乙女ゲームの悪女な下剋上ヒロインに転生したけど、人生無理ゲーすぎて成り上がれる気がしない

しーの

第1話

 回廊をそぞろ歩く若い男女の笑い声がした。

「クソッ! リア充どもめ!」

 あまりの忌々しさに思わず呟いてしまったが、奴らに見つかっても面倒くさいことになるのは分かりきっているので、今いる場所から出ていく気には絶対になれない。

「ヤニが欲しい……」

 無理だとは承知していても、欲しいものは欲しい。

 たとえ、この身体で喫煙したことが生まれてこの方ただの一度たりともなくて、この時代この場所で手に入れるのが不可能だとしてもだ。

 おれは学習用の蝋板ろうばんを伸ばした膝の上に置き、樹々の間から差し込む光に目を細めた。

「タブレットはタブレットでも蝋板かよ……えらい違いだな、おい」

 アナログここに極まれり、だ。

 もちろん一時的なメモであれば十分事足りるし、何度も繰り返して使えるので、書き綴りの練習や計算には必須の学習アイテムだ。尖筆とセットになった二連綴じの書字版ディプティックは、古代から続く伝統あるエコなノートである。これはこれで便利。

 しかし、しかしである。

 進みすぎた科学は、もはや魔法と変わらないという某SF作家の名言通り、人類の科学の叡智が凝集した魔法の薄い石板を知る身としては、正直言ってショボすぎてツラい。

 異世界転生もの、ましてやゲーム世界ともなれば、魔法の一つでも使えてスペックチートの俺tueeeじゃねーの? ねえ?

 そう。おれには前世の記憶がある。

 21世紀の日本で生きていたアラフォー男の記憶が。そして、その記憶によると、この世界は乙女ゲームの舞台であるらしい……。

 Oh! My God!! クソッタレ! 会ったこともねーけどな!

 本当に神様って奴がいて、おれの目の前に現れたとしたら、絶対に中指おっ立てて罵声を浴びせる自信がある。男神おとこだろうが女神おんなだろうが関係ねェ。ボコボコにしてやる。ジェンダー? 何ソレ? おれは平等主義者なんだよ。けっ。



 ところで、何だっておれみたいな前世アラフォー男が、この世界が乙女ゲームの世界だと知ってるかと言えば、一時期けっこう仲間内でも流行ったからだ。

『黄昏と暁月の千年帝國』

 やたら顔のいい攻略対象目当てのお嬢さん方だけでなく、暑苦しい兄ちゃんやおっさんが雁首揃えてプレイする乙女ゲームとして有名だった。

 何しろ恋愛要素なんて付け足しも付け足し、中身はガッチガチの戦争シュミレーションアドベンチャーRPGだ。魔法なんて都合のいい代物は一切ないハードモードなやつ。

 どうやら舞台設定は中世のビザンツ帝国をモデルにしたらしく、シナリオはじつに血生臭い宮廷陰謀劇と戦争劇がメイン。エロがないにも関わらずR18だった主な理由は、バイオレンスなシーンが滅多やたらと多いからとかいう唖然としたものだった。

 おれの守備範囲ではなかったため、実際にプレイするまでにはいたらなかったが、実況動画くらい見たことはある。いいトシした兄ちゃんが真剣な顔で、キラキラスマイルの攻略対象のいる画面に向かっているのは、めちゃくちゃシュールな絵面だった。

 まあ、そのいいトシした兄ちゃんは、おれの大学の後輩だったんだが。

 シュールさを強調していたのは、キラッキラの攻略対象の周囲が妙にリアルな虐殺場面だったりしていたせいもある。……本当に乙女ゲームなんだよな、コレ?

