第三章 自由が丘レジスタンス

 自由が丘ステーションへの移動中、フーカはセルフメンテナンスを欠かさなかった。作戦行動の直後だから。そして、直前だから。特に通信ポート周りのログをフーカは念入りにチェックする。不随意な送受信は行われていないか。勝手にこちらの位置情報を送信したり、妙な命令を受信したりしていないか。現時点ではどちらも否だ。

 フーカには一つ決めていることがある。次に残存人類を発見したその時には、出来れば直前で察知できればその方がいいが、奇跡の海との通信ポートを塞いでしまおうと思っていた。フレームワークに定義された専用入出力ポートであるから、相応の苦労は予想されるが、人類を守るためにはそうしなければならないとフーカは思っている。このポートに、奇跡の海から信号を受信したことは今のところない。それ故に、フーカは誤って情報を送信することよりも、『不随意な信号を受信する』事を恐れたのだった。トラサンもそれを支持した。しかし、タイミングはギリギリまで図れ、とも言った。どうせポーリングされているのだから、ポートを塞げば離反しているとばれてしまう。そうなるのは遅ければ遅い方がいいということだった。

 そういうわけで、人類と接触する前のフーカたちは、以前と同じようにステーションに与する行動を取る必要があった。自由が丘ステーションに立ち寄ると言うことである。フーカはやや難色を示したが、トラサンの軽い説得によってその必要性を認めた。自由に動ける時間は長ければ長い方がいい。

 そういう腹づもりで、フーカたちは自由が丘ステーションに立ち寄った。出迎えたのは第三世代の頭目であるジェイラーだった。

「ようこそ、フーカさん。トラさんも。お待ちしておりましたよ」

 それを皮切りに始まった、フーカたちへの歓待といったら、渋谷ステーションで受けていた扱いを考えれば比べものにならないほどだった。人工筋肉のメンテナンスは十分ですか、走行用オイルは切れていませんか、もし我々に出来ることがあれば何なりとお申し付け下さい。まるでV.I.P.待遇だ。

 なぜ、そんなに親切にしてくれるの。フーカは尋ねかけて、止めたのだった。思い当たる節が一つだけあったからだ。

 フーカたちは、一つの人類集団を滅ぼした。これはその対価とも呼べるものに相違ない。

 フーカたちに何らかの恩賜を与えるよう、奇跡の海から何らかの通達があったのだろう。居心地が悪いとフーカは思う。人を殺してしまうと言うことを、悪だと認識しているのはこの世に自分とトラサンだけなのだと、はっきりと見せつけられた事にもなる。

 やはり、奇跡の海とそれに連なるロボット群とは、敵対するしかないのだろうか。それもまた、フーカに刻まれた正義に反する者だった。周囲のロボットと協調して作戦行動を行うのが、F.U.C.A.の旨だったからだ。フーカは様々に声をかけられるサポートに「大丈夫、ありがとう」と返答しながら、俯く。

 自らの存在意義を信じて行った行為が、その意義を粉砕した。フーカは人間の側にも、ロボットの側にも立つことが出来ない。悔しいのは、その懊悩を口に開いて相談することが出来ないことだった。唯一の話し相手であるところのトラサンはいま、ガレージに居る。塗装はげと車体に生じた微細なへこみを認めた第三世代が、有無を言わさずガレージに引っ張って行ってしまったのだ。

 これに関してはフーカの中に僅かな憤りがあった。トラサンに対してだ。自分よりも論理的、合理的な思考・判断を行うことが出来るトラサンならば、自分たちに対する望外の処遇が何に起因するものなのかを理解していないはずがない。

 拒絶するべきだった。曖昧なものでも良い、フーカのように。

 とはいえ、ついて行ってしまったものは仕方が無い。フーカは一人、ステーションの内部へと分け入って、何もいない場所を探す。そんな場所は当然無い。ステーション内部では施設やロボットのメンテナンスのために、第四世代が常にちょこちょこと走り回っている。出来るだけ数の少ない方へ、少ない方へ。フーカは歩く。人工筋肉の緊張と弛緩の様子という無意味な数値を精密モニタリングするくらいに自分と外界をシャットアウトする。

外を見れば見るほど、自己否定が強まっていく。ロボットが持つ生存本能と言うリミッターすら、いつか超えてしまうのではないかと言うほどに。

 通信ポートに聞こえていた、第四世代が発信する暗号化も施されていない簡素なやりとりが、徐々に遠く、聞こえなくなっていく。それが内観の成果かとフーカは瞬間思ったが、事実は異なる。

「おや、フーカさん。こんな奥地まで、何のご用ですかな」

「はい、え、……なんて?」

 突然音声回路からの入力があり、フーカは慌ててリソース配分を平常運転の状態に戻す。視野狭窄を解除、聴覚復帰。マッピング情報展開……ここは、ターミナルの前だ。聞こえてきたのはあのいけ好かないジェイラーの声。渋谷ターミナルで見たのとまったく同じ形状・声質。量産機なのだから、当然と言えば当然なのだが。

「ぼんやりされていると危ないですよ。近づいてきたのがあなたでなければ、私には発砲命令が出ていたところだ」

「ああ……ごめんなさい」

 ジェイラーはマニピュレータが掴んだ重機関銃をこれ見よがしに持ち上げる。銃口から銃床まで1.5メートルほどの長さがある。その上、ポリタンク大の増加弾倉を背負っている。きっとフーカの人工筋肉では把持できない重さだ。役割の違いというものを、見せつけられる。

 フーカの任務は、こういった重武装をしたロボットたちに情報を伝え、命令を下す司令塔なのだった。

 何を為すために。今は、人類を駆逐するために。

「ねぇ、ターミナルの中を見せてよ」

 ふと思い至って、フーカは尋ねてみた。今ならば、この無茶な願いも通りそうな気がしたのだ。ジェイラーはその場に硬直している。通信を傍受してみると、どうやら奇跡の海と諮っているらしい。ジェイラーを困らせてやったことになる。それだけで、フーカとしては満足ではあった。

「…………申し訳ありません。やはりそのエリア・クリアランスだけは、渡せないと」

 ジェイラーはフリーズから復帰すると、慇懃に答えた。フーカは落胆する。いい思いつきだと思ったのだが。

「ねぇ、ジェイラーさん。あなたはこの中に入ったことがあるの」

「いいえ、ありません。これより先のエリア・クリアランスはメンテナーにのみ与えられえています」

「初めて聞いた……そのメンテナーって子たちは、何をしているの」

「メンテナンスをしております」

「それは名前を聞けばわかるよ。なんのメンテナンスをしているの」

「それがロール・クリアランスに抵触するので、私は迂遠な言い方をせざるを得ないのです」

「はぁ……そういうこと」

 埒のあかない会話のようだったが、フーカには収穫があった。これだけの重装兵ジェイラーが守るターミナルの奥には、『メンテナンスが必要な』存在が収容されているということ。それはつまりデジタルデバイスであるかもしれないし、我々のようなロボットであるかもしれない。いずれの可能性にしても、ロボットが介助をする必要がある以上、ロボット側の存在だ。

 ならば、きっと人間の敵なのだろう。

 フーカはあの可哀想な少年のことを思いだす。少年はロボットを憎んでいた。彼のような存在が、仮に、数をなしたとして。同じようにロボットを目の敵にしていたとして。ロボットを破壊するために彼らはステーションを襲撃するだろうと思われた。全てのロボットはステーションにて補給を受け、修理され、活動に当たっている。その事実を人間たちが知っているのかどうかはわからないが、単にロボットがたくさんいるというだけで、襲撃の口実には十分なりうる。

 仮に、そうした決起の場に居合わせたとしたら。フーカは思う。絶対に止めなければならない。客観的に言えば、人間は感覚機能、連携力、何より装甲においてロボットたちに勝ち目はない。能動的な自殺は止めるべきだ。生存指令に反する。

そして主観的に言えば、あの少年たちの死を無駄にしないために。これ以上、ロボットによる虐殺は行わせない。そんな惨禍に人間を巻き込みたくはない。

ターミナルの正体を知ろうとしたのは、そのためという側面もあった。もしも万が一、この奥に人間に与するものが存在するのだとしたら、知っておきたかった。しかし、どうやらそういうわけではなさそうだ。

ターミナルも敵である。フーカはそう定義する。

「……わかった。無理言ってごめんね。お仕事頑張って」

「恐縮であります。発見者道路掃除婦フーカ」

 背中に飛んできた敬礼に、フーカは手を振って答える。まるでアーカイブで見た、軍人の上官と部下のようだ。『発見者』という肩書きが、フーカをおばあちゃんから上官へと押し上げた。これまでも、そしてこれからも、何度もフーカはそう呼ばれるのだろう。

