第2話 友情
室内の空気ががらりと変わった。
『皆様のおかげで、ミネルバ様は皇弟妃に相応しいお方だと確信するに至りましたわ。ルーファス殿下は、正しいお相手を見つけられたのだと』
揺るがぬ眼差しでソフィーが言った。明晰な理性が戻った彼女の口からは、滑らかに言葉が出てくるようになっている。
『ミネルバ様はお強い。才気煥発で、何事にも動じない精神力がおありになる。皆様がつゆほども持ち合わせていないカリスマ性が備わっていらっしゃいます。人の噂に惑わされず、自分の目で見て判断すれば、ミネルバ様がなにゆえにルーファス殿下から結婚を望まれたのかがわかるはずです』
ソフィーは自信たっぷりで、ついさっきまで委縮して顔もあげられなかった女性と同じ人物だとは思えない。
『実際に、侯爵家以下の人々の間でミネルバ様の人気が急上昇しています。属国のご出身とはいえ、実のお兄様はアシュランの国王におなりになる。出自を気になさるなら、その点は無視できませんでしょう』
カサンドラたちにとって、これは予想外の展開だろう。なにしろソフィーは数分前まで怯えたような表情を見せ、思考が停止していたのだから。自分たちに逆らってくるとは夢にも思わなかったに違いない。
目の前の光景に対する驚きの方が強いらしく、呆然としていた双子の姉のリオナが『なんて無礼なの』とつぶやいた。妹のメイリンも青ざめた顔でソフィーを睨みつける。
ヴェルヴェットが耳が痛くなりそうな声で『私たちを馬鹿にしているの!?』と叫んだ。
『私たちは公爵家の令嬢よ。辺境伯の娘ごときのためにわざわざ出向いてやったのに、馬鹿にされるのは我慢がならな──』
『私はミネルバ様の側近中の側近、女性としては最も高い官職についています。以前のように私に接してもらっては困ります』
ソフィーは目を逸らすことなく毅然としてヴェルヴェットを見た。
『私のためにわざわざ来てくださったことには御礼を申し上げます。でも、よけいなお世話でしたわ』
そう言って背筋を伸ばしたソフィーに、ヴェルヴェットと双子があっけにとられたような表情になる。
「ソフィーさん、強い!」
やはり一瞬あっけにとられていたロアンが、球体を見ながらぷっと吹き出した。マーカスが彼を押しのけるようにして身を乗り出す。
「別に驚くことじゃない。ソフィーさんは優しくて控えめだが、心の奥に強さを秘めた女性だ。落ち着きさえ取り戻せば、あんな女たちに引けを取らないことは言うまでもない」
マーカスの目つきが優しくなり、口元が緩む。
「初めて見る表情だ……」
「これってもしかして……」
ジャスティンとコリンが同時につぶやき、マーカスをまじまじと見つめた。何かを察してしまったらしく、かなりの衝撃を受けているのがわかる。
『ソフィーさん、あなたって性根が据わっているのね。いままで上手に隠していらっしゃったの?』
カサンドラが凄みを利かせた。彼女の厳しい表情に、甲高い声で騒いでいた他の令嬢たちまで静かになる。
ソフィーはじっとカサンドラを見つめ返した。
『ミネルバ様が私を変えてくださいました』
ソフィーはきっぱりと答えた。
『誰を敵に回そうとも、私はミネルバ様の味方です。あのお方を尊び、守り、人生を捧げると誓ったのですから』
ミネルバは、ソフィーの言葉がすべて本心であることをつぶさに感じていた。嬉しいどころではなくて、たまらない気持ちになる。
ソフィーと初めて会った瞬間から、何か特別なものを感じていた。まだ一か月しか共に過ごしていないけれど、二人は気の置けない仲になっていた。
誰よりも大切な友達、自分を理解してくれる友達が、勇気を振り絞って本物の友情を示してくれたのだ。これ以上に誇らしいことがあるだろうか。ミネルバは天にも昇る心地になった。
『そう……あくまでも女官として、ミネルバ様を支えるとおっしゃるのね。それを止める権利は、私たちにはありませんわ』
カサンドラが冷たい声を出す。ミネルバは慌てて意識を集中させた。
