知らないリンゴ
権俵権助(ごんだわら ごんすけ)
知らないリンゴ
気が付くと男は砂浜に打ち上げられていた。記憶を辿り、昨晩乗っていた船が嵐で転覆したことを思い出した。起き上がって周囲を見渡すが人の気配はない。助かったのは自分だけだろうか。
幸いにも砂浜にはたくさんのリンゴの木が生えていた。……いや、こんな場所でリンゴが育つだろうか? 疑問に思ったが空腹には勝てない。一つもぎ取って食べてみるとリンゴの味がした。とにかく、これでしばらく食うには困らない。
「それにしても……ここはどこだ? 誰か人は住んでいないのか?」
海に背を向けると、目の前には巨大な岩壁が万里の長城の如く横たわり行く手を遮っていた。しかし近付いてみると、ところどころ色が剥げかかっていて、どうやら人工物らしいと分かった。壁面を手で探っていると、壁の一部が開いてトンネルが現れた。恐る恐る中に入ってみる。天井には一定間隔で裸電球がぶら下がっており、細い通路を弱々しく照らしていた。
真っ直ぐなトンネルをしばらく進むと出口の扉があった。力を込めて押し開くと、鬱蒼とした森へ出た。出てきたトンネルを振り返る。扉は外から見るとただの岩にしか見えなかった。誰かが意図的にカムフラージュしているように思えた。
また、歩く。
低く生い茂る尖った葉で脛を傷つけながら、太陽が傾く方向に向かって歩き続ける。次第に木漏れ日が橙色に変わり、体力も尽きかけたその時、視線の先にかすかな灯りが見えた。
(人がいる!)
男は最後の力を振り絞って走り、ついに村へと辿り着き……そして倒れた。
※ ※ ※
「……っ!」
目を覚まして最初に視界に入ったのは、迷惑そうな視線を向けてくる老人だった。狭い民家の中。どうやらこの老人に助けられたらしい。
「……今、この村は食糧不足でな。それぐらいしか出せんよ」
テーブルの上にパンが一切れ乗っただけの小皿が一枚。歩き疲れてすっかり腹の減っていた男はすぐさまそれにかぶりついた。と、その時。
「おじいちゃん、ただいまあ。お腹空いたなぁ」
小さな男の子が帰宅した。老人の孫だろうか。見慣れぬ男に気付いてペコリと頭を下げると、口に咥えたパンを見てゴクリと喉を鳴らした。男は罪悪感を覚えながらも、一度口にしたものを戻すわけにもいかず、気まずそうにそれを飲み込んだ。
……しかし、おかしい。
「あの……リンゴは食べないんですか?」
男の問いかけに老人は首を傾げた。
「何だ? リンゴってのは?」
「リンゴはリンゴですよ。ほら、岩のトンネルの向こう、砂浜にたくさんリンゴの木が生えているでしょう?」
すると老人の目つきが変わり、鋭く男を睨みつけた。そして男の子が不思議そうに男を見つめて尋ねた。
「りんご? それ、美味しいの?」
老人は今度は男の子を睨みつけた。
「……そんなもんは無い。いいから、お前はさっさと風呂を沸かしてこい」
はぁい、と男の子が外へ出ていくと、老人は男を脅すように低い声で言った。
「貴様、エルパの実のことは誰にも話すなよ」
エルパの実。なるほど、ここではリンゴのことをそう呼ぶらしい。
「しかし、あれを食べれば食糧問題は……」
「それは我々で解決する。よそ者が口をだすことじゃない。とにかく、この村でその実の話はタブーだ」
命の恩人にそこまで強く言われれば従うしかない。気まずく視線をそらすと壁にかけられた地図が目に入った。周囲を海に囲まれた小さな島に、村と港が一つずつ。あのリンゴのあった海岸は岩山で塗りつぶされ、存在を秘匿されていた。
「明日の昼には定期船が来る。それに乗って故郷へ帰ることだ」
そう言ったきり老人は黙ってしまった。
※ ※ ※
枕が変わると深くは眠れないものだ。深夜、男はかすかな物音に目を覚ました。
暗い部屋で目を凝らす。男の子は部屋の隅で小さな寝息を立てていたが……老人の姿が見えない。さっきの音は外から聞こえた。立ち上がり、扉の隙間からからそっと外を覗く。夜の闇でよく見えないが、数名の人影が動くのがわかった。連れ立ってどこかへ行くようだ。男は静かに外へ出ると、彼らに気付かれないように慎重に後をつけた。
人影は十人ほど。だんだん目が慣れてくると、その中にあの老人もいることがわかった。彼らがたどり着いたのは森の奥……あの、岩にカムフラージュされたトンネルだった。
(まさか……)
男の予感通り、連中は砂浜でリンゴを貪り食っていた。村の大人たちは子供に食べ物を与えず、自分たちだけで独占していたのだ。
(許せない……!)
