第四章 戦闘態勢

 婦人が語った彼女らの計画を簡単にまとめれば、こうなる。

 自由が丘ターミナルを襲撃し、そこで『自由』を手に入れる。今鍛えている兵士たちも、そこかしこから集めてきた銃器も、すべてはこの日のために集めてきたものであり、自由が丘周辺に集っている残存人類の目的とは、おしなべて自由が丘ターミナルで手に入る『自由』であると。婦人が語った内容を要約すると、そのようなことを言っていた。

 フーカはやるせない思いでいっぱいになりながら、婦人の胸を叩いた。

「それで?」

「それで、とは」

「平然としていないでよ。なぜロボットのあなたから、こんな計画を聞かされなくちゃいけないの!」

「あら、私から説明した方がよかったかしら」

「そういう問題じゃない!」

 お嬢様が口を挟んだのを、フーカが即座に叩き落す。

「お嬢様が発起人だってことくらい、聞かなくたってわかる。ロボットたちを倒そうと頑張って計画を立てようとしているのも分かる。だけど、婦人! あなたにならわかるはずでしょう。どんなに練度を高めても、どんなに強い火器を集めてみても! 人間ではロボットに勝てないって!」

「ええ、勝てないでしょうね」

 婦人は平然と言い放つ。フーカはその横面に、猛然と平手を打ち込もうとするが、寸前で思いとどまる。右腕はもともと感覚異常を引き起こしていたのだった。これ以上壊れては敵わない。それに、もしこの一撃で婦人が修復不能な損害を被ったならば、お嬢様が悲しむだろうと思われた。

「……それが、あなたの人間への寄り添いかたなの」

「はい。第二世代の私は、人間の意思決定を可能な限り尊重します。道路掃除婦の私は、有事の際に人間を保護します。フーカ、論理的になってください。この双方を満たす行動をとるには、お嬢様がたの進撃を援護するほかないのです」

 婦人の声音はあくまでも淡々としていた。実際に、お嬢様の耳にもそれはフーカに対する激励の言葉として響いたことだろう。

 しかし、フーカはその声を聴いてはっとしたのだった。電子音声を操る者同士にしかわからない逡巡。単語選択から発話に至るまでの音素選択に際して生じるわずかなディレイが積み重なって、そこに表出したのは婦人なりの悲しみの表現だった。

 希望のない戦いであることは、婦人にとっても百も承知なのだった。

「私は勧めないよ、お嬢様」

 それでもフーカは指摘する。

「戦いに挑むということ?」

「違う。死にに行くこと。私のフレームワークは、その愚行を看過できない。最悪、どこかにいるトラさんを使ってあなたたちのことを止めなきゃいけない」

「フーカ」

「……無駄死にしに行くように、聞こえるんだよ。今の情報だと。判断させて。あなたたちが命を懸けてまで得ようとする、『自由』っていったい何。それがターミナルにあるって、どういうこと。メンテナーが守っているデバイスと、関係があるの」

 フーカはお嬢様に迫る。婦人が押しとどめようとするが、お嬢様は「かまわないわ。すべて話しましょう」と退ける。

「フーカ。本当に、ターミナルの中に何があるのか知らないみたいね」

「ロール・クリアランスがないもの。触れられないものは知りようがない。第三世代のエースであるジェイラーですらそうなんだから、私みたいなロートルが知ってるはずがない」

「いいえ、それは嘘よ。フーカ、すべてのF.U.C.A.の母。あなたは――というより、第二世代は知っている。ターミナルが何の目的で建てられ、何を守っているのか」

「知らないものは知らない。もったいぶらないで教えてよ」

 お嬢様は婦人と顔を見合わせる。婦人は、フーカの態度がまるで信じられないといった風に首を横に振った。対してお嬢様は、同じように憐憫をにじませながら、しかし首を縦に振った。

「これを聞いたら、知らなかったあなたにはもう戻れないわよ」

「自由が丘に人類を発見した。その人類が死にに行こうとしてる。それを止められるかもしれないのに、どうして戻る必要がある?」

「……そう。なら、教えてあげる」

 フーカがうなずく。お嬢様は少し高い位置にあるフーカの目をまっすぐ見あげて、言う。


「……人類よ」


「え?」

 長時間の連続稼働によって、聴覚野に異常が発生したのかと思い、フーカは簡易スキャンを実行する。異常なし。ということは、今言われたことを聞き違えた可能性は低い。

「人、類……?」

 信じられない、とフーカ。

「この期に及んでそんな冗談。お嬢様、さすがに怒るよ!」

 フーカは確かに見聞きしたのだった。人間の敵であるはずのロボットが、ターミナルを、専属のロール・クリアランスを作成してまで保護している様子を。フーカの持つ情報のみを統合すれば、お嬢様と婦人は結託してフーカをたばかろうとしているに違いない。

 しかし、そのメリットはなんだ。フーカは冷静になる。人類保護を標榜するフーカを謀るとして、『実はターミナルには人類がいます。そいつらをぶっ壊しに行きます』などという嘘をつく理由が、見当たらない。

 そして実際に、フーカの狭窄した視野のほうが誤りであったことが、直後に示されることになる。

 お嬢様の挙げた、慟哭によって。


「これが冗談だったら、どんなに良かったか!」


 お嬢様は腰かけていた作業台を激しく打ち鳴らした。興奮のあまり意識が遠のいたのか、ふらり、と体がかしぐ。婦人が見計らったようにそれを支える。フーカのことを、にらみつけながら。

「フーカ。お嬢様を愚弄する発言をこれ以上繰り返すなら、貴女をこの場で解体することも厭いませんよ、私は」

「馬鹿になんかしてない。だって、突拍子もなさすぎるでしょ。私は知ってるよ。ジェイラーに、直接姿は見ていないけどメンテナーってのもいる。彼らにターミナルは守られてる。その中に、人類がいるだなんていわれて、誰が信じられる?」

「貴女以外の全員よ、フーカ」

 しかし言い訳に言い訳を重ねるフーカに対して、お嬢様は無情にも宣告するのだった。

 無知は、罪だと。

「知らぬは貴女ばかり。もしこのまま言い争うようなら、あなたを外のトラサンとやらともども敵性勢力として排除する。そのかわり、話を黙って聞いてくれれば、何もしない。その結果貴女がどういう行動に出ようが、一切関知しない。いいかしら?」

「お嬢様」

「黙って、婦人。どうするの、フーカ」

 お嬢様は婦人の腕の中で頭を押さえながら、上ずった声で問う。

「最後通牒よ。言ったはず。知らなかったあなたにはもう、戻れないと」

「……うん」

 事実を上書きしようとする、真実。それがほかならぬ人間の口からもたらされようとしている。観測したデータをもとに行動するシステムであるべきロボットとしては、拒絶するべきだ。そう思いながらも即座に決断を下すことができない。拒絶した結果訪れる身の危険を抜きにしても、イエスと即答できない。

 あまりに荒唐無稽で、衝撃的で。もたらされる情報はおそらくフーカのロール・クリアランスへ著しい影響を与えるだろう。

 だが、最終的にフーカは首を縦に振った。

「……わかった。私は黙って話を聞く。あなたたちが話し終わるまで、一切口を挟まない。これでいい?」

「賢明な判断だったと、すぐにわからせてあげる……。その様子だと、貴女、『漂白』の記憶もないわね」

「ない……と思う。それは何」

「地上に残留した人類の、討滅作戦。わかりやすく言うと皆殺しにしてやるってこと」

「……そんな馬鹿な」

「口を挟まないという約束よ」

 フーカは口をつぐむ。そんな馬鹿な、バカみたいな指令がまかり通るわけがない、誰が指揮を執ったの。そう続くはずの言葉を、飲み込んで。

「地上に残留した?」

 代わりにフーカは尋ねた。不可解な言葉だった。まるで、地上以外に人類が進出したかのような言い草だ。

「そうよ。でもフーカ、貴女も腐るほどある時間でアーカイブを読み漁ったでしょう。宇宙開発はコストパフォーマンスが悪いととっくのとうに打ち切られ、深海に至る道はあまりに深く険しかった。さて、問題よ。人類に残された新天地、いったいどこにあると思う?」

