第7話 勝利の歓喜と甘い蜜

 勝った!

 こんな巨大な熊の魔獣に、俺は勝ったんだ!


 いや、もちろん狩るつもりではいたから勝つのは想定していたんだけど、もっとこう……罠を仕掛けたり、不意打ちしたり、弱らせてからチクチク削るつもりだったから、こんな真正面からやりあって勝てるとは正直、思っていなかった!


 それにしてもスゴいな、この蟲脳のうりょく

 反復練習が直ぐに体に反映されるようになったり、身体能力の上昇率がやたら上がったり、奥の手の『限定解除』だったり!

 一介の高校生が、漫画知識で身に付けたうろ覚え拳法でヒグマやグリズリー以上の怪物を仕止められるんだから、かなりのチート能力と言えるんじゃなかろうか?

 この調子で鍛えていったら、金髪で髪が逆立つ某戦闘民族みたいになってしまうかもしれん。

 フフフ……オラ、ワクワクしてきたぞ!


 あー、これで魔法が使えたら完璧だったのになぁ。

 元の世界に魔法が無かったせいで、「魔法を使う」という感覚や、使用する「魔力」の概念がいまいち理解できなかったために、いわゆる攻撃魔法だとか回復魔法だとかの便利な力を、俺は使えない。

 だが、それを差し引いてもやっぱり反則気味だよな。

 俺なんかに、こんなヤバい力を授けるなんて……サンキュー神様!


 まぁ、最初は蟲とか嫌悪感で死にそうになったが、「住めば都」というか、「朱に交われば赤くなる」というか……人間、その場の環境には慣れるもんだよなぁ。

 それに、この能力を持ったまま元の世界に戻れたら、スポーツ関係やらで大活躍できるんじゃない?

 一躍、ヒーローじゃない?

 うーん、俄然ヤル気が湧いてきたぞ!


 明るい将来を見据え、そんな皮算用に胸をときめかせていると、再び頭の中で「カチン」と鍵がかかるような音を聞いた気がした。

 そして、次の瞬間!


「ぐぁぁぁっ、ごぉぉぉぉぉっ……っっ!!」

 突然、全身に激しい痛みが走った!

 あらゆる筋肉が千切れるような痛みと、骨という骨が軋むような痛み!

 筋が、腱が、とにかく爪先から脳天まで、満遍なく痛い!


 すいません!調子に乗ってました!


 誰にとは言わず、ひたすら謝罪してしまうような痛みに、身動きもとれずに立ち尽くす!

 端から見たら、滑稽なくらいプルプルと小刻みに震えてる変な人に見えた事だろう。

 そんな激痛の中で、俺はイスコットさん達から限定解除のリスクとして、スゴい筋肉痛になると聞いていた事を思い出していた。

 ……うん、筋肉痛という響きで軽く見てました。

 つーか、死ぬ!マジで死んでしまうわ、こんなの……!


 そんな激痛と戦っていた俺の鼻に、ふわりと蠱惑的な甘い香りが届く。

 俺はハッとして、香りが流れてくる洞窟の方に、ギシギシと痛む首を曲げて視線を向けた。


 そうだ、あんな四腕熊みたいな化け物と真正面から殺りあう事になった、本能を刺激するこの香りのせいだった!

 とにかく、正体を確かめなければならない!

 俺は油の切れたブリキの人形のように、痛む体に鞭打ってフラフラと洞窟の内部に歩を進めた……。


「な、なんだこれ……」

 さほど深くもないその洞穴は、すぐ行き止まりになってはいたが、最奥は広い空間になっていた。

 だが、俺の目を引いたのは、その空間の壁!

 まばゆく、輝いているような黄金の壁が、そこには広がっていた!

 現実離れした光景に、しばし茫然としていたが、俺はふとあることに気付く。


「これ、金……じゃなくて、蜂蜜か?」

 キラキラと輝く壁からは、所々トロリとした粘液状の蜜が流れ出している。

 そして、そこから俺と四腕熊を魅了した、あの甘い香りが漂って来ていた。


 うう、たまらん!