 攻略対象は全部で8人。

 主な舞台である《千年帝國》の皇帝マグヌス・コンスタンティノスの一子にして共同統治者たる副帝ユリアヌス・コンスタンティノス。

 コンスタンティノス家の政敵マウリキオス家の後継者レオンティオス。

 帝国の頭脳が集う《学院》で常に首席を譲らぬ秀才ヨハネス・アンゲロス。

 帝国辺境属州の出身、しかも剣奴であったが、その才を見込まれゲオルギウス家に迎え入れられたアルトリウス。

 元老院議員として将来を嘱望される英才、大司教フィラレトスの甥であるルーカス・セルギオス。

 ここまでは学院編で出てくるメイン攻略対象の男たち。いずれも帝位請求権を持つ家の人間だ。こいつらに加えて、戦争編から出てくるのが3人。

 北方王国の王子にして海賊、帝国皇帝の近衛隊員ヴァリャーギであるエイリーク。

 聖王の衣鉢を継ぐ広大な領土を支配する草原の覇者、宿敵として鎬を削る東方遊牧帝国の帝王セリム。

 西方の半島王国を統べていた一族の生き残りで、傭兵団長として戦場を渡り歩くロベール。

 と、まあ乙女ゲームらしく何とも豪勢な面子だ。ヒロインは元踊り子という底辺の立場だが、優秀さを見出されて学院に通ううちに、こいつらと恋愛ゲームを繰り広げ、社会的にも成り上がっていく。

 ヒロイン側から見ると典型的なシンデレラストーリーだが、攻略対象側から見ると一族郎党や国家の存亡を賭けた歴としたサバイバルゲームだ。

 このあたり元祖のゲーム本編の性格がモロに出ちゃっている。誰得なんだよと実況動画を見た時にも思ったものだ。

 ところで、重ねて言うが『黄昏と暁月の千年帝國』は、おれの守備範囲ではない。別に乙女ゲームだからというわけでもなくて、単に背景となる舞台設定の時代モデルがテリトリー外なのだ。

 中世なのはいい。しかし、しかしだ……中世は中世でもおれの守備範囲は日本史なんだよっ! いざ鎌倉っ! はなのもとにて春しなむ! つれづれなるままに!

 ビ、ビザンツ帝国なんてわかるわけねーだろーがよぉぉぉ……‼︎

 ハードル高すぎて、思い出した時にはガチ泣きしたわ。いやマジで。

 だが、まぁ、ゲームはゲームだ。実際の話、この現実が記憶にあるゲームとまったく同じなのかというと甚だ疑問だ。元になったゲーム自体がナラティヴ系のTRPGなので、おおよその流れは同じなのだろうが、最悪舞台設定だけが一緒ということもあり得る。

 何という無理ゲー。

 そして、このゲーム舞台設定的に逆ハーは不可能な仕様で、多くのお姉さん方は公式からのすげない回答に涙を呑んで諦めたらしい。

 というのも前提として《千年帝國》は国教として一神教を採用しており、教義として明確に一夫一妻を謳っているからだ。

 この点については共和制の昔、もっと言えばその前の王制の時代から変わらない。離婚は余程でなければ認められず、またどちらかが死別してからの再婚でも明確に回数制限が規定されている。こうした社会では一夫多妻も一妻多夫も習慣的に馴染まぬらしい。多神教である東方や南方の多くと同様に、一神教とはいえ宗派の違う西方などは実質一夫多妻制なので、教義のせいというよりも社会的習俗の違いだろう。

 ただ、離婚は無理だが、その前段階の婚約関係ならば、政略的な都合での婚約解消はわりとよくあることらしい。

 おかげでメイン攻略対象5人のうち3人には婚約者がおり、普通なら彼女らに悪役令嬢の役が振られているはずだが、どういうわけだか三者全員があまり出てこない。特に大本命であるユリアヌス皇子の婚約者であるアンナ・アレクシア皇女なんかは、ほぼ名前しか出てこない挙句にいつの間にか亡くなっていたりした。じつにキナくさい話だ。

 残る2人の攻略対象レオンティオスやアルトリウスの婚約者も似たような扱いで、いつの間にか婚約を解消して他家に嫁いでいたり、病気で亡くなっていたりする。

 実況動画を見ていた時には、ふーんと流していられた情報だが、いざ現実となると不穏すぎてドン引きするレベルだ。そりゃもう脳内でレッドアラートがけたたましい音を立てて点滅するぐらいには。

 特に。

 ユリアヌス・コンスタンティノス。

 このゲームにおける大本命とされるメイン中のメイン。神絵師の気合の入ったキャラデザだけあって、若干フェロモン過多な堕天使系魔王な見た目の青年なのだが、こいつが大本命の攻略対象のくせして、ほぼ全ルートに渡る仇敵や妨害役なのだ。初っ端から出ずっぱりフルスロットルのラスボスです。ありがとうございます。

 要するに学院編の初期でこいつのルートに入れなければ、ヒロインは最終的に対立する陣営に放り込まれる。他の攻略対象を誑し込んで、そいつらを帝位に就けるべく暗躍し、時には帝国の敵対勢力と手を組むという……あの、本当に乙女ゲームなの? ねえ?

