第10話:難しい選択

事故から1ヶ月後、琴子は意識が戻って容態が安定してきた。しかし、彼女が話すことは「学校に行きたい」というだけで、事故当時の記憶がなく、「なんで病院にいるの?」と事故のことを覚えていなかった。


 看護師さんは「琴子さん、今日からリハビリですね。少しずつリハビリやっていきましょう。」と彼女を勇気づける言葉をかけたが、リハビリ中も受験のことや学校の友達のことが頭から離れなかった。


 そして、彼女はリハビリが行われるリハビリ室に向かったが、足に力が入らず、手すりにつかまっても歩けなくなっていた。そこで、車椅子で向かうことにした。


 リハビリ室に着いて、先生が迎えに来てくれたが、彼女は恥ずかしくて下を向いていた。


 その日は足などのマッサージをして彼女が“どの程度立てるのか”、“どの程度歩けるのか”、“日常動作はどうなのか?”を担当する木下先生がチェックしていた。


 そして、彼女の状態を確認したのち担当の看護師さんに「彼女は歩くことは出来ても、完全に歩けるようになるには半年以上掛かると思う。」と告げた。


 この話を聞いた看護師さんは「実は琴子さんは今年高校受験を控えていて、来月が受験なので、学校関係者の方と受験に関して協議していかないと間に合わないと思うのですが・・・」と申し訳なさそうに先生に伝えると「確かに、受験に影響が出るのは確実だから学校関係者と彼女の受験する志望校などと協議していかないと間に合わないね。」と伝えると、先生の口から「近日中にお母さんって呼べるかな・・・?」とどっちとも取れるような言葉が聞こえてきた。


 なぜなら、担当医の先生は“琴子に受験をして欲しい”と思った反面、以前の出来事を思い出してしまった。それは、3年前に車にはねられて頭を強打して、両腕を骨折してしまい、受験を1度諦めた子がいたのだ。その子の名前は倉田優菜といって事故に遭うまでは中学校で毎年成績優秀者の最優秀生徒に選ばれるほど頭が良く、当時の彼女に近隣の有名私立から特待生スカウトがいくつも届くほど注目されていた。しかし、受験の2ヶ月前に登校途中に信号無視の普通車にはねられて両腕骨折と両足打撲の全治3ヶ月以上の大けがをしたことで受験が出来なくなると思ったのだ。もちろん、特待生スカウトとは言っても無条件入学ではなく、試験などで選抜試験をする事になっていたため、試験を受けないと入学できないのだ。


 そのため、彼女は今年受験を諦めて、来年もう1度受験するか、今年受験する為になんとか他の方法を選択できないか?などいろいろと頭の中で考えていた。


 その時も病院の担当医と学校側の進路指導部長、当時彼女にオファーを出した5校の試験担当者などと協議をして、その中の2校が試験日変更を申し出てくれたため、何とか彼女は高校に行けるという望みは繋がったが、彼女はどこか難しい表情でその決定を聞いていた。担当医の先生は最初彼女がなぜあれほど難しい表情で聞いていたのかが分からなかった。


 後日、一時外出を病院が認めて試験を受けに行った。しかし、その日の夜に異変が起きる。その日は試験が終わり、彼女はゆっくり寝られると思っていた。ただ、帰ってきてから頭痛やめまいが止まらなくなり、そのまま意識がなくなった。その時、隣で入院しているいつも話をしていた同年代の女の子が「あれ?優菜ちゃん?しっかりして!」と言ってナースコールを押した。


 ナースコールを受けた看護師さんたちがすぐに駆けつけると、彼女のベッドのカーテンが閉められて、緊急治療が始まった。


 治療が始まって2時間後、優菜ちゃんとの境にあるカーテンが開き、振り返ると彼女のベッドは無くなっていた。


 そして、翌朝になり、再び病室に戻ってきた彼女のベッド横にはたくさんの点滴などが吊られていた。


この時、彼女は「優菜ちゃん、意識が戻って良かった」と思っていた。しかし、彼女は一向にベッドから起き上がっているようには見えない。1日3回ある回診でも彼女の所に担当医の先生がきても動かない。


