―80― 理屈

 今、僕の左半身はクローセルの力のうち30分1の力が巡っている。

 そのおかげで、天使の羽が生え、髪も長くなっている。

 この状態でも、十分力すぎるほどの力を使えるが、これで終わるつもりはない。


「――来たれ、序列第2位アグレアス」


 アグレアスを宿すのは70分の1に留めておく。

 クローセルの力を30分の1まで引き出せたのは、僕とクローセルの間に強い信頼関係があるからだろう。

 強い信頼関係がないのに、30分1も引きだそうとすると、恐らく意識を乗っ取られる魔人化の恐れがでてくる。

 なので、あえて70分1に留めておく。


 重要なのは、クローセルとアグレアスの二つの力を宿すこと。

 クローセルの水、アグレアスの土の魔術を同時に扱うことで、冷気を操る魔術へと昇華するからだ。


「――玲瓏たる雪原ネイブ・カンポ


 瞬間、辺り一帯が冷気によって支配された。

 上下左右、見渡す限りの領域が凍っている。指先一つ動かすだけで、あらゆる方角からは氷の槍が姿を表す。

 気がついたときには、無数の氷柱がマルコシアスを標的に定めていた。

 瞬きを3回した後――。

 幾多の氷柱がマルコシアスを貫くべく、一斉に射出されていた。


「ふっはっはっはっはっ、この程度で我を殺せると思うなよっ」


 圧倒的物量を前にして、マルコシアスは臆せず叫ぶ。


「全方位、多重結界!!」


 マルコシアスはあらゆる方向から襲いかかる氷柱から身を守るべく、360度隙間なく結界を展開していった。

 轟音と共に、氷の塵が舞い上がる。

 氷柱と結界が衝突した結果だろう。

 そのせいで、マルコシアスが無事なのかここからでは視認できない。





「はぁー、はぁー、はぁー、はぁー」


 マルコシアスは肩で息しながら、安堵していた。

 ギリギリだった。

 ほんの少しでも、人間の魔術の威力が高かったら、結界は破られ死んでいたに違いない。

 とはいえ、悪魔である以上、肉体的に死んでも本体である霊魂が残っていれば、なんとかなったりするわけだが、だからといって肉体的に死ねば、再び活動できるようになるまで悠久の時を待つ必要がある。

 とはいえ、そんな理屈はどうでもよかった。

 己の矜持が、敗北することを許さない。

 だから、全力で対峙した。

 そして、今こうして生き残っていることにマルコシアスは歓喜した。


「ふっはっはっはっ! どうだっ、貴様の最大火力の攻撃をこうして耐えてみせたぞ!」

「本当にすごいな。まさか、耐えるとは思わなかった」

「あぁ、そうだろ! もっと崇めたまえ! 我が結界は万物を跳ね返す性能を誇っているのだから!」


 大口を叩くも、内心は恐れていた。

 もし、さきほどと同じような攻撃を再び浴びることになったら、今度は耐えられそうにない。

 そうとわかっているのに、不遜な態度をやめられないのはマルコシアスの生まれもったサガのせいだ。

 しかし、待っていても人間が攻撃をするそぶりがみられない。


「おい、なぜ攻撃をしてこない? それとも、もう魔力切れか?」

「今度は、お前が攻撃してこい。神聖魔術は結界だけではないはずだ。それを僕に見せてみろ」

「あ――?」


 マルコシアスは一瞬、なにを言っているか理解不能だった。

 どんな理由があって、わざわざ攻撃されるのを待つのだろうか。

 まさか、手加減されているのか? この神の如き我が、たかが人間に――?


「調子にのるなよ! 人間風情がッ!!」


 激高したマルコシアスは叫ぶと同時に術式を展開した。


「光の矢によって、塵となれッ!!」


 幾重ものの光を帯びた矢が放たれる。

 光の矢は軌道をある程度コントロールできるため、直線ではなく曲線を描くように放つ。

 人間は、氷の盾を用いて防ごうとするが、光の矢の破壊力により粉砕される。


「ふっはっはっはっ! いけるっ! いけるぞっ!」


 マルコシアスは押し切れると判断した。

 この攻撃を続けていれば、いずれは人間を仕留めることができる。ゆえに、高笑いした。

 それからは一方的な戦いが始まる。

 マルコシアスが光の矢を放ち、人間がひたすら防衛する。


 グサッ、とマルコシアスの矢が人間の肩に直撃する。

 肩から血飛沫が舞うのが見えた。


「思い知ったか、人間! 我が攻撃をもってすれば、貴様如き粉砕することなど容易なのだ!」

「……だいたいわかった」

「あん?」

「だけど、いくつかパーツが足りない」


 人間がなにを口にしているか、よくわからなかった。

 だが、なんだろう? 心の底から沸き上がるこのおぞましい感情は。

 あぁ、あの人間の目のせいだ。

 まるで、全てを見透かしているようなあの目。

 あの目のせいで、さっきから不愉快が収まらない!

 ならば、一刻も早くあの人間を撃ち抜こう。


「死ねぇッッッッ!!!!」


 全身全霊の魔力を込めて、光の矢の生成を始めようとした、そのとき――。


「マルコシアス、お前の力を僕によこせ」

「――は?」


 瞬間、全身から魔力が吸い取られる。

 吸われた魔力は、あの人間の元へと集まっていくではないか。


「おい、なにがどうなっている!?」


 わけがわからない。

 一体、どんな理屈があれば、こんな理不尽なことが起こるというのだ。


「やめろッ! やめるんだっ! これ以上、我が魔力を吸い上げるなッ!!」


 喚き叫んだところで、それは無力に等しい。


「なるほど、お前の神聖魔術はこういうことわりの上で成り立っているのか」


 そう言って、人間は結界を展開し、さらに光の矢を生成していく。

 これは、紛うことなき自分の神聖魔術だ。

 たった今、自分のプライドに等しい神聖魔術を、いとも簡単に他人に再現されことに気がつく。


「実に便利だな、神聖魔術」

「返せ、返せ、返せッ! 我が、魔術を返せッ!」


 慟哭し、目の前の人間を打ち倒そうと動こうとするが、時はすでに遅かった。


「――動くな」


 たったそれだけの単語で、マルコシアスの動きは封じられる。


「く、そ、が……っ」


 全く動けない。

 その瞬間、ある予感が頭の中をよぎる。

 自分が相手していた人間は、想像していたよりも何十倍も巨大な存在だったんじゃないのか、という。

 圧倒的な敗北感が胸の中をこみ上げてきた。

 悔しさで歯ぎしりが抑えられない中、最後に残った理性が、この人間に、聞かなきゃいけないことがある、と語りかけてきた。


「に、人間、き、貴様は、一体何者なんだ……?」


 そう尋ねると、人間は不思議そうな顔をして、こう口にするのだった。


「ノーマン、それが僕の名前だ。そして、僕はお前のあるじだ、と最初に言ったと思うけど……」


 あぁ、そういうことだったのか……。

 これは最初から勝ち目のない戦いだったのだ。


 なぜなら、悪魔は主人に逆らえない。


 それがこの世界の理屈だからだ。


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