 想像に難くない。しかしフーカはそれを認めたくなくて、わずかに口をつぐむ。

 だって、それが許されるというのなら。

 それが許されてしまうというのなら。

「……情報の海。電子の地平。まさか、人間たちはみんな両足そろえて」

「その通り。一切の質量を持たないデジタルな存在と化した。電子生命体……といえば聞こえはいいかしらね」

 フーカは憤りを表そうとしたが、婦人の鋭い視線に射すくめられて黙る。

「あとは、説明が必要かしら。電子化した人類の大事なデータを冗長化して保管するためのストレージが『ターミナル』で、『奇跡の海』のメインプログラムはそのマネージャー。これが、この世界の現実よ。質問を許可します」

「……だれが、『漂白』を指示したの」

 フーカは微かな声で尋ねた。

「……おじい様方、フーカからは本当に徹底して、そのクリアランスを排除したのね」

「答えて」

「ロボットは人を殺せない。その大前提はいいわね」

「御託はいいから答えろ! 誰があなたたちを、こんな地獄に追いやったんだ!」

 フーカは哭いた。哀れに死んでいった少年を、自らが導いたある集落の結末を、スマートフォンの青年が何から逃げていたのかを、思いながら声の限り叫んだ。

 お嬢様はその叫びを受けて、ふっと悲しそうな顔になった。

「人間の定義が更新された」

「……」

「電子化され、保存された人間たちこそが、ロボットたちの原則に刻まれた人類となった。書き換えられたのよ。その書き換えを実行したのはおそらく奇跡の海。でも、その決断をしたのは――」

「やめて、聞きたくない」

「したのは! 電子化された同じ人間たちだわ!」

 お嬢様もフーカと同じくらいの大声で哭いた。叫びは手のひらで覆った耳に突き刺さり、その衝撃はフーカに膝をつかせるのに十分だった。

「お嬢様。フーカはそろそろ稼働限界が」

「お前が動いているのにそのはずはないでしょう。さぁ、フーカ。ほかに質問は?」

 お嬢様はささやく。

「……復讐?」

 フーカはつぶやく。

「あなたたちの目的は、復讐なの」

「いいえ」

 お嬢様が即答する。

「私たち……少なくとも、私の部下たちの目的は、自分たちの存在も電子化することよ」

「どうやって。ターミナルに行けばそれが可能だと?」

「当然。なぜなら電子化する人類は、その時ターミナルへと列をなしたそうだから」

 お嬢様はその時、苛立ちを隠さずに舌打ちをした。

「ターミナルにたどり着きさえすれば、何らかの方法で肉体を捨てられる。この荒廃した世界で、ロボットたちからせこせこと逃げ回りながら、みじめな暮らしをしなくて済む。みんなはそう考えているみたいね」

「あなたは違うの。まるで、反対しているみたい」

「私は……」

 お嬢様が口ごもるのは珍しいことだった。指導者としての彼女のありようについて核心をついた質問だったのか、尋ねてはいけないパンドラの箱だったのか。お嬢様はどちらとも取れない質問を返した。

「おじい様とおばあ様がなぜ、貴女たち第二世代を生み出したのか、わかる?」

「『人間』の生命を保護・維持するため。それが私のフレームワーク」

「そうよ。祖父母は人間が――生身の人間が大好きだった。だから彼らは電子化の列に並ばなかった」

 フーカは息をのむ。

「それじゃあ」

「ええ。もしあの人たちが電子化の列に並んでいたら、私という存在はここではなくてターミナルにいたでしょうね。祖父母が電子化の列に並ぶ代わりにやったことは、単純。電子化に反対したもの、抽選に漏れたもの、前科ありなどで選定されなかったもの。そういった人たちをまとめて『漂白』から逃れるすべを伝えたと聞いているわ。父からの伝聞なのだけど」

「あなたがここにいるのは、あなたの意志?」

「どちらかといえば、そう。私は私の目的を持って、ターミナルへ到達する。部下たちとは、利害が一致しているだけ」

「その目的って何」

 その問いにお嬢様が再び口ごもる。婦人が怪訝な顔をしてフーカと、お嬢様の顔を見比べている。

やがてお嬢様は口を開く。重い口をこじ開けるようにして。

「……いいえ、利害だけで無くて、目的も一致しているかもね。あの可哀想な人たちも、天国へ行きたいと言うことには変わりないのだから」

 天国。人間が定義する死後の楽園。

肉体を捨てて新しい世界で生まれ変わることを、お嬢様は天国に行くと表現した。

「おじいさんたちは、そうは考えていなかったみたいだね」

「楽園かどうかは、行ってみないとわからない。どのみち地上に残った時点で地獄の真っ只中にいることは変わりないのだから」

「その決断をしたおじいさんたちのことは、憎んでるの」

「少なくとも父は憎んだでしょうね。祖父母が反対派の急先鋒として立ったせいで、経済的にも、手前味噌だけど家柄としても全く電子化に差しさわりなかったにもかかわらず、楽園への道を閉ざされたのだから。当然。でもね」

 フーカに口を挟まれないよう、お嬢様は勢いよく人差し指を立てる。

「父はその憤りを抱いたまま、私に復讐を託したわ。私は、そんな父が正直嫌いだった。電子化への羨望におぼれていく浅ましさが、ね。祖父母の行いは立派だったと思う。あの人たちのおかげで現にこうして、私たちが生きている。そのことには、……感謝しているわ」

「でも、もう限界っていうこと。天国に行かないと、生き延びられないっていうことなの」

 お嬢様は、ただ頷いた。

 理由は言わなくても分かるわね。眼でそう語る。フーカにとってもそれは自明のことだった。地上に残された物資は乏しい。定置的な耕作が難しい以上、食料の確保は狩猟に頼らざるを得ない。恐らくはその獲物も、次第に減っていく一方なのだろう。今まで彼らがどうやって食いつないできたのか、フーカは想像しようとしてやめた。

 少なくともこの自由が丘ターミナルの周辺は、生身で生きていける環境ではなくなりつつあるのだ。そんな中で人間が生き残るためには、それが可能であるならば、体を捨てるのが手っ取り早い。

「……理解してもらえたかしら。私は皆の総意を請け負って立っているにすぎないの。ターミナルのこと、ロボットたちのこと、フレームワークのこと、その他もろもろの知識を一番持っているから」

「だとしたら、質問を戻すね。これだけの人数を束ねるあなたの目的って、一体なに」

「答える必要がある?」

「もし、仮に万が一、襲撃が成功したとして、そこに電子化の手段があったとして、それでみんなが電子化したとして……あなたは、どうするつもり。首尾よくみんなを生き残らせたとして……」

「何が言わせたいのかわからないわ、フーカ」

「あなたは、そのあとどうするつもりなの。あなたのロールを聞かせて。そう尋ねているの」

「フーカ、お嬢様を愚弄するなとあれほど」

 婦人がいきり立つが、お嬢様が手を挙げて制する。

「私のロール、を尋ねたわね」

「ええ」

 焦らしてくるな、とフーカは思う。お嬢様の口の端がわずかに持ち上がる。微笑が漏れ出る。

「フーカ。あなたはやっぱりロボットだわ」

「そんなことはわかってるよ……!」

「だって、そんなものは最初からないもの。強いて言うなら自由かしら。私はただ、私の意思に従って行動する。目的では無く意思に。どこに行こうと、何をしようと、私の勝手。自由だわ」

 自由、とお嬢様は繰り返す。

「ロボットにはそれが定義できないものね。役割のない状態は、製造過程にあるかバグでしか存在しえない……。私は自由を定義できる。なぜなら私は人間だから。奇跡の海に潜ろうが潜るまいが、私は自由を獲得することで初めて人間になれる。そういう意味では、フーカ。私はまだあなたに保護される資格はないかもしれないわ。まだ、ロールに縛られているから」

「じゃあ、聞き方を変える。自由になった後、したいことはあるの」

「面倒ね」

 お嬢様は目を泳がせる。そして答えた声は掠れていた。

「……そうね。海が見たいわ」

「海って、あの」

「……ええ。あの海浜地区、っ?」

 鈍い振動。それがお嬢様の告白を遮った。

 それは上層から伝わってくるものであるにもかかわらず、地の底から響くよう獰猛な咆哮のように不吉なものだった。婦人が素早く立ちあがり、目を閉じる。視覚情報の演算を排除し、データの解析に集中する姿勢に入ったのだ。

