【第四話】解けた氷は熱になる。





「ずっとあなたのことが好きでした」


 沙織の視界はひどく澄んで見えた。

 心の内には当然、逃げ出したくなるほどの恥ずかしさがある。だがしかし、沙織は逃げない、後に引かない。どれだけ時間この時を待ち侘びていたのか、沙織にはもうわからなくなっていた。それこそ会うことも伝えることも諦めるほどに、沙織は望んでたいたのだ。


「その気持ちは今も変わりません」


「‥‥」


「どうしてでしょうね、こんなに長い期間会ってなくて、あんなに短い時間しか一緒にいなかったのに」


 沙織は瑞々しい青色の瞳を細めて、そこに実態はない感慨深い何かを見つめてクスッと笑うと、


「どうしても、あなたのことが忘れられなかったんです」


 春風に長く伸びた髪を攫われ、それを押さえながら、沙織はどんな花よりも美しい笑顔で孝裕に向けて想いを語る。




←←←←←♡→→→→→




 孝裕は開いた目と口を閉じることをすっかり忘れたように固まっていた。沙織の告白に身を焦がれるような感覚を味わいながら、ゆっくりとその熱を咀嚼していく。気付かぬ間に口から出ていた本心、初恋の感情を伝えてしまったことに後悔はしていないものの、本人を目の前に、しかも再会して間もない時間で伝えてしまったことで嫌われないか不安に思っていたが、それ以上にかつてない喜びに打ち悶えていた。

 正直、あの後沙織がなんと言うのか想像がつかなかった。孝裕の主観ではあるが、今まで接した時間と昔の出会った時の印象から罵詈雑言の類を浴びせられることだけはないとわかっていたが、避けられたり、今後口を聞いてくれなくなってしまうのではないかと悪い想像ばかりが頭を過ぎっていた。そんな最中、沙織から告げられたのは、好意的な告白。


 孝裕が沙織にしたように、今度は沙織が自分の内から溢れ出る高熱を孝裕に向けて与える。


「私、諦めてました。孝裕君に好きだって伝えるのも、会うことも。だから、せめてあなたのような立派で優しい人になろうって、たくさん努力してきました」


 恍惚とした表情を掲げ、真っ直ぐに孝裕を見る沙織は、なにものにも例え難い美しさを秘めていた。沙織の存在に意識を釘付けにされている孝裕は、息を吸うことさえ忘れながら、静かに話に耳を傾ける。


「もしかしたら、この再会はそんな私への神様からのご褒美なのかもしれませんね。なーんて、そんなんじゃないってわかってます。これはただの奇跡です」


「奇跡‥‥‥」


「はい、奇跡です。知ってますか?奇跡って必ず起こるんですよ。とんでもない数の道があって選ばれるのはたった一本の道。私はその数ある道であなたと出会って恋をしました。そして高校に入ってまた会うことができたんです、凄いことです!」


 奇跡は、起きた物事でしか判断ができない。一等から六等あり、一等が一本、それ以外が十本あるくじ引きをして一等の景品が当たる。可能性は他に比べゼロに近いが決してゼロにはならない。もし一つ隣のくじを引いていたら六等だったかもしれない、だが引き当てたくじは一等のくじ。そんな『奇』な状況を現実に『跡』として残すからこそ『奇跡』というのだろう。


 沙織と孝裕が最初に出会ってから約十年。人生百年時代と言われている内の十分の一が経っている中で、再び出会うことができ、二人はお互いの存在を覚えていて、それも両思いだったなんて、奇跡としか言いようがない。

 そんな奇跡を噛み締めるように沙織は胸の前で拳を強く握り、


「私、今、凄く嬉しいんです。孝裕君とまた会えてすっごくすっごく嬉しいです!」


 孝裕の元に駆け寄り、その白く細い手で無防備に晒された一回り大きい手を勢いよく握る。


「ッッ!?」


 沙織の言葉に集中していたせいで突然触れられたことに少々驚くが、沙織はそんなことは気にも留めず、というより気がついていないだけだがその勢いを失わないまま、視線を上にあげ、


「この日を、ずっと夢に見てました」


 真っ直ぐに、ただ一筋に孝裕の目を見続ける。その瞳には純粋に喜びと慈しむ愛の熱が宿っていた。


「本当に、会いたかった」


 最後の方、か細くなった声から紡がれたそれは、少し前までの距離なら聞こえていなかったが、二人の距離が一メートル以内に近づいた今は明瞭に孝裕に届いていた。言った直後、若干手を握る強さが増した気がしたと、孝裕は沙織のその言葉に深く強い意味、それが本当のことなのだと理解する。


 花の香りと動物の臭いが微かに漂う中庭、まだそこまで暑さを持たない太陽の日差しは居心地が良く、お昼寝にはぴったりの陽気だった。その快適な空間で二人の男女は静かに見つめ合う。

 瞳に映る姿は違えど、お互いがお互いを意識し合い、その存在をより強く高めていく。だが、沙織はふと頭によぎったある疑問に不安にならざるを得なかった。


「ご、ごめんなさい、一人で盛り上がってしましました!やだ、恥ずかしいです」


 情熱的な勢いとは全く違う勢いに突如として変わった沙織。わかりやい点でいえば、物凄く早口になった沙織に孝裕は頭に疑問符を浮かべる。そんな孝裕を他所に、一歩、二歩と孝裕から離れていく沙織は、両手の人差し指をツンツンとぶつけ合いながらさらにその勢いを増していく。


