第3話:異変

実琴が1歳になり、以前よりも笑うようになってきたが、少し心配なことがある。各定期健診の際に“要経過観察”と判断された肺と気管支の状態だ。


 彼女は生まれた時からミルクを誤嚥することや離乳食を食べようとするとむせることが増えていて、今もご飯を食べようとするとむせてしまう事が多い。そのため、彼女が食べるものを少し細かくして食べさせているが、それでもむせながら食べている。


 そして、来週には1歳健診もあるため、そこで万が一状態が悪化している事が分かった場合には最悪は酸素吸入するか、気管支を広げる薬を使って治療しないといけないと言われていた。


 しかし、その薬を使うには少なくとも6キロ以上ないといけないのだが、現時点で彼女は5.1キロほどしかなく、その薬を安全に使用するためにはあと2キロ前後はないと、副作用が出てしまうというのだ。


 そんな彼女を見ていて、母親は健診がかなり恐かった。なぜなら、昨年受けた検診でも身長と体重が一般的な8ヶ月の子供程度しかないということも分かった。そして、彼女の肺も身体の成長に追いつかず、呼吸しにくい状態になっていることも分かった。


 そして、1歳健診を受ける当日になった。まず、実琴を車に乗せていつも通っている病院に向かうが、この日は今週末に行われる近隣のマラソン大会のための会場設営と交通規制の資材の搬入が行われていたため、コース周辺の道路がかなり混んでいた。そのため、彼女の検診開始時間である10:00に間に合わない可能性も頭をよぎっていた。


 長い渋滞を抜けて、やっと病院の通りに出られたが、この時車の時計を見ると9時25分であと、5分で受付が始まってしまうのだ。母親はかなり焦っていたが、9時45分までに受け付けをする事になっていたため、まだ心理的には余裕を持っていた。


 そして、5分後に病院に着き、実琴をチャイルドシートから降ろそうとしたときだった。母親は実琴の顔からたくさんの汗が出ていて、ぐったりしている事に気付いた。母親は急いで彼女をベビーカーに乗せて検診受付に向かい、事情を話した。すると、健診の前に先生に見せてから健診をする事になった。


 母親は“なぜ、これだけ酷くなるまで気が付かなかったのか?”と自責をしていた。家を出るときは全くなんともなかった彼女だが、どこで急変したのか、何でこうなったのかを思い当たることはなかった。


 そして、先生からの所見は“エコノミークラス症候群”のような症状だという事だった。


 確かに、ここまで来るには通常25分の距離だが、交通規制や渋滞などで通常の倍以上の時間が掛かったことで、彼女の全身に必要以上に負担が掛かっていたことで身体の汗が逃げず、彼女の体温が上がってしまい、軽い熱中症のような状態になってしまったのだ。母親は今度から彼女を乗せるときはカーテンを付けて、彼女に水分を取らせながら移動することにした。


 そして、少し寝かせたことで彼女の体調が戻り、同じ時間の子とは少し遅れて、定期検診が始まった。最初に身長測定と体重測定をするのだが、彼女は周りにいる子供たちをみて、“みんな大きいな”と心の中で思っていた。


 その後、彼女の順番になり、身長を測るゆりかごのような機器に寝かせると看護師さんが自動で身長を測るための電子機器を操作し、画面に“48センチ”という表示が出た。そして、体重を量るブースに移動し、そこで体重を量った。すると、“5.6キロ”と書いてあり、今回から開始する予定だった薬を使った治療が出来ないことが確定した。


 その後、検査ブースを移動しながら受診し、全ての健診項目が終わる頃にはお昼になっていた。


 そして、再び担当医の先生のところに行き、最後の総合所見ということで今の状態を説明してもらう事になった。ただ、母親はかなり恐くなっていて、不安で頭が真っ白になりそうなほど緊張していた。


 この時、母親は良い結果であっても、悪い結果であっても覚悟していた。なぜなら、朝から軽い熱中症のような症状が出て、2日前にも原因不明の熱が出て、食欲が落ちていたこともあり、“何か病気があるのではないか?”と疑っていたからだ。そして、母子手帳にある前回の検査の数値や記録を見ていて、以前と変わっていないように感じたのだ。


