第11話 紅葉の事情

***

「騒ぎを起こしたら許さないからね! あと柱や床に傷をつけたら許さないからね! この家に埃一つでも残したら許さないからね!」

 もう百回くらい聞いたよ、小姑かよ。

 散々ぱら念を押された末に、そーっとお邪魔する。

 まあ、そーっとお邪魔してんのは俺だけで、さくらは柱や壁を興味深げにあちこち触ってるし、つばきは無関心とばかりに欠伸してるし、のこはドタバタ一人で走っていく始末なんだけどな。

「確認するけど、俺の姿は本当に見えないんだよな?」

「そんなに心配しなくても、あたしの力で見えないようになってるわよ。でもあたし達わらしと違ってあんたの声は消えないから、絶対に喋らないようにね!」

 唇に指を当ててチャックを閉める仕草をする紅葉くれは。その様が何とも見た目どおりに子供っぽくてほっこりするが、よく見ると紅葉の服はあちこちほつれているように見えた。

 子供みたいな見た目はしてるけど、やっぱこいつも苦労してんだな……この道五十年と言っていたし、座敷わらしもそれ相応に年をとっているもんなのかね。

 まっとうな座敷わらしの仕事はさぞ大変なんだろう、とか考えてる内に、客間のような部屋に辿り着いた。そこには昔ながらの掘りごたつの上に木彫りの大きなテーブルがデデンと置いてあり、七十は悠に過ぎてそうな禿げ頭の爺さんと腰が曲がって小さくなった婆さん、そして向かい合うように四十歳くらいのスーツ姿の男性が座っていた。

「あの爺ちゃんが今の家主の茂。婆ちゃんが嫁いで五十年以上で茂の幼馴染の節子。そしてすっかり大人になったけど、背広のおじさんが長男の樹。樹は結婚していて小さな女の子もいるわ」

 簡単な人物紹介を紅葉がしてくれる。爺さんと息子さんは彫りの深い顔立ちと目の形なんかもそっくりで、なるほど親子といった感じだった。

「これってどういう状況なん?」

「見てればすぐに分かるわよ……。あたしはこんなやり取り見るのも、両手両足で数え切れないから、見なくても分かるけど」

 紅葉は憂鬱そうに爺さんの側に寄っていき、ここが定位置とばかりに膝の上にちょこんと座る。

(なあ……重くないのか、あれ?)

 横にいるさくらに小声で尋ねる。

「わらしは姿を見れん相手には重さを感じられへんよ」

 一見すると孫が爺ちゃんの膝の上で戯れてるような心温まる光景だが、生憎とテーブルの席上はそんな温厚な空気ではない。

「樹、今日は泊まっていくのかい? 何か食べたい物があるなら……」

「ごめん母さん。明日も仕事で、夕方の新幹線で帰らないと駄目なんだ」

 息子さんの台詞に婆さんが見るからにがっかりする中、隣にいる爺さんが低い声で呟く。

「で、何しにきた樹。顔を見せに来ただけなら歓迎だがどうせ違うんだろう――ここを出ろという話ならとうに聞き飽きた。その手の話ならさっさと帰れ」

「あなた。息子が折角来てくれたんですから、そんな喧嘩腰にならなくても……」

「お前は黙ってろ」

 腕組みをして眉間に皺を寄せ目を閉じる様子は、聞く耳一切持ちません感ありあり。まさに昭和の頑固親父。正直少し苦手なタイプだ。

「親父……何度も言ってると思うけど、この家はもう居住可能年数を大幅に超えてて本当に危ないんだ。俺だってそりゃ残せるもんなら残したいよ。でも倒壊してからじゃ遅いんだってば」

(居住可能年数って要するに家がダメになる年数だよな? この家だとどのくらいなんだ?)

「ここは木造一戸建てやし六十年くらいや。無論大切に使って手入れもすればもっと長持ちするんやけど……この家は百年超えとるし。一度屋根や板を外して骨組みから改修せんとどう考えても限界やんなぁ」

 耳打ちすると、そんな事も知らんのかいと言いながらすらすらと説明する。

 こういう所だけ見ればさくらもちゃんとした座敷わらしなんだけどなぁ。と暢気に思ってると――どすん、といきなりテーブルを叩く鈍い音が響いた。

「だから取り壊しに同意しろ、しばらく一緒に暮らすのに嫁も同意してる、か? 聞き飽きたと言っとる」

 爺さんは目を合わせもしない。その上で紅葉が悲しげに俯いてる。

 そこから先も、息子さんは何とかして説得しようと試みていたが、爺さんは全く返事もしない。

 ただ無言で聞き流していて、同意する気が欠片もないのだけは俺にも分か……ん? 