 だが、よく見れば蜜の滴る壁のあちこちに、アリっぽいような、ハチっぽいような虫がうろちょろしている。

 警戒はしたものの、いざ香りの元を目の前にすると、もう我慢ができず壁……いや壁を覆っている蜂蜜らしき物に手を伸ばす。

 蜜まであと数センチ……そこでアリハチもどきが一匹、近付いてきた。

 思わず伸ばした手を止めるが、アリハチもどきは俺の事など気にも止めずに、仕事があるからと言わんばかりに去っていく。

 あれ?侵入者の俺に、興味なし?


 まぁ、それならそれで。

 これ幸いとばかりに、蜜の塊の一部をむしり取る。

 一見すると金の塊か、金色の枯木の欠片っぽいそれは以外にも軽く、柔らかい。

 そして、手にしているそれからは、質量が有るんじゃないかと錯覚するほど、濃密な香りが溢れだしていた。

 もやは我慢がならず、俺は勢いよく蜜の塊に食らいつく!


 ………………………ハッ!

 一瞬、意識が飛んだ!

 気がつけば、口にしたハズの蜜は口内に残っていない!

 なんだ、これ……。

 少し混乱するも、口や鼻に残る余韻は、思わずにやけてしまうほどに、素晴らしい。

 今度はしっかり味わうために、もう一度、蜜を口に含んだ……。


「………………………………甘いっ!」

 甘い!美味い!甘い!美味い!

 我ながら残念なボキャブラリーだが、この二つの単語が駆け巡り、俺は夢中で壁から剥がした蜜の塊にかぶりつく!


 蜜蝋のようなそれは、クッキーのようにサクッとした軽い歯触りで、噛むたびに心地よい甘みと、爽やかな香りが鼻腔を抜けていく。

 さらに、ある程度細かく噛み砕かれると、それは唾液に溶けて口から零れるほどのジュースに変わった!

 口内に溢れる、複雑かつ芳醇な甘さのそれを舌でたっぷりと味わい、ゴクゴクと喉を鳴らして飲み込めば、体の内側から染み入るように全身に溶け込んでいくのが感じられた!


 花の蜜の甘味、果物の甘味、砂糖の甘味。

 洋菓子の様な、和菓子の様な……とにかく俺の知る、ありとあらゆる甘味が混然を層を成し、それでいてサラリとした爽やかさな香りと余韻だけを残して消えていく。


 舌を、喉を、鼻を、内臓を、そして全身を歓喜させるこの蜜塊を俺は夢中で貪り、ひたすら口内に収めていった。


 ……気がついた時、俺はぼんやりと床に座り込んでいた。

 涙が流れる程の多幸感に包まれ、立ち上がる気力も今は沸かない。

 飽食の現代日本にいた頃だって、こんな美味い物は食べたことはない。

 いや、今まで食べたことがある甘味は何だったのだろう。

 まさに、次元の違う美味さだった。


 「はぁー……」

 幸せなため息が零れる。

 これは是非、イスコットさんやマーシリーケさんに、お土産として持ち帰らなければ!

 俺は獲物を狩るために装備していたナイフで蜜の塊を切り取ると、同じく獲物の一部を持ち帰る時に使う大きな風呂敷に包み込む。

 ん?そういえば、作業中に気づいたことだが、全身から痛みが消えている。

 それどころか、疲労や怪我まで回復しているんじゃないか?

 これも、この蜜の効果なんだろうか。

 甘いものは、疲労回復にいいっていうもんな……。

 そんな事を考えながら、俺は壁を削り蜜を集めていった。


 そうして、やっと洞窟から出た俺は、課題だった四腕熊の体を引きずり、袋に詰め込んだ蜜を持って拠点への帰路につく。

 これだけの美味さなら、すぐに他の魔獣なんかが集まってくるかもしれんし、また近いうちに蜜を取りに来ようっと。


 さぁて、待っててくださいよ、マーシリーケさん!

 試験完了の証と手土産を持って、俺が戻りますからね!


        ◆◆◆


 一成が激闘を終えて、この場を去ってからしばらくして……。


 ブゥンブゥンと、激しく羽音を響かせて、五十センチはあろうかという何十匹もの蜂の様な蟲が、洞窟付近に集まっていた。

 そいつらは、何者かが洞窟に侵入したことを察して、情報を伝達すべくガチガチと口を鳴らす。

 その内容は、蟲達以外には理解できない暗号のような物だ。

 だが、そこに込められた明確な殺意は、禍々しい雰囲気を伴って周囲に発せられていった。

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