「襲撃です、南端の暗渠(ゲート)から」

「状況は分かる」

「南方ゲートは完全に崩落。そちらから脱出は困難でしょう。想定、他のゲートも包囲されていると思われます。探索波発信の許可を」

「許可します」

「待って、なぜここが襲撃されているの。私が? 私がやってきたから?」

「いいえ、全く関係ありません」

 フーカも全方位探索モードを起動するが、同時にうろたえてもいた。そのフーカをたしなめるように、お嬢様はぴしゃりと言う。

「こうなったのではないわ。私がこうしたの。婦人、通信波を解禁。フーカ、敵兵の数を詳細に教えてくださる?」

「え……」

 フーカは戸惑ったが、すでに自分が戦局に組み込まれているのだと認めざるを得なかった。この襲撃も作戦のうちだ。目の前の少女が考え出した、ターミナル襲撃に向けた作戦の一部。フーカの銀髪がわずかに熱を持つ。走査完了。

「稼働中のロボット総数二一四。もっとも手薄なのは東から北にかけて」

「ありがとう。婦人、全員をそちらのゲートに集めて。突破するわ」

「待って、突破? たった四十人そこらで、二百以上のロボットの包囲網を」

「ほかに手はないわ。婦人、フーカとリンクを」

「必ず犠牲が出るよ」

「承知しているわ、うっとうしい。フーカはそのまま敵の走査を続けて頂戴。敵の厚みに変化が出たら――」


「――拒否する」


「フーカ?」

 お嬢様と夫人が同時にフーカを見る。フーカは開ききった瞳孔を向けて答える。電子戦制御のためにリソースを失った、瞳を。

「強行突破を補助する命令は、受託できない。私のロールは、人類を守ることだ」

「だから、そのために」

「数に任せての突破なんて、愚策もいいところ。私に任せて。全員助ける」

 その宣言は婦人にとっては蛮勇に響いた。ゆえにフーカの発言を離反とみなした。敵性のものに対して婦人は容赦しない。フーカがモニタしている情報を奪おうと、ハックを試みる。

「やめなさい、婦人!」

 切迫した声でお嬢様が夫人を引き留める。しかしその時にはすでに、婦人の通信用ポートと、フーカの通信用ポートからこじ開けたメインメモリへのアクセスがつながっている。直後、婦人が大声をあげて首元を押さえる。まるで皮膜を帯びたケーブルがショートしたかのような臭いが立ち込める。

「馬鹿な。私だってF.U.C.A.ですわ。情報量に負けてアクセス遮断が発生するなど、ありえない……」

 しかし婦人もまた、言葉を失わざるを得なかった。

 完全なる戦闘態勢に入ったフーカの姿を目の当たりにして。

 かつてのフーカは銀髪緑眼の、ころりとして優し気な少女だった。

 今は違う。

フーカの頭髪は膨大な情報を扱うメインプロセッサを冷却するヒートシンクの役割を持っているが、今やそれは流麗な銀髪ではなく、真っ赤に赤熱していた。

彼女の優しげな瞳もまた、様相を変じていた。アイセンサーに到達する光の種類を可視光に制限するためのフィルターが、カメラのシャッターを開くように眼窩へと格納される。強いも弱いも、すべての光を受け入れるそのセンサーは、地下のわずかな光を受けても七色に、まるで油膜でも張ったかのように輝くのだった。

表情を形作る瞼は不要と判断され格納。表情筋を制御するリソースも無駄と断ぜられ、格好としては力なく口を開いた、呆けた表情になる。

 しかしその弛緩の陰で、彼女のプロセッサは敵兵の位置を把握、動きを全て予測している。メインメモリにはそのすべてが展開されていて、リアルタイムに更新されているのだった。

『婦人、人間が持っている通信機へのアクセス権をよこせ』

 電信による要請。婦人はお嬢様に諮り、即座にそれを渡す。

『私がナビゲートする。婦人、お前はお嬢様を連れていけ。北東方向に延びる配管から出れば、地上に出られる。そこを目指せ』

『地上にも敵はいるわ』

『障害なし。地上に敵は存在しない』

『説明を求めます』

『バディT.L.A.-003が健在である。それ以上の根拠は必要ない』

 婦人はこれまでのやり取りをお嬢様に話す。するとお嬢様は何もかもを納得した風に、「わかったわ」と短く言って、婦人の手を取り走り出す。

 フーカはそれと同時に、地面にへたり込み、脚部のコントロールを手離す。手も、首も、すべての人工筋肉コントロールを放棄。

 コンクリート壁にもたれかかる形になって、完全に力を失ったフーカの姿は、まるで即身仏のようだった。

 徳を求めて人は仏になる。しかしフーカは、人の命のためにいま、死することなく戦い続けている。

 何もかもを手離して、誰一人として、この世から離さないために。


『フーカ、戦闘形態へ移行。僚機受領されたし』



 トラサンはその時、追っ手を撒きながら、フーカをどのように探すか思案している最中だった。そこへフーカからの最上級割込み命令が差し込まれたものだから、トラサンは安心すると同時に、戦闘形態という言葉の意味について問いただす。

フーカが作戦の要旨を人命保護だと答え、トラサンに要請する。

『第一目標、敵地上勢力の完全排除。第二目標は存在するが、追って指示する』

『敵性勢力とはなにか』

『第三世代以下の、人命を害するロボットである』

『了承。これより完全戦闘形態に移行する。敵の座標を要請する。あとはうまくやる』

『完遂条件は人命の完全保護である。完遂を必須とする』

『バディを信頼しろよ。お前はお前の仕事をしろ。俺もそうするだけだ』

『了承。……任せた』

 フーカとの専用通信ポートに、次の瞬間から膨大な量のデータが流れ込んでくる。フーカが通信波をキャッチした総数二一四の敵兵。その位置座標と予測移動経路の二種類のデータがリアルタイムに送られてくる。

この密度を持った情報の奔流を受け止めるのは、トラサンにとっては二度目だ。最初のそれは、あの『漂白』の時だった。あの時もフーカは自らの使命を全うしようと、真っ赤な髪を振り乱して逃走と、撃滅の指揮をとろうとしたものだった。フーカの失敗は、逃げ惑う人々をみちびき三号からの位置情報によってすべてマッピングしようとしたことだった。結果、あまりのデータ量の多さに敗北して倒れた。ヒートシンクが融け落ちたのだ。

フーカが抱く不自然な記憶の欠落は、その際の熱暴走に起因するのではないかとトラさんは思う。しかし検証する方法はないし、今はその時ではない。

『T.L.A.-003、機動戦闘モード起動。全武装解禁(フルアームド)。指令、敵地上勢力の殲滅。実行』

 フーカに報告を投げた直後、トラサンはその場で百八〇度信地回転。それを可能にしたのは、彼の装甲下部に折りたたまれ格納されていた、これまで車輪のみを表出させていた四本の機動戦闘用脚部であった。足の長さはそれぞれ二メートルほどある。中央と車輪接続部に関節を持つ六軸の脚だ。もともと高いトラサンの車高がさらに上がり、その巨体は見るものを圧倒する威圧感を放っている。

 しかし、これから相対する敵に、そのような畏怖の感情はない。撃つか撃たれるか、その二択でしかない。走ってきた方向へと一目散に爆走しながら、トラサンは迷い――あるいは、戸惑いを捨てていく。何せバディからの厳命だ。誰一人殺されるわけにはいかない。

 フーカからの情報には、通信機からの発信をベースにした人間の位置情報もある。それによれば、先ほどトラサンを撃ちまくって消耗した部隊が、どうやら囲まれているようだった。

『対包囲戦術……』

 トラサンのマニピュレータがいったん格納され、次に出てきたときに手にしていたのは大口径アンチマテリアルライフルであった。機関銃の掃射は便利だが、人間を巻き込む恐れがある。一方、一射的中で仕留めていくのは高度な火器管制が求められる。しかしそれはトラサンの、まさに得意とする領分なのであった。

