙織に気を遣った返事をする。わかっていた、孝裕の性格を知っていれば、彼がこう返してくるのは最初から予測できた。最後の方の、主に『将来』付近は予想がつかなく、照れてしまう。
しかし完璧でなくとも予想が立てていれば対応は取れる。
沙織は若干顔を赤くし照れながらもクイっと孝裕の方に向き直り、「孝裕君!」と呼びかけると、
「あーん、してください」
「え!?!?急にどうしたの!?」
「いいから!はい、あーん」
「あ、あーん」
孝裕は困惑しながらも沙織の要望に従い口を大きく開く。しばらくすると鼻に甘い匂いと舌の上にふわふわした柔らかい感触、それを挟む硬い箸の感触がして自然と口を閉じそれを味わおうとする。
「ん!?美味しい!」
「ふふっ、ならよかったです。その卵焼き、自信作なんですよ」
「凄い美味しいよ!蕩けるほど柔らかくて甘い優しい味がして凄い好き!本当に美味しいよ!」
興奮気味に味の感想を述べる孝裕の様子に作戦の成功を確信した沙織はそれに喜ぶと同時に、自分が作ったものを絶賛してくれる想い人の姿に歓喜する。母に料理を教えてもらっていたことが功を奏し、この場にいない母に感謝の念を送る。
今も美味しそうに咀嚼する孝裕はとても幸せそうな面持ちだ。それを見ているだけで沙織も幸せに感じてしまう、そんな幸せそうな表情をしてくれるなら、孝裕が喜んでくれるならいくらでも頑張りたい、と心の熱が増していくのを感じる。
沙織は既に満足そうな表情を浮かべながらも孝裕に問いかける。
「どうです?もっと食べたくなりましたか?」
「うん!」
と、孝裕は返事をしたところで遅れて気がつく、が、もう遅い。
「なら、明日作ってきますね。楽しみにしていてください!」
強引に味で解決させた沙織はとても明るい笑顔で孝裕に微笑んでくる。
孝裕もこうなってしまってはこれ以上遠慮することもできず、沙織の好意に甘えることにする。
「ありがとう、楽しみにしてるね」
「はい!」
明日は妹に当番を代わってもらおうと意気込む沙織は「ところで」と人差し指を口に当て、
「しちゃいましたね、間接キス」
と、悪戯っぽく笑ってみせた。
卵焼きの美味しさに夢中になりすっかり忘れていたが、この場に箸は一膳しかなく、必然的にさっき口卵焼きを運んできてくれたのは沙織の箸、つまり、そういうことだ。
理解した途端孝裕の顔は一気に真っ赤に染め上げられ、沙織の目を見れなくなる。しかし沙織は攻めの姿勢を崩さず、ずいっと近寄り、覗き込むように顔を合わせる。
「どうしました?もしかして、照れてます?」
わざとらしく問いかけた沙織の顔は楽しそうだ。
「わ、悪い‥?」
「いいえ、そんなことは」
「沙織ちゃんはそういうの平気なの?」
「ちょっと恥ずかしいですけど、孝裕君よりは平気だと思います」
「そっか、僕が恥ずかしがりなだけなのかな?」
口元を手で覆い照れ隠しをするも隠しきれていない孝裕の様子にクスクスと笑い、「じゃあ」とまた意地の悪い表情を湛え、
「いっそのこと一回キス、してみますか?」
「!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
そう言ってさらに寄ってくるとそれだけ顔の距離が近くなり、緊張で身体が動かなくなってしまう。
沙織は優しく孝裕の手を口元から外し、ぎゅっと握る。そしてーーー、
「なーんて、冗談ですよ」
顔を通り越し、そっと耳元で囁かれる。
耳元で発せられた心を惑わすような声が脳髄に浸透していき頭の中に残り続けると、意識が沙織に釘付けになってしまう。
