ごみくず

「次はこれホールに持っていって!」

「はい!」

 宮内さんの指示に返事をして、調理場から出された料理を運んでいく。十八時前だというのに店内は既にお客様でいっぱいで、夜のシフトの従業員がまだ来ていないこともあり大慌てでまわしていた。

 僕がバイトとして勤めているこの料理店は、地元では結構人気がある。和食を主に扱っており、だしを使った優しい味が評判の店だった。店内は明るすぎず暗すぎず。煌々と燃える橙色の電球がレトロな空気を醸し出している。

 指定のテーブルまで料理を運び終われば、昼からお喋りに身を投じていた中年の女性たちが会計を済ませようとレジへ並ぶ。こんな時間までいるのなら夕食もすませてしまえばいいのに、と思いながら、忙しさに身を任せてレジについた。

 金額を受け取り、お釣りを渡すと、女性たちはレシート入れにレシートをいれて店を後にした。ふう、と一息つくと、ポニーテールの宮内さんがわざわざ確認してくる。

 宮内さんは同年代なのにしっかりしている。しかし少々気が強く、僕はあまり得意ではなかった。宮内さんはさっき女性たちが置いていったレシートを眺めていた。そして、少し眉を寄せて僕を睨んだ。

「ちょっと待って……あんた、さっき持ってた釣り銭、違わない?」

「え……?」

「さっきいくらお釣り渡した?」

 二百十円です、と答えれば、宮内さんは得意げに「やっぱり」と頷いた。

「さっきあんた、二百五円渡してたよ」

「えっ! 嘘!」

「嘘じゃないよ。今なら追いかければ間に合うから行ってきな」

 はい! と勢いよく返事をして、五円を手にして店から飛び出した。

ああ、ほら、まただ。またドジをした。僕はいつもそうだ。泣きそうになりながら女性の集団の背中を追いかける。なんとか声をかけて五円を受け取ってもらった。何度も頭を下げた。女性たちは「大丈夫ですよ」と言ってくれるが、とんでもない間違いだ。僕は震える手でぎゅっとスラックスを握った。

 泣きそうになりながらとぼとぼと店に帰ると、機嫌の悪そうな店長が調理場から顔を出して僕に告げた。

「時間だ。帰れ」

 僕の「お疲れ様でした」という小さい声は、みっともなく震えていた。



ホールを抜けた従業員の準備室の前で立ち止まると、小さく声が聞こえてくる。思わず耳をそばだてると、宮内さんと夜シフトの従業員が話していた。

「もー、あの子ほんとにありえないんだけど」

「本当、いつもドジばっかしてるもんねえ。男っぽい格好してるわりにとろとろしてるったらありゃしない」

「どうしたらあんな失敗できるわけ? 信じられない」

「そういえば知ってる? あの子、ここに面接受けてきたとき、男性の制服を着させてくださいって店長に頼んだらしいよ」

「意味わかんなすぎ。ほんと」

 ああ、もう、やだなあ。

 あの中に入っていくのは非常に勇気がいるのだが、入っていかないと碧ばら荘に帰れない。大きく息を吐いて、おずおずと扉を開けた。

「お、お疲れ様です……」

 そう言いながら入れば、二人の冷たい視線が突き刺さる。扉を閉めれば、宮内さんが眉を吊り上げて近づいてきた。

「ちょっと、蓮ヶ原さん。あんた、何回やればミスしないで済むの?」

「え、えと……」

 そんなこと言われても、僕だって分からない。深呼吸は忘れないようにしているし確認もしている。それでもどうしてもミスをしてしまう。反省しているのに何度もミスを重ねてしまい、どんどん身動きがとれなくなってくる。従業員やお客様に迷惑をかけることが息苦しくてならず、動きは更に愚鈍になって。そうやって大きな亀となった僕は誰にも認められず落ちこぼれになっていく。どうしたらいいんだろう。これ以上どうやって努力したら。周りの人に方法を聞いたりなんだりしているのに、それでもうまくいかなくて。努力不足だともがけばもがくほど足をとられ、沈んでいく。まるで底なし沼にいるようだった。

「す、すみません……」

 結局僕は謝ることしかできなくて深々と頭を下げた。

「謝罪が聞きたいわけじゃないのよこっちは。どうすればミスしないですむかって聞いてんの」

 そんなの僕だって知りたい。そう叫びたいが声にすることもできず、僕は立ちすくむしかなかった。黙って立っていると、宮内さんは大きく息を吐いて僕を睨む。

「あんた、むかつくんだけど。いっつもびくついててさ」

 周囲から見れば僕はびくついているように見えているのだろう。ただ、これは怯えている、というよりは萎縮している、が正しい答えなのかもしれない。うまく場に馴染めないために身体が萎縮してしまっている。それもこれも、自分がドジなせいだからだが。

 面と向かってむかつくと言われたら、どう反応するのが正解なのか。泣けばいいのか笑えばいいのか。混乱している頭ではそれすらも分からず、とりあえず僕は笑うことにした。

「はは……すみません」

 そう言えば、宮内さんは眉間に皺を寄せ、「もういい」と吐き捨てるのだった。

 やっぱり、また失敗してしまった。

 どうしたら人に嫌われずにすむんだろう。自分なりに、頑張っているつもりではあるのだけど。

 やはり、自分の努力が足りないせいなのか。

 いくら考えても堂々巡りで、先に光が見えてくることはなかった。

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