 当然のようにこいつの攻略難易度は最高レベル。ぶっちゃけ最難関攻略キャラだ。意味がわからねえ。

 ただ、こうして現実となってみると、作中ではいろいろと端折られていた事情や歴史がわかってくる。

 レオンティオス・マウリキオスが属するマウリキオス一族は、反皇帝派の筆頭で元から仲はよくなかったらしいが、その仲が決定的に決裂したのは先々帝ヘラクレイオスの謀殺にかの一族の人間が関与していたことだ。

 現皇帝マグヌスはヘラクレイオス帝の盟友でもあり、その彼が帝都から離れて東方帝国と干戈を交えていた隙の事態だったという。知らせを受けたマグヌス帝は文字通り怒髪天を突き、取り急ぎ敵将と休戦協定を結んだ後、配下の軍団兵を引き連れて帝都に帰還した。

 古参の軍団兵の間では今でも語り種になるくらいの強行軍で、めちゃくちゃ驚異的な速度だったようだ。豊臣秀吉かよ。

 帝都の混乱ぶりは、それはそれはひどいものだった。と、当時を知る人は皆口を揃えて証言する。一触即発といった空気の中、泥沼の内戦まで一直線かと思われた矢先、一気に事態が急変して驚くべき短期間での収束を見た。

 何でも宮殿に拘束されていた現皇后エイレーネの機転により、当時七歳であったユリアヌスが三歳の皇女アンナ・アレクシアを連れ、幽閉先から脱出して父親の陣営に駆け込んだことが契機となったらしい。スゲエな、皇子様。チートにも程があるわ。

 結果、軍団兵らの圧倒的な支持を得て、マグヌス帝が推戴されることに。日和っていた元老院もこれを承認した。一時的に帝位に就いていたアンドロニコスは、騒乱の最中に配下の兵士によって殺された。

 犯人は見つかっておらず、ここでもマウリキオス家の関与が疑われているが、証拠らしい証拠も見つからなかったために、かの一族は今でも堂々と大貴族然として帝都の空の下を歩いている。

 ……これで仲良くしろってのに無理がある。うん、無理。



 なんで一介の転生者にすぎないおれが、こんなことまで知っているのかというと養父から教えられたからだ。

 親戚の叔父ということになっているが、おれの養父は宮殿で皇帝に侍従として仕える宦官だ。最初はおれも驚いた。

 え、宦官ているの?とマジでブルってしまったのはいい思い出である。

 考えてみれば元いた世界でも、それこそ古代メソポタミアの時代からいたらしいので、特殊ではあるが珍しい存在というわけでもない。むしろ後宮があるのに宦官がいない日本の宮廷の方が例外枠だと聞いたことがある。

 《千年帝國》は明らかにビザンツ帝国を模しているが、古代ローマから地続きだったのがビザンツだったように、《古代帝國》から歴史と領土を受け継いだのが《千年帝國》だ。その強烈な自負は凄まじい。

 基本的に帝国民は西方の王国群を成り上がりの蛮族として下に見ている。このあたり辺境の属州出身で卑賤の身でも皇帝になれる国で、一見矛盾しているように見えるが要は帝国市民であるかどうかだ。明らかに帝国文明の恩恵に与っている分際で、対等に振る舞おうなどおこがましいという意識なのだろう。

 帝国主義といえば、じつに帝国主義。

 もっとも、古くからの仇敵、東方の遊牧帝国の扱いはまた異なるんだけどな。

 で、孤児のおれが養父に引き取られたのは、旅芸人の一座で見習いをしていた時、たまたま彼の目に止まったからだ。やたらと鷹揚でおっとりとした容貌のわりに、ひどく抜け目ない所のある養父の教育のおかげで、こうしてクソウゼェ上司に付き合って《学院》に通う羽目になっている。

 はー、やれやれだぜ。

 持参していた水筒から煮冷水を飲んでいると、問題のウザい上司に見つかった。

 げっ! こっちに来る! 近づいてくんじゃねえよ、おい!