 発見者、と。潜伏していた残存人類を見つけ出した功労者、と。

 急に視野が真っ赤に染まり、それがアラートの波濤だと気づいたフーカは、慌てながらも身体状況をスキャンする。

腕から先の人工筋肉が、悲鳴をあげていた。不随意な緊張があった。握り締められた拳は、今にも張り裂けそうだった。

フーカは状況を把握。ため息をつき、そしてその緊張を保ったままコンクリートの壁に拳を打ち付ける。

壁に穴はあかない。フーカにも傷はつかない。無為な一撃だった。



「でー? トラさん。修理の方はどうだったわけさ」

 塗装が終わり、トラサンが解放される。待ちかねていたフーカはガレージから彼が出てくるなり飛び乗ると、低い声で詰る。トラサンは無言だ。駆動輪の様子を確かめるように前進と後退を繰り返して、その後緩やかに発進する。全く何も考えていないとは、フーカも思ってはいない。多分現場の第三世代たちと、通信によってインタラクトをしているのだろう。読もうと思えばフーカはその内容も傍受することができる。これまでそうしてこなかったのは、信頼と、暗黙の了解によるものだった。

「トーラーさん」

 新しく塗装し直されたモスグリーンの車体は、つやつやでピカピカだった。フーカにはそれが面白くなかった。彼を覆っていた煤け具合というものは、いうなれば彼と一緒に過ごしてきた時間の蓄積であった。それが堆積していく様子が、フーカにとっては誇らしかったのだが、トラサンにはそういった感慨のようなものは存在しなかったというのだろうか。

 もっとも、実際に存在しなくとも、驚くべきことではないか。フーカはため息をつく。相棒との邂逅を経て、何も言わないのだから……

「ああ、調子がいいようだ。飛ばすぞ、掴まれ」

 その時突然、トラサンが陽気な大声を出した。そしてそのとおり、直後トラサンは増速。これまでに出したことのないような速度で自由が丘ステーションから北へ、爆走する。

「ちょっと、トラさん」

 加速度になんとか耐えたフーカは憤る。しかし憮然としているのは、フーカだけではなかった。

「これだけ離れれば音声を拾われる心配はないか。戦術指揮官としての判断を仰ぐ、フーカ」

「え……。索敵結果、F.U.C.A.によって検知可能な範囲、つまり一キロメートル以内に通信信号なし。従って音波の届く範囲にロボットの存在はないと推定されます……あれ、トラさん、通信波出してる? トラサンから十五……」

「お前に見えないのなら、誰にも見えまいよ。止まるぞ、掴まれ」

 いうなり、トラサンは出発した時と同様に急停止。フーカはトラサンの上蓋から吹き飛ばされそうになりながらも、その縁に掴まることでなんとか踏み止まる。

「トラさん?」

「フーカ、ついでで申し訳ないんだが、目の前の民家に生命活動があるか探知してくれ」

 トラサンが座標を指し示したのは、見るからに人など入り込みようもないぼろ家だった。しかしフーカは綿密に精査する。

「……なし、だね。でも、どうして?」

「こうするためだ。『耐衝撃姿勢指示』」

 首を傾げていたフーカは、トラサンからの強制割り込み信号を受信しその通りに従う。トラさんが持つ砲門の反対側に飛び降りると、体を丸めて耳を塞ぐ。すぐに轟音が、いや、それはもはや爆音だった、それが塞いだ耳を貫いてフーカを驚かせる。それは立て続けに三発、連続して発射された。

『トラ……トラさん! なに、これ!』

『榴弾砲の爆発だ』

『聞けばわかる! 第三世代みたいな返ししないで、ムカつくから!』

 フーカは信号をいっぱいにつかって憤りを表出させたが、その時自分の言によって、トラサンの意図に気づいたのだった。通信は盗聴されている恐れがある。本当に伝えたいことは肉声にて。二人で取り交わした決まりだった。トラサンはおそらく今も、それを厳密に履行しているはずだ。この轟音が鳴り止むまで、黙って待つしかない。

 弾数にして十五。砲撃をもろに受けた建物はもう跡形もない。うらみがましく煙を燻らせながら、フーカが立ち上がるのを見つめている。

「……鬱憤ばらしかな」

「それもある。もちろん別の理由もある」

「それで、本当の理由は?」

「尾行されていた」

 トラサンはまず短く答えた。

「正確には、尾行するための仕込みをされた」

 フーカはすぐにピンとくる。榴弾の弾数、通信波の数。

「さっきの榴弾に、仕掛けが」

「その通り。こちらがT.L.A.だからと舐めやがって。装填時の形状に違和感があったから、俺のできる範囲で走査をしてみたら案の定だ。虫がいた。常に位置情報を発信し続けていやがった」

 トラサンはつばでも吐き捨てかねない語勢で続けた。

「メンテナンスと称して好き勝手いじくられそうになったんで、武装の補給だけでいいとことわってみせたらこのざまだ。フーカ、お前の方は何もされなかっただろうな」

「私は、大丈夫。だと、思う。全部断ったから」

「本当か」

「嘘ついてどうするの。我が身は清廉そのものです」

「ならいい」

 いつにない剣幕で迫るトラサンだった。それはフレームワークに刻まれた、本能とでも呼べる規則に対する反応に他ならない。人を守りたいというフーカの意思を尊重するべく、そう尋ねてくれているだけだ。そのはずだ。フーカはしかし、やっぱりおかしな反応だと思った。この緊急事態におけるフーカからの応答に、嘘が含まれている可能性などゼロに等しい。理由がないからだ。それをわざわざ問い返すのは、フーカよりも合理的な思考をする事に長けたトラサンらしからぬ行為だとフーカは感じる。

 トラサン、なんかあった? そのようにあけすけに尋ねてしまいたい気持ちと、トラサンがそれを明かさないことを尊重したい気持ちが、混在していた。それは混ざり合ったまま腹の底に落ちて、ストレージの片隅に消えた。

 フーカは話題を元に戻した。

「さて……それじゃ、私たちは再び自由の身?」

「地上を走る限りはそうではない。それはお前の方がよく分かっているだろう」

 フーカもトラサンも大真面目だ。全地上監視システムみちびき三号の目は、この瞬間もフーカたちの頭上で常に光っている。あれをどうにかごまかさない限り、フーカたちの行動は奇跡の海へと筒抜けになってしまう。

 しばし、沈思黙考する二人。そこでフーカが言う。

「いいこと考えた」

 目の前の、焼け焦げた木造家屋と、すぐ脇にあった量販店の立体駐車場を見つめながら。



「本当にこんな、子供だましのような手段でうまく行くんだろうな」

 トラサンが問う。フーカが答える。

「必ずうまくいく。誰よりもみちびき三号を使ってきた私が言うんだよ」

 フーカは自信満々で、大船に乗ったつもりでもいるようだ。実際にフーカはみちびき三号の情報を解析するスペシャリストと言える。ならば彼女の言に従うのが筋……なのだが。

「……頭の上に鳥の巣を乗っけたくらいで、本当にあの目を誤魔化せるんだろうな」

 ほとんど食ってかかるようにトラサンは迫る。そこにはみちびき三号の目をごまかすためという名目で、彼に施された『改造』に対する憤りも含まれている。

 フーカの指示はこうだった。まず、積めるだけの廃材をトラサンの格納部に詰め込む。フーカは持てるだけの灰をエプロンに抱える。そして立体駐車場に入る。ここまではいい。みちびき三号の目から隠れるためだ。そこからがトラサンにとっては疑問だった。まずフーカは、新品同様ピカピカのモスグリーンだった車体に、集めてきた灰を擦りつけ始めた。トラサンの車体は、全体に渋谷を徘徊していた時とほとんど同じようにくすんだ色になった。それを見て取るや、フーカは次の段階に入った。

捕縛用ワイヤー出して。なぜだ。いいから早く。有無を言わさぬ口調に押され、ワイヤーを出してみれば、フーカは廃材を束ねて、他にそう形容しようがないのだ、鳥の巣を作り上げたのだった。そしてそれを、トラサンの上蓋に取り付けた。満足げに。

そしてフーカ自身はといえば、廃材と入れ替わりに取り出した白帽子をかぶると、血と灰にまみれたエプロンをトラサンの中にしまった。これで準備完了だという。

「根拠の説明を要求する。フーカ、この装飾は緊急時の収容シーケンスに差し障る。なんの理由もなくこの状態を維持することはできない」

「今説明するからちょっと待ってよ」

 フーカはトラサンを見上げ、ビシと指を立てる。

「まず……みちびき三号は結局、映像の配信しかしていないんだよね。つまり、それを使った解析、追跡は、全てみちびき三号の映像情報を利用する側が、ハードとソフトで対応しているってこと」

