【第一話】浮かんだものの正体は

 真っ暗で、寂しくて、怖いのに、誰も助けてくれなかった。


『どうしたの、大丈夫?』


 でもその人はそんな空間に負けず、輝きを持って手を差し伸べてくれた。


『もうすぐ悲しいのなくなるから、ここで一緒に待とうね!』


 そう言って優しく頭を撫でてくれたことで、ひどく心が安らいだのを感じていた。


『ばいばーい!』


 大きな声で手を振ると、彼もそれに応えるように手を振りかえしてくれた。


『また会いたいな』




ーーーーでも、諦めるために、それは心の奥底で氷漬けにした。




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 懐かしい夢を見た、気がする。


 朧げに頭に宿る夢の記憶は、少女を少しばかり困惑させる。それも一瞬のことで、少女は近くで今もうるさくしている携帯に手を伸ばし、朝を知らせるアラームを止める。

 まだ視界には靄がかかっているように曖昧で、頭もよく回らない。体が重く感じるのは毎朝の日課のようなものだ。決して体重が重いわけではない、‥体重が重いわけではない。

 ゆっくりと寝台から降りると、足元がおぼつかないながらもゆっくりと部屋の扉を開け、右に曲がってすぐの階段を下る。途中、何度か落ちそうになるがなんとか踏ん張りを効かせ無事に下の階に降り立つ。降りてすぐの右側にある扉を目を擦りながら開けて部屋に入る。


「おはよー」


「おはよう。今日は早いな沙織」


「うーん」


 部屋に入り元気のない挨拶をした少女ーー沙織はゆっくりと机の前に向かい地べたに腰を下ろした。そんな沙織の朝の挨拶に反応を示したのは、沙織よりも早く起きて新聞を読む父親だ。父親は未だ眠たげな沙織を見て「顔でも洗ってきたらどうだ」と提案してくるが、当の沙織には届いておらず、「うーん」とこれまた眠そうな声で返す。


「ん、栞はまだ寝てるのか」


「うーん」


「あはは、あいつも来年から高校生なのにな」


「うーん、おねーちゃんの姿を見習って欲しいよ、ふぁーあ」


 欠伸混じりに会話の返答をする沙織に苦笑いになる父親をよそに当の本人はまだ眠気と戦っている最中なのか、頭をフラフラとさせている。

 しばらくぽけーっと待っていると沙織の座った正面にある机にホットミルクが置かれた。それから続々とお皿が運ばれえてきて机に並べられる。見ていると普段よりちょっぴり豪勢な面持ちの朝食たちがそこにはいた。


「お母さん、なんか今日すごいね」


 見たままの感想を述べた沙織に対してお母さんと呼ばれた人物はゆっくり振り返り、


「だって、今日は、特別な日、だから」


 と、頬に手を当て恥ずかしそうに言ってくる。

 普段物静かであまり主張しない沙織の母親は、なんでかこういう時は妙に張り切っている。そんなギャップを沙織は嬉しく感じており、「ありがとう!」と元気に返してやる。娘の返事を聞くと微笑みで返し、また台所作業に戻っていく。

 母親の作ってくれたいつもより豪勢な食事の匂いと母の可愛いところを見れた沙織の眠気は覚めており、今はお腹の虫を黙らせようと集中する。

 昔から朝ごはんを作ってくれていた母に変わり、明日からは妹の栞と交代番子で朝ご飯当番をすることになっているため、一応今日が母の担当する最後の朝ごはんなのだ。味や美味しさを習う意味も込めてじっくりと味わうことにする。


「それにしても、今日から高校生か。あっという間だな」


 朝食を味わっていると近くの椅子、マッサージチェアに座っている父親が唐突に感慨深い表情をし、想いに耽る。その言葉に沙織も色々思うことがあったのだろう、食事の手が止まる。

 思えば時が経つのはなんて早いのだろうか。ついこの前小学校を卒業し中学校に入学したと思えば、数週間前に中学校を卒業していた。こうやって歳をとっていくんだなと父親より半分以上も若い娘の沙織は思う。そして健康に、元気に生きるためにも朝食を口に運ぶのだった。




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 朝食も食べ終わり、諸々の朝自宅を終える。念には念をと姿見に全身を映し、新しい衣装の最終チェックをする。

 真新しい制服はまだ固く、着心地はあまりよろしくないがそれ以上に今は心が躍っていた。

 中学校から始まった制服制度。小学校は私服登校だったため、最初の頃は慣れず違和感しかなかったものだが、それも三年繰り返すと慣れたもんだ。しかしそれも一部リセット、今日からはまた新しい制服に身を包み学校へ向かう。制服を着ることは慣れたが以前とは着るものが違う、それだけでやはり緊張してしまう。だが、それと同じくらいに期待をしてしまう。


「よし、今日も頑張ろう」


 頭に『憧れ』の存在を浮かべて、自分を律するために頬を勢いよく挟む。

 気合を入れ直し、玄関へと。これから始まる新しい生活に心を浮き足立たせながら、これまた新しいローファーに足を通す。履き終わるとスッと立ち上がり後ろで見守る二人に顔を向ける。


