―78― 聖戦
「それで、神聖魔術を覚えたいんだけど」
帰宅後、クローセルとフォカロルを前にして、僕はそう尋ねていた。
ちなみに、オロバスは一人買い物の用事を行かせてある。
「神聖魔術ですか……」
と、クローセルが口にした。
「うん、クローセルなんかは元天使だし詳しいかなって思ったんだけど」
「そうですねー。知識としてはちろんありますけど、天使としての力は堕天した瞬間に失っています。だから、申し訳ないですが、わたしは神聖魔術を使えないんです」
「これだから堕天使は」
フォカロルが失笑した。
「むぅっ、わたしには水の女神の力があるのでそれでいいんです」
負けじとクローセルが反論してくる。
「じゃあ、他の堕天使も同じく神聖魔術は使えない感じか」
「はい、ヴァラクちゃんも使えないと思いますよー」
「って、考えると悪魔から神聖魔術を習うのは難しいか」
うーん、神聖魔術を覚えたかったんだが、これは諦めるしかないのかも。
「いえ、一体だけ神聖魔術が使える悪魔はいますよ」
「それは、本当か!」
フォカロルの言葉に僕は思わず声を張る。
悪魔なのに、神聖魔術が使える存在。
その悪魔に教えてもらえば、僕でも神聖魔術が使えるようになるかもしれない。
「ええ、名前は確か――」
「あ、あれは、召喚しないほうがいいと思いますよ!」
クローセルが遮るようにそう主張した。
過去、その悪魔となにかあったのか苦虫を潰すような顔をしている。
「確かに、あれはクローセルのように面倒な性格をしていますね」
「わたしは面倒ではないと思いますが」
「いえ、十分面倒かと」
「むぅ」
「そんなことより、神聖魔術が使える悪魔について教えてほしいんだけど」
このまま放っておくと喧嘩を始めそうなので、話を戻すよう誘導する。
「序列第35位マルコシアスでございます」
マルコシアスか。一体どんな悪魔なんだろうか。
「それで、どう面倒な性格をしているの?」
「そうですね、まず、非常に攻撃的です」
「顔を合わせるだけで襲いかかってくるんですよね、あの人」
「ええ、そのうえ神を相当憎んでいるようです」
「なのに、天使に戻りたいとか言うんですよ」
「それはクローセル、あなたもでしょう」
「少し前はそうでしたけど、今はそんなこと思っていないです! むしろ、悪魔のままがいいです」
「確かに、面倒なのは伝わったけど、僕としてはそれでも召喚したいんだけど」
「そうですね。ご主人様なら大丈夫かと思いますが、念の為警戒はしたほうがよろしいかと」
「わかった。ありがとう」
と、話もまとまったことだし、恒例の誰が退去するか問題に移ることになるんだけど。
「ノーマン様ぁ、今回、私が退去してもいいですかー?」
珍しく、クローセル自ら退去を申し出た。
「えっと、別にかまわないけど、なんで?」
「マルコシアスと顔を合わせたくないんですよね……」
と、クローセルは目をそらしながらそう言う。
なるほど、過去マルコシアスとなにかあったのだろう。同じ堕天使だし、関わりも深かったのかもしれない。
「わかった。そういうことなら、クローセルを退去させて、マルコシアスを召喚しようか」
話もまとまったことだし、早速行動に移す。
クローセルを退去させたうえで、マルコシアスの召喚の呪文を詠唱をする。
「――我は汝をノーマンの名において厳重に命ずる。汝は疾風の如く現れ、魔法陣の中に姿を見せよ。世界のいずこからでもここに来て、我が尋ねる事全てに理性的な答えで返せ。そして平和的に見える姿で遅れることなく現れ、我が願いを現実のものとせよ。我は汝を召喚する。万物が従う方、その名を聞けば4大精霊はいずれも転覆し、風は震え、海は走り去り、火は消え去り、大地は揺すぶられ、天空と地上と地獄の霊すべてが震える我の何おいて、命ずる。来たれ――第35位、マルコシアス!」
すると、魔法陣が光りだし、人影が現れた。
堕天使だという情報は正しく、天使のような翼が見える。
「ふはははははっ、どうやら地上に召喚されたようだな!!」
現れたのは、翼をもった長髪の男。
中性的な顔立ちをしているせいか、一見女性だと勘違いしそうな見た目だ。
「まさに、神に反撃する好機! いざ、ゆかん!」
そう言うと、同時に両翼を羽ばたかせて、上空へと旅立ってしまった。
その風圧で、髪の毛が逆立つ。
「えぇ……」
これには唖然だ。
まさか、僕の存在を気に留めないとは。
