第4話 蟲脳

 ハァ、ハァ、ハァ……。


 呼吸が荒くなり、まともに息ができない。

 イスコットさんやマーシリーケさんが、何か声をかけてきているのだが、意味が理解できないくらい俺は混乱していた。


 脳みその代わりに、頭に蟲が詰まってる?

 じゃあ、今こうして思考しているは何なんだ?


 ああ、なるほど。

 イスコットさんがある意味、一度死んだって言ってたのはこういう事か。

 確かに、脳を乗っ取られたなら、前の人格は死んだも当然だ。

 さらに呼吸が荒くなり、いよいよ酸欠で目の前が暗くなってくる。

 ちくしょう……目が覚めたら、夢であってくれ……。


「っ!?」

 酸欠で意識を失いかけた俺だったが、その視界が突然、明るくなる!

 それと同時に、呼吸も整い始め、急速に意識がクリアになっていった!

 暴れていた心臓の鼓動も、ほどなく平常のリズムを取り戻し、自分でも不可解なほどに落ち着きをとりもどしていく。


 ……なんだ、これ?


 いやいや、おかしいだろ!?

 なんで、ついさっきまで気絶しかけるくらい混乱してたのに、今こんなに落ち着いた気分になってるんだ?

 自分でも訳もわからず首を傾げていると、イスコットさん達が再び声をかけてくる。


「大丈夫か、カズナリ?」

「え、あ、はい……」

 心配そうな表情の彼等に対し、心境の高低が激しすぎて呆然としていた俺は、つい間の抜けた返事をしてしまった。


「まぁ、ショックだったってのは解るわ。私達も、最初はそうだったしね」

 マーシリーケさんが、うんうんと頷いて俺の肩を叩く。

「だけど、あくまで脳という器官が変化しただけと割りきれば、かなりのメリットがあるんだよ」

「メリット?」

 俺は、つい問い返す。

 寄生虫みたいな物に、大事な器官を乗っ取られて得られる、そのメリットって一体……?


「イスコット、説明よろしくー!」

 豪快にイスコットさんに説明役をぶん投ると、マーシリーケさんはそそくさと引っ込んだ。

 慣れているのか、その様子にやれやれと呟きながらも、彼は説明役を買ってくれる。


「まぁ、突然の事で混乱してるだろうし、辛いとは思う。けど、蟲のエサになるよりは良かったよね」

 それ、メリットですか!

 確かに、死ぬよりはマシかも知れませんけど、下手すりゃいっそ、何もわからず死んだ方が良かったかもしれないでしょう!?


 ……うう、思えば夢想してた異世界に呼ばれたってのに、ロクな事がない。

 初キスかと思ったら相手はスライムだったし、勇者かなにかに選ばれるのかと思ったら生け贄だし……。

 これがラノベかなんかなら、詐欺もいいところじゃないか。


「さて、ここからが本題だ。しっかり聞いてくれ」

 項垂れる俺に、イスコットさんが話を振ってきた。

 え?

 さっきの、生きてて良かったがメリットじゃないの?


「この蟲脳は、実は色々な恩恵をもたらす。例えば言語。いま、カズナリには僕らの話す言葉が何語に聞こえている?」

 何語もなにも、普通に日本語に……と、ここまで来てハッとした。

 そうだよ、イスコットさんやマーシリーケさんは俺とは別の世界から召喚されたんだ、なんで日本語で会話が成立してるんだ?


「ちなみに僕には、君達の言葉が故郷のイヨハーケの言語に聞こえる。マーシリーケ、君はどうだい?」

「私には、ラッティカン語に聞こえるよー」

 それがどこの言語なのかは知らないけど、どうやらそれぞれの故郷に合わせた言語でやり取りできてるらしい。

「つまりだね、この頭の中の蟲脳は、僕達が言葉や文字を理解できるよう、自動翻訳してくれているって事なんだよ」

 マジか!? すげえな蟲!


「他にも、記憶力のアップに身体能力の向上。それに、感覚神経の上昇なんかもあるかな。あとは……時間制限アリだけど、限界まで肉体のスペックを引き出す事もできる」

 なるほど、つまり「火事場の馬鹿力」を任意に使えるって事か……。

 それに、肉体の能力が上昇やら、記憶力のアップやら地味に重要な能力じゃないか!

 右も左もわからないこんな世界では、最終的には自身の能力がものを言う。

 そんな現状なればこそ、この能力はありがたい……。


「精神的な原因で、身心に不調をきたした時の回復とかなんかもあるわね。さっきのカズナリみうに、ショック症状に陥っても、すぐに冷静さを取り戻せたりするよ」

 そうか、それでさっき気絶しかけてたのに、回復したのか。

 冷静な判断力は、ぎりぎりの所で必要となるだろう。

 それが自動的に保たれるなら、これもありがたい話だ。


 そうして、イスコットさんの話を聞き終えて、結論から言うと……とんでもねえな、蟲!

 寄生先にそんなにメリットばっかり与えて、お前は大丈夫なのかって気分だ!

