第6話 ソフィーの側へ

 ソフィーは何かを喋ろうとしたが、喉が詰まって言葉が出ないようだ。

 カサンドラが笑みを浮かべた。明らかに自分がもたらした効果に気づいている。


「おい、ソフィーさんが糾弾されてるって本当かっ!?」


 マーカスが大声で叫びながら駆けこんできた。どうやら訓練場からこの部屋までの道のりを、全力で走ってきたらしい。

 マーカスの後からジャスティンとロアンが続いた。三人は両膝に手をついて荒い息を吐いている。

 きっと忠実な護衛官たちが、彼らを呼びに行ってくれたのだろう。翡翠殿から戻ってくるとき、ミネルバの側には当然のようにエヴァンがいたし、ルーファスにはセスとぺリルが影のように付き従っている。

 開け放したままのドアからコリンも飛び込んできた。彼はミネルバが作り出した球体──ミネルバが見ているものを見て、ミネルバの耳に聞こえた声を聞くことのできるもの──に目をやって、大きく息をのんだ。

 マーカスが眉間にしわを寄せて、拳を握り締める。


「思いっきり数で負けてるじゃないか! みんな、どうしてそう落ち着いていられるんだっ!?」


「お静かにマーカス様、女には女の闘いがあるのです。ソフィーさんも女官ならば、この場をさばき切らなければなりません。ここで誰かが救いに入ったら、公爵令嬢たちにとってはしめたもの。ソフィーさんなら、いいようにできると判断されて終わりです」


 テイラー夫人が答えた。彼女は吟味するようなまなざしで、球体の中のソフィーを見つめている。


「いつか乗り越えなくてはならないことです。女官には、したたかに闘う力がなければいけない。ここで負けるようなら、それまでだということ」


 テイラー夫人の落ち着いた物言いは、明らかに百戦錬磨の教育者の口調だ。言葉は厳しいが、彼女がソフィーのためを思っていることはわかる。


「くそったれ! あいつらが男だったら、この拳で追い払ってやるのに……っ!」


 マーカスが壁に拳を打ち付けた。それから肩を怒らせ、球体を中心に円を描いてぐるぐると部屋の中を歩き回る。彼にとって、ソフィーの身を案じることは拷問にも等しいのだろう。

 ジャスティンとコリンが、驚いたような顔でマーカスを見ている。マーカスが妹以外の女性にここまでの感情を表わすのは、彼らが知る限り初めてだからだろう。


(ソフィー……)


 ミネルバは両手で胸を押さえた。早鐘を打っている心臓を、少しでも鎮めたかった。

 ソフィーは反論もできず、どうすればいいかもわからないようだった。それが当然の状況だ。公爵令嬢四人から糾弾の目で見られたら、大抵の者は恐怖ですくみあがる。

 ソフィーは生まれつきとても温和で、正直で、どちらかと言えば臆病な性格だ。彼女が怖気づき、そのことに苦しめられていることは間違いないだろう。


(私は彼女を守るために宮殿に連れてきた。それなのに……)


 この世に恐ろしいものは多々あれど、ミネルバにとって一番恐ろしいのは大切な人が傷つくことだ。

 ソフィーは何者にも代え難い存在だ。彼女が公爵令嬢たちからの集中攻撃を受けているいま、冷静でいられるわけがない。

 ルーファスがミネルバの肩をぐっと握り締めた。ミネルバが小さく振り返ると、彼の視線は一瞬も揺らぐことなく球体に吸い付いていた。

 ルーファスの表情はひどく冷酷そうで、ミネルバでさえ寒気を催すほど。四人の公爵令嬢たちに対して憤りを覚えているのだろう。


『ねえソフィーさん。私たち、あなたが不幸になるのを黙って見ていられないの。ほとんどの公爵家はミネルバ様を認めない。このままだとギルガレン辺境伯家は、公爵家と敵対することになってしまうわ。ミネルバ様では鎧の役目は果たせませんよ?』


 カサンドラが笑みを深くする。直接的に脅すことで、ソフィーの抵抗する気力を完全に奪おうとしている。


『ルーファス殿下だって、自らの花嫁が属国の人間だという事実を、公爵家側がどう受け止めるかわかっていらっしゃったはず。皇族を支え続けてきた公爵家にとっては、それはそれは侮蔑的な事実ですもの』


 ルーファスの筋肉に力がこもり、歯を食いしばるさまが背中から伝わってきた。

 自分が貶められることに屈辱を感じないと言えば嘘になるけれど、ミネルバはそれほどたじろがなかった。公爵家と対立する可能性があることは、アシュランを出る前から念頭に置いていたから。

 娘をルーファスに嫁がせようとあの手この手を尽くしてきた公爵たちにとって、ミネルバの登場はまったく予想外だっただろう。笑止千万な縁組だと思ったに違いない。

 皇帝トリスタンと先代のグレンヴィルが認めているのだから無下にはできないし、異論を唱えても無駄だとわかりつつも、ミネルバに対する怒りを湧き立たせているのだろう。


(私自身は、試練で強くなれる。属国出身であることは掛け値なしの事実で、それは変えようがないのだから。でも、でもソフィーは……)


 自分がソフィーを女官に任命したせいで、彼女を追い詰めてしまったということには耐えられそうにない。


(私の大切な友達を傷つけようとする人は、誰であれ許せない。ああ、なんとしてもソフィーの側に行きたい……っ!)


 だって、自分の側にいれば安全だと約束したのだから。


『私たちよりもミネルバ様の味方をするのは、尋常なこととは思えないわ。あの方とは、まだ知り合って一か月もたっていないのでしょう?』


 カサンドラが小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。赤みを帯びた茶色い瞳がきらめいている。彼女がソフィーを追い詰めることに喜びを感じていることは明らかだ。

 室内がまた静まり返り、誰もがソフィーの答えを待っている。


「ソフィーが傷つく姿を見るのは嫌、それだけは嫌……!!」


 口に出してそうさけんだ瞬間、ミネルバは不慣れな肉体的感覚に襲われた。何かが怒涛の勢いで体内を駆け巡る。


「ミネルバ、これは……っ!?」


 ルーファスが驚愕したような声で叫ぶ。しかしミネルバ自身も、何が起こっているのかまったく理解していなかった。

 全身に不思議な力が流れ、ミネルバの体が星のように輝き始めた。力がみなぎっている。何らかの力を得たと感じた。

 聴覚が鋭くなったのだろうか、遠くからミネルバを呼ぶ声がする。ミネルバはその声に全神経を集中させた。


(これはソフィーの心の声……? それに、何かがきらめいている……)


 視覚も鋭敏になったのだろうか、さっきまでは見えなかった光が見えた。弱々しく明滅しているけれど、とても澄んだ光だ。

 ミネルバは思わず手を伸ばした。もう少し、あと少しで手が届く。


(掴んだ!)


 どんなことをしてもこの光を離さないという気持ちに迷いはない。全身が信じられないくらい熱くなった次の瞬間、ミネルバはかつてない『繋がり』を感じた。

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