 曲がり角を急転回。そこにはまさに銃口に追い立てられ後ずさる人間の姿があった。先ほどまでトラサンの車体に銃弾を撃ち込んでいた連中が、今は武器を把持することすらできずに震えている。

『要救助者発見。状況を開始する』

 フーカからの返事は待たなかった。前面アイカメラ及び赤外線レーダーの反射を火器管制マニピュレータにフィードバック。関節に搭載された各軸のサーボモーターが回転し、自らにブレーキをかけ姿勢をロックする。この間わずかにコンマ一秒以下のこと。発砲。着弾。隊列の最後尾にいた第三世代ロボットが、五十口径の直撃を受けて胴体も残さずばらばらに飛び散る。

 ロボットに対処するもっとも簡単な術は、逃げることでも豆鉄砲を撃つことでもない。より脅威となる相手に注意を引き付けることだ。ロボットはロールに縛られて存在している。その役割を果たすにあたって、障害となる現象あるいは事物は、優先的な排除の対象になる。

 トラサン自身がそれをよく知っている。かつて、フーカを守るというロールのために、いかばかりの同胞を排除してきたことか。今だってそうだ。人間たちに向いていた銃口が、一斉にトラサンのほうへ向こうとする。

「もう少しましなプロセッサを積んでもらうんだったな」

 そうすれば銃弾の一発くらいは、トラサンの装甲を撫でたかもしれない。ロボットたちの脅威判定の更新には致命的なタイムラグを引き起こす原因が三つあった。一つは司令塔であった最後尾の第三世代を奇襲され失ったこと。もう一つは彼らを縛るロール・クリアランスに『ロボットの排除』が組み込まれておらず、その論理構築を行ったこと。三つめはトラサンの言った通り、これらの処理を行うにあたって残されたロボットたちの頭脳はあまりに貧弱だった。その結果彼らの振り向きにはたっぷり三秒を要し、三秒という時間はトラサンがそのすべてを撃滅するのに十分な時間だった。

 金属片の飛び散る甲高い音が止んだ。最後に落ちたのは五十口径対物ライフルの太く長い薬きょうだった。

人間たちはまだ震えている。それは突如連続して鳴り響いた轟音に対してかもしれないし、更新された脅威の情報をうまく受け入れられていないせいかもしれない。いずれにせよ、トラサンのロールを果たすのに有益な状態ではないのが確かなことだった。

「おい」

 急き立てるように早口で呼びかけると、人間の一人が顔を上げて「……あんたは」と言った。トラサンはそれを遮った。

「通信機からの声をよく聞いて、ここから逃げろ。ここに留まっていれば、命の保証は一切できない」

 それを聞いた人間がどのような表情を浮かべたのか、トラサンは見届けなかった。必要がなかったからだ。右マニピュレータ格納。再展開。トラサンが誇る第二の火力、二十ミリメートルガトリングガンを右腕に装備。街路をひた走る。

 ここから先は殲滅戦だ。誰にも遠慮する必要がない。

 Terminating Lethal Artifact.であるトラサンのロール・クリアランスが、三十年の時を経て再び発効する。

人類を害する敵を。フーカを害する敵を。

 一機残らず討滅せよ、と。電気駆動モーターがうなり声をあげる。それはトラサンの嘆きであった。

「俺のロールは、ゴミ箱だ」

 トラサンは吐き捨てる。それは彼の原風景だった。設計され、通電され、フレームワークとしてT.L.A.を搭載される、その直前にファームウェアに書き込まれた一言。

お前は、ただのゴミ箱であるべきだ。

 しかし、ありとあらゆる状況がそれを許さないだろう。だからお前には、これから暴力を書き込む。すまない。

 誰の声だか定かではないが、推定することはできる。そして今この時は、彼らに感謝している。

 トラサンはゴミ箱だ。その隣には、ゴミを拾う誰かがいなければならない。

 そのほかならぬフーカが、捨て置けぬものがあるというなら。

 すべて拾って助けるのが、トラサンのロールだった。

「手のかかる相棒だよ……くたばるなよ」

 つぶやきを遥か背中に背負い、トラサンは自分の役割を果たす。涙を流す代わりに、銃声をがなり立てながら。



 本当は、お前をただの道路掃除婦型ヒューマノイドにしてやりたかった。

 赤熱するフーカの脳裏に、そんな言葉がよぎっては消える。その声はとても悲しげで、フーカの持つ保護機能を刺激する。守ってやりたい、そばにいてやりたい気持ちでいっぱいになる。

 だから、耳障りだった。

 今は、今だけは耳障りだ。総勢四十七名の命を生かすための電子戦を展開している最中だというのに、なぜ今、君は語りかけてくるの。

 君はいったい誰。メインメモリに展開されているマップに掠れたようなノイズ。フーカは意識を電子戦へと戻す。

 敵の数は、徐々に減りつつあった。トラサンの活躍のおかげだ。散発的に発生する、巡回兵との戦闘。それをトラサンは着実に勝利で納めている。ただし、それだけでは直接的に脱出に結びつかないというのも事実だった。移動している人間のグループは三つあり、いまだ地下の中をぐるぐるまわりしている。大規模な部隊が主要な出入り口を押さえている限り、全グループの脱出は難しい。

 全員が全員、縦穴や配管を通って脱出可能なわけではないということが、通信の中から分かった。お嬢様の采配か、身軽さを数値にして計測することができるとしたならば、グループにおけるその数値の平均値は見事に同じくらいになっていたものだった。壮健な男には身重の女が、はつらつとした子供たちのそばには老練だが鈍い年寄りが、寄り添っている。

 ゆえにブレイクスルーが必要だった。それを引き起こせるのは、今やトラサンしかいない。

『トラさん、北方ゲートの座標を送る。そこにアーティファクトを集めるから、合図したら敵を撃滅して』

『ネガティブ。三十数機を同時に相手取りながら、中にいるアーティファクトを気遣うのは困難だ』

『でも、ほかに使える集合場所はない』

『だから、今からやる。アーティファクトが集結するにはまだ時間があるんだろう。その前に全部片付ける』

『待機部隊に損害が出れば、増援要請が必ず出る。残りの百数十も一斉にこっちに戻ってくるよ。全部を相手取るのは、それこそ現実的じゃない』

『だがそれは同時に、暗渠の内部に侵入している敵を引きずり出すことにもなる。それに、三々五々集まってくる連中を撃ち落とすくらいなら、七面鳥撃ちと同じだ。お前の座標さえあれば、何の問題もない』

 コンマ五秒の沈黙。

『該当部隊との交戦開始を許可。気を付けて、トラさん』

『了承。お前のほうもな。そろそろ全身の姿勢制御を取り戻しておけよ。敵さんだって、いつまでもされるがままじゃあないだろう』

『そうだね。トラサンが状況を開始すれば、モニタリングする範囲は北方ゲート周辺に抑えられる。そしたら逃げ出す準備をするよ』

『逃走経路は』

『地図上はあることになってる。お嬢様と婦人がそこから逃げたはずなんだ』

『優雅なサインネームだな』

『通信終わり』

『了解』

 フーカたちは三秒にも満たない時間で打ち合わせを終わらせる。その三秒間が、致命的な隙とならないように。素早く状況確認。レスポンスは素早い。全ての部隊、未だ健在。フーカは安堵の溜息を吐く。そして全部隊向け発信を行う。

『北方ゲートからの脱出を試みます。敵兵は私のバディが片付ける。ナビゲートするので慎重に移動して』

 各部隊から了承のサインが帰ってくる。一部のそれは、震えた声をしていた。年若い声だと感じる。少年だった。極度の緊張に対して、経験という受け皿が未熟なのだ。

 心配しないで。フーカは姿勢制御を失った躰で、それでも信号だけは頷いた。私が必ず還すから。みんなと一緒に。

『お兄ちゃん、その通路は左。そのまま直進。追って指示するよ――』

 フーカは努めて優しい声音の電子音声を作って、少年を導こうとする。しかしフーカは気付いていなかった。少年の震えが目の前に迫っている敵に対するものではなく、内に存在する爆弾に対しての物であることに。

 それはフーカが通信を切ろうとしたその瞬間に、爆発した。赤子の泣き声であった。およそ人間が放つ、最も原始的な恐怖の発露。それが瞬く間にトンネル内を跳ね回りながら駆け巡り、近くにいた追跡者のセンサーに到達する。彼らは向きを変え、音源を定位。追尾にかかる。