「よぉ、ここにいたのか」

 相変わらず目に優しくないご尊顔だな、この皇子サマはよぉ。

 やさぐれた内心を押し隠しつつ、おれはできるだけ穏やかに見えるよう微笑みを浮かべて立ち上がった。

「これは皇子、いかがなさいましたか?」

 一礼するおれに向かって、問題の上司は爽やかに笑った。うへェ、清涼飲料水のCMみたいだ。ウザい。どっか遠くで黄色い声がする。ウザい。

 おれのテンションは駄々下がりだ。

 顔のいい男になんぞ、用はねえ。どっか行っちまえ。どうせなら地獄に行け。

「なぁーにが、いかがなさいましたか、だ」

 瞬間、頭に衝撃が走る。

 い、痛ェェッッ‼︎

「何しやがる! このクソ上司!」

 この男、こともあろうに、おれにデコピン喰らわせやがった。

「オメェ、オレの舎弟のくせに、どこ行ってんだよ。堂々とサボりかァ、あァン?」

 頭一つ半以上背の高いガタイのいい青年に見下ろされるのは、半端なく威圧感を感じるというものだが、これでも長い付き合いなのでもう慣れた。それに一応こいつも手加減はしている。でなけりゃ軽く脳震盪を起こしているところだ。

「うるせぇ。おれの貴重な休憩時間を邪魔すんじゃねえよ」

 このパワハラ上司め。

「阿呆。オメェがいないと、周囲に訳のわからん女どもが群がってくる。ヤツらの対処はお前の役目だ」

「聞いてませんけど」

「察しろ」

 無茶いうなよ、おい。

「副官殿じゃいかんのですか?」

 ユリアヌス皇子の背後に無言で佇んでいた青年に話を振った。攻略対象である皇子ほどではないが、こいつはこいつで無駄に顔が良い。イケメン滅べ。

「自分は口下手でして……」

 高◯健みたいなコト言ってんじゃねえ!

 もの凄くイラっとさせられる。少しは自分達で対処しようとは思わないのか。

「ヨハネスにそんな真似ができるわけないだろう」

 当然のように言われ、素直に頷いてんじゃねえよ。少しは努力しろ、少しは。

 思わず半眼になって面の皮の厚い主従を睨みつける。

「副官なら身を挺して皇子をお守りすべきでは?」

「それはオメェの役目だ」

「辞退します」

「拒否権なんざねェ」

 どいつもこいつも!

 顔が良いからって、すべて許されるとか思うなよ!

 ……って、乙女ゲームの世界だった……イケメンは正義、もといイケメンが正義……くっ!

 世界の不条理を噛みしめていると、やたら涼やかな甘いイケボがおれの名を呼んだ。

「アントニア」

「何です、副官殿」

「気を鎮めるには甘いものを食べると良い」

 そう言って、上司その2から干しいちじくを差し出された。

 このひと、おれに食いもん与えたら何とかなると思ってやしねえか?

「食べないのか?」

「……いただきますけどね」

 前世と違って甘味は貴重だ。この世界この時代で、砂糖は未だ一般的ではない。庶民では手が届かないし、蜂蜜だって高価なものだ。良くてせいぜい葡萄や棗椰子を煮詰めた汁くらいである。ドライフルーツだって、けっこうお高い代物なのだ。

「食べないと大きくなれないぞ」

「おれ、もう成長期終わってますよ」

 何たって今のおれの性別は女だ。すでに第二次すら終わって久しい。これ以上身長は伸びないだろうし、筋肉をつけるにしても限界がある。

 そう。

 おれが転生したのは『黄昏と暁月の千年帝國』のゲームヒロインだったのだ。

 いや、もう、ホント。マジで勘弁してくれよ。

 悪女な下克上ヒロインなんて、社畜が身についた四十男にゃできるわけねぇだろ。逆立ちどころか生まれ変わっても無理だわ。無理、ムリ、無理。

「トニアは身長より胸を成長させないといかんだろ」

 さらっとセクハラ発言かますなよ、クソ上司。んなこったからエイレーネさまからアンナさまへの面会許可が降りねえんだ。

 なぁーにが「アンナさまに相応しい男にオレはなる!」だ。ふざけてんじゃねェぞ、このヤロウ。

 おれはささやかな嫌がらせに、皇后陛下への報告を決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

乙女ゲームの悪女な下剋上ヒロインに転生したけど、人生無理ゲーすぎて成り上がれる気がしない しーの @fujimineizm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