『強い決意がおありなのね、よくわかりました。つまり、ただ裏方として働くだけの存在になるつもりはないということね? 立派な女官なら、社交シーズンを宮殿の中だけで過ごすわけにはいかないのだから』
カサンドラの目が妖しく輝く。
『いえね、私の父も、他の皆様のお父様も、ディアラム侯爵家のロバート様の擁護者になるつもりなんですの。身勝手で愚かな行動をしたのはミーアさんであって、ロバート様は被害者──まあ言い分は双方にあるでしょうけれど、どこにも証拠がない以上、たとえルーファス殿下でもロバート様を排除することはできませんから』
カサンドラはさらに毒のある言葉を続けた。
『残念だわ。ソフィーさんが私たちとの友情を大切にしてくださるなら、デュアラム家のことは捨て置くように、父に頼むつもりだったのですけれど。更生と再教育のための謹慎期間が終わったら、ロバート様は複数の公爵家の後押しを受けて社交界に戻ってくることになりますね』
「なんて嫌な女だ、我慢ならない……!」
マーカスが歯を食いしばって、唸るように言った。
『公爵家は皇族に次ぐ、大きな権力を持っています。そのすべての招待を断ることは、ミネルバ様とておできにならない。ロバート様はどうやら、ソフィーさんとの縁組を諦めていらっしゃらないご様子ですし、ひと波乱ありそうですわね。いまのソフィーさんなら、ひるむことなどなさそうですけれど』
ミネルバはうなじの毛が逆立つのを感じた。カサンドラはロバートの名前を出すことで、ソフィーにとって耐えがたい感情をかき立てようとしているのだ。
いまのミネルバとソフィーが心を分かち合っていることは、疑いようがない。
<負けてなるものですか。あんな男のせいで、二度と泣いたりしない……っ!>
ソフィーが感情を必死に押し殺しているのがわかる。ふつふつと湧き上がる苦痛や恐怖で、胸が破裂してしまいそうになっているのもわかる。
「ミネルバ、ソフィーに伝えてくれ。ロバートのことで、彼女を危険にさらすつもりはないと。私とギルガレン辺境伯は、時間を無駄にせずにロバートに致命傷を与える証拠を探してきた。姉妹を都合よく利用した利己的な男であることが、もうすぐ白日の下にさらされる」
ルーファスが耳元で囁いた。ミネルバが小さく振り向くと、彼は力強いまなざしを注いでくる。
ミネルバは大きくうなずき、それから心の声でソフィーに話しかけた。ルーファスの言葉を簡潔に伝え、さらに付け加える。
<ソフィー、あなたのお父様もルーファスも、いまの状況に甘んじるつもりはないわ。もちろん私も。だから頑張って!>
<ありがとう! 人生って皮肉よね、ロバートがあんなことをしでかしたからこそ、私は女官になれたんだからっ!>
カサンドラとの間に焼けるような緊張感が漂っているものの、ソフィーの心はすっかりほぐれたようだ。
『脅しても無駄だということは、もうおわかりでしょう。皆様はずいぶんとお暇なようですが、私は暇ではありませんの。そろそろお開きにいたしませんこと?』
ソフィーが平然と言った。狼狽え、先に視線を逸らしたのはカサンドラの方だった。
『……後悔しても知りませんよ』
カサンドラは唇を噛んで立ち上がった。
『考え直したくなったら、いつでも連絡してちょうだい。それではごきげんよう、ソフィーさん』
ソフィーが自分の望み通りに動きそうにないと悟ったのだろう。長く赤い巻き毛を翻し、カサンドラはくるりとソフィーに背を向けた。そして、残りの令嬢に声をかけることもなく出て行った。
リオナとメイリンがあたふたと、ヴェルヴェットが憮然とした顔つきでカサンドラの後を追う。
「迎えに行ってくるっ!!」
マーカスが叫ぶと同時に走り出した。
中央殿に急行した彼が、ソフィーの元へたどり着いた姿が球体に映るまで、あと数分もかからないはずだった。
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