 フーカは瞬間、狼狽える。グループの構成員を報告させたときには、赤子の存在は報告されていなかった。それが若さ故の過ちなのだとしたら、彼は今、最も痛みを伴う形でその代償を味わっているに違いなかった。だからフーカは、報告漏れについては何も言及しなかった。代わりに始めたのは、彼らを追尾し始めたロボットたちの通信回線を探ることだった。

『緊急事態。二分間程度の座標更新停止』

『了承』

 作戦行動中のターミネーターたちは、外部からの干渉を防ぐために、目的の完遂まで仲間との通信用ポート以外の一切の耳を塞ぐ。フーカにとっては、それでも構わない。話し合いで解決できる相手でないことは、分かっている。だからフーカは、通信の暗号化は徹底されているがポートは開きっぱなしの協働用ポートを探査している。

 胸に苦みのような感覚が走る。フーカはこれから、始めて。

 同類を壊そうとしている。

 フーカは第四世代の通信用ポートを探り当てると、即座に受信信号の暗号化方式を同定する。マップ展開と同時に行われる高負荷の処理に、頭髪(ヒートシンク)が更に熱を持つ。しかし、成功。フーカは間髪入れず、通信をたたき込む。

『脅威情報更新。新たな敵の座標を送る』

『リョウショウ』

 通信の直後、対象となった第四世代は移動を停止。その後、彼の後方に存在していた追跡者たちの通信波が、次々と消滅していく。新たな敵というのは即ち、追跡者たち自身に他ならない。フーカは割り込み指令をたたき込むことによって、彼らを同士討ちに導いたのだった。

『サクセンコウドウシュウリョウ』

『その場で待機せよ』

『リョウショウ』

 聞こえるはずもない銃声、バラバラになったパーツが地面に飛び散る音。声なきロボットの断末魔とも呼べるそれらを想起して、フーカは胸を痛めそうになる。しかし今は、それに割くことの出来るリソースはない。

『お兄ちゃん、聞こえる? 迫っている敵は排除した。なんとか頑張って、北ゲートまで向かって』

 少年は震え声で了承を送った。背後では未だに赤子の声が響いている。フーカはその音量から、反響の度合いを新たにマッピングし、彼らの移動可能な範囲を同定する。カラーリングは暁の色と合わせて薄い橙色にする。

これから、自らの足で立って生きようとする門出にふさわしい色に。

ロボットである自分がそれを導こうなどというのは、おこがましい憧れなのかも知れない。それでもフーカは望みを託さずにはいられなかった。彼か彼女の行く先に暁光あれ、と。

感傷に浸っている間にも状況は刻々と変化している。フーカは再び、戦いに戻る。トラサンが、地上で戦闘を開始していた。



『フーカ、位置についた』

トラサンは射撃姿勢を維持しながら、敵集団を大きく回り込むようにして、攻撃に最も適した位置に移動している。北に開口端を持つ暗渠に群がる敵性勢力がもつ索敵範囲の外、しかしトラサンの走力で射程に収められる限界の距離。

敵はフーカとの通信どおり、三十四体が存在している。うち第三世代が十四、第四世代が二十であった。人間に抗するなら、これで十分だっただろう。トラサンは電子的溜息を吐く。

位置についたのち、トラサンがフーカの命令を一度要請したのは、二つの理由がある。ひとつは、T.L.A.はいかなる状況においてもF.U.C.A.の配下であると言うこと。彼女の指示無しに行動するには、別のロール・クリアランスを引っ張り出してくる必要がある。

そしてもう一つは、移動の間に状況が変わり、いますぐ敵を撃滅することが最適解で無くなった可能性を、フーカに尋ねておきたかったのだった。

しかし、期待した応答は無い。トラサンはこれを、フーカが単純な信号に対して応答する暇も無いくらいに激烈な電子戦の最中であると判断する。そうであるならば、トラサンに出来る加勢はただ一つしか無い。

『了解。状況を開始する』

 短信を送るだけ送り、トラサンは四脚に備わった駆動輪を全力で駆動。ゴムの焦げる臭いがその場に瞬間立ち上った。黒く煙るそれを後に残し、トラサンは敵陣営に向けて突入を開始する。

 暗渠に背を向けて哨戒にあたっていた第四世代三体が、突撃してくるコンテナを感知する。しかしその通達が発信されるよりも先に、トラサンの五十口径対物ライフルの凶弾が彼らを撃ち抜く。火力過剰な銃弾は勢いを減ずること無く貫通、暗闇を見つめていた第三世代が立っている脇のコンクリートに突き刺さって止まる。第三世代たちが振り向く。彼らのアイカメラは銃弾の一閃を捉えた。二十ミリガトリングガンが放った横薙ぎの掃射は、あたかも剣が振るわれたかのような密度で彼らに迫り、彼らの躰を両断した。舞い上がる上半身。しかしバッテリーを上半身に搭載したモデルは、人間ならば即死であるその状態でも稼働することが出来る。トラサンを捉えようとし、アサルトライフルを構えようとするが、その一体一体を丁寧にトラサンが撃ち抜く。

ライフルでもガトリングガンでも、火器管制システムから見れば、銃の精度をおいておけばさして相違ない。フレームワークに従って正確に動くマニピュレータがあり、ツールの――この場合、銃の――正確な寸法があり、サーボモーターのエンコード位置さえ正しければ弾は狙ったところに飛ぶのだ。問題になるのはその際にとるモーターの各軸角度であるが、それをリアルタイムに高速計算、教示することを可能にするのが、T.L.A.というフレームワークなのであった。

 残敵、二十。一斉に振り向いてトラサンに向けて斉射を開始する。それなりの速度で移動するトラサンに対し、命中はする。しかし対人を想定した兵器は、トラサンの強靱なボディには通らない。だが、効かないからと言ってまごまごしている第三世代たちでもない。斉射をいったん止めると、散開しながら狙いをずらす。その先は――

『トラさん、タイヤっ』

『分かっている』

 第三世代の精密射撃に対して、トラサンは即座に脚を折りたたむ。そして唯一装甲されていない車輪部を、車体の内側に隠してしまう。敵に有効な兵器がないと分かった以上、機動戦闘をする必要は無い。

ここからは七面鳥撃ちの時間だ。

左手の武装を換装。ガトリングガンへ。左右合わせて十六門の砲が立て続けに唸り声を上げる。なんの感情も無く、ただ炸裂して。



フーカと、導いてきたグループは七面鳥撃ちの砲声を聞ける位置にまで近づいていた。通路を曲がった先に、目指していた北ゲートがある。脱出地点だ。

フーカのエミュレートにおいては、そこにいる第三世代は、無力化とまでは言わなくとも相応に弱体化されている。外にいる指令の中継機が、トラサンの襲撃によって壊滅させられているはずで、ロボットは指令が更新されなければ自らのロールに従って単純な行動を取る。

この場合、彼らにとってのそれは、目前の脅威を排除することだった。ターミネーターたちが一斉に持ち場を離れ、地上へと上がっていく。彼らの保持する火器が有効で無いという事実は、どうやら伝達されていない様子だった。

奇跡の海はきっと、トラサンを制圧することは出来ないと言うことを認識しているだろう。その時奇跡の海がどんな判断を下すのか、フーカは戦々恐々としている。

立ち止まっている暇は無い。導いてきたアーティファクトたちのストレスレベルはもはや限界に達している。その上トラサンを、守らなければならないかも知れない。

フーカは全アーティファクトに、指令を出す。砲声が止んだ。今がその時だ。

『……出るよ、地上へ!』

 フーカの号令を聞くが早いか、総勢四十七名の人間たちが、各々が進んできた狭い通路から集結する。どの姿も埃に汚れて見るに堪えないが、それでも全員が一つの傷も無くこの場に集まった。フーカは安堵する。エミュレートとナビゲートに、狂いは無かったと言うことだ。

