第7話 四兄妹
皇帝トリスタンと皇妃セラフィーナ、そして幼い皇太子レジナルドがアシュラン王国に到着する日の朝になった。
「そんなに何度も確認しなくても大丈夫だよミネルバ。この上なく洗練された装いだ。本当に、アシュランのお針子が縫った代物とは思えない」
本宮殿の一室で姿見に映った自分に見入っているミネルバに、コリンが笑いながら声をかけてくる。
「ありがとうコリン兄様。ドレスの出来栄えが不安だからじゃなくて、嬉しくてつい何度も見てしまうの。みんな、私が望む以上に頑張ってくれたから」
ミネルバはまた姿見に映る自分を見つめ、感慨にふけった。
鏡の中では、すみれ色のドレスを纏った自分がきらきらと輝いている。アシュランでも指折りの仕立て屋やお針子たちが、二か月かけて作り上げたドレスだ。
マーカスがドレスの細部を眺め、感じ入ったようにうなずいた。
「ミネルバがグレイリングでドレスを作ることを断ったときには、びっくり仰天したけどな。ルーファス殿下も、金を出し惜しむつもりはないって言ってたし。まさかグレイリングの仕立て屋を招いて、こっちの仕立て屋たちの教師になってもらうとはなあ。俺は感心したし感動したぞ」
ミネルバは返事の代わりに微笑んで見せた。
王宮西翼からセリカが消え、次期国王となるジャスティンにはまだ妃がいない。その上貴族たちは、グレイリングで作られた衣装を手に入れようと躍起になっている。これでは国内の仕立て屋の仕事は減る一方だ。
グレイリングの仕立て技術を取り入れ、さらにアシュランの伝統的な刺繍を施したドレスは、ミネルバの想像を遥かに超えた美しさとなった。
「アシュラン国内でグレイリング流の衣装を調達することができるようになれば、本当に有難い。いずれ私の妃となる人も喜ぶんじゃないかな」
穏やかに笑うジャスティンに、マーカスがからかうような視線を向けた。
「お妃選びが難航しまくりで、いつ決まるかわからないけどな」
「仕方ないよマーカス兄さん。ミネルバが社交界から追われたとき、僕たちの周りからも潮が引くように女性が消えたからね。いまになって群がってくるようなご令嬢方に、王妃としての務めが果たせるかどうか……」
そう言ってコリンは肩をすくめた。
「まあ、僕とジャスティン兄さんもグレイリングを訪問することになっているからね。帰国するまでに、いい出会いがあることを祈るのみだよ。グレイリングのご令嬢だけじゃなく、ほかの属国のご令嬢とも顔を合わせる機会があるだろうし」
「俺はミネルバに同行して、ひと足先にグレイリング行くからな。未来のアシュラン国王、前途有望な若者が花嫁募集中って触れ回っておいてやるよ!」
マーカスが自分の胸を拳で叩いた。コリンが盛大に眉を顰める。
「いや、それはやめとこうよ。マーカス兄さんの宣伝じゃ、女性の心はぴくりとも動かないよ……」
「なんだとおおっ!?」
仲良く喧嘩をしているマーカスとコリンを見ながら、ミネルバとジャスティンは顔を見合わせて微笑み合った。
皇帝一家は三日ほどアシュランに滞在するが、彼らがグレイリングに帰国するときに、ミネルバとマーカスも一緒に旅立つ予定になっている。
ルーファスはあれから二国間を行ったり来たりしているが、ここ十日ほどはグレイリングに戻っていた。今日の午後になれば、兄夫婦と甥と一緒に王宮に到着するはずだ。
「バートネット家の四兄妹として過ごす日々も、もうすぐ終わりになるんだな。ミネルバはともかく、まさか私の姓が変わる日がこようとは」
ジャスティンが寂しそうにつぶやいた。
王太子の座に就くことに関連する書類上の手続きは終わっているが、アシュランの貴族たちが集う歓迎式典で、皇帝トリスタンが直々に宣告してくれることになっている。いよいよジャスティン・アシュランとしての新しい人生が始まるのだ。
キーナン王とオリヴィア王妃は名目上の存在となり、王宮東翼から別荘に移って、静かに余生を送ることになる。罪滅ぼしのためにと、王家の私有財産のほとんどをジャスティンに贈与するそうだ。
「名前が変わるって寂しい? 私はグレイリングに行ったら、まずは宮殿に入って花嫁修業をする予定だから、もうしばらくバートネット姓のままだけど……」
「そうだなあ、やはり寂しいな。ああ、そうだミネルバ。まったく話は違うが、伝えておきたいことがあったんだった」
ジャスティンがさっきまでとは種類の違う笑顔を見せる。ミネルバは小首をかしげた。
「お前を傷つけ、あまつさえ殺害を計画したジェフリー・モートメインだが。廃嫡されることが決まったらしい」
ミネルバは思わず「え」と声をあげた。
「ジェフリーも私にすり寄ってこようとしたんだが、ほかの貴族たちから『どういう神経をしているんだ』と非難轟轟でね。リリィは偽物のレノックス男爵、つまり大悪党マーシャルの養女だったわけだからね。ジェフリーが罪を犯したわけではなくとも勘ぐられるし、嫌悪と軽蔑の対象となって当然だ」
「リリィのお腹の子は……無事だったのよね。つまり、いまさら彼女を切り捨てるわけにもいかないから?」
「そういうことだ。両親であるモートメイン侯爵夫妻は、ジェフリーとリリィに領地の一部を分け与えたらしい。蟄居とか幽閉とか、まあそんなようなものに近いかな。これ以上恥をさらすなってことさ。ジェフリーの代わりに、親戚筋の優秀な若者を養子に迎える腹積もりらしい」
「そうだったの……」
ルーファスと出会ってから、ジェフリーのことなどほとんど忘れていた。それでもミネルバは、ふっと心が軽くなったような気がした。
「お、マーカスとコリンの喧嘩が終わったようだ。お茶を一杯飲んだら、歓迎式典の最終確認をしなくてはな。閑職に追いやられていた西翼の使用人たちも、それぞれに才能を発揮できる場所に戻してやれたし。なによりミネルバが準備に奔走してくれた。きっと、素晴らしい式典になるに違いない」
ジャスティンの視線を追うと、たしかにマーカスとコリンが温かい笑みを浮かべてミネルバを見つめていた。
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