男は静かに怒りを滾らせた。
※ ※ ※
「それじゃあ、ワシは仕事に行ってくる」
翌朝、老人が出ていくと、男はその姿が見えなくなるのを確認してから男の子に言った。
「腹、減ってるだろう?」
※ ※ ※
「うわあ! これ、食べてもいいの!?」
砂浜に茂るリンゴの木々を見て男の子は小躍りした。好きなだけ食べるといい、と男が言い終わる頃には既にひとつ目のリンゴにかぶりついていた。
「おいしい! すっごくおいしいよ! このリンゴっていうの! 初めて食べた!」
口の中をいっぱいにして笑う男の子を見ながら、男もリンゴを頬張った。人助けをして食べるリンゴはさらに美味しかった。
「……………………」
異変に気が付いたのは、男が2つ目のリンゴに手を伸ばそうとした時だった。ついさっきまで聞こえていた男の子の声が途絶えていた。見ると、彼はその場で仰向けに倒れて口から泡を吹いていた。
「お、おい! どうしたんだ!?」
声をかけても反応しない。白目をむいている。医師でなくとも明らかに危険な状態だとわかった。男は慌てて彼を背負い、暗いトンネルを必死で走った。
※ ※ ※
「誰か、誰か助けてください!」
男の叫びに村人たちの視線が一斉に集まった。真っ先に駆け寄ってきた老人が叫んだ。
「早く薬を!」
それからすぐに男の子は村の青年たちによって運び出された。
「い、一体……どうしてこんな……」
うろたえる男の頬を老人がピシャリとはたいた。
「なぜ食わせた」
「なぜって……あんたたちが食料を独占して子供に食べさせなかったから……!」
「それでエルパの実を食わせたのか」
「リンゴくらい食べさせて何が悪い!」
「エルパの実はリンゴとかいう果物ではない。それは貴様の行動を見れば明らかだ。なにしろ子供に食わせたのだからな」
老人の目には怒りの炎が灯っていた。
「エルパの実には毒素がある。大人であれば多少摂取しても問題はないが、子供のまだ小さな身体ではそれを分解することができない。だからワシらは子供から隠していたのだ」
男は言葉なく呆然とそれを聞いていた。
「ワシはリンゴではないと最初に言った。実のことは話すなとも言った。食料問題も自分たちで解決すると言った」
老人が背後を指差した。そこには港にやってきた定期船から食料を荷下ろしする村人の姿があった。
「それにも関わらず、無知な貴様は『これはリンゴに違いない』『子供に話しても問題ない』『このままでは食料問題は解決できない』と自らの小さな物差しだけで物事を測り、結果、子供を危険に晒したのだ!」
果たしてこんな場所でリンゴが育つものだろうかという違和感は初めからあった。だが男はその客観的な事実から目を逸らし、正義感を大義名分にして、自分に都合のいい情報だけを取捨選択したのだ。
男はその場に膝をつき、頭を地に擦りつけて詫びた。村人たちは彼を無視して帰っていった。男はうなだれて定期船に乗り込み、村を去った。
その後の人生において、彼が島での出来事を語ることは一度も無かった。
-おわり-
知らないリンゴ 権俵権助(ごんだわら ごんすけ) @GONDAWARA
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