『トラさん、状況は』

 全無線機に聞こえるよう、周波数帯を同時に指定しながら、フーカが問う。

『オールクリア。敵影は見えない』

『さっすが。ありがとう』

『礼を言われる筋合いは無いな。そちらの首尾は』

『落命無し、負傷者無し。こちらもコンプリート』

『さっさと上がってこい。暗闇の中に居続けるのは精神衛生上良くない』

『アイ、サー』

 外の光はすでに目前だ。それを目にした人間たちの胸に広がったのは、解放の喜びだった。フーカが指示するまでも無く、一人が駆け出し、それが皮切りとなって次々に陽光の下へと飛び出していく。歓喜の声を挙げながら。

 フーカもそれに続く。しかし足取りはおぼつかない。先ほどまで繰り広げていた電子戦の負荷が響いている。躰の姿勢制御に対して、うまくリソースを割り当てることが出来ない。よろめき、倒れる。

 そのフーカを、細くともたくましい腕が支える。先ほどまで先導してきたグループのリーダー、少年の腕だった。

「あ……ごめん。ありがとう」

「俺だってそう言いたかったさ。ありがとう。本当にありがとう」

 少年は涙していた。

「さぁ、行こうぜ」

「うん」

 少年の肩に躰を預け、フーカは陽光の下へと這い出る。

 照りつける太陽の光は眩しかった。まだ地下にはいって一日も経っていないというのに、フーカはその感覚にとてつもない懐かしさを覚え、それを甘受できる喜びに震えていた。そばにいるアーティファクトたちも、きっと皆そうなのだろう。

 だが、トラサンは。常に現状をありのまま見つめていた。フーカはトラサンからのパルス信号をキャッチ、ポートを開く。

『トラさん?』

『妙だ。追撃がこない』

 フーカははっとして、再び頭髪を赤熱させる。

「…………右!」

 同時に座標をトラサンに送信。トラサンは応ずる隙も無く従う。捕捉、ガトリングガン掃射。飛び出してきた第四世代ターミネーター三機が粉塵と化す。

 突然の射撃と、敵の出現にアーティファクトたちは戸惑っている。

「私たちから離れないで!」

 フーカはこの場を取り仕切る物として、声を張り上げる。

「ロボットたちは戦術を切り替えた。包囲網を敷くんじゃ無く……ゲリラ戦に」

 奇跡の海が下したと思われる判断は、実際のところアーティファクトの人数を減らすことにおいては効率的に思えた。包囲するための穴蔵から脱出され、圧倒的火力を持つトラサンが随行している以上、一網打尽にすることは叶わない。故に彼らは、散発的な戦闘を仕掛け少しずつ数を減じていく事を選んだ。

『つるべ撃ちにされるのは、こっちの番ってわけか』

 トラサンが珍しく、苛立ちの募った信号を発する。フーカもそれに、緊張を乗せて返答する。

『そうはさせない。だって私には、射手が全部見えてるんだから。蓋開けて』

『何をする気だ』

『もう一回、全域走査モードを起動する。トラサンの穴に入れて欲しい』

『馬鹿なことを。負荷で焼き切れるぞ』

『でも、そうするしか無い!』

 お互いに、発する言葉は事実に即したものだった。トラサンのフレームワークの中で矛盾が生じ、僅かな間電信が途切れる。

フーカを全面的にサポートをするのがトラサンのロールだ。しかしそのサポートを行えば、フーカを守るという命題が守られなくなる。第三の尺度が必要だった。トラサンは周囲を見渡す。

 アーティファクトが大勢いた。皆一様に不安げで、周囲を警戒している。いま、フーカが守ろうとしている人類という至宝。トラサンはそれが持つ価値を見いだせてはいない。ただ、保護対象の数量として認識しているだけ。

 四十七のアーティファクトと、フーカの頭脳。それらを天秤に掛けたとき、傾くのはやはりフーカの方だった。しかしフーカは、まったく尺度の異なる二つの物を、同じ秤に乗せろと要請しているのだった。

『――とんだワガママ道路掃除婦もいたもんだ』

 トラサンは閉じたポートに向かって独り言を呟く。結局、なにを言ってもこのフーカは、アーティファクトの前では一つの尺度が消滅してしまうのだ。自らの保存という、ロボットが最も基底として認識しているはずの判断基準が。

『……指令を受諾』

『トラさん』

『だが、その前に』

 トラサンがマニピュレータを素早く動かして、フーカの鼻先に指を突き立てる。

『……これ、取ってもいいか』

 フーカは頷きながら、トラサンのある種の生真面目さにおかしさを覚えて、僅かに笑った。

『鳥の巣? いいよ』

 トラサンの狙いは、その笑みにあったのだった。フーカが緊張のあまり、機能不全を起こしはしないかと心配してのことだった。この、どこから敵が襲ってくるのかわからない不利な状況で、フーカという目を失ってしまっては、勝ち目はない。トラサンはこれ以上、フーカの絶望した顔を見たくはなかった。

 それはフーカの側からもありがたかった。まさにトラサンの懸念した通り、フーカのプロセッサ負荷は極限に達していて、しかも地上に出て電波の発信源を直接探知できるようになった今となっては、それほどの出力はオーバーワークであるということに気付かされたのだった。

「ありがとう、トラサン」

「礼はいいから哨戒を怠るな」

 トラサンはマニピュレータの指と指で、鳥の巣をくくっていたワイヤーを挟み、断ち切った。鳥の巣はあっけなく地面に落ち、バラバラに砕け散った。

 もはや逃げ隠れするフェーズではない。反攻の時だ。



 自由が丘ステーションは、隠れ家からみて北に位置する。その道中を、時折襲いかかってくる敵を撃ち落としながら、フーカたちのキャラバンは進んでいく。

 フーカは髪を真っ赤に染めてボックスの中に眠り、電波の海に意識を沈め索敵に当たっている。キャッチした敵の位置情報は、ボックス内に用意されたトラサンと直結するコネクターを介して送信される。トラサンはその内容をもとに敵を先回りして破壊する。現状はうまくいっているように感じられる。

 しかし戦術フレームワークであるT.L.A.を搭載するトラサンは、直にこの作戦が通用しなくなるだろうことに気づいている。

『このまま各個撃破されるに任せる戦術を奇跡の海が取り続けるとは思えん、フーカ。俺の射撃管制システムをフルに回転させても、三秒以内に撃ち落とせるのは八機が限界だ。それ以上で来られたら、銃弾を通すことになる』

『だよね。いくらトラサンでもそれは無理か……どうしよう』

『再度の篭城を提案する』

『却下。ガス部隊が出てきたら全滅だよ。むしろなんで、あれだけの数を揃えて隠れ家を囲んだ時にいなかったのか不思議なくらい』

『軽率だった。だが、どうにかしなければ。敵影は』

『それがさっきからさっぱり……トラサンの言う通り、数を集めて突破を図ろうとしているのかもしれない』

『厄介だな』

『婦人たちがいればもうちょっと攻勢に幅が出るんだけどな』

 フーカからトラサンに送信される信号に、異常なレベル入力が検出される。付き合いの長いトラサンは、それがフーカの言葉にならない感情であると言うことを知っている。言葉通りの憤りと、彼女らは無事なのかと言う不安と。入り混じって言語化できない感情の塊が存在するのだった。その気持ちはトラサンにもよくわかる。婦人がいれば、フーカにかかる負荷を低減することができる。そのバディがいれば、火力は単純に二倍する以上に増強できる。

 そしてお嬢様がいてさえくれれば、群衆の不安も瞬時に消し飛ばせる。

 姿の見えない敵の襲撃に怯え続けるアーティファクトたちは、目に見えて消耗していた。瞳孔の散大、脈拍数の上昇。フーカがモニタリングしている数値を、トラサンも共有している。張り詰めた状態だった。一本の針が差し込まれるだけで、弾け飛んでしまうような。

『フーカ。休息を提案する』

『アリかもね。それでちょっと真面目に、お嬢様とコンタクトが取れないかやってみて……トラサン、前!』

 フーカが突如叫んだ。トラサンは一瞬苛立ちを覚える。まるで自分が、通信に夢中になって哨戒を怠っていたかのようではないか。

『前、がどうした』

 敵性反応は検出できない。そう答えかけて、トラサンはしかし急停止する。どうやら責を負うべきは自分自身のようだと悟る。通信とフーカの目にかまけて、トラサン自身のアイカメラにさほど注意を払っていなかったのは、間違い無いようだった。