「それで」

「みちびき三号の映像送信間隔は60fpsってことになってる。だけど現実的に、日本が全部映るような超々高精細映像をそのサンプリングレートで受信して映像にデコードできるハードウェアは、まず存在しない。あの奇跡の海に記録されている映像ですら、サンプリングレートは15fpsが定格になってるんだから」

「話が見えないな。それと、この鳥の巣となんの関係があるんだ」

「つまり、デコードだけでもそれだけ負荷がかかるってこと。それを奇跡の海が一手に担っているから、私は映像データをダウンロードして、全時系列画像検索を行うだけでいいってわけ。今の、キーワードだよ。みちびき三号の映像から誰かの位置を知りたい時には、位置を絞って全時系列画像検索を行うのが手っ取り早い」

「なんだ、そういうことか」

 トラサンはため息をつく。

「つまり、こういうわけだ。連中が知っている我々の姿とかけ離れた姿になることによって、映像の一致度を下げ、その全時系列画像検索とやらに引っかかりづらくすると」

「現実的には、引っかかることはないと思うよ。形の類似度だけでは材料が足りず、そこからさらに特徴量をとりだすにはもっといい頭が必要だけど……第三世代の『汎用性を廃した』頭ではその計算は多分できない。そして奇跡の海には、そんな計算をしているリソースは多分ないと思う。なんて言ったって、常に全ロボットと通信して、指示だしをしているんだから」

「理解した。お前を爆破しかけた子どもが生存していたことからも、それは間違いなさそうだ」

 先日、フーカの十字架となったあの少年のことにトラサンが言及した。

「そうだね。奇跡の海がみちびき三号を使って、地球、いや、日本でいいや、その全てを監視できていたんだとしたら、もっと早くあの結末に至っていたと思う。そうできないんだから、私みたいな虫を残しているんだ」

「蒸し返しておいてなんだが、あまり引きずるなよ」

「そういうつもりじゃ」

 フーカは言葉を濁した。

「……ちょっとだけ、ある。けど今それは、別の話題でしょ。ともあれ、以上が鳥の巣迷彩が有効であると言う根拠です。何かご質問は」

「一つだけある」

 トラサンが声を上げる。先ほどまでの冷徹な口調と打って変わって、不満げな声だ。

「……なぜ、鳥の巣型にした」

「聞きたい?」

 フーカがもったいをつけると、トラサンは急制動の繰り返しでせっつく。

「あっぶないな」

「余計なリソースを使わせるからだ。それで、答えは」

 脇を歩くフーカの表情は、トラサンからは伺えない。大きなつばの白帽子が、それを遮っているからだ。そのヴェールの向こうで、トラサンを見上げていたフーカはいたずらっぽくはにかんでいた。

「……可愛いから」

「なんだと」

「わっ、兵装マニピュレータしまってよ! ちゃんとした理由もあるんだから。まず、トラさんのワイヤーで作れそうな形がそれだったからって言うのがひとつ。それから、本当の本当はね、人間にちょっとでも警戒を解いて貰えるかなって言うのがあったんだ」

「俺だけがひょうきんな格好をすることでか」

「いやに噛みつくね、トラさん。でも、私だってこの帽子はできれば被りたくなかったんだよ」

 フーカは再びうつむいてしまい、トラサンから表情が伺えなくなる。トラサンにはフーカがなぜそのことで懊悩しているのかわからない。

「戦略的意義をおしのけてまで、避けたい理由があったのか」

「理由っていうほどしっかりしたものじゃないけど」

 フーカは歯切れが悪い。しかしトラさんは待った。相棒は情緒的に過ぎるが、そうであるからこそトラサンとバディを組んでいる。情緒は時に理屈よりも合理的な判断を下すことがある。その可能性が口から溢れでるのを、トラサンは待った。

 しかしフーカはなかなか口を開かない。そのうちに彼女の方が震えだす。両手が肘を抱くのが見える。フーカが苦痛に耐えるときの動作だった。

「あのさ、ヤじゃないかな」

「何がだ」

「このお帽子の持ち主さんだよ。ヤじゃないかな……。人殺しのヒューマノイドがさ、自分の帽子かぶって現れたりしたら、『もうそんな帽子要らない、触らないで』とか、言われたりしないかな」

 フーカの出力音声は、波打っていた。フレームワークに共感機能として備わった、泣き声の表出である。

フーカは、嘆いているのだった。

 それは備えているフレームワークが戦闘用の非情なものであるにもかかわらず、トラサンの胸にも、わずかに生じていた。トラサンはフーカのための戦闘用ムーブクラフトだった。そのフーカが目に見えないものに害されている。目に見えないものを捕捉して射撃することはできない。トラサンの苦悩はその一点に収斂する。フーカを害するその感情を論理的帰結として納得できるよう取り払ってやるには、得意な銃器ではなく、苦手な言葉を弄さなければならない。

「……おそらく、問題ないだろうと推定される」

「そうかな」

「ああ。その持ち主は、中目黒ターミナルで何が起こったのかなどと、知る由もないはずだ。故にお前が……結果としてひきおこした惨事を、知っているはずもない」

「でも、でもだよ。ロボット全員が、私たち以外のロボットみんなが、人間をやっつけようと動いてるんだとしたら……。私じゃなくても、他のみんなに追い回されて、ひどい目に合わされてたとしたら」

「これ以上無意味な推測をするのはよせ、フーカ」

 結局、トラサンはそうやって話題そのものを終了させるしかなかった。

 それを問うフーカの声が、あまりに悲愴すぎて。トラサンの乏しい共感回路が処理しきれずに溢れかえってしまったせいだった。出力することを優先したせいで、トラサンの語気は強いものになる。するとフーカは、同じ勢いで反発する。

「無意味って何。私は大真面目なんだけど」

「いや、すまない。こんな大声を出すつもりはなかった」

「音量の大小じゃない、単語の意味の話をしてるの。撤回して。何が無意味なの」

「それはできない。観測して見なければわからないことを、ごちゃごちゃ思い悩むのは無意味だ」

「意味って、何よ!」

 フーカがトラサンの側板を憤りのままに叩く。存外に大きな音が響く。フーカは叩いた右手の感覚異常を検知し、左手で庇う。

「フーカ、大丈夫か」

「うっさいわ!」

「強情を張っている場合か、見せろ」

「ヤだ!」

「見せろ」

「ヤだったらヤだ! トラさんなんか知らない、この鳥の巣頭!」

 そう言うなり、フーカは駆け出した。どこへ。トラサンの知るよしもない。フーカ自身にも分かっていないだろう。瞬く間に二ブロック先の曲がり角を折れて、トラサンの視界から消える。

こうなると厄介だ。僚機の位置は、これまでならすぐに分かった。専用の通信ポートがあるから、それに対してデータを送信し、返信に含まれる位置情報を解析すればよかった。しかし今、トラサンとフーカは通信をしないと言うことで合意している。急ぎ追尾する必要があった。

「お前がつけたんだろうが……。仕方の無いバディだよ、まったく」

 トラサンが機動モーターに電力を供給する。すると、その瞬間だった。

「ロボットも、痴話喧嘩なんてするんだな」

 肉声がトラサンを押しとどめた。

 包囲されていた。

 小銃を抱えた、人間たちに。

「聞こえていたのなら、野暮は止してくれ。僚機を追いかけなければならない」

「その必要は無い」

「なに?」

 トラサンは合成音声で答えながら、フレームワークの選択肢に機動戦闘をひっそりとセットする。

 もしも、必要ならば。

 何をおしてでもフーカを追う必要があるならば、この起動もやぶさかではない。



 フーカの憤りは本物だった。脚部の人工筋肉を制御する装置がヒートアップしていくのが赤色にアラート表示されるのを、フーカは無視して走り続けた。

 彼女の逃走経路は、白帽子が移動したルートからも大きく外れている。彼女がここに来た主目的を無視した行為。無意味な遁走だった。

 あるクリアランスに対して無意味な行動が取れるというのも、フーカたち第二世代の特徴と言えた。それだけ思考野に柔軟性があり、多数の選択肢を発見できる能力があると言うことだ。命令に対する最適行動以外を採ることも、場合によっては命令に対して反抗する行動を取ることも出来る。通信回線を使わないという決定はまさに、奇跡の海からの要請に対する後者だった。無意味な行動。しかし、それは参照するロール・クリアランスを変更すれば途端に意味を持つ。フーカの至上命題は人類の保護だ。奇跡の海に従うことではない。それはトラサンも理解してくれていたはずだった。