「沙織、忘れ物はないか?道は覚えてるか?迷子になったりしないか?」


「大丈夫だよ、お父さん。もう私も高校生だよ、ちゃんといけます!」


 過保護なほど心配してくれる父親に愛を感じた沙織は、父親の顔を見つめて言葉を紡ぐ。それを見た父親は少し涙目になりながらも、「ああ、そうだな」としわくちゃの笑顔で返してくる。


「いってらしゃい、気をつけて、ね」


 母の優しい声音にこれからを誘導され「うん!」と返し改めて二人の顔を見る。玄関と廊下に段差があるせいで本来同じくらいの身長の三人中沙織だけ小さくなっていた。ほんの少し位置の高いところに並ぶ顔を見渡し沙織は一息吸うと、


「お父さん、お母さん、いつもありがとう。それじゃあ、いってきます!」


 幼き頃に比べてだいぶ消えつつも若干残っている幼っぽさと、成長を感じさせる年相応の大人っぽさを兼ね備えた優しい笑顔で両親に感謝といってきますを伝える。沙織の成長していく姿に親二人は感動し目尻に涙を溜めながら、


「「いってらっしゃい」」


 沙織が元気に出発できるよう、笑顔で見送るのだった。




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 両親の温かい挨拶を受け、気分良く家を出てきた沙織。向かう先は家からそう遠くない場所に位置する『私立秋ノ宮高等学校』、今日から沙織の通うことになる新しい学舎だ。

 近所の隣人達と顔を合わせては挨拶をしていきながら歩を進めると住宅街を抜け大通りに出る。大通りでは既に秋ノ宮の制服を着た生徒達が歩いている。鞄についている校章の色から同学年の人たちだとわかった沙織はくすっと笑う。沙織は家が近かったとはいえ、時間に余裕を持って家を出ていた。しかし大通りを歩いている生徒の大半は電車で来た人たちだろうから沙織よりもっと早い時間に家を出たに違いない。みんなそれだけ学校が楽しみだったのだろう、もしかしたら自分と同じ心配性で早くきているのかもしれないが、どちらにせよ、ついに高校生活が始まるのだと実感する。

 ふと喉が渇き鞄の中に手を伸ばして小さめの水筒を掴み口元にそれを運ぶ。淹れたてでまだ冷えている水を喉に流し込み、水筒を鞄に戻し再び学校に向かって歩き出す。

 空は晴れていて絶好の日和だ、自然と沙織の気分も高揚し足取りも軽くなる。

 地元とはいえ流石に行ったことのない所だと中々辿りつかないこともある。と心配した父親と一緒に何度か高校まで歩いて行ったことがあるため道に迷うことはなかった。


「お父さんの心配性も困っちゃいますね」


 誰にも聞こえない程度の声量でつぶやいた沙織は父の暖かさに笑いながら道をゆっくりと進んでいく、すると公園が見えてきたと同時に中で小さい子供が泣いている姿が見えた。


「どうしたの?大丈‥あ!」


 子供に駆け寄った沙織は屈み腰になり子供に話しかけるが途中で子供が怪我をしていることに気がつき、すぐに鞄を開ける。


「大丈夫、ちょっと待っててくださいね」


 子供は沙織の言葉に泣く勢いが弱まり、鼻を啜りながら沙織を見上げる。


「君は強い子ですね、えらいえらい」


 子供が見てきたことに気がついた沙織はニコッと笑いかけながら子供の顔を見てそっと頭を撫でてやる。すると怪我の痛みから気が逸れ始めたのか、子供の目から涙が零れなくなった。

 沙織は鞄の中から水筒とハンカチとポーチを取り出し、


「ちょっと痛いかもだけど我慢できる?」


「‥‥うん」


 子供の肯定にそのまま笑顔で返し、怪我をしている右膝に少量の水を掛ける。水が触れた瞬間、子供は痛みに止まっていた涙が再び出かけるも、歯を食いしばるようにして我慢するのが横目にえた。その様子に安心した沙織はハンカチで傷槌の水分を優しく吸い取ると、ポーチの中から絆創膏を取り出して子供の膝に張り付ける。


「はい、これでもう大丈夫です!よく痛いの我慢できましたね」


 再び子供の頭を撫でてやると子供は笑顔を取り戻しゆっくりと立ち上がった。


「おねーさん、ありがと!」


 と、元気いっぱいの無邪気な顔でお礼を言うと子供の視線は沙織とは別の方向に移り、怪我などなかったように走り出していく。子供が向かった先にいたのは、沙織と同じ学校の制服を着た青年に支えられながら歩く母親と思しき人物のところだった。女性は隣に立つ青年に何やら礼を言い青年から離れると、向かってきた子供と話した後でこちらにゆっくりと近づいてきた。


「私がいない間にうちの子がすみませんでした。わざわざ手当までしていただいて」


 女性は申し訳なさそうに頭を下げてくる。その行動に沙織は、「いえいえ、当然のことをしただけですよ。頭をあげてください」と笑い返して問題ないという意思を伝える。女性を見てやると目元に深い隈があるのが窺えた。察するに、具合が悪くなったところをたまたま通りかかった青年に助けられ、隣のコンビニにお手洗いを借りに行っていたといったところだろう。子供の母親を見る目が心配そうなことから恐らく間違いないと沙織は納得する。