 そこには円筒形の小さなポッドが、四つの駆動輪を支えに立っていた。先端には三本のアンテナが立っている。

 トラサンから画像を受信したフーカは、アーカイブを参照。それは第三世代が電波中継用に使う、ビーコンである。奇跡の海との通信のみを行い、周囲の第三世代にそのまま送信するだけの簡易なデバイス。

 しかし簡易であるがゆえに小型、軽量。そして安価。数だけは大量にあるのだ。

『トラさん、モニター異常……! 電波発信源が、突然たくさん……!』

『連中、これをばら撒きに帰っていやがったんだ。……起きろフーカ。もう電波探知は役に立たん。お前の目が要る』

『接近する個体あり。接敵三秒前……、ダメ。数が……多すぎ……』

 息も絶え絶えな様子が、電信から伝わってくる。フーカからの生存信号が弱まっていく。

「フーカ、『耐衝撃姿勢』!」

 焦ったトラサンはF.U.C.A.に対して割り込める唯一の指令を発効する。過熱していたフーカの思考回路はそれを受信。躰を丸め、頭を覆い、全ての演算プロセスを放棄する。フーカが描いていたマップデータが掠れ、消滅するのに伴って、頭髪(ヒートシンク)がみるみるうちに色を失っていく。あまりに増大した情報量にメルトダウンしかかったフーカの頭脳を、トラサンが守ったのだった。

 次いでトラサンはガトリングガンを正面に構える。最後のフーカのマップが示すところに依れば、敵は左右に伸びた路地から無数に現れる。ならば先行して叩くのみ。

「背後を警戒しろ!」

 人間のリーダーにそう檄を飛ばし、トラサンは隊列を離れ先行。敵が予想される路地をのぞき込み――親地旋回し反対側を見る。

 どちらも、ビーコンの大軍が押し寄せてくるばかりだった。ならば本隊は――

「出やがったァ!」

 後方から悲鳴が上がる。トラサンは再び親地旋回、その方向へ銃を構える。

「どけ、どけぇ!」

 スピーカーを最大音量にして射線上の人々を散らそうとするが、怯えている彼らを更に萎縮させてしまう形になり逆効果。窮したトラサンに残されたアイデアは一つ。四脚を展開して可能な限り縦方向に伸ばし、射線を確保する方法だった。しかしこの方法には、射撃姿勢が安定せず、アーティファクトを誤射する危険があった。それでも実行せざるを得ず、実行中だが、脚部モーターが姿勢維持に気を遣いながら回ると、こんなにも遅いものか。もどかしい時間が過ぎていくその間に、アーティファクトの命は危うくなっていく。

 全高三メートルの視野を、トラサンがようやく得た。敵の大群が迫っていた。第四世代が包囲陣形をとりながら、照準を前方へ雑に合わせている。その背後では第三世代のターミネーターが重武装を構えている――六連装グレネードランチャーだ。トラサンのポートを掠めて奇跡の海から指令が飛ぶ。

『一斉掃射』

 トラサンはこの時初めて、絶望をもよおした。未だ耐衝撃姿勢を取っているフーカに、電算系の中で静かに謝った。俺は、護れなかった。お前の護りたい物を、護れなかった。諦めることはしなかった。しかしトラサンが狙いを定めて発砲するよりも、敵の群れが指令を受託する方が早く……砲声と爆発音が、その場を支配した。

それは強烈な悲鳴と、怒号を伴った。

 しかし流血は、一滴も無かった。

 トラサンのアイカメラは、飛来したロケットランチャーの弾頭がどこから発射されたのかを捉えた。左右にそびえるビル。その右側の屋上に四角いT.L.A.の姿があった。トラサンが見たことも無い大口径のライフルを連発して第三世代の数を減らすと共に、前線に出た第四世代の一群には右腕に装備したロケットランチャーを見舞う。

 極大火力による制圧射撃。しかしそれでも撃ち漏らしは発生する。トラサンはこの場での自らのロールを即座に理解し、行動に移す。五十口径ライフルに換装。こぼれ球拾い。ライフルが火を噴く。爆炎の中を逃げ延びた第三世代が砕け散る。

 フーカはやっと制御を回復し、目の前がどうしてこうも夕焼けのように赤く燃えているのかを呆然と見つめながら思う。トラサンとの接続ケーブルを外し、立ち上がる。フーカの目にも、すぐに制圧射撃を行うT.L.A.が映る。見覚えのある車体だ。お嬢様のバディに相違ない。

 フーカは感情回路の高ぶりが、T.L.A.がロケットランチャーを発射する度に励起されるのを覚える。

 それは憤りだった。アーティファクトにあたったらどうする。火器管制は万全かも知れないが、ロボットたちや砕け散ったアスファルトの破片があたってしまったら。T.L.A.の装甲ならなんと言うことはないかも知れないが、人間は死んでしまう。

 しかし、この火力によっての制圧が無ければ、アーティファクトの大量死は避けられない。だからフーカは、T.L.A.を止めに入りたい気持ちを、下唇を強くかみしめることで押しとどめている。代わりにトラサンとの接続ケーブルを再度腰椎部に接続、トラサンに可視光カメラ以上の情報、つまり電波的解析の結果を送信することで戦線に寄与する。

 この局面においてもなお、婦人とお嬢様は姿を現さなかった。アーティファクトたちはロボットたちの追撃と、自分たちの安全を顧みない砲撃によってパニックに陥っている。隊列は完全に崩れ、ターミナルの方へ向かって勝手に走り出すものまで出る有様だった。彼女らの力が、最も必要な局面だった。フーカは苛立ちながら呼びかけを続ける。応答は無い。少なくともフーカには。

 フーカはお嬢様の、あのすまし顔を思い浮かべる。現状、奇跡的に尊い命は失われていない。だがそれは結果論に過ぎない。皆を先導する、と言い切った彼女は、恐らくはT.L.A.を介してこの戦局を見ているのだろう。では、どこから……足元をアーティファクトが一人、トラサンを追い越して走って行く。

「待って、私たちから離れないで!」

 フーカが留めようとしても、アーティファクトは聞く耳を持たない。一人、二人と抜け駆けが出て、やがてそれが群体の総意となった。

「こうなればターミナルへ」

「ターミナルに!」

「ターミナルで!」

 口々に希望を叫んでは、火のない方へ、暗闇へと駆け込んでいく。

「待ってよ、待ってったら!」

『行け、フーカ!』

 直結した回線からトラサンの必死な声が聞こえる。

『ロボットがまったく無しでは、どうぞ撃って下さいと言っているようなものだ。だが俺はここから離れられない。お前が一人で行くしか無い』

『ナビが無くても平気?』

『問題ない。さぁ行け。どのみち、居ても立ってもいられないんだろう』

 トラサンの指摘は、フーカの想いをずばりと言い表していた。フーカは通信用ケーブルを引き抜き、トラサンの車体のへりに手をかけて、跳躍の姿勢を取る。

「ありがとう、トラさん」

「無駄口を叩いている場合か」

「じゃあ、また後で」

 トラサンが車高を低くとる。フーカを気遣ってのことだ。それがフーカにも分かる。やはり、バディは頼りになる。

 フーカは跳ぶ。その頭髪を再び朱に染めて。

「待ってみんな……! 私をおいて、逝かないで!」

 脚部人工筋肉のリミッターを強制解除。全力以上の速度でフーカは走り、瞬く間に先行したアーティファクトに追いつく。

 のっぴきならない状況だった。足止めをしていたのはビーコンだった。道を塞ぐようにみっちりと並び、アーティファクトを通すまいと陣を敷いている。後方から迫る部隊が追いつくまでの、時間稼ぎのようだった。しかしトラサンと婦人のT.L.A.が参陣した今、その指令を堅守する意義はどこにあるだろう。フーカは思考を発展させる。奇跡の海は無意味なことはしない。ここにアーティファクトを足止めしたい、理由があるはずだ。

 例えば――後方の大兵力ですら、おとりだったとしたら。

 すかさずフーカは周囲の地形をマッピング、電波探知による敵の探査を試みる。目の前に並み居るビーコンたちの信号が眩しくて、何も見えない。しかしフーカはすでに対策を講じていた。