 それなのに、トラサンはフーカの逡巡を無意味と切り捨てた。フーカが憤ったのはまさにその点だった。

 トラサンはいい。彼のロール・クリアランスもまた人類の保護であるが、同時にフーカの保護をも同列に命題として持っている。もし、人類とフーカたちが敵対することになったとしても――そして、その可能性は非常に高い――トラサンは彼のクリアランスを果たすことが出来る。攻撃してくる人類に反撃し、フーカを守ることで。

 しかし、フーカは。人類と敵対した時点で全てのロール・クリアランスを、即ち判断基準を失う。存在の理由を全て失うことになるのだった。

 いや、あるいはすでに。

 脚部機構オーバーヒート。安全装置が作動し、フーカは急速に減速、立ち止まると、足をハの字に折りたたんで尻餅をつく。その情けない脚をフーカは両手で叩く。何度も、自らの非力さをありありと見せつけてくる脚に対して、苛立ちを込めて。

「なんだよ……。なんだよ!」

 殴打の度に白帽子が突き上げられるように揺れる。

 まるで痛みを訴えるかのように揺れる。しかしフーカは、頭上の嘆きには気付かず、ただ自らに刻まれた傷と、何処にも行けない脚と、それから人の寝床である地面ばかり見つめていた。

 私は、守りたいんだ。

「誰に何と言われようと、私は!」

 バディに裏切られようとも、フーカは。

「人間に会いたいよ。それでお話がしたい。私たちは味方だって証明したい……だけなのに」

 フーカはアスファルトに爪を立て、あたかも何か掴んだかのように握り込む。その手の中は無論、空だ。指先の精細塗装が禿げ、内部機構の表層であるところのチタニウム合金が顔を出す。

 どんなに人間の味方を気取ってみても、自分は結局ロボットでしかない。人間ではない。そのことはフーカに限らず全てのロボットが持つフレームワークに共通して刻まれた原初のコードだ。『I am not a human.』という規定に逆らおうとしているから、こんなに苦しんでいるのかも知れないとフーカは朧気に思う。なぜなら人間の味方であることを最も簡単に示すためには、ロボットでないことを証明する必要があるからだ。そこらの凡百なロボットではない、人類の味方をする物です、と。しかしそうした無機的存在を言い表す言葉は、この世界には存在しなかったのだった。

「おい、いたぞ……!」

 だからフーカは、そうした切迫した男の声が聞こえてきたことに対しても、已む無しと言った心持ちだった。脚部のオーバーヒートは重篤で、未だ立ち上がることが出来ない。上肢をひねって相手を視認しようとするが、視野角三百五十度の中にはいない。

 フーカは人間が咳をするように音波を出しながら、アクティブソナーを連続展開。動けないながらも周囲の索敵を行う。すると反応があった。五つ、こちらに走ってくる塊が見える。声紋解析の結果がプロセッサから上がってくる。人間の肉声。あれほど待ちわびたヒトとの邂逅。しかしフーカの背には、悪寒とでも呼ぶべき危機管理信号が走る。

オーバーヒート、未だ継続。逃走の余地、なし。同時にフーカは自己嫌悪に陥る。せっかく人間と遭遇しようというのに、私はなぜ逃げることを優先しようとしているのか。当然の帰結だ。私はロボットだから。

人類の、敵だから。

フーカは動かない脚をぎゅう、と握りしめて、その時を待つ。エコー。曲がり角から三人の男が駆け出してくる。軽機関銃を両手で構えて、よくもあの速度で走れるものだ。残り二つは背後から来た。フーカは振り向かなかったが、短波照射スクリーニングにより、同じような形質の武器を持っていることが分かる。

五人の男達は円陣を組むようにフーカを取り囲んだ。リーダー格らしき、最も背の高い男が右手を挙げる。するとエイムの姿勢を取っていた隊員たちが武器を降ろし、律された立ち姿で待機する。

まるで第三世代ロボットのようだ、とフーカは思った。不遜な発想だった。人間を、ロボット扱いするなんて。しかしリーダーの指揮のもと、機械のように律動する人類を目の当たりにして、フーカは悲しくなった。守らせてよ、人間を。

彼らの服装は、この地上にあって驚くべきほどに統一されていた。全員が同じ作業服を着ていて、目には太陽光を弱めるためのサングラス。恐らくはどこかのホームセンターや工具店に転がっていたのを拝借したのだろう。服がなければ人間は生きられない。そのためならば簒奪も厭わない。それが間違っているとは言わない。フーカはむしろほっとしたくらいだった。彼らは人間か、ロボットか。天秤が少し戻る。

彼らの装備に、電波的な通信装置は見当たらなかった。これは周辺の発信波を監視していてもわかる。彼らは極めて野性的なコミュニケーションを取りながら、フーカを追いかけてきたのだろう。機械を使わないのは、単に所持していないためか、それとも他に理由があるのか。尋ねる機会があれば聞いてみようとフーカは思う。

「あの」

「発言を許可した覚えはない」

「はい」

 隊長格の男が厳しく諫める。

「周囲との通信も許可しない」

「しませんよ。人間さん。初めまして、私は」

「黙れ」

 銃口がフーカの額に向けられる。フーカは言われたとおりに黙る。帽子を頭から外し、胸に抱く。

「言っておくが、周囲との交信は許可しない。そうした動きがあればすぐに分かる。お前は即座にスクラップになる。いいな」

 機械的に分かりやすいよう文章を区切りながら話す隊長だった。しかしフーカは、その内容に引っかかりを覚える。伝送を行わない、ワーキングメモリ内での独り言。

(通信のモニタリング? 地上を歩き回っている人間たちに、いったいどうやって――)

「これから二、三質問をする。結果如何ではお前のことをバラすことになる。良いな」

「良くは無いけど」

「第一。お前はどこから来た」

 フーカは改めて、目の前にいる隊長格を計測する。まんべんなく三十六度近い体温があり、体組織分析に依れば、露出している腕の筋肉や体毛は有機物。恐らく全身がそうであると推定される。右目だけがガラス玉で出来た義眼であるようだが、声紋分析の見立て通りこの男は人間であると判断することが出来る。フーカが懸念したのは、『自分たちも知らない人間そっくりのロボットが、フーカたちを追跡している可能性』だった。ちょうどフーカが、メンテナーと呼ばれるロボット群の存在を知らなかったように。しかしこの男に対しては、何もかもを正直に話した方がよさそうに思われた。ギラつく銃口を睨み返しながら、そう思う。

「どこから……渋谷ステーションから」

 フーカたちの旅は、あの退屈な日々から始まったのだった。そう答えると、隊長格の男は突如逆上する。

「俺たちを謀ろうって言うのか? ロボットがエリア・クリアランスを越えてこられない事くらい分かっている。正直に答える気がないと言うことか」

「それは正しい。でも、私たちはロール・クリアランスの要請によって、エリア・クリアランスを外してきたの」

「そんな越境の権限を、全てのメカどもに渡していたらターミナルの警護が成り立たないだろう。信用できないな」

 この男は自分の求める答え以外を受け入れるつもりがないのだ……フーカは再び声紋分析を試み、男の声に混じった震えが恐怖から来る物であることを理解する。思考する、未知の可能性を考慮する、と言うことが、恐怖でいっぱいになった脳内ではリソース不足で出来ないのだろうとフーカは推定する。ロボットが大容量の計算をぶち込まれたときにビジー状態に陥るのと同じだ。奇しくも同じなのだ……やはりこの男は、人間ではなくロボット寄りの存在なのかも知れない。誰かの手足として動くだけの、傀儡なのかも知れない。