「たいくつだー! たいくつだぞー! おー、つるつるー」

 いきなり爺さんの背にのこが現れたかと思うと――のこは真後ろから爺さんの剥げ頭を一しきりさすってから木魚の要領でペシペシ叩き始める。

「ぽくぽくぽくぽくぽく、ちーん」

 ぶふっ……笑わせるんじゃねえ馬鹿! 俺の声は聞こえるんだよ!

 必死に笑いを堪える俺とは正反対に、紅葉は爺さんの膝の上で拳を震わせている。

「あたしの大切な家族で遊ぶな! 出てけー!!」

「おぉー?」

 一喝と同時に――のこの姿がかき消えた。

 驚愕する俺の横でさくらがぽつりと

「のこもあほやんなぁ。座敷わらしには気に入らん存在を強制的に家から追い出す力があるんよ」

 またしてもそう説明してくれた。なんだかんだ丁寧に教えてくれるし、こいつ案外面倒見がいいのかもしれん。

「もう良い黙れ樹。明治の末、お前のひい爺さんから数えて百十年この家はある。そう簡単に倒れてたまるか馬鹿者。それにこの家は座敷わらしが守ってくれとる。わしがいる限りこの家の釘一本、瓦一枚さえ勝手には弄らせんぞ」

 爺さんの言葉に紅葉が膝の上で嬉しそうに額を爺さんの胸に擦り付ける。

 って、あれ? 

 今聞き捨てならないこと言ってなかったか?

(座敷わらしって霊感が高くないと見えないんじゃないのか? あの爺さんも霊感があるのか?)

「あるわけないやろ。霊媒体質の人間がぽんぽんおったら、世の中とっくに大騒ぎになっとるえ。当然見えてる訳はないんやけど、言い当てとるだけでも大したもんやな」

 なるほど、偶然による奇跡みたいなもんか?

「親父いい加減にしてくれ。座敷わらしなんている訳ないだろ!」

「ここにおるで」「ここにもいるわね」

 息子さんの怒声に突っこむ二人。

 ぶふっ。だから笑わせんじゃねーよ!

「樹のばかぁ……ちゃんといるもん」

 紅葉は爺ちゃんの膝の上から立ち上がり、息子さんの背中にしがみつく。その時、しばらくずっと押し黙っていた婆さんがゆっくりと口を開いた。

「樹の話はよーく分かる。でもねえ、もうここを離れて余所に行くなんて考えられんのよ。私も爺さんも思い出がありすぎて、自分の体と同じみたいに感じるんだよ。ここを壊すのは死ぬより辛い」

 紅葉は今度は婆さんにぎゅーっと抱きつく。

 しかし爺さんと息子さんの言い争いは止まらない。

「親父とお袋にもしもの事があってからじゃ遅いんだ! 頼むから俺の話を真剣に聞いてくれよ!!」

「聞く耳を持たんのはお前の方だ! そんなに気に入らないならこの家から出ていけ!」

 そして紅葉が頭を抱える。その様子は親子喧嘩を前にして縮こまる子供そのものだった。

 改めて、かなめさんが手紙で俺に伝えた内容を思い浮かべてみる。


御幸みゆき、お主に頼みたいことは三つ。

 一つ、座敷わらしが住む家を見て、座敷わらしの事をよく理解せよ

 一つ、さくらたち三人が座敷わらしとして家とどう向き合うべきか四人でよく考えよ

 一つ、座敷わらしが抱えている問題を解決する方法を考えよ。以上じゃ』

 

 確かにこの家が大きな問題を抱えているのはよっくわかった。けどさ、これの解決方法を考えろって……入社初日の俺に与える仕事にしちゃ重すぎませんかね?

 結局この日は頭を抱える紅葉と喧嘩のやまない親子を残して、帰宅するだけで終わった。

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