―62― 頼み
すでに、日は落ち始めていた。
この時間に、また玄関から訪ねてミナグロスさんに会うのは難しいだろう。
なら、明日まで待てばいいのかもしれないが、できれば今日中に済ませたいと思っていた。
というのも、明日にするとなれば、この町で泊まる必要があるが、宿泊費なんて持ち合わせていないからだ。
「マスター、ミナグロス婦人は確かに、あの部屋におりました」
「部屋の中に、他の人はいなかった?」
「部屋の中はミナグロス婦人ただ一人であります」
悪魔は霊の状態のとき、普通の人には見ることができない。
だから、こういうときに便利だ。
オロバスに霊の状態で、偵察にいかせたのだ。
「よしっ、それじゃ、行こうか」
これから、なにをするつもりかというと不法侵入だ。
ミナグロスさんの部屋は運がいいことに一階にあるし、侵入はそう難しくないはず。
高い塀が並んでいる門はフォカロルの羽を使って、飛んでもらい僕を運んでもらう。
そして、窓には鍵がかかっていたが、霊の状態でオロバスが先にはいり、中で実体化した上で、窓を中から開けてもらう。
突然、部屋の中でオロバスが現れたことで、驚かれることを懸念したが、運が良いことに寝ていたようなので、気が付かれることはなかった。
無事、中からオロバスが窓を開けたので部屋の中に入ることができる。
それに、フォカロルとオリアクスが続いた。
さて、ここからどうすべきか? と思った矢先――。
オリアクスが一歩前に進み出た。
まさか、ミナグロスさんを殺すつもりじゃ!? そう思い、オロバスとフォカロスに目配せをする。
二人には、もしオリアクスが殺そうとした場合には、とめるよう事前にお願いしていた。
だから、真っ先にオロバスがオリアクスに飛びかかろうとして――。
すんでのところで、動きをとめた。
どうも様子がおかしかった。
「お久しぶりであります。ミナグロス殿」
オリアクスはミナグロスさんに対して、頭を下げていた。
その行動は、相手に対し敬意を払っているかのようで、殺したい相手にする態度には見えなかった。
「あぁ、その気配はオリアクスだね」
ふと、ミナグロスさんは目を開けていた。
「はい、あの約束を果たすために参上致しました」
「そうかい……」
ミナグロスさんは感慨深そうに頷く。
「なんで、もっと早く来てくれなかったんだ? こっちは60年も待たされたよ」
「申し訳ありません。私の不徳のいたすばかりに」
「まぁ、いい。こうして約束を果たしに来てくれたんだ。それじゃあ、早速だが――」
と、そこでミナグロスさんは一度言葉を区切ってから、次にこう口にした。
「私をお前の手で殺してくれ」
と。
え? 一瞬、彼女が口にした言葉の意味がわからなかった。
それは、僕だけではなかったようで、フォカロルもオロバスも呆然とした表情を浮かべていた。
「はっ、ただちに」
ただ、オリアクスは自然な流れで、ミナグロスさんのお願いを聞き入れようとしている。
「ありがとう」
それを、ミナグロスさんは感謝で受け止めている。
とめるべきなんじゃないだろうか?
そういう考えが一瞬頭をよぎったが、行動には移せない。
なにが正しくて、なにが正しくないのか。
そもそも真実がなんなのかさえ、僕はよくわからない。
結局なにもできずにいた僕は、ただ立ち止まっていた。
その間、オリアクスはミナグロスさんにただ寄り添っているように見えて、なにかをしているように見えない。
それから幾ばくかの静寂な時が部屋の中を流れていった。
そして、ふとした契機に、オリアクスは僕のところにやってきて、丁寧にお辞儀をする。
「ノーマン殿、わたくしの手前勝手な願いを聞き入れていいだき、心より感謝を申し上げます」
「ミナグロスさんは……?」
「はっ、もうすでにお亡くなりになられております」
その言葉を、僕はどういう感情で受け入れるべきなのか、わからなかった。
そもそも本当にミナグロスさんが亡くなったのか、ここからではよくわからない。
ただ、オリアクスの言う通り、ミナグロスさんが亡くなったのだとすれば、それはとても静かな死だったように思える。
いつ、どのタイミングで死んだのか、オリアクス以外には誰にもさとられずに彼女は死んだのだ。
恐らく、朝になって使用人がこの部屋に訪ねたときに、ミナグロスさんの死が発覚するのだろう。
「ご主人様……」
ふと、フォカロルが不安そうな目で呼びかけてくる。
「僕は大丈夫だから。誰にもバレないうちに、早くここを去ろうか」
そう言って、僕は屋敷を後にした。
◆
それから、馬車を使って、僕の家まで戻った。
馬車の中には、僕とオロバス、フォカロル、オリアクスと四人もいたが、誰も一言もしゃべることはなかった。
結局、今回の話の真相はなんだったのだろうか。
そんなことばかり、僕は考えていた。
オリアクスに直接問いかければ、答えてくれるのかもしれないが、それはできなかった。
ミナグロスさんとオリアクスの間には、確かに固い絆のようなものがあった。その中に、安易に踏み入ってはいけない。そんな気がした。
オリアクスが自分の口から発すれば、もちろん耳を傾けるつもりではいたが、彼は一切口を開こうとしなかった。
それに、本当にオリアクスがミナグロスさんを殺したかどうかさえ疑問だ。
僕の目には、オリアクスがなにかしているようには見えなかった。
だから、ミナグロスさんが老衰で亡くなって、たまたまその瞬間にオリアクスが居座っていたとしてもそう不思議ではない。
なぜ、彼女は悪魔に殺してくれ、と頼んだだろうか?
その真相は
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