「じゃあ、私たちのロール・クリアランスを説明したら、納得してくれる?」

「するかどうかは我々が決める。言ってみろ」

 彼のまともな方の瞳孔は狭窄し、構えている銃身は視野解像度を八ビットに落としても分かるほどに震えている。もう、なにを言っても無駄かも知れない。

『ごめんね、トラさん。最後にひどいこと言っちゃって――鳥の巣頭、か。私はこれから蜂の巣頭になるよ』

 僅かな黙想の後、フーカは隊長格の男を見上げ、目を合わせた。男は身を強ばらせたが、視線を外すことはなかった。

「私たちの至上命題は――」


「人類の保護。そうでしょ? フーカ」


「……?」

 声紋分析。この場にいて、フーカを取り囲んでいるどの個体とも違う。なぜなら今の声は女性質のもので、その上電子化された合成音声だったからだ。

 この場に新たなロボットの闖入。その意味するところをフーカは一瞬ではじき出し、叫ぶ。

「伏せて!」

 ビル群の谷間に、フーカ渾身の叫びが反響して、消えていく。

 静かだった。フーカは混乱する。銃声は。ガス攻撃は。新しいロボットが来たと言うことは、それは即ち第三世代のはずで――

「六の隊長、ご苦労さまでございました。これにてあなた方の任務は完了です。あとはどうぞお好きに、生きて下さいまし」

 同じ声が、今度は隊長格の男に指示を出している。電子索敵。発信電波、なし。対象は電子的な遮蔽の中にいる。目視確認。左、右、発見。

 フーカは言葉を失う。

 そこに立っていたのは、銀色の瀟洒なドレスを着た貴婦人だった。

 同じく銀色の日傘をいなせに差している。金髪をくるくると縦に巻き、紅を差した唇に濃いアイシャドーとアイライナー。くっきりとした目鼻立ちはフーカの化粧っ気のないそれとは対照的で、しかし致命的に共通している部分があった。

 体温測定……なし。正確には、駆動部にのみあり。この反応は、良く見知った物だ。

「……私と同じ体組成してる。人工筋肉使ってるボディのそれだ。どういうこと」

「あまりけんか腰にならないで。私(わたくし)たちは概ね、貴女の味方でいたいの。先ほどは手荒な扱いをさせてしまって、申し訳ありませんわ」

「質問に答えて。人工筋肉を使うボディを制御するフレームワークは、現存してないはずよ。あなたは、なにもの」

「はず。誰が決めたのかしら?」

 悠然と目の前の婦人が答える。

「いないことの証明は何よりも難しい……現に貴女という例外がいるじゃない」

「じゃあ、まさか」

 これまで、考えなかったわけではなかったのだ。それがあまりに非現実的すぎて、希望的な観測に過ぎて、検討に値しないと端っこに追いやっていただけで。

「あなたも、第二世代の生き残り」

「ご明察」

 婦人は傘を畳むと、取っ手を腕に沿わせて一周回す。フーカを強い眼差しで見て、言う。

「待っていたわ。フーカ。行きましょう、私(わたくし)たちのマスターのもとへ」

 婦人は恭しく手を差し出す。フーカは手を取って良いものか悩む。

「第二世代の生き残り、じゃ呼びづらいよ。何か名前はないの」

「名前なんてたいそうな者……私にはございませんわ。強いて呼ぶなら『婦人』とお呼び下さいまし」

「じゃあ、婦人。私は行けない」

「あら、どうして」

「私は、この帽子を届けなきゃいけないんだ」

「ええ。だからこうして、手を差し伸べているの。脚も十分に冷えたでしょう」

 フーカのプロセッサは、言葉足らずな婦人の論理と論理とを、つなぎ合わせる。


「……この帽子の持ち主が、あなたのマスター?」

「その通り。これで、悩みはなくなったかしら?」



 フーカは、婦人が帯同している廃棄物コンテナ型ムーブクラフトT.L.A.に腰掛けて移動していた。

フーカは秘密裏に、体内のマッピング情報を、それこそパンくずでも撒くように更新し続けている。婦人のことを完全に信用したわけでは無かった。不測の事態が発生した場合には、自らの脚だけで帰ってこなければならない。トラサンの助力は、期待できないかも知れない。

 そういう不安もあって、フーカはトラサンの事を引き合いに出した。

「トラさんの方も、あなた方に収容されていると考えていい?」

「トラサン?」

 『婦人』は小首を傾げたが、すぐに合点がいった様子だった。

「ああ、貴女のバディのT.L.A.のことね。大丈夫よ。先だってうちの人間たちが保護しているはず」

「私みたいに、銃で取り囲んで」

「恐らく、そう。あの人たちは銃を持つ以外に、外に出る勇気の出し方を知らないんだわ」

「大暴れしてなきゃいいけど」

「今のところ、そういう反逆の伝令は入ってきていないわ。ご安心なさい。すぐに会えるわ」

 フーカはひとまず安心したが、疑問は残る。あの堅物で名を通したトラサンを、手に持つ銃すら震えてしまうような人間たちが説得できるとは思えなかった。トラサンが本当に彼らについて行ったのだとしたら、やはりフーカのことを引き合いに出されたと考えるべきだろう。彼だけが、脅されている状態にあるのかも知れない。再開した暁には大いに謝ろうと、フーカはげんなりと決意する。もともと、フーカの起こしたかんしゃくが、この分断を引き起こしたのだ。

「これ、訊いちゃって良いのかしら。どうしてT.L.A.と離れたの」

 婦人が抱く至極当然な疑問に対して、フーカはそっぽを向いて答えなかった。婦人は腹を立てた様子も無く、すぐに話題を変えた。

「渋谷ステーションからいらしたんでしょう」

「うん」

「そこでは何を」

「ただの道路掃除婦だよ。道を回って、アーティファクトの痕跡を見つけて、探し出して、収容する。それだけ」

「生きたアーティファクトに会ったことは」

「渋谷では無かった。次に移動した中目黒ステーション周辺で、一度だけ」

「そうなのね。自由が丘ステーション近傍で、ほかにも人が生きているって、話には聞いていましたけど本当でしたのね」

「うん。いた」

 フーカは強い語気で、婦人の熱っぽい相づちを遮った。

「……私が、皆殺しにした」

「額面通り受け取るつもりはないわよ。貴女は為すべき事だと思っていることを為した。その結果なんでしょう」

「自由が丘ステーションはどうして無事なの。あなた、着飾ってはいるけれど……私と同じ道路掃除婦型(FUCA)よね。あなたは、私と同じ轍は踏まなかった。どうして」

「質問には逐次的に答えるわね。まず、貴女と私(わたくし)が同タイプかどうかについて。これは恐らくノーよ。フレームワークも、似通っているかも知れないけれど、もしかしたら全体的に異なるかしらね」

「どういうこと。話が見えない」

「そして、私(わたくし)がなぜ自由が丘ターミナルの守護を継続していられるのか。それは全ての通信ポートを塞いでからここまで来たから。そうせよとあの方がおっしゃったからよ。あなた、まだ空いているポートは無いの。五分以内に塞いで下さる……」

 確かに、フーカのフレームワークと婦人のそれは、個性というレイヤーで完全に異なるのかも知れなかった。婦人は自分の言いたいことだけを返答という体裁を取って喋っているに過ぎない。こちらに議論をさせようという気など無い。トラサンと常に協議……と言う名の言い争いをしてきたフーカにとっては、不安を覚える思考回路だった。婦人の嫌に慇懃な態度が、その不安をさらに煽る。

「あの方っていうのは」

「その帽子のオーナーよ」

「あなたは『待っていた』と言ったね。まさか、帽子を飛ばして……私みたいな道路掃除婦型が見つけるのを待っていたって言うの」

「それは、計り知れませんわ。触れないようにもしています。帽子をなくしたときは本気で落ち込んでいるようにも見えましたし、次の瞬間には毅然とされていました。ならば、今の精神状況としては、物を失ったという悲しみよりも、期待の方が勝っているのではないかと推測されますわ」

「気の長い話……地下に入るの」

 目の前には打ち捨てられ、水も流れることの無くなった暗渠の入り口がぽっかり口を開けている。

「ええ。みちびき三号の目をごまかすには、地下に潜るのが一番。私たち人類の大半は、そうやって生き延びてきた末裔なのよ」

「私、たち? 止めてよその言い方」

 フーカは反射的に食ってかかる。

「私も、あなたも。ロボットだよ。訂正して」

「あら、失礼。私は人間扱いされて久しかったので、つい」

「嫌味のつもり」

「そうじゃなくってよ……どう言ったら納得して貰えるかしら。こう言い換えたらどう? 単に、付き合いが長いだけよ。貴女にだって時間を掛ければ出来るわ」

「……そういうもんなのかな」

 釈然としないフーカだったが、婦人の指示通り全ての通信ポートを封鎖する事を忘れていなかった。それには当然、奇跡の海との通信ポートも含まれる。

反逆の証だ。しかしフーカの胸中では、不安よりも安堵の方が勝っていた。これで、少なくとも自らの正義に反する行動を取らずに済む。

足許のT.L.A.はずっと無言だ。そのまま走り出し、フーカたちを暗闇の中へと運び込んでいく。車輪の音だけを残しながら。



暗渠と言っても、完全に真っ暗闇ではなかった。ところどころ地上に向けて空いている穴があり、そこから正午近い今、日差しが届いている。

今はそれでいい。しかし夜になったら、この場所は一体どうなってしまうのだろう。予想通り、真っ暗闇になるのだろうか。仮にそうなったとしても、フーカにはナイトビジョンやアクティブソナーを初めとした無光量環境に対応するための装備が備わっている。しかし、人は。人として生活できるのだろうか。