「追いかけないわけにはいかないよな」
空を見上げながら、そう言う。
「申し訳ありません。止められたらよかったのですが」
フォカロルが頭を下げていた。
「仕方がないよ。あんなの予想できるわけがない」
とはいえ、放っておくわけにはいかない。
「フォカロルって、一応空を飛べたよね」
「飛べないことはないですが……恥ずかしながら、上手に飛ぶのが難しいので、私では追いつくのは難しいかと」
フォカロルの背中にはガーゴイルの羽がある。フォカロルが言うには、ガーゴイルからむしって自分に取り付けたらしいが。
だから、自分本来の羽ではないので、うまく扱うことができないのだろう。
「そうか」
「申し訳ございません」
「いや、いいんだ。僕、一人で行くよ」
空を飛ぶ悪魔の力に心当たりはある。
僕なら、問題なく追いつけるはずだ。
「――来たれ、序列第59位オリアクス」
そう行って、右半身にオリアクスの力を宿した。
オリアクスの力は占星術。
占星術とは星の力を操る魔術であり、代表的なのが反発と引き寄せの2つ。
それゆえに、地面と僕自身を反発させれば、空を飛べるというわけだ。
◆
「ふっはっはっはっ! 後少し、後少しで、我が願望が叶うぞ!」
マルコシアスは空へ高く高く飛んでいた。
神のいる天界へ行くには、ただ上に行くだけでなく、次元の壁を超える必要もある。
そのためには、音速以上のスピードをもって空へ飛ぶ必要がある。
だから、ひたすらに加速していた。
「――とまれ」
ふと、声を聞こえた。
瞬間、全身にブレーキがかかる。足掻こうと思えば、足掻くことができそうだ。
しかし、全身に重りのようなものがのしかかっているような感覚のせいで、スピードをあげるのが難しい。
これでは、天界に行くのは不可能だ。
「誰だ! 我が聖戦を邪魔しようとするものは!」
マルコシアスは振り返って激高する。
これから自分がなそうとするのはまさに聖戦だ。ゆえに、誰にも邪魔する権利などない。
「ノーマン。お前を召喚した主人だよ」
「なんだと?」
召喚? あぁ、なるほど。召喚されたから、自分は魔界から地上に来ることができたのか。
地上にでられた喜びのせいで、そんなことさえ失念していた。
「ふんっ、たとえ我を召喚したものであろうと、我をとめる権利は――」
最後まで言い切ることができなかった。
な、何者なんだ、こいつは――!?
目の前にいたのは一見、普通の人間だ。
宙に浮いている点を除けばだが。
とはいえ、高度な魔術を使えば、人間でも空を飛べることができるだろうし、その点はさほどおかしくはない。
マルコシアスが気圧された理由はただ一つ。
これが、人間が放つ邪気なのか……!?
魂やその魂から漏れる魔力は、その人ごとに性質が異なる。
そして、マルコシアスほどの悪魔であれば、その魂の性質を見抜くことができた。
目の前の人間の魂の性質は、まさに邪気のごとくどす黒い。
人間の魂とは思えない。まるで、魔王のそれだ。
魔王。太古、あらゆる悪魔を従えた者につけられた王の称号。目の前の人間は、その魔王を思い出させる。
「どうした? なにか言ったらどうだ?」
人間の放つ言葉。それを聞くだけで、自分の魂がすり減っていくような感覚。
相対しているだけでも恐怖が襲いかかってくる。
だが――
「ふん、たとえ我を召喚した主であろうと、聖戦をとめる権利はない」
マルコシアスはその恐怖に打ち勝った。
「聖戦?」
「あぁ、我と神の間に行われる聖戦だ」
「よくわからないけど、そんなことより、僕にお前の魔術を教えてほしいんだけど」
「ふっ、なにを言い出すかといえば。そのような戯言で、我が聖戦を邪魔をするというならば、排除いたすぞ」
「……まいったな」
と、人間は困った顔をする。
その姿を見て、マルコシアスはある得心をした。
「あぁ、なるほど。これは神から我に与えられた試練か」
「……は?」
「よかろう。これが試練というならば、受けて立とうではないか」
「えっと、なにを言っているんだ?」
「我が神に挑むには、貴様に打ち勝つ必要があるのだというならば、受けて立とうではないか」
そう言って、マルコシアスは戦う準備を始めた。
「まぁ、戦って従わせるのが一番わかりやすくていいかもな」
と言って、人間はかすかにほほえんだ。
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