第2話 三社さん!私、貴方の事が大好きです!
「暴れたり、しないよな…?」
多少の恐怖心が俺にそう言わせる。情緒が安定していない今の彼女は、危険な匂いがする。もしかしたら俺に対して、何かしら恨みを抱いているかもしれない。そうでなければこんな場所まで、追いかけて来ないだろうし、嫌がらせの様な行動を起こすはずがない。
「…当たり前じゃないですか。三社さん」
眉を
「そう、だよな…。すまない余計な事を聞いてしまったな」
「いいんです。三社さんが謝る必要なんて無いですから」
やはり杞憂に過ぎなかったのか、彼女は穏やかに答える。心優しい彼女が、そんな事する訳が無い。よね?
「…はぁ。ここに居ても始まらないな。取り合えず中で話そう、いいか?」
その刹那彼女は、先までの様子が嘘だったかの様に、満面の笑み変わり言う。
「そう言ってくれると思いました!では、お邪魔しま~す♪」
えぇ…。まさか騙された?
彼女は上機嫌で家を見回している。目新しい物なんてないが、妙に楽しそうだ。大きく息を吸い「新築の香りですね」なんて言ってくる。そりゃ新築だからそうに決まっている。というかあまり嗅がないでくれ。
コーヒーでも準備をすると言い、リビングまで彼女をエスコートしソファーに座らせる。聞きたい事が山程ある、がまずはだ。身内以外の初めてのお客さんをもてなそう。
「砂糖はいるか?」
「そのままで大丈夫ですよ」
「了解だ、熱いから気を付けてくれ」
「はい、ありがとうございます♪」
テーブルにコーヒーを置き、自分も彼女の向かいのソファーに座る。ちょこんと小さく纏まり、チビチビとコーヒーを飲んでいる優良は、やはり機嫌は良さそうだ。
「大したもてなし出来なくて申し訳ないけど、少し話を聞かせてもらっていいか?」
「いえ、お構いなく。何をお話すればいいですか?」
はぁ…。なんだろうな、この緊張感。俺が面接されている気分になるな。
「そうだな。まずはだ、君は何しにここに来たんだ?」
「三社さんに会いにきた、それじゃダメですか?」
可愛く首を傾げ言う。他意はなさそうに見える。しかし話によれば優良はアイドルを辞めたというじゃないか。誰よりも強い意志を持ち、厳しいレッスンを重ねてきた事を俺は知っている。三社プロが無くなる最後まで、彼女は諦めてなかったように感じたが。
「いやまぁ、嬉しい事だけどさ?」
俺の素っ気ない態度に、少しだけ寂しそうな顔をする。
「それに聞いたぞ。君が事務所を辞めたって。どうしてだ?アイドルを諦めたのか?」
質問攻めに唇を噛みしめ、険しい表情をする優良。聞かれたくない、そう訴える面持ちに多少焦るが、俺は知りたいだけだ。
「…私はまだ認めたくないんです。三社さんだってそうじゃないんですか?」
彼女の言葉に図星を突かれてしまう。東京で過ごした12年間は、そう簡単に忘れることはできない。アイドルを育て、夢を共に追っていく。その一方裏方である俺には、スポットライトは当たらない。でもそんな物は必要はない、彼女達の輝く笑顔が、燃え上がる魂が、俺の存在証明であり生き甲斐だった。
淡く光るサイリウムの波が、大会場を包み、ステージに立つ主役を称える。アイドルなら誰でも憧れる最高の景色だ。
「実は私、後悔していたんです。あの時、貴方を止められなかった事」
後悔か…。そんなもの君が感じる事なんて無いだろう。
「…無謀な挑戦だったんだ。アイドル業界がそんな簡単ではない事は知っていはずで、俺の至らなさが招いた結果でしかないさ」
俺の言葉を否定するように、首を左右に振る。垂れた横髪を耳掛け直し、俺を見る。
「そんな事ないですよ?三社さんは凄い人です!」
そんなわけもない、俺は無能だ。できる人間なら今頃、こんなところで燻っている訳が無い。
彼女の優しい言葉に少しだけ、泣きそうになる。誤魔化すように「そんなことは無い」と言いつつ頭を掻いて見せる。年を取ると涙脆くなるのは、本当なのかもしれないな。俺の情けない姿を、妙に恍惚とした表情で、見つめる彼女はそれにと続ける。
「後悔していると言っても、それで終わりじゃないでんです」
と言いつつ前のめりになる優良から、ふわりと良い香りが漂ってくる。目を輝かせ彼女は続ける。
「私はこの1年間ずっと考えていたんです。自分は何をしたいのか、自分にとって何が大事なのかって。それが今ここに居る理由で、アイドルを諦めた訳じゃないんです」
そう言い終え、腰を据え俺を見つめる優良は、自分の方向性をしっかりと見据えているのだろう。期待に応えなかったと、勝手に優良を卑下した俺は間違いなく最低だな…。自分の可能性に気付いた時、人は進化する。どんな苦境に立たされても確固たる意志を持ち、己を信じてやれば案外頑張れるものだと思う。まぁ、俺は全部諦めて挫折したんだけどな。
しかしそれをわざわざ俺に報告でもしに来たというのか?メールでもいいんじゃないのか?それこそ電話で良かっただろう。
「なるほどな…しかしだ。ここに居ても得るものは無いぞ?」
俺の言葉を聞いた優良は、真剣な眼差しに変わる。
「三社さん」
「は、はい。なんでしょう?」
な、なに?なんか怖いんですけど…。
「単刀直入に、言います。もう一度私をアイドルにしてください!」
…はい?なんでそうなった…?
「えっと…。どういう事だ?いや、君の気持ちはわかるんだが」
「そのままの意味です。私は三社さんと一緒がいいんです」
な、何だよその言い方!ドキッとしちゃうじゃないか!しかしここはしっかりと、否定してあげないと駄目だ。大人として、彼女の元上司としてだ。
「い、いや。俺には無理だって言ってるだろ?それに君は、俺なんかの器には収まらないんだ」
「そんな事は無いんです!三社さんが居てくれなきゃ始まらないんです!」
無論優良の意思は尊重したいが、もう俺にはそんな度量はない。完全に小心者に成り下がった今の状態では、ただ足を引っ張るだけになる。
「はぁ…。いいか?俺はもうプロデューサーをやる気は無いぞ、それに君はもう高校3年生だろ?こんな場所まで来て何を言ってるんだ。もっと良く考えろ」
説教のようになってしまったが、優良の人生がもっと華やかなものであって欲しいのだ。こんな愚か者に固執してしまえば、本当の意味で後悔する事になる。
感情のまま事を決めてしまうのはとても危険で、
事実彼女を欲しがる所は、山のようにあるだろう。成功したいなら使える物は使うのが近道だ。
「…確かに私の考えは、甘いのかもしれません。難しいの事なのはよく分かっています。でも—」
もういいと掌を突き出し、言葉を止める。これ以上話しても無駄だろう。
「あぁそうだ、君の考えは甘すぎる。もう東京に戻った方がいい。俺は宛にはならない」
「違うんです、三社さん…。そうじゃないんです」
必死に説得しようとする優良を見るのは辛い。そもそもなぜ今更くるんだよ。俺がそうさせなかったのも一因だが、最悪な気分だ。
「何が違うんだ?アイドルを続けたい気持ちは分かる、なら東京でそのまま続ければいい、違うか?君なら直ぐにでも活躍できる、俺はそういうつもりで言ったんだ」
三社プロダクションを、辞めていった子達は既に成功し、着々と人気を勝ち取っている。ユニット内一番人気だった彼女は、特に注目度が高かった。今からでも遅く無い、寧ろ大人の魅力という更なる武器を携え、流星の如く駆け上がるだろう。東雲優良はアイドルなのだ、
「もう、十分だろ?今からでも遅く無い。1年近くも何に時間を割いてたのか知らないが。余計な事は辞めた方がいいと思うぞ?俺にだって生活がある。君もそうだ。だから—」
「好きなんです」
んぇ?なんだって?
「好きなんです。三社さん。私、貴方の事が大好きなんです!好きで好きで好きで堪らないんです!ここにいる理由?!そんなもの貴方と居たいからです!」
え?!お?!なんだこれ!?なにがどうなってやがる!?
ソファーから立ち上がり愛を叫ぶ優良。顔を両手で覆う。指の隙間から血走った眼球が飛び出そうだ。彼女の狂愛は俺に向けられたものに違いない。あまりの急展開に思考が追いつかない。
「ちょっと!優良さん!?一旦落ち着いて!」
ドウドウと鎮めようが、スイッチの入った彼女は止まらない。
「落ち着ける訳がないでしょう!?」
「なんでや!?いいから落ち着けぇ!」
やばいよやばいよ!こいつぁ参ったぜ!誰だよ!こんな子に優良なんて名前つけたの!
「三社さん?何処でも誰にでも。でしたよね?だから三社さんがいる場所で!三社さんに愛されるために!私は居るんですよ!」
完全に頭のネジが飛んだように吹っ切れる優良は、狂信者の様に天を仰ぎ叫んでいる。
「分かったから兎に角座るんだ!いいか?お座りだ」
観念したのか「ごめんなさい」と言い気まずそうに座る優良。肩で息をする姿は、最早アイドルではなく、獣だ。真面目で清楚な彼女には、似ても似つかない。俺の中の東雲優良が破壊され、正直完全に引いてしまった。内に秘める想いも
「ま、まぁなんだ。君がそんな事を思っていたなんてな…。どう答えてやればいいのか」
優良の気持ちは痛いくらいに伝わったが、これは信じていいものなのか分からない。勿論この状況がそうさせるのもあるだろう。ていうか、あれは告白でいいの?そうだと言うならロマンスの神様も、随分ファンキーになられた御様子で。
そもそも俺と優良では、付き合うと言う物のベクトルが違う。高校生の彼女にとっては、恋愛とは青春のカタルシスで片付く事だ。しかし俺は絶対的な現実問題に発展する。その実30過ぎたオッサンが、学生と付き合っているのだ。道行く人から好奇の目に晒され、圧倒的な世間体の目下で、タップダンスを踊る羽目になる。
容姿的にも問題がある。例えば街中で2人歩いていたとしたら、俺はどう写るだろう。最早お付きの人だ。そんな中飲食店にでも入ったら、店員から兄妹ですか?なんて言われる始末だ。その上諦め半分で、そうです。なんて言った暁には、全然似てないですね♪なんて言われてしまうだろうな。いや、分かってるつーの。
それに結局俺は、選択肢の一つに過ぎないはずだ。
優良はもうアイドルとして、何処かの事務所と契約してる訳じゃない。恋愛自体は自由なもので
確かにかわいい子なのは分かる。でもそれは俺が彼女を、恋愛対象としてみていると言う事にはならない。どちらかと言った娘に近い感情を持っているもんだから、恋とかとは無縁過ぎるんだ。
はぁ…。何をまじまじと考えているんだろうな。断るべきだこれは。そして優良を普通のアイドルに戻してやるんだ。それが今、俺のやるべきことだ。
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