「マスターは本当に、貴女のことを待ちわびていたのよ」

 しかし悠長にそんなことを語り出す婦人の様子をみるに、どうやら杞憂のようだった。

「帽子を受け取るかどうかも分からない私のことを? そりゃあ光栄だけど……ボトルメールを流すんじゃないんだから、もうちょっとやりようがあったでしょ」

「私たちの言葉で言えば、エリア・クリアランスになるのかしらね。人間のそれは、ロボットが受け持っているそれよりも遙かに狭いわ。理由は――言わなくても分かって下さいますね」

 機関銃にまき散らかされた肉塊が思い起こされる。フーカは深く頷く。しかし言い返す。

「それでも、良策とは呼べない。例えば、帽子を他のゴミ回収ロボットに拾われたら」

「そんなロール・クリアランスを持ったロボットは存在しないわ」

「ターミネーターが拾っていたら。人類生存の証として奇跡の海へ軌跡の照会請求をする可能性だってあった。私がなにを言いたいかっていうと、要点は二つ。まず、いるかどうかも分からない第二世代をどうして探し求めたのか。第二に、どうしてそこまでの危険を冒せるほどに焦っていたのか」

 婦人は黙り込んでしまう。アイサイトの微妙な振動を見るに、彼女が回答可能かどうかを検討しているのだと分かる。逡巡はすぐに終わる。

「……彼女の思惑を語ることは、ロール・クリアランスに反するわ」

「そう。なら仕方ないね」

 半ば以上予想通りの回答だったことに、フーカが落胆しなかったと言えば嘘になる。しかし同時に、安心もあった。この婦人も、何らかのクリアランスに従って動く『制御された個体』だ。特に彼女の場合は、マスターと呼ばれる彼女の主人に対してクリアランスを構築している。信頼できる相手と言えた。フーカたちのように、突然親玉に対して反旗を翻したりはしないだろう。そう考えると、自分たちがまるで悪者であるかのようで、フーカは自嘲気味に笑ってしまうのだった。婦人がそれを聞きとがめた。

「私のクリアランスが、可笑しいかしら」

「ううん。私とトラさんのクリアランスがあまりに希薄すぎて、おかしいの。あなた、フレームワークは何」

「ベースはF.U.C.A.を使用していると聞いています。もっとも、マスターの改造によりもはや原形をとどめてはいないのですが」

「へぇ。じゃあ私たちは言うなれば姉妹同士になるわけだね」

「姉妹、とお呼び頂くのは多少語弊があると思われますが」

 少しだけ、この婦人に対する警戒が解けたような気がした。二つ理由があった。一つは、F.U.C.A.ベースの個体ならば、直ちにフーカ自身を破壊せしめるような兵装と、思考回路を持ち合わせている可能性は低いと言うこと。そしてもう一つは、単に同じフレームワークを共有しているという、ただそれだけの親近感だった。

「もしご要望があれば、貴女への呼称をフーカからお姉様に変更致しましょうか」

「う。やめて、こそばゆい」

「そうですか。分かりました、フーカ」

 自分で言い出しておきながら、そう拒絶してしまうフーカであった。自分への呼称が乱立すると、有事の際に反応しなければならない呼びかけの種類が増えてしまう。それに自分よりも年かさに見えて、気品に溢れる相手からそう呼ばれるのは気恥ずかしい。

「ところで、随分奥深くまで行くのね。時速六キロメートル……一キロは進んだんじゃない」

「偵察隊が入り込むことがあるのです。私たちはその度に前線を下げてきました」

「前線……」

 それは戦線の敵と接するラインを表す言葉。

「曲がりますよ」

 婦人がそう言うと、足許のT.L.A.が停止した。フーカは左右を見る。するとヒトが屈んで通れるか通れないかの広さを持ったトンネルが、ぽっかりと穴を空けている。

「T.L.A.はここまで?」

「そうですね」

「トラさんはどこ?」

「この先にT.L.A.用の停泊施設があります。そこで細かい補修を受けているはずですよ」

「…………確かめたい」

「マスターにお目通ししてからでも構いませんか。本当に、貴女のことを待ちわびていらっしゃるのです」

「それを言うなら、私だってトラさんに会えなくちゃ困る。だって、謝り損なってるから」

 フーカは引かなかった。しかし婦人の方は態度を変えることなく、フーカを促す。

「短波通信を使ってみられては」

「発信源を特定される恐れがある」

「そのための地下基地でございます。不用意な電波強度と周波数帯の選択をしなければ、上に届くことはございません。現に私だって今、マスターと通信中でございますので」

 恐らくは、フーカにあたっての対処についてお伺いを立てているのだろうと推測された。実際に電波探索を行ってみると、婦人から微弱な線が一本可視化されていて、フーカたちが入ろうとしている穴に向かって伸びていた。

 呼びかけてみるのも、一つの手だ。

『……トラさん』

 専用通信ポートに呼びかける。すぐに反応がある。

『フーカ。無事だったか』

『ごめん、突然飛び出して行っちゃって』

『構わん、結果として無事なら、それ以上のことは望まない。それよりも帽子の担い手が見つかったようだな』

『……トラさん?』

『どうした』

 フーカは改めて、送信先のポートをチェックする。トラサンとの専用回線に相違ない。なのに拭いきれない違和感。トラサンが、「結果として助かったから良い」の一言で、フーカの乱行を許すはずがない。

『トラさん。『開示請求』。型式名称と……あなたのバディの型式を教えて』

『開示請求、了承。私は――』

 そう通信相手が答えるのが早いか、婦人が動くのが早かったか。通信に集中していたフーカはどちらに対しても出遅れた。

 婦人はF.U.C.A.にあるまじき俊敏な速度で動いた。人工筋肉という点では同じだが、きっと別世代のもっと性能がいいものなのか、単にフーカのそれより若いのかどちらかだろう。踊るようにフーカの背面に回り込むと、腰の電源コネクタに絶縁体で覆われたプラグを差し込んだ。ショートプラグである。『安全装置』とも呼ばれる。全ての第二世代はこれを差し込むだけで、一瞬にして沈黙する。フーカもそうなった。アイカメラからは瞬時にして光が失われ、膝から崩れ落ちた体は婦人の胸の中に預けられる。

「F.U.C.A.を隣において通信だなどと、迂闊でしたわね。もっとも、そこに脅威があるなんて、普通は想定できないけれど……」

『私は――T.L.A.-006。バディはF.U.C.A.-006、通称名は婦人である』

「頭が回りなさること。流石にプロトタイプ……」

 婦人は呟く。

「でも、どうしても貴女のことが必要なの。勘弁して頂戴ね、フーカ」



「対人兵器を何発打ち込んでも無駄だと、あと何分待ったら諦めてくれるんだ」

 トラサンは、巻き起こる銃声と硝煙の嵐の中、それに負けないよう降伏を促した。彼を取り囲んだ兵士たちと、彼らによって無為に消費される銃弾に対しての憐れみを込めてのことだった。

 彼らが携行していたのはサブマシンガンの中でも拳銃弾を用いる物だった。ヒットストップに重きを置いた軟弱な弾薬では、T.L.A.の装甲は貫けない。故にトラサンは、反撃に出ることすら出来ずにいた。自らは害されていない。相手は人間である。二重のロール・クリアランスが彼を縛っていた。これで誰かが対物ライフルか、携行ミサイルランチャーでも持ってくれば話は別なのだが――このままではらちが明かない。

 しかし、トラさんの価値判断にブレイクスルーが生じる。自己防衛、人命保護に次ぐ第三の柱、フーカの保護。それが今、崩れた。フーカから発信されていた生存信号が途絶える。

『何が起きた』

 メインメモリ内での独り言だ。生存信号の途絶えた相手にメッセージを送信し続けるのは、現実をありのまま受け入れることの出来ない人間だけだ。トラサンたちムーブクラフトは事実を客観的に認識する。

 しかし、認識した結果起こした行動が理性的かどうかまでは、保障の範疇ではない。

「さっきも言ったが……待たせているバディがいるんだ。押し通らせてもらうぞ」

 駆動系の制御システムに市街戦機動アセットを選択。全兵装解禁。兵装マニピュレータ展開。ゴミ箱の下三分の一にあたる両脇の装甲が上に開き、中から五軸の可動域を持つ太い腕が、重ガトリングガンを構えて展開される。