 担当医の先生の順番が回ってきて、恐る恐る診察室に入ると、診察ディスプレイに表示された実琴のレントゲンと数値が入ったリストがあったが、恐くて見られなかった。


 そして、先生から「美琴さんは順調には育っていますが、やはり、体内の抗体が不安定になっており、安定した体調であるとは言いがたい状態です。」と告げられた。そして、「今回も確認しましたが、肺と気管支はやはり状態が好転しておらず、熱が出てもすぐに下がらないのは新陳代謝が他の子よりも悪く、万が一発熱を伴う病気を罹患した場合に熱が下がりにくくなっている事が確認できました。そして、彼女の血圧なのですが、やはり正常値よりも少し低く、血中酸素濃度を見ても少し酸素量が少ないため、すぐに息が上がってしまうことが飲み物や食べ物に対する誤嚥に繋がっていると思われます。」と彼女が呼吸器に異常があることが明確になった。


 母親は彼女がつかまり立ちし始めた事は嬉しかったが、彼女がつかまり立ちを始めて、少し動くと苦しそうにしていたこともあったため、母親としてはどうするべきなのか分からなくなってきたのだ。


 検診が終わり、車で家に戻った。車を車庫に入れて、玄関の中に入ると、彼女が歩きたがっていたため、玄関からリビングまで歩いて行かせてみることにした。


 そして、彼女を玄関に降ろすと、ハイハイから立ち上がろうとしていたが、何度か立とうとすると転んでしまう。そして、再び歩こうとすると彼女がフラフラしているように見えた。


 そこで、母親が立つために自分の手を貸そうと思い、彼女に手を差し伸べると、その手をはねのけて泣き出してしまったのだ。“彼女はどうしても1人で歩きたかったのだろう。しかし、歩けないことが悔しくて泣いていたのだろう。”そう母親は思っていた。


 しかし、母親は彼女の足を見てある違和感を察知した。それは、彼女の両足に赤いアザのような斑点が出ていて、歩こうとすると痛いのか、いつものように足が動いていなかったのだ。


 そこで、彼女の足の斑点に子供用のベビークリームを塗って様子を見ることにした。その日の夜は落ち着いていたが、翌日になり、彼女が立ち上がろうとすると顔をゆがめて立つのを止めてしまう事もしばしばだった。


 そして、お姉ちゃんが学校から帰ってくると抱っこをせがんでいたが、お姉ちゃんが足を持つと彼女は痛いのか、姉に対して「降ろして欲しい」という動作を見せていたのだ。


 そこで、母親は小児科の先生に連絡し、どうするべきなのかを聞くことにした。


 そして、先生が小児整形外科の先生に連絡を取って彼女の状態を伝えると、“もしかすると軽い打撲のような状態になっていて、打撲のようになった所をかばうようにしているのではないか?”と状況だけを読み解いた判断をしてくれた。そこで、今は経過観察を行い、3日経っても状態が良くならない、つかまって立たせてみて痛がる場合は病院に行くことにした。


 そして、夕飯の時間になり、彼女にご飯を食べさせようとしたが、普通のご飯を食べさせるべきか、おかゆを食べさせるべきかで悩んでいた。


 なぜなら、実琴に最近は普通のご飯を小さくして食べさせたが、食べることは出来ても飲み込む際に一苦労という感じの表情を見せることが多く、スープのような流動性の高い汁物はすんなりと食べられるが、少しずつスプーンですくって食べさせないと以前に誤嚥してしまった事があったため、未だに食事も両親が食べさせないといけない。そんな葛藤の中で母親は毎日ご飯を食べさせた。


 そして、母親は毎回“なんでお兄ちゃんとお姉ちゃんの同い年の頃と同じように1人で食べられないのだろう?”と心の中でいらだちを覚えていた。


 まさか、彼女がこのあと大変なことになるとは家族の誰もが思っていなかった。

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