 数々のメリットを聞いた後だと、先程の嫌悪感もどこへやら、蟲脳も悪くないと思えてくるから不思議というかなんというか。


 我ながら現金な物だと思うが、こんな風に考えてしまうのも蟲の仕業だろうか?

 そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎったが……止めよう。

 そんな事は、いくら考えてもきりがない。

 いつまでも思考のループにハマってたら、厳しい異世界では命取りだろう。

 割りきればいいんだ、割りきれば。

 ちょっと豪快ですんごい、寄生虫ダイエットの究極版だとでも思う事にしよう。


「まぁ、これで解って貰えたと思うけど、悪いことばかりじゃない。それどころか、元の世界に戻るまで生き延びるには必要不可欠だ」

「元の世界!……戻れるんですか!」

 聞き捨てならない事をさらりと言ってのけたイスコットさんは「可能性の話になるが……」と、前降りしてから、その計画について語り始めた。


「僕らがこの世界に召喚されたのは、召喚した人物がいるからだ。なら、シンプルにその人物を押さえればいい」

 確かにシンプルな作戦だ。

 むしろ、根本的過ぎて見逃すレベルかもしれない。

「僕がこの世界に召喚されたのは、約二年前。それから今まで、周辺地域の情報収集や調査をしてきた。これを見てくれ」

 そう言って、イスコットさんが拡げたのは一枚の地図。

 おそらく自分で作成したのだろう、手書きのその地図にはこの拠点を中心に、近隣の村の位置や主要な街道へ繋がる小道などが記されていた。


「僕らの目標はこの村だ」

 イスコットさんが指差したのは拠点から一番離れた村。

 いくつかの森を抜け、隣国との国境となる山岳地帯のふもとあたりに位置する村だった。


「この村は、近隣から『妙薬の村』と呼ばれていてね。この村の秘伝の薬は、王都からも買い付けに来るほど優れた物らしい。で、その薬の原材料がとある蟲の分泌液なんだそうだ」

 イスコットさんはトントンと自分の頭を指で叩いてみせた。

 あー、なるほど。

 多分、その蟲ってのが俺達の頭の中にいるそれなのか……。

 つまり、その薬の原材料となる蟲の苗床として、わざわざ異世界から人間を召喚してたと……。

 面倒くさい上に、ふざけた真似をしやがって……。


 つーか、何だって縁もゆかりもない人間を誘拐じみたマネまでして生け贄とかにしてるのかね!

 自分等の世界の問題なら、自分等の世界でなんとかしろよ!

 しかも、「世界を救って」とかじゃなく「生け贄よろしく」って、殺る気まんまんじゃねーか!


「やってやりましょう、イスコットさん!その召喚師、一発殴らないと気がすみませんよ!」

 全くもって腹立たしい!

 いや、決してラノベ主人公みたいな境遇なのに、冒険の日々とは無縁の境遇になってるからじゃなくて!


「まぁ、カズナリの怒りも最もだ。だけど、『生け贄の召喚』なんてマネをするんだから、何か事情があるかもしれない。それに、僕らが元の世界に還れる可能性を大きくしたいなら、あまり乱暴な手段はとりたくない」

 むぅ……いい人だな、イスコットさんは。


「まぁ、イスコットの後半の主張には賛成するけどさ、私としてはこんなふざけた真似をする連中は、事情なんか関係なく、半殺しくらいにはしてやりたいわね」

 デンジャラスだな、マーシリーケさん……せっかくの美人なのに、こわ……。


「とにかく、この作戦を成功させるには、最低でも三人は必要だったから、カズナリのお陰でやっと実行に移せるよ」

 えっ、俺がそんなに重要なポジションなの?

「場合によっては、召喚師だけでも拐わなきゃいけない。運搬係がいないと、スムーズにいかないからね」

 ですよねー。そんな重要ポジなわけないですよねー。


 でも、俺にそんな人を運ぶような力仕事が勤まるだろうか……。

 この蟲脳は俺の力を引き出すらしいけど、いまのところ、そんな実感は感じられない……。

 すると、不安そうな俺に、イスコットさんが励ますように俺の肩に手を置いた。


「安心してくれ、カズナリ。君が力をコントロール出来るように、マーシリーケが特訓してくれる」

 マーシリーケさんが……?

 そちらへ顔を向けると、マーシリーケさんは、はにかむ様な笑みを浮かべて俺を見つめる。


「私の特訓は、厳しいよ?付いてこれる?」

 眼鏡の奥から、上目使いで問いかけてくるマーシリーケさん。

 これはアレか!?

 美人教官との、いけないマンツーマンレッスンのスタートなのか!?

 俺の年齢では開くことのできなかった、大人の階段登った世界が始まるのか、そうなんだなっ!

「ねぇ……本当に大丈夫?」

「もちろんですとも!」

 囁くように再び尋ねられ、俺は満面の笑みをもって頷いてみせた!


「作戦決行は二週間後の、月の無い夜。それまで頑張って……死なないようにね……」

「ん?イスコットさん、何か言いました?」

「いや、なんでも……」

 美人教官とのあれやこれやを妄想して浮かれていた俺は、イスコットさんの小さな呟きに思いを馳せる余裕はなかった。

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