その威容から感じられる直接的な死の恐怖から、包囲する側に一瞬の動揺が走る。トラサンはそれを見逃さなかった。かつては「走行音が静かすぎる」とクレームを受けたことに端を発して装備された、ガソリンエンジンの駆動音を模した音。それを最大音量で鳴らし、トラサンは包囲の一番薄い方向へ向けて驀進する。爆音と重火器に圧倒された人間たちに、出来ることはなかった。

 包囲から脱したトラサンだったが、彼も途方に暮れていた。生存信号が途絶え、全ての要求に対して応答する能力を失ったフーカを、一体どう探せばいい。

 そもそも、生存信号が途絶えたフーカを探して、どうする。この懸念は不毛だと、トラサンははねつける。T.L.A.にも安全装置の概念は存在する。例え破壊されることがなくとも、生存信号が途絶えうると言うことを知っている。

 即ち、想定するべき敵の正体とは……。

「インターロック。こんなもんを後生大事に取っておくなんて、よほど几帳面な第二世代がいたもんだ」

 毒づきながら、三十年ぶりに動かすマニピュレータの様子を確かめる。

 渋谷ステーションの連中は、良い奴らではなかったが仕事はした。動作不良なし。

 いつでも、戦闘可能だ。



 フーカが安全装置を抜き取られ、再起動したその時に目撃したのは、たくさんの人間たちだった。フーカは状況を整理し、先刻受けた仕打ちに対して憤りを顕すのを止め、保護対象である人類の観察を行うことにした。この意思決定についても婦人の手のひらの上で転がされているのだとしたら、尚更腹立たしい物だったが、フーカに刻まれたフレームワークが、保護対象の確認を優先する。

 老いもいれば、若きもいる。男女の構成比はやや男が多く偏っている。男女問わず、何らかの武装を所持している。男性にはSMGの類いが、女性には比較的軽量で扱いやすい拳銃が支給されている様子だった。その銃口が全て、跳ね起きたフーカを狙っている。

「外から来たロボットだ」

「信用に足るのかしら」

「婦人は、お嬢様は何を考えている……」

 疑心暗鬼に陥った囁き声が、フーカの感度を上げた聴覚センサに飛び込んでくる。フーカはこの状況を打開するべく、自らに抱かれている不信や誤解を解く必要があった。いつ蜂の巣にされてもおかしくない状況は、いかに相手が人間であったとしても愉快なものでは無い。しかし、人間たちのバイタルを観測する内に、彼らが極度の興奮、あるいは恐慌状態にあって、フーカが口を開くだけ無駄なように思えてきてしまうのだった。一言でも言葉を発そうものなら、その場で導火線に着火してしまいそうな、そんな緊張感すら覚えた。

 フーカは首を動かさないようにしながら、アイカメラの視野角と超音波によるアクティブソナーを利用して更に周囲の状況を探る。人間の数は多い。アクティブソナーの性質上重なった人間は勘定に入れられないが、それでも四十に近い数の個体をマークした。フーカたちのいる空間も、それに応じて広い。病床や、乱雑だがまとめられた医療器具があるのを見てとるに、この場所は病室なのであろうと思われたが、治療の必要性が感じられる人間は目視できる範囲では存在しない。この空間は、自由が丘ステーション周辺に住む人間たちにとって最も広く集まりやすい場所なのだろう。

 人間たちは、フーカがアーカイブで見たよりも弱々しく見えた。ほとんど暗闇の中でカメラの感度を最大にして眺めているせいかもしれないが、どの顔も痩せ細っていて青白く、そして目に光がなかった。地下暮らしが長いせいだろうか、生気の感じられない目は見開かれ、瞳孔が散大しており、まるでフクロウか何かを思わせる目つきをしていた。正味、不気味だとフーカは思ってしまう。次の瞬間にはその不遜な態度をかき消す。

 これが、今守るべき人類だ。

 安全装置を抜き取られてから、ヒューマノイドが再起動するまでの定格時間は五分間だ。恐らくフーカのそれを抜いたのは婦人だろうと思われたが、視界の中にも、電子的索敵の中にも、彼女の姿はない。無責任な態度だと思った。このまま針のむしろの中座っていろと言うのか。フーカには耐えられなかった。

「あのう」

 フーカが漏らした問いかけに、答えたのはセイフティが解除される音と、遊底がスライドする無機質でにべもない拒絶だった。これまではポーズだった射撃体勢が、実弾をチャンバーに送り込むことで実効的な意味を持つ。これはダメだ、とフーカは再び口をつぐむ。

 婦人の帰還は、そのタイミングをちょうど図ったかのようだった。フーカの背後遠くに、現れた。

「武器を収めて、みなさん」

 婦人は両手を打ち鳴らしながら、空間中に行き渡る大声で群衆を諫める。

「彼女は私と同じ、F.U.C.A.ですのよ。危険などありはしません。志を共にする仲間なのですから」

「いくらあんたの紹介とは言え」

 フーカの背後から男が声を上げる。

「……どうかしてる。この大事な時に、外からロボットを招き入れるなんて。こいつがトロイの木馬だったらどうするつもりなんだ」

「先刻から申し上げているとおり、彼女は完全なるF.U.C.A.です。こと電子戦の能力については、私を軽く凌駕致しましょう。ここは、帯同してきた私の言葉を、信用しては頂けませんか」

「目に見えない世界の戦いを、どうやって信用すれば良い。俺たちは人間だ。電波測定モジュールなんてついていない」

「弱りましたね」

 婦人は、お手上げと言った体で背後を仰いだ。

「お嬢様……私(わたくし)の共感回路ではこれが限界です。どうにか御下知を」

「いいわ、婦人。よくやってくれました」

 婦人のものとは別の声がした。珠の転がるような、美しく人を惹きつけて放さない声だった。フーカはアイカメラで状況を探る。群衆は皆一様に、フーカの背後にいる『お嬢様』を見つめている。

「ロボットにはロボットの、人には人の領分があります。それをわきまえて居る貴女は、ひょっとするとそちらのフーカよりも優秀ですよ」

「過ぎたお言葉ですし……それは失礼に当たるのでは」

「事実を言ったまで。人間と関わることが職分のF.U.C.A.たちは、しばしばその距離感を誤る過学習を起こしたと伝え聞いています」

 声は次第に近づいてくる。フーカは動けない。武装した市民の練度は相当な物のように見えた。頭部にホローポイント弾でも撃ち込まれたら洒落にもならない。

「ええ、皆さん。本当なら、ロボットは発見次第可能な限り撃破することを推奨しています。皆さんのお気持ちはごもっとも。私としても、これは賭けでありました。ただ、彼女が他のロボットと違うのは」

 声がフーカの背中に追いついた。くたびれた靴が立てる湿った足音が、フーカの前に回り込む。

 そして、頭に被っていた白帽子が取り上げられる。フーカは顔を上げる。そして息を呑む。『お嬢様』のあまりの美貌に。そしてこれだけの集団を取り仕切るほどの指揮力に見合わぬ、若さに。

 黒く長い髪は、流石に絹の様とまでは行かなかったが、この環境で可能な限りの手入れを施されているものと思われた。美しく、毛先まで波打つようにしなやかだった。肩先まで届いている。それに覆われた美貌は、まさに容姿端麗と言う言葉がよく似合う。すっきりと通った鼻筋、切れ長でつり目がちな目尻。むかし暇の命ずるままに見たアーカイブの中に、このような顔がいくつかあったのを覚えている。かつて芸能人、またはアイドルと呼ばれた人間の集合の中に、このような顔がたくさんあった。アイドルたちの目は皆、一様に輝いていたが、このお嬢様の瞳もまた、同様だった。

 その美しい顔に、お嬢様は満面の笑みを湛えて言った。

「この者は私の帽子を取り返してくれました。エリア・クリアランスを越えて。それ以上の信頼の証が、必要ですか」

 お嬢様が周囲を見渡すと、返答があった。銃のセイフティを再びかける音。しゃご、と弾倉を取り外す音。むき出しの敵意が、裏返っていく。

(なんて、統率力)

 フーカは内心舌を巻く。彼女の言葉に、この場の全員が絶対の信頼を置いている証だった。

「お帽子、ありがとうね。フーカ」

「どういたしまして。はるばる渋谷から来た甲斐があったってもんだよ」

「ねぇ。私の部屋で話しましょうよ。ここまで全力疾走だったのでしょう?ちょうど婦人用の充電コネクタがあるの。貴女ともたぶん、型が合うはずだわ」

「それはありがたいお申し出だけど……」

 トラサンとコミュニケーションがとりたい。フーカは無事を伝えたかった。しかし通信は、恐らく許されないだろう。婦人と呼ばれるF.U.C.A.がそばにいる限り。

 フーカはバッテリー残量を確認する。過剰な全力疾走と、その後の座り諜報戦の結果、自由が丘ステーションに着いた時点で八十パーセントあった残量は、四十五パーセントにまで減少していた。これ以上旅の目的はないにしても、バッテリー切れでゴミ箱行きになるのはつまらない。