沙織は笑みを浮かべたまま元の位置に戻っていくと、ふわっと宙を舞った髪の毛からいい香りが孝裕の鼻に届く。
孝裕は沙織がこの短い期間で日に日にリラックスして話してくれるようなっていることを喜んでいたが、それと同時に危険だとも分かっていた。初めの頃は緊張してあまり素を出していなかったように見える沙織も、帰ろうと誘ってくれた日以来、隙あらば孝裕を褒め、からかってくる、謂わば攻めの姿勢を貫く沙織に翻弄されっぱなしだったのだ。
そこも魅力だなと感じてはいるが、なんというか、心臓に悪かった。
そんな沙織の魅力に惑わされつつ、その突拍子もない行動に呆気を取られる孝裕の顔をじっと見つめ、機嫌の良さそうな声音で、
「ふふっ、もしかして、期待してくれてました?」
「す、少し‥」
「正直な人ですね。ーー孝裕君がよかったらどうぞ、私のファーストキス、貰ってください」
「‥!?」
衝撃的な発言に、孝裕は目を白黒させるが、そんな孝裕をよそに沙織はぎゅっと目を瞑り、待機姿勢に入る。
どうしていいのかわからない。沙織と孝裕以外うさぎしかいない空間は、異様に静かで逸る心音がうるさく感じる。
孝裕は一度じっと沙織の姿を見つめる。光を浴びることでさらに際立つ腰丈の明るい茶髪、長く綺麗な睫毛に縁取られた穏やかな目元、整った小さな顔、孝裕より頭ひとつ分小さい身長にマリアージュしたスラッと長い手足。見ているだけでも心が安らぐ、ある種の神聖さすら沙織からは感じられた。
孝裕は自分でも驚くほどに沙織に夢中なのだと自覚すると、尚更覚悟を決めなければいけなかった。
今にもその魅力に屈してしまいそうな心を封じ込め、孝裕は幼児に触れるような優しい力で沙織の肩を掴む。沙織は一瞬、驚いたのかビクッと震え身体を硬直させたが、抜いていた手の力を少し強めてやると次第に落ち着いたようで、肩から力が抜けていくのが分かった。それを引き金に孝裕は息を吸うと、
「沙織ちゃん、今はまだ、できない。したくないわけじゃなくて、できないんだ」
と、普段の何倍も真面目な声音で沙織に伝える。
呼ばれたことで目を開けた沙織はなんだかわかっていたように朗らかに笑ってみせる。
「僕らはまだ友達同士、キスをするにはまだ早いと思うんだ。だからごめん」
「‥‥やっぱり、孝裕君は素敵な方ですね。ふふっ、知ってましたけど」
「ーーでも、いつかは貰うから、その時まで待ってて」
「!?!?‥は、はひ」
長い睫毛に縁取られた青い瞳で真っ直ぐに孝裕を見つめてくる。
一気に頬を赤らめた沙織は、できる限り頑張って取り繕っているが、恥ずかしさを拭いきれていないのか、返事が思いつかず、あまつさえ噛んでしまう。それに加え、指をもじもじさせ意識を分散させている。
そんな様子の沙織を見ているとなんだかいつもの沙織の気持ちがわかってくるような気がする。好きな人がこんなに照れて可愛い反応を見せてくれるならいくらでも褒めていたくなってしまう。そんなことを頭に浮かべて穏やかに微笑む孝裕に沙織は一歩近づいて服の袖をクイっと引っ張ると、
「言質、とりましたよ。絶対してくださいね」
今もなお照れを隠せていないのに攻めの姿勢を崩さないのはきっと、孝裕に対する好意の表れだろう。いつまでも変わらないよと、伝えるために沙織は不器用ながらもそれを言葉にする。
「うん。必ず」
と、友人関係とは思えない内容の話を繰り広げた二人は、あっという間に過ぎ去っていく残り少ないお昼休みの間も笑い合いながら昼食を楽しむのであった。
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