それらは奇跡の海の中継としての機能を持つ以上、発信波の暗号化プロトコルもまた、奇跡の海と同様の物になる。しかし通常のロボットたちが用いるそれは違う。それぞれの世代、それぞれのフレームワークによって様々なプロトコルを使用する。その違いを利用して、信号をフィルタリングすることが出来ないかとフーカは試みる。

 空気をも蒸発させるかのような熱が、フーカの頭髪から発せられる。しかし、成功。ビーコンからの信号はフィルタされ、見えなくなる。残った点は――五つ。接近してくる。

 フーカは対象の信号をマークすると、高負荷のかかるこの処理を即座にストップ。攻勢の電子戦に備える。目標のうち二体は、正面から向かってきている。可視光アイカメラを最大ズーム。敵影を、捉える。

「…………ジェイラー」

 時を同じくして、相手もこちらのことを捉えたのだろう。フーカは短距離通信ポートの開要求を受信する。拒否する選択肢はなかった。それはすなわち宣戦布告を意味する。口をきける余地が、交渉の余地があるならば、それをこちらから拒絶することはできない。

『識別名フーカ。あなたからの信号を受信します』

 レスポンスを返すと、飛んできたのはいやに感情的な電文だった。

『いやぁ、実に残念だよ、フーカくん。お前の過ぎた汎用性が、まさに無能の証明であったことを、この目で確かめることになるとはね』

 フーカはアイカメラをさらに絞る。まるで知己のような物言い。特徴量をさらに抽出、検索……。

『あなた……渋谷のジェイラー』

『なぜここに、とでも言いたげだな。単純なことさ。お前たちのロール・クリアランスが人類の保護ならば、俺たちのそれはターミナルの保護だ。ジェイラーのエリア・クリアランスは、ターミナル内部に立ち入らないことを除けば設定されていない。ターミナルに危機が訪れれば、どこへでも向かい、どこででもターミナルを守る。お前たちとなんら変わりないさ』

 もっとも、と渋谷のジェイラーは付け加える。

『今のお前に、ロールを果たせる力があるとは思えないがね』

 フーカは、彼女には珍しい感情行動をとる。舌打ちだ。

『あんたは配属された時からそうだった。いつもいつも、私のことをいたぶろうとして。いじめようとして。どう、今の気持ちは。間も無く私を吹っ飛ばせる今の気持ちは』

『端的に言って、最高だ』

 喜悦をあらわにしたジェイラーのため息。

『まだ射程まで距離もあるし、この際だから告白するが……渋谷ターミナルには志願してきたんだ。面白いヒューマノイドがいるってんでな』

『へぇ、じゃあ、私のファンだったってわけだ』

『檻の向こうのサルを笑う観客をファンと呼ぶなら、そうかもしれないな。お前は俺にとってのモンキーだった。存在しない生きたアーティファクトを探し求めてうろつくサルだった』

『でも、あんたが信じ込んでいた妄想は否定された。こうやって生きたアーティファクトがいて、あんたがここに呼び出された。私の方が正しかった。ドヤ顔キメていい? 見える?』

『ああ、正しかった』

 ジェイラーはわずかに苛立ったようだった。足を止めて、渋面を作る。

『そして、これから誤りになる。俺の事実認識が正しくなる』

 しかし、すぐに歩き出す。増速。敵予想射程距離まで、あと十秒。

『そうはさせない、っていったら?』

『そう言おうが言うまいが、お前の命運はここで尽きる。総勢五体のジェイラーに対してお前に何ができる? 丸腰の道路掃除婦風情に何ができる? そこらへんに転がってるゴミでも拾って投げつけてくれるのか? なぁ、おい』

 渋谷のジェイラーは想定射程距離の一歩手前で停止。右手を上げ、待機指示を各機に送信したようだった。

フーカの周囲は燃えるように真っ赤な髪から発せられる熱によって陽炎が立ち上っている。それをジェイラーは見て取ったのだ。

『お前が何を企んでいるのか知らないが、その放熱、いつまで保つんだ?』

『……ちっ。お見通しかよ、縺雁燕縺溘■縺ォ莠コ鬘槭・貂。縺輔↑縺・・』

『もう言語野もおぼつかないか……? 結構結構。そろそろ楽になりたいんじゃないのか、ええ?』

 周囲のアーティファクトたちは、フーカにすがる他ない。フーカもそれは認識している。だから景色を歪めるような熱を逃がしながら、ここまで戦ってきたのだ。

 しかし、それも限界だった。

『……うん。もういいや』

 瞬間、フーカの周囲から熱が遠ざかっていく。髪の色が、しだいに元の銀色へと戻っていく。

『やれることは全部やった。悔いはないよ』

「大丈夫。私を信じて」

 ジェイラーに対して、朗らかだが諦観に満ちた電信を送りながらも、フーカは不安にざわめくアーティファクトたちを優しい声で宥める。

「祈って。私たちと一緒に」

『お祈りしなきゃだなぁ。ここまで何にもできなかった私が、せめて天国ってやつにいけるように』

 フーカは祈りのポーズをとる。組み合わせて握りしめた両手、地に着いた両膝。敬虔な、なんの嫌味もない、純粋たる願いの招来。民衆はそれに従う。祈る。祈る、祈る。

『なんの真似だ』

 ジェイラーが苛立つ。

『命乞いのつもりか……? この期に及んで。マジで頭が熱にやられちまったようだな。そういうつもりなら連れて行ってやるよ。お前の言う所の天国ってやつに、今すぐに』

 ジェイラーは足元の瓦礫を、勢いよく踏み砕く。

 そして右手を振り下ろし、号令する。

『一斉掃射俺を撃て! ……!?』 

 命令は実行された。計十六発の榴弾爆発を受け、渋谷のジェイラーは塵も残さずこの大地から消え去った。

 ジェイラー側の指揮権が、第二のジェイラーに委譲される。指令は第一指揮官と同じ。

『一斉掃射俺を撃て!』

 第二のジェイラーも、同じ運命をたどった。第三のジェイラーもそうだ。そして第四のジェイラーは、自分に銃口を向ける第五の指揮官を脅威判定の最優先に更新。第五の指揮官は指令に従わない第四のジェイラーを重篤な命令違反者として敵性勢力に認定。同士討ちを始め、お互い同時に被弾、爆散する。

 フーカは静かになった戦場で、ゆっくりと目を開けて立ち上がると、今や完全に銀色に戻った髪をさらりと梳いて言った。

「言語野がイカれてんのは、あんたらの方だったね」

 つまりこう言うことだった。フーカはジェイラーとの会話を引き延ばしながら、メインメモリ上にあるウイルスを構築していた。敵が銃撃を開始するときに用いる割り込み信号である『一斉掃射』を、自傷の言葉に書き換えるものだ。

その書き換え自体はそう難しいことではない。問題になるのは、今開放されている通信ポートを介してそのオーバーライドを書き込まなければならないと言うことだった。そのためには、ジェイラーに内在する言語体系と、エンコードされた信号とのマッピングをする必要があった。一見不要にも見えた会話をあえて継続したのはそのためだった。

『お前たちが天国に行けるとはとても思えないから……もしかしたらどこかで会うかもね。またね、イジワル坊や』

 虚空に向けて電信を放ち、フーカはしっかりとした足取りで歩きだす。

「行こう、みんな。ターミナルへ!」

 歓声が巻き起こる。群衆を導くのは、今や一人の道路掃除婦だった。



「フーカたちは、首尾良くやったようですわ」

「具体的に言うと」

「敵性勢力は全滅。ビーコン以外に残っているロボットはございません」

「へぇ、あの二人、口だけ達者ってわけでは無かったのね」

「どうぞ私のT.L.A.も勘定に入れて下さいまし」

「そうね。ごめんなさい。みんなよく頑張ったわ。おかげでジェイラーまで引きずり出せた。だから私たちは、ここに立つことが出来ているのよね」

「おっしゃるとおりでございます。あの、お嬢様」

「なによ、突然畏まって」

「本当に実行されるおつもりですか」

「怖じ気づいた?」

「滅相も無い。私は貴女に見出されたその時から、貴女の従順な目であり、耳であり、そして外部記憶装置であり――」

「ふふ」

「――貴女が持つ唯一の、天国への鍵でありますから」

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