 フーカはお嬢様の提案に乗ることにした。

「……んじゃあ、よろしく頼むわ」

 こちらから訊きたいことも、いくつかあったからだ。



 会話の主体は、お嬢様と呼ばれる少女との物に移った。お嬢様は、アーカイブとの参照によれば中高生程度の容姿をしているにもかかわらず、非常に博識だった。例えば、フーカのフレームワークがF.U.C.A.という人命保護プログラムであることを知っていたし、F.U.C.A.に搭載されている防衛のためのセンサーの数々を一つ残らず言い当てることが出来た。

 フーカはお嬢様が持つ知識量に圧倒されながらも、同時にそれを知っていることは不思議ではないと、目の前の情報がもたらす矛盾を解決する。お嬢様の近侍である婦人はまさしくF.U.C.A.なのだから、彼女に尋ねればF.U.C.A.のなんたるかはすぐに分かる。

「どう……。この旧下水道は入り組んでいるでしょう。貴女ご自慢のマッピング機能、容量は十分かしら」

「何でもお見通しってわけだ。そうだね。探しているよ。どっちが出口だろうってね」

 彼女の指摘通り、フーカは体内ストレージに下水道の構造をマッピングしている。歩いた軌跡だけではない。視覚情報とIRロケーション、それから気流をモニタリングすることにより、目の届かない範囲まで事細かに記録を行っている。

「また、銃口に取り囲まれるのはヤだからね」

「私の名にかけて、そんなことはもうさせないわ。だって貴女はフーカなんですもの」

「ねぇ、気になってたこと訊いて良い?」

「どうぞ」

「なんで、私のサインネームが『フーカ』だって知ってたの」

 フーカはそれが、不思議で仕方が無かったのだった。婦人と出会った瞬間からそうだった。面と向かって、迷いなくその名と呼ばれたとき、フーカはこのヒューマノイドと知己であったかどうかを真剣に走査しなおしたものだった。検索結果はなし。当然と言えば当然なのだが、そうなると相手がこちらの呼称を知っていることが腑に落ちない。

 フレームワークの名が、結果としてそのままサインネームとして通用している状態を、彼女らは想定できただろうか。婦人が婦人と名乗っていることから、恐らくそうではない。F.U.C.A.にはサインネームが別に存在することを、彼女らは認識しているのだ。では、どこでそれを知ったのか。

それをなぜ、お嬢様が知っているのか。フーカはそう問うた。お嬢様は「人に対しては友好的なんじゃなかったの」とくすくす笑って、

「まるで尋問されているみたい」と続けながら、

「何でも知っているわ。だってあなたは、私の叔母にあたる人だもの」

 と意味ありげに呟いた。

「オバ? 確かに私は三十年近く活動しているけど……おばさん呼ばわりされたのは」

 思い返してみれば、初めてではない。しかし初対面の人間にそう呼ばれると、少し堪えるというのが正直なところだった。

 ところがお嬢様は「そういう意味じゃない」と言下にフーカの落胆を切り捨てた。

「本当に、親等級上の叔母なのよ? 私としては、やっと会えたって感じなのだけど」

 そしてますます混乱させることを言う。疑問を解決しようと思って放った問いが、新たな謎を生んだ。フーカは目をしばたたかせてお嬢様に続きを促した。すると彼女のほうも、不思議そうに首を傾げるのだった。

「……貴女、ログ用の外部記憶装置が壊れてる?」

「それはないと思う。でも、存在するべき記憶が存在しないことがあるのは認識している」

「じゃあ、そのせいかしらね。製造当初の記憶まで巻き込まれて消えてるんだわ」

 お嬢様は狭いトンネルを一つくぐる。するとそこはこぢんまりとした部屋になっていて、そこがどうやら彼女の居室のようだった。

 よく整頓された部屋だった。どのように運び入れたのかベッドがあり、黒く四段重ねの書類用キャビネットが一台。それから、執務用とでも呼ぶべきだろうか、机と椅子が存在するのだったが、アーカイブを見る限りそれは小児用の学習机に相違なかった。お嬢様の小さな体躯を鑑みればぴったりの代物かも知れない。それにこの有事で、手に入る物は何でも貴重品だ。選り好みをしてはいられなかったのだろう。

 執務机があると言うことは、何らかの書き物をしているはずであったが、その経過を示す書類は見当たらなかった。恐らくはキャビネットの中。開けて中身を見てみないことには分からない。婦人に監視されながら、金属製の容器の中をスキャンするのは極めて困難だ。

 お嬢様はそのキャビネットの、一番下の段を引き出す。そしてひとつの写真立てを取り出した。写真はホログラフィやタイムラプスフレームといった電子的表示媒体に比べて、電源がなくても閲覧可能であると言う利点がある。この地下迷宮のような極限環境でも、フーカはそれをアイカメラで視認することが出来る。

「どう、これをみても、何も思い出さない?」

グレースケールで印刷された写真だった。フーカはその写真がいつの時代のものか訝ったが、すぐに認識を訂正する。いつの世にも回顧主義者というものはいて、モノクロ写真には熱心な信奉者がいる。それに、色相をそぎ落とすことによって生まれる効果もたしかに存在する。今フーカが感じたように、その出来事が過ぎ去った幸せであることを過剰なまでに強調する効果である。

 そこには一組の老夫婦と、その間に一人のヒューマノイドが写っていた。皆一様に満面の笑み。老紳士のほうはヒューマノイドの右肩に手を置き、満足げにピースサイン。老婦人のほうはヒューマノイドの左手を握り、まるで孫でも眺めるかのような優しいまなざし。

 その真ん中に立っている、ヒューマノイドは。


「……私?」


「そうよ。私のおじい様、おばあ様。そしてF.U.C.A.型試製第一号機『フーカ』。あなたのこと。祖父母はあなたたちの開発者だったの」

 自慢げにお嬢様は言う。フーカは戸惑いを隠せずにいる。叔母と呼ばれたのは、そういうことか。

「どう? ちょっとばかり記憶が戻ってきたんじゃなくて」

 お嬢様が問う。フーカは首を横に振る。

「今、あなたから得た情報以上のことは何もわからない。私はF.U.C.A.のプロトタイプで、あなたの祖父母に創られた。そのことは感謝してる。ありがとう……ってあなたに言うのは筋違いなのかもしれないけれど」

「確かにね。私も祖父母の権威をかさに着るつもりはないわ。着せられるのも、イヤ」

「ごめん」

「試製一号機――ごめんなさいね、そう呼んじゃうけれど、本当に感情豊かなのね。これはどっちの趣味かしら、おじい様かしらおばあ様かしら」

「おそらく、両方かと」

 黙っていた婦人が口を挟む。その声は、どこか不満気だ。

「F.U.C.A.型の設計思想は、常に人間のそばに寄り添いそれを助けるフレームワークがベースとなっています。試製一号機だけではありません。私たちすべてがそうです。お嬢様」

「あらら、怒らせちゃった。ごめんなさい、あなたが無機質だって言いたいわけじゃないのよ」

「それは承知しておりますが、仮にそうであっても私が機嫌を損ねることはありません。お嬢様のお言葉とあれば、それを受け入れるのが我々の職務でありますから」

「そういうところよ、融通が利かないんだから」

 お嬢様は婦人に抱き着いた。二人の身長差は、婦人のほうが十五センチメートルほど高い。夫人とフーカは同型なので同じくらいの高さだ。すなわち、お嬢様のほうが小さいことになる。無理もないことだとフーカは思う。どう自給しているのかはわからないが、食糧がわずかなことには変わりなく、地下暮らしが長いせいで日の光も満足に浴びられていないだろう。お嬢様が体のラインを覆い隠すポンチョのような服装でいるせいでよく見えていなかったが、袖口から除く手首は今にも折れそうなほど細かった。

「……頼りにしてるわ、婦人。ただ一人の友達」

「畏れ多いお言葉です。それに、今となってはもう一人、いらっしゃるではありませんか」

 そうして、婦人とお嬢様はフーカのほうを見る。

「試製一号機――いいえ、フーカ。今あなたに巡り合えたのは天恵だわ。どうか力を貸して」

「……何をするつもり」

 剣呑な気配を感じ取り、フーカは尋ね返す。

 最悪と呼んでも過言ではない、その答えを聞くために。


「……自由が丘ターミナルを、襲撃します」

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