第8話 皇帝一家

 ルーファスたちの到着時間が近づくにつれて、ミネルバの心の中に興奮が湧き上がってくる。世界で最大の、そして最も尊敬されている帝国の統治者に、自分がどんな印象を与えるか見当もつかない。

 未来の義兄や義姉に、果たして気に入って貰えるだろうか。自分のなすべきことに集中しているつもりでも、心の隙間に不安が忍びこんでくる。


 ついに皇族のために特別にあつらえられた馬車が到着した。出迎えのために待ち構えていたミネルバの緊張感が一気に高まる。


 ルーファスが颯爽と馬車から降りてきた。礼装用の黒い騎士服をまとっていて、胸に飾られた勲章や飾緒がまぶしい。

 たった十日ほど離れていただけなのに、顔を見ただけでこの上もない喜びを感じた。心の中が温かくなり、安心感が広がっていく。


 ルーファスに続いて、皇帝トリスタンが威風堂々と現れた。

 やはり礼装用の騎士服姿だが、肩からは皇帝だけが着用を許されるローブをまとっていた。


 ルーファスによく似た端整な顔立ちは、大理石から彫り出された彫刻のようだ。雲ひとつない美しい夜空のような黒い瞳、烏の羽のように黒く輝く髪は腰まで届いている。

 目元が穏やかで、ルーファスよりも気さくな人に見えるが、大帝国の皇帝という身分にふさわしい超然とした雰囲気を漂わせていた。


 二台目の馬車から、美しく着飾った女性が降りてきた。グレイリングの皇妃として、さまざまな公務を立派にやり遂げているセラフィーナだ。

 優雅な身のこなし、非の打ちどころのない上品さ。金色の髪がやわらかにカールしながら背中に広がっている。なんと瞳も金色で、まるで光が結晶になったかのように燦然と輝いていた。


 絵に描いたような美人とは、セラフィーナのような人のことを言うのだろう──ミネルバがそんなことを思っていると、馬車から小さな男の子がぴょこんと出てきた。

 うっとりするくらい可愛いその子は、5歳の皇太子レジナルドだ。

 黒髪ではなく、明るい金色の巻き毛が肩まで伸びている。瞳は黒くて、長い睫毛の下できらきらと輝いていた。


「皇帝陛下、皇后陛下、皇太子殿下、皇弟殿下。アシュラン王国のためにこうしてお越しいただきまして、誠に光栄でございます。慈悲深いご配慮に、我ら一同心より感謝申し上げます」


 ジャスティンが落ち着きのある声を出す。

 国王夫妻とバートネット家の面々、そして国内に7つほどある公爵家の当主とその妻といった出迎えの一同がうやうやしく膝をつき、作法にのっとって頭を下げた。


「立ってよろしい。私も妻も、君たちに会えたことを嬉しく思っている」


 トリスタンが穏やかな口調で応じた。

 張りのある声には、悠然とした力が感じられた。かつて病弱だったとは信じられないほど活力にあふれている。

 皇妃セラフィーナが微笑みながらうなずいた。洗練されていながらも、人柄のよさが伝わってくるような笑みだった。


 ミネルバは落ち着き払いながらも、慎み深い視線をルーファスに送った。彼は温かい笑顔を向けてくれた。


 宗主国の皇帝一家と、その従者たちの一行を迎えるという栄誉を与えられて、アシュラン側の人々の喜びは計り知れない。

 王宮内には熱気が波のように広がっていった。初めてアシュランを訪れた賓客たちに王宮内を案内したり、軽食の用意された部屋で休んでもらったりと、それぞれに与えられた役目を果たしている。


 何もかもが手配どおりに進んでいく中、ジャスティンが皇帝一家を特別に用意された部屋へといざなった。

 ミネルバに向かってルーファスが歩いてくる。それより早く、小さな天使がミネルバに駆け寄ってきた。

 皇太子レジナルドがミネルバを見上げてぱちぱちと瞬きをする。そして照れたように身じろぎをした。


「あなたがルーファス叔父様のお妃になるんだね。叔父様の言ったとおり、びっくりするくらい綺麗だね。僕、すごく会いたかったんだ。あなたのことをミネルバって呼んでいい? それから、握手してもらってもいい?」


「ありがとうございますレジナルド殿下。名前で呼んでいただけて光栄です」


 ミネルバは膝を折ってしゃがみ込み、レジナルドと視線を合わせた。小さな皇太子はミネルバの手を取り、にっこりと微笑んだ。


「こらこらレジナルド、先を越されたルーファスが歯ぎしりをしているじゃないか」


 トリスタンが力強い腕でレジナルドを抱き上げる。

 射抜くような黒い瞳に見つめられ、ミネルバは立ち上がった。大帝国の皇帝の威厳を存分に発揮しているトリスタンの口から、小さな吐息が漏れる。


「はじめましてミネルバ。ルーファスが顔を見るだけで幸せな気持ちになれると言っていたが、たしかに綺麗なお嬢さんだ。愛らしく美しく、強い意志と知性にあふれている。ルーファスはこの十日というもの、あなたからの手紙を運ぶハルムをそわそわしながら待っていたんだよ。貴女なしでは生きていけないといった様子だった」


 トリスタンが慈悲深い笑みを浮かべた。

 皇妃セラフィーナが彼の横に立って、ミネルバに視線を向けてくる。そのまなざしは温かかった。


「自分がいかに幸せな男か、ルーファスが力説するのもうなずけますわね。うっとりするくらい美しいわ。ミネルバさん、あなたに会えてこの上ない喜びを感じるわ。私の大切な義弟に喜びをもたらしてくれて、心からお礼を言います。本当にありがとう」


 ミネルバがルーファスの妃となることを、二人が心から歓迎してくれていると知って、頬が熱くなるのを感じる。

 思わず後ずさりしたくあるほどの美男美女に圧倒されながらも、ミネルバは礼儀正しく挨拶を返した。

 ルーファスがミネルバに寄り添ってくる。見上げると、彼はその端整な顔を真っ赤に染めていた。



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