失踪1
「で、できた……」
次の日が休みなのをいいことに、思いっきり徹夜をしてしまった。その結果、カーテンの隙間から陽の光が溢れる時間帯には、その漫画作品は出来上がっていた。
その夜は蓮ヶ原さんはこの部屋に訪れず、優斗も途中で抜けてしまったようだが、結局描くのは自分一人だから大した問題ではなかった。原稿が完成したというのに依頼してきた二人がいないのも、なんだか癪にさわるが。 大きく伸びをすれば、創作のプレッシャーから解き放たれた気がした。
なんていったって、月晶の作品の最後を表現するのだ。気合も十分だったが、プレッシャーも十分にあった。
自分の作品の良し悪しは分からない。評価は読者に委ねるのがセオリーだ。それでも自分が今まで行ったことのない景色に到達できた実感があった。最近はスランプ気味だったが、ようやく脱出できたのかもしれない。他人の創作に手出しをしないのが自分の暗黙のルールだったが、たまにはいいかなと思い始めていた。
それにしても、二人はついぞ姿を見せなかった。依頼してきたくせに薄情だ。それでも、この漫画を読んで二人がどんな反応をするのか楽しみだった。
置時計を見やれば時刻は朝の七時。朝食をとって一眠りしようと席を立った。
一階に下がれば、いつもの柔和な笑みを浮かべたハツエさんが朝食を用意してくれていた。白米にピンクの身を見せた焼鮭、きゅうりの浅漬けなどが並んでいる。今日の味噌汁の具はわかめらしい。漫画制作で体力を使った身からすれば贅沢すぎる朝食だ。ハツエさんに挨拶をすれば、「また徹夜しましたね」と軽くたしなめられるのだった。
「そうだ。美星さんを起こしてきてもらえる? そろそろビアンカさんのところに行かなきゃいけない時刻なのに、降りてこなくて……」
「蓮ヶ原さんが? 珍しいですね」
蓮ヶ原さんは自分が羨ましくなるほどの朝型体質だ。六時には起床しているし、場合によってはハツエさんより早く起きて朝食の支度をしている。昨日の夜も部屋に来なかったから、体調を崩しているのかもしれない。
ハツエさんに代わって蓮ヶ原さんの部屋を訪ねる。部屋のドアをノックしても返答がなかった。試しにドアノブを捻れば、鍵がかかっておらず扉が開いた。
「蓮ヶ原さん……?」
やけに胸騒ぎがした。二人分どころか、一人分の人の気配さえなかった。部屋の中はしんと静まり返っている。恐る恐る部屋の中へ入ると、カーテンが開けっ放しのままだった。
優斗どころか、蓮ヶ原さんの姿もなかった。
頭が真っ白になった。なぜ蓮ヶ原さんがいないのか、皆目検討もつかなかった。簡素なデスクの上にはパソコンがあり、スリープになっていた。試しにパソコンを立ち上げてみると、しばらくして画面が映し出された。そこには謎の文面が記されていた。
文章の様子から見ると日記のようだが、蓮ヶ原さんのものではなさそうだった。少し読んでみると、優斗の話があったことから月晶の日記であることはうかがい知れた。ということは、蓮ヶ原さんはこの日記を読んでからどこかへ行ってしまったのだろうか。最初に開かれていた文面を読んだが、蓮ヶ原さんが飛び出すようななにかが書かれているわけでもなかった。
確か、昨日の夕飯時にはいたはずだ。それから個々の部屋へ帰った。それ以降の動向はまったく知らない。震える手でベッドの毛布をめくりあげるが、案の定蓮ヶ原さんが寝ているわけがなかった。
から回る足で自分の部屋を確認したが、部屋を出るときは鍵を閉めているので開かなかった。空き部屋も確認しようとしたが、空き部屋の鍵は基本的にハツエさんが管理していて、俺たちでは開けられない。だから蓮ヶ原さんが空き部屋を使えるわけがなかった。一階に戻って洗面所や風呂場、トイレを覗いたがやはりそこにも人気(ひとけ)はない。心臓が忙しなく嫌な音を立てている。
「ハツエさん、ちょっとビアンカのとこ行ってきます。もしかしたらビアンカのところに泊まってるかもしれない」
ハツエさんの返事を待たず、慌てて靴を履いて碧ばら荘を飛び出す。駆け足でビアンカの屋敷に行ってインターホンを鳴らせば、しばらくしてネグリジェを着たままのビアンカが扉を半分だけ開けて顔を覗かせた。
「一体どうしたの。こんな朝から……」
「蓮ヶ原さん、お前のとこに泊まってないか?」
のんびりした態度のビアンカに苛立ち、急かして言えば、少女はこてんと首を傾げた。
「いえ、美星はいないけど……なにかあったの?」
「……蓮ヶ原さんの姿が見えない」
そう言えば、一気に泣きそうになってしまった。自分でも思っていた以上に動揺していたのかもしれない。みっともなく震えた声に嫌な顔一つせず、ビアンカは扉を開いた。
「どこにも……どこにもいないんだ。探したんだけど……」
「落ち着きなさい。とりあえず、今準備してそっちに向かうから、あなたも支度をして。ちゃんとご飯を食べなさい。顔色悪いわよ」
しっかりしたビアンカの指示に、頷くことしかできない。実際俺は徹夜明けで朝食を食べていなければまともに外に出られる服装をしているわけでもなかった。とりあえずこの場は別れることにして、各々支度をすませることにした。
ハツエさんのつくるご飯はおいしいのに、なんだか食べた気がしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます