第2部8章
第1話 反撃開始
光を両腕で抱きしめる。馴染みのない手触りだが、とても心地がいい。参考にできる過去の経験などないけれど、この光を守らなければならないことだけはわかる。
<──い……。──して……>
かろうじて聞こえる程度の声が、だんだんはっきりしてくる。
<──ひとり……、しのがないといけないのに──……>
頭の中に直接聞こえる。これは、どう考えてもソフィーの声だ。
<ミネルバのために、私という女官がいれば大丈夫というところを見せなくてはいけないのに……私には、自分を救う術も力もない。あっという間に勇気がくじけて、負けかけている。なんて情けないの……>
ソフィーの心の中では、惨めさと情けなさと自分への怒りがせめぎ合っていた。絶え間なく無力感に苛まれ、よけいに考えがまとまらなくなっているようだ。親友のそんな姿を見るのは辛すぎた。
<ソフィー、ソフィー!>
できることならソフィーの苦しみを消してあげたい。さらなる透感力が開花したのだとしたら、こちらから話しかけることも可能かもしれない。ミネルバは必死の思いで呼びかけた。
<これからどうしよう? どうしたらいい? このままでは私のせいで、ミネルバまで弱い人間だと思われてしまう……>
ソフィーはすっかりパニックに陥っている。ミネルバは何度も呼びかけた。それにはかなりの集中力が必要で、ミネルバはカサンドラや他の公爵令嬢たちの声を遮断した。
<……ミネルバの声が聞こえる? でも、そんなわけは……>
ソフィーが信じられないという様子でまばたきをしたとき、食い入るように球体を見つめていたロアンが「やった!」と声をあげた。
「波長が合った! 凄い、本物のテレパシーだっ!」
「ああ。ミネルバに、こんな潜在性があったとは……」
滅多なことでは動じず、理性的なルーファスも、目に驚愕の色を浮かべてミネルバを見ている。
<でも、もしかして……もしかしたら、ミネルバ?>
<そうよ、私よソフィー!!>
ミネルバは勢い込んで答えた。ようやく『何か』を突き破って会話ができるようになったのだ!
ソフィーが驚きの表情を浮かべ、口をぱくぱくさせる。
<ソフィー、深呼吸をして気分を落ち着けましょう>
ミネルバは慌てて言葉を継いだ。ソフィーは心の底から戸惑っているような表情を浮かべながらも、言われた通りに深呼吸をした。
未だにソフィーの手を握りしめたままのカサンドラが、怪訝そうに目をすがめる。
<どうして……頭の中で会話ができるの? 私、白昼夢を見ているわけはないわよね?>
戸惑いがありありとわかる声だが、ソフィーの鼓動は鎮まりつつあるようだ。
<そ、それは、私が一生懸命頑張ったからというか。どうしてもソフィーの側に行きたくて、他の誰にも真似のできないやり方になっちゃったの。あとで嘘偽りなく、何ひとつ隠しだてせず、これまでのいきさつを話すから。いまは、ただそういうものだと受け入れてほしいの>
ソフィーはこくんとうなずいた。公爵令嬢たちは、そんな彼女の様子を気味悪そうに眺めている。
<ミネルバは追い込まれると並外れた力を発揮するものね。あなたのことは、心から信じられる。姿は見えないけれど隣にいるのがわかるわ、心が不思議な安心感で満ちているから>
落ち着きを取り戻したソフィーの声は、すっかり穏やかになっていた。
ミネルバの腕の中の光は、星のような輝きを取り戻しつつある。これはソフィーの心なのだろう。
カサンドラたちの言葉で心についた傷が癒され、小さくなっているようだ。
<私、侮辱の言葉を投げつけられても言い返せなかった。こんな自分でいたくないのに。女官は自分で選んだ道で、ミネルバに心と未来を捧げるって決めていたのに>
<ソフィー、そのことで苦しまないで。数で負けているのだから、逃げることは恥ではないわ。あなたがこんな目にあっていい謂れはない。できることなら腕を掴んで、この場から連れ出したいくらいなのよ>
それはミネルバの本心だった。胸の奥からあふれ出した言葉だった。しかしソフィーはぶんぶんと首を横に振った。
彼女の目の前にいるカサンドラが『お可哀そうに……心がもうぼろぼろなのね』とつぶやく。
<ミネルバはいつも優しいわ。そういうあなただから、私は女官になったんだった。私、ここから逃げ出すなんてできないわ。ミネルバと一緒にいたい。ミネルバの未来を支えたい。女官であることは何物にも代えがたい喜びなんだから!>
どうやら闘志に火がついたようだ。魂が共鳴したおかげで、もう心細くないのだろう。
<そうよ、いまここでけりをつけなければ。何人たりともミネルバに手を出すべからずと知らしめなければ。言い返したいことは山ほどあるわ>
ソフィーは防衛本能で機能停止に陥っていた思考力を、完全に取り戻したらしい。彼女はもう一度首を振り、表情を引き締めた。
『哀れなソフィーさん、あなたは私たちからの友情と深い気遣いを得られるわ。このまま宮殿にいたら、ミネルバ様自身があなたにとっての脅威になり得ると思わない? これ以上傷つきたくなければ──』
『カサンドラ様、少しばかり度が過ぎるんじゃなくて? それ以上、ひと言もおっしゃらないで』
ソフィーは挑むように顔をあげ、カサンドラの言葉を容赦なく遮った。
その行動は大きな効果をもたらした。
カサンドラはまるで熱いものに触れて火傷をしたかのように、ソフィーからぱっと手を離した。そして、信じられないという表情でソフィーを見つめる。
双子のリオナとメイリンが『なんですって!』と同時に叫んだ。ヴェルヴェットも怒った顔で身を乗り出す。
『あなた、カサンドラ様が善意でおっしゃっているのがわからないの? 辺境伯令嬢という立場でありながら、属国出身者の女官になるだなんて、恥を知りなさいと言いたいところなのよ?』
『そうよ。それなのにカサンドラ様は、ご親切にも助け舟を出してくださったのよ。素直にお申し出を受けるべきじゃないの!』
『やっぱりあなた、とんでもなく愚かで世間知らずなのね。愚かな振る舞いをしたことを認めて、いますぐ謝罪するべきだわっ!』
カサンドラ以外の令嬢たちから責め立てられても、ソフィーは驚くほど力のある目をしていた。
<私だって強くなれる。女官にふさわしいことを証明しなければ>という心の声が聞こえた。
『ミネルバ様のお側にいることが、私の務めです。先ほど知り合って一か月もたっていないと仰いましたね。私はこの一か月、ミネルバ様と共にあれることに日々感謝しておりました。出会ってすぐに生涯切れない絆が生まれることもあるのですわ』
『本心で言っていらっしゃるの?』
カサンドラがいぶかるような口調で尋ねた。
『もちろんです。そうそう、最初にお誘い頂いたお茶会についてですけれど。ミネルバ様と一緒に参加できない以上、私も欠席するしかありませんわ。婚約式が終われば、結婚式の準備で忙しくなりますから、噂話に花を咲かせる時間がありませんの。とはいえご招待には感謝いたします。素晴らしいお茶会になるようお祈りいたしますわ』
ソフィーの勇敢な言葉に、三人の公爵令嬢たちがうろたえている。カサンドラも落ち着きを失っていた。
彼女たちはソフィーが突然刃向かってきたことに当惑し、驚愕せずにはいられないようだった。
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