第5話 最終試験

 美人教官との、危険な個人レッスン。

 そんな響きを期待しながら、始めた訓練だったけど……結果から言おう。


 スタートから一週間ほどで、俺は力のコントロールをほぼ、完璧にマスターした。

 しかし、それとは引き換えに、心に大きな傷跡も残していた。


 まぁ、その原因について簡潔に言えば、マーシリーケさんの特訓がヤバすぎったって事なんだがな!

 はっきり言って、何度死にかけたかわからない!

 いや、実際に二度ほど心肺停止までいった!


 対人訓練はまだしも、野性動物モンスターを素手で狩れとか、全ての障害物を乗り越えて道なき道を走破せよ(遭難しても知らん)とか、素人の俺に対して容赦が無さすぎる!

 何度か死ぬって訴えたけど、あの人は笑顔で「大丈夫、大丈夫」と繰り返し、更なる試練を盛ってくるのだ!

 ほんと、いま生きてる事が奇跡に近い気がする。


 何度か逃げたいとも思ったのだが、至近距離で暴れ回る胸を観賞できる格闘訓練や、体が密着する関節技の訓練が、俺のモチベーションを保ってくれた。

 このラッキースケベが無かったら、たぶん俺はとっくにリタイアしていただろう……げに恐ろしきは、思春期の性欲なり。


 それにしても、この蟲脳になってから変な分泌物でも出ているのかってくらいに、基礎体力がどんどん上昇していく。

 元の世界にいた頃と比べ、肉体はすでに二回りくらい逞しくなった気がするし、以前はビビリまくっていた、狩った獲物の解体もすんなりできるくらいには身も心も強くなったと思う。


 元の世界にいた頃とは比べ物にならないくらいに鍛えられた、そんな自分が怖いやら頼もしいやら……。

 ちなみに、影でこっそり「くっ、俺はもう人間じゃないのか……」って感じで、一人で苦悩するヒーローごっこをしていたのは秘密である。


 そういえば、鬼教官のマーシリーケさんに誉められることもあった。

 それは組手の時、元の世界で読んでいたとある漫画に出ていた拳法の技を使ってみた時の事。

 まぁ、いわゆるフェイント技だが、ちゃんとモノにすれば実践でも運用できそうだねと言って貰えた。

 それから俺は、体力作りの基礎トレーニングと共に、脳内の漫画知識をフル活用して、うろ覚えな技を必殺技にまで昇華させるべく自主トレーニングなんかもしながら、技を磨たりもしていた。

 なんか、剣と魔法の世界で素手で戦うのって格好よくない?というのが、主な理由ではあるが。


 そうして、準備は着々とすんでい行き、作戦開始まであと一週間となったある日の事。


         ◆


 ── 俺はその日、単独で拠点から離れた森の中を走っていた。

 マーシリーケさんからの最終試験、「指定された魔獣を狩ってみよう!」をクリアするために、獲物を探しているのだ。


「それじゃあ、この中から選んでもらうよー。好きなスタート地点を選んでね」

 最終試験のお題を告げた後、マーシリーケさんが差し出したのは、ゴール地点を隠してあり、いくつかの縦線と横線が書いてある一枚の紙。

 いわゆるアミダくじってやつだが、他の世界にもあるんだ……なんて、ちょっと驚いた。


 まぁ、それはさておき、ここは慎重にスタート地点を選ばねば。

 この人の事だ、どうせ危険で獰猛な獲物しかチョイスしてないだろうが、少しでもマシなターゲットに当たりたい。

 困った時の神頼み、この世界にいるのか知らないけど、頼むぜ神様!


「……ここでお願いします!」

 スタート地点を選ぶと、鼻歌混じりで線の上をなぞっていくマーシリーケさんの指を見つめる。

 やがて、隠されたゴール地点の一つにたどり着いた。


「さぁ、選ばれた獲物は……おお、『四腕熊(よつうでくま)』!いいの引いたねー」

 陽気なマーシリーケさんの声に、俺は盛大に噴き出した。


 四腕熊は、この辺で上位に数えられる強力な魔獣だ。

 性格は獰猛でずる賢く、数メートルはある巨体と、文字通り四本ある前足で獲物を狩る恐ろしく強い熊である。

 以前、たまたま訓練中に遭遇し、危うく殺される所だったのは、俺のトラウマの一つとして心に刻まれていた。

 三国志で例えれば、張飛レベルのヤバイ奴。

 だが、それを一人で狩って来いとおっしゃるマーシリーケさんが、一番恐ろしい魔獣に見える。


 ここは助けを求めるべく、後ろでやり取りを聞いていたイスコットさんにチラリと視線を送るが……。

「四腕熊を狩りに行くのか、今作ってる防具の素材にちょうどいいから助かるよ」

 助け船は、影も形も見えなかった。

 いや、そりゃあ、あんたらは普通に狩った事があるかもしれんけど、あんなヤバイ奴を試験の獲物に選ぶか普通?