「迷惑ですよね、こんなこと急に言われても。ごめんなさい、初恋って言われて嬉しくてつい、あれ‥‥なんで私あんなに言っちゃったんだろう!」


 誰しも冷静に客観視すれば、己を殺したくなるほど後悔してしまう出来事や、恥ずかしさに悶え死にそうになることもあるだろう。今の沙織がそれだ。

 沙織は、孝裕に与えられた多くの薪に『初恋』発言でいよいよ火がついてしまい、抱え閉まっていた感情がキャンプファイヤーの炎のように勢いを増しながら溢れ出していったのが今。沙織の恋心を、抱えていた気持ちを伝えることに関しては、冷静に想っていたありのままを伝えることはできていた。しかしそれ以外は一切と言っていいほどに冷静なものではなかった。簡単にまとめると、勢いに任せた愛の吐露といったところか。


「私ったら馬鹿みたいですね、あれから十年近くも経ってるのに。すみません!つい熱くなってしまいました」


 あわあわと手を左右に振りながら、一人で盛り上がってしまったと、顔を真っ赤にして詫びる。

 冷静に考えればそれもそうだろう。孝裕は「初恋だから」と言っただけで、今もそうだとは限らない。


「沙織ちゃん」


「なんで気づかなかったんですかね。『初恋』なだけで、今はそうじゃない可能性の方が大きいのに、なんで一人で盛り上がってしまったんでしょう!」


 一人、返答を必要としていない一方的な自己完結型反省と否定を繰り返す沙織。その度に盲目になっていた問題が浮上してきて、心が休まらない。


「沙織ちゃん」


「もしかしたらもう彼女とかいたり!?‥‥最近の子は小学生の時からお付き合いするなんて話もありますし。なくもない話ですよね!もしいなくても好きな方がいたりするでしょうし、本当に、すみません!」


「沙織ちゃん!」


「ひゃいっ!?」


「聞いて」


 再三の呼びかけに応じない沙織の意識を自分に集中させるべく離れていた距離を一気に詰め寄り、肩を掴み呼びかける。意識外からの急接近だったこともあり返事が素っ頓狂になってしまった沙織は毎度の如く頬を紅潮させ、コクコクと頷きながら孝裕の柔らかい赤い瞳を目を真ん丸にして見つめる。


「まず、僕に彼女はいない。いい?」


「は、はい」


「けど、僕は今好きな人がいる」


「‥」


 沙織は悟られない程度の変化だが顔を曇らせた。しかし孝裕はその真逆、何かを決したような意志の硬い面持ちになり、無意識にも肩を掴む腕の力が増していった。ゆっくり落ち着かせるように深呼吸をして肺に酸素を送り込み、改めて沙織と視線を交わす。


「僕の好きな人は、出会ってから一度たりとも変わってないんだ」


「?」


 正直に言って孝裕がなにを言いたいのかが今まで積まれてきた思考の山に邪魔されて理解に及ばなかった沙織は、小首をかしげる。すると、さっきより、より一層強く息を吸い込んで、吐く勢いに任せて、





「つまり僕の好きな人はーーーーーーずっと沙織ちゃん、君なんだ」


「ふぇ!?」


 感情の変化が生きてきた中でおそらく一位を記録するほど、短時間で上下している。それは沙織に限ったことではなく、孝裕にも当てはまることだった。

 口元に力が入り、次の言葉を考える孝裕。言われたことの理解にぐちゃぐちゃの思考を必死に回す沙織。二者二様の反応を時に委ねる。だが時は残酷なもので、どちらかに選択を急かして強制的にその対象を選ぶ。今回選ばれたのは孝裕だった。


「昔も今も変わらず、僕は沙織ちゃんに惚れてる。あの夏祭りの夜からずっと」


「ぇ‥‥どうして‥」


「それは、沙織ちゃんと同じだよ」


「同じ‥」


「初恋に執着し続けてることを馬鹿にされることもあったし、今までたくさんの人に出会ってきたりもした。それでも、この気持ちは変わらず僕の中にあり続けたんだ」


「!!」


「公園で話した後、君だとわかった時点でいつか告白しようって決めてたんだ。まさかこんなに早く、しかもあんな形の告白になるなんて思っても見なかったけどね」


 沙織の肩から手を離した孝裕は、沙織が伝えてくれた様に、自分の意思を、想いをだいぶ照れ臭そうに語り始める。


「あの時は結構慌てちゃったけど、沙織ちゃんが僕と同じ気持ちでいてくれて嬉しかった。沙織ちゃんが気持ちを伝えてくれたから僕も覚悟を決められた」


「‥‥‥‥」


「沙織ちゃんが僕のことを好きだと言ってくれた様に、僕も君のことが好きだよ。だけど、お互いのことをまだ詳しく知らないままってのもよくないと思うんだ」


「??」


 孝裕の告白に胸がはち切れそうなど心が躍ったが、後の言葉の意味にも納得はできた。

 今日は高校に入学した初日。お互い過去に会ったことはあるとはいえ、それもたった数時間の話。そして再開したのは約十年ぶり。そんなトータル一日にも満たない関わりの中では当然それぞれの人間性を深く知ることはできておらず、お互いに知らないことばかりだ。ただの勢いに今後を任せるのはあまりにも軽率な行動だろう。たとえ両想いだとしても。




ーーーーーだから孝裕は覚悟を決めた。




 長年想い続けた人にようやく出会えて、両想いであることも知れた。だからこそ相手のことをもっと深く知りたいと、


「沙織ちゃん」


「‥‥‥はい」




「ーーーーお付き合いを前提に僕と友達になってください」




そう、夏祭りの夜と同じ笑顔を湛えながら、熱い覚悟を想い人へと届ける。


再会してまだ半日にも満たない僅かな時間。二人は長年堰き止めていた想いを伝え合い、確かに新たな物語を築いていこうと歩み始めるのであった。

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