 今も申し訳なさそうな表情の女性の隣にいる子供に再び目線を合わせ、


「君は強くていい子だから立派なお兄ちゃんになれます。お母さんにたくさん優しくしてあげるんですよ」


 と、優しく頭を撫でてやる。子供は沙織の言葉に、「うん!」と力強く返し女性の手を握る。


「ありがとうございました。ほら、翔太も」


「おねーさん、ありがとうございました!」


 親子二人から礼を言われ、なんだかむず痒い気持ちになった沙織は、公園の出入り口の方で沙織と同じように親子に手を振る青年が目に入る。どこかで見たことあるようなその面持ちに頭を一瞬悩ませたが答えは見つからず、彼から一度視線を外し、携帯に表示されている時計で時間を確認する。


「嘘!?もうこんな時間!」


 慌てて放置されていたポーチやらを片付けて公園の出入り口へと向かう。そして、


「君も急がないと遅刻しちゃいますよ」


 一度立ち止まり、親子の背を見送っていた青年に時間が迫っていることを教える。沙織に言われるまで青年も気づいていなかったのか、一瞬硬直してから自らの腕時計を確認して、


「あ、ほんとだ!教えてくれてありがとう!」


 と、言い残して近くに置いてあった自転車に向かう。自転車鍵を差し込み出発の準備が整うと、こちらに向かって自転車を押しながら戻ってくる。


「ありがとう、君も気をつけてね」


 そう言って自転車を漕ぎ始め去っていく青年の背を見送り、


「やっぱり、どこかで会ったことあるような」


 少し不思議な感覚を味わいながらも、改めて学校のある方向へと足を向けるのであった。




←←←←←♡→→→→→

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「もう大丈夫です、おかげさまでさっきより楽になりました」


「あまり無理は無さらないように」


「ええ、どうもありがとうございました」


 女性はそう言い残し、こちらに向かってきた子供の方へと向かっていく。最初に見かけた時はかなり辛そうな顔をしていたが、時間の経過と我が子の顔を見れたことで少しは楽になったのだろう。

 そのことに安堵しつつ青年は、女性と子供が話している光景を微笑ましいと見守る。ふと子供の足に貼ってある、まだ血の滲んだ比較的新しめな花柄の絆創膏が目に入る。

 男の子がつけるには可愛らしい絆創膏だと思っている青年をよそに、親子は公園の中に進んでいく。そちらに視線を移すと青年が来ているものと同じ学校の制服を見に纏う一人の女性が立っていた。

 親子はその女子高生前に立つと何かを伝え頭を下げた。その行動に彼女は優しく笑いかける。そして子供と同じ目線になるようにしゃがみ込み少年お頭を撫でるのだった。

 女子高生の周りに置いてある物とさっき目に入った男の子の足に貼ってあった花柄の絆創膏でなんとなく今の状況に合点がいった。

 恐らく、怪我をしていた男の子の手当てを登校途中に見かけた彼女がしたのだろう。


「良い子だな」


 女子高生の優しさに関心をした青年は、話を終えたのか手を繋いでこちらに向かってくる親子の姿に気がつく。


「ありがとうございました」


 すれ違いざまに改めて感謝を伝えてきた女性に頭を下げ、子供に手を振る。親子の背中を見送る視界の端で、今度は少年に手当てをしていたであろう彼女が急ぎ足で近づいてくる。彼女は一度足を止めて青年の方を見て、


「君も急がないと遅刻しちゃいますよ」


 と、優しい印象を与える微笑みで親切にも青年に教えてくれる。しかし青年はその言葉を理解するより先に、彼女の浮かべた笑顔に意識を集中させられていた。それと同時に一つの思い出が頭をよぎる。

 そしてふと我に返り彼女が言っていたことを思い出して頭の中で反芻し、右腕に巻かれている腕時計を確認すると思ったより時間に余裕がなくなっていることに気がつく。


「あ、ほんとだ!教えてくれてありがとう!」


 急いで公園の端に止めてある自転車の方に向かった後、ポケットから鍵を取り出して鍵穴に差し込み、荷物を籠に入れ自転車を手押しして彼女のところに今一度戻る。


「ありがとう、君も気をつけてね」


 それだけ伝えてから自転車を目的地の方面に向けて漕ぎ始める。

 やはりなにか引っかかる。頭に浮かべたのは、男の子に笑いかける彼女の笑顔、そして自分に時間が危ういのを教えてくれた時のあの笑顔。あの優しくもどこか奥ゆかしい笑顔に青年は見覚えがあった。それは今では懐かしく思える頃の記憶。その記憶の中にいる、夏祭りで出会った少女となんとなく雰囲気が似ていたなと自転者を漕ぎながら青年ーー孝裕は、


「まさか‥‥」


昔の思い出を頭に浮かべつつ、新しい思い出の地となる場所へ向け、自転車を漕ぎ進めるのであった。

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