 ……そうでした、この人達は普通じゃないんでした。


「あ、とりあえず……はい、武器はこれね」

 そう言って、マーシリーケさんは一本の大振りなナイフを手渡してきた。

 ……ナイフ一本で四腕熊を狩れっての?

 バカじゃないの?


「期限は三日。失敗したら、作戦決行日まで私がみっっ……ちり鍛えてあげるから、頑張ってね」

 問答無用と言った感じの、血も凍るようなサディスティックな笑みを浮かべて、マーシリーケさんは俺を送り出してくれた。

 ありがたくて、涙が止まらないよ、こんちくしょう!


 ──そんな訳で、俺は獲物を求めて森の中をさ迷っているのである。

 熊狩りもヤバイが、マーシリーケさんの本気の訓練はさらにヤバイ!

 今でさえ拷問に近いのに、さらに過酷になったら、俺、死んじゃう!

 そう、これは生き延びる為の試練!

 そして、作戦時に荷物運び要員の役目を果たすために、必要な試練なんだ!

 ……最早、ヤケクソになった俺は獲物を求めて泣きながら加速した。


 それから、丸一日経った頃。

 ……いた。

 木陰から様子を窺う俺の視線の先に、一匹の巨大な四腕熊がノシノシと歩いていた。

 うーん、かなりデカイ……。

 本来ならスルーして、別のもっと小さめの個体を探したい所だが、拠点まで戻る時間を計算するとコイツを狩るしかない……。

 となると、最初の不意打ちが肝心だ。

 慎重に慎重を重ねて、確実に決めねば……。


 俺はしばらく四腕熊の隙をうかがうべく尾行していたが、何か様子がおかしい事に気がついた。

 なんと言うか……警戒心が薄いというか、注意力散漫というか?

 ズンズン進んでいく奴は、普段なら餌にしているであろう獣が近くに潜んでいても目もくれない。

 まるで、目的地以外は眼中にないといった感じで、ひたすら進む奴に違和感を感じ、そして興味が湧いた。

 とりあえず、その目的地を確かめる為に距離を保って着いていく。


「……ん?」

 つい、声が漏れ、慌てて口を塞ぐ!

 とりあえず、気づかれてはいないようでなにより。

 ホッとして、思わず声が漏れた原因をもう一度、確認する。

 ……甘い。妙に甘い香りが、四腕熊の向かう方向から漂ってきている。

 嗅いでいるだけで涎が溢れてくような、刺激的な甘い香りに注意力が削がれそうになるのを押さえつつ、尾行を続ける。


 やがて木々が途切れ、少し開けた場所に出た。

 その先には、大きな洞穴があり、四腕熊の目的地がそこなんだと知れる。

 何故なら、さっきから脳が痺れるような甘い芳香が、その洞穴から漂ってきているからだ。


 ヤバイ!

 気配を消すのを忘れそうになるほど、強烈なの香りだ!

 この世界に来てから甘味に飢えてた事もあり、暴力的な甘い香りに、溢れる涎が止まらない!

 本能と理性がせめぎ合い、俺は気配が漏れるのを隠しきれなくなっていた。

 焦りはしたものの、さいわい四腕熊の方もこの香りに夢中のようで、俺の事など気づきもしない。

 だが……。


 ああ、なに考えてるんだ俺は。

 不意打ちを決めようとしていたハズなのに、なぜか俺は木陰から飛び出し、四腕熊と洞窟の間に陣取っていた!

 そこで初めて俺に気付いたらしい四腕熊は、牙を剥いて唸り声を上げる!

 洞窟から漂ってきている、香りの元が奴の目的なのだろうが、それを邪魔しようとしているような俺に対して、怒りで完全な臨戦体勢だ。


 だが、本能が、肉体が、そして脳代わりになっている蟲が、洞窟内の何かを求めいる!

 他の奴に渡すなと、叫んでいるのだ!


 邪魔されて、怒りの頂点に達しているであろう四腕熊であろうがなんだろうが、洞窟の中にある甘い何かは渡さない!

 あれ・・は俺の物だ!

 俺の獲物を奪おうするなら、ぶち殺してやる!


 目的がすり変わっているいることにも気付かず、俺と四腕熊は殺意のこもった雄叫びを上げて激突した!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る