 すると、向かいのベッドに入院している女性から「あの子は調子がかなり悪いみたいね。私は「最近は容態も安定しているから大丈夫かな・・・」と思っていたのだけど、今回はかなり心配している。」と言っていた。


 実はこの方も1ヶ月前に追突事故を起こされて頸椎捻挫と胸部打撲を負っていて、やっと意識が戻って車椅子で動けるようになったばかりの人だった。


 そして、彼女は志望校に何とか合格はしたが、入学を保留することになった。


 なぜなら、彼女は事故の時に負ったケガによる軽度の脳内出血を起こしていて、そのまま意識が無くなってしまっていた。


 そのため、仮に入学できたとしても容態が安定するまで3ヶ月以上掛かるといわれていたこともあり、入学を辞退するか、補講を受けて進捗に影響しない方法を模索するかで両親は悩んでいた。


 その理由として、彼女が中学校3年間1度も弱音を吐かずに志望校合格に向けて文武両道をしてここまでやってきたことを評価しないといけないし、彼女には“医師になりたい”という夢があった。そのため、先生と同じ夢を持った未来ある子供を失いたくないという気持ちが心の中に同居していたのだ。


 優菜の手術は無事に終わり、後遺症も残らずに退院することは出来たが、先生の中ではかなり不安が募っていたのは事実だろう。なぜなら、彼女の入学に必要な書類の提出期限前日でかつお金は両親が振り込んでいて、学校側にも相談をしていたと言うが、先生としては「無事に入学出来るのか?」という一抹の不安が心の中で渦巻いていた。結果として、彼女は無事に志望校に入学し、現在は難関国立大学の医学部に合格して今年から医学生として学びを始めるという先生にとっては嬉しすぎる吉報だった。


 この時の優菜も琴子と同じ中学3年生で、先生はその時の優菜の姿と琴子の姿が重なってしまったのだろう。


琴子は容態こそ安定していても負傷した箇所は優菜よりも重傷で、優菜は頭を強打して、右足の打撲だけだったが、琴の場合は頭を強打して、両足を骨折するなど完治までの時間を考えるとかなり時間を要することが明確だった。


ここ最近、彼女の骨折箇所も少しずつながら治り始めたのだが、完治するには最低3ヶ月以上はかかり、最大だと5ヶ月掛かると言われた。そして、完全に歩くには約半年程度掛かるとも言われたため、彼女は進学に対する不安も拭えなかった。


ただ、股関節部分が少しずつ自然治癒力で少しずつ骨が元に戻り始めている、膝の骨も少しずつながら骨が癒着を始めて元に戻り始めているなど負傷した箇所は徐々に良くはなっている。しかし、彼女は受験を諦めたくなかったこともあり、どうしても受験をしたいという気持ちは抑えられなかった。


 そこで、担任の先生と志望校の先生とで協議してもらい、当日は車椅子で受験できるように配慮を申し入れることにした。ただ、彼女の志望校はまだバリアフリー化が進んでいないため、仮に車椅子で行っても試験会場にたどり着ける保証はないし、受験者1人のために先生と会場設営を快諾してくれるとは思っていなかった。


 そして、学校にいる担任と学年主任、進路指導部長、進路指導担当などと彼女の志望校の入学試験担当者、試験・監督官との協議の場を設けて欲しいと彼女の学校の進路指導部長がお願いしていたが、先方の入学試験担当者は「協議できるようこちらで検討はしますが、ご本人は受験する意思があるのでしょうか?」と彼女の通っている中学校側に確認された。その言葉に「現在、志願者は入院していまして、受験する意思はあるのですが、車椅子などを使わないと会場に迎えない状態なのです」と彼女の今の状態を説明し、「分かりました。こちらで最善の方法を模索してご提案させていただきます。」と最後は前向きな答えをいただけた。


 その後、琴子の両親に連絡を取り、今後の受験に関する話しや彼女の学習進捗を補填するための補講の提案などを行いながら彼女の志望校との協議に向けて準備していた。

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