第9話 未来への扉

「私の弟は見た目は冷たそうに見えるが、心の中には優しさや温かさがあふれている。とてもよい夫になると思うぞ。ミネルバはこれから日の当たる道を、愛されながら進むことができる」


「私も小さいころから知っていますけれど、非の打ちどころのない男性よ。誠実だし忍耐強いし、ひとたび口にしたことは絶対にやり遂げるし。私の愛するトリスタンにそっくり。きっと、夫としての責任を立派に果たしてくれるわ」


 トリスタンとセラフィーナはそれからしばらくの間、熱心にルーファスを褒めそやした。

 彼らが心からルーファスを愛していることが見て取れる。褒められている当の本人は盛大に戸惑っているけれど。 


「いやあの兄上、義姉上、もうそのへんで……」


 顔を真っ赤に染めたルーファスが制止しようとしたが、兄夫婦は揃って首を振った。


「私は嘘やごまかしを言っているわけではないぞ。お前は利発だが、自分のこととなると頭の回転が鈍りがちだからな。ミネルバにお前の美点をしっかり伝えておかないと。私たちの人生における大切な役割のひとつは、ルーファスの幸せを見届けることだからね」


「そのとおりよ。女性に心を開くことがなかったルーファスが、とうとう愛する人を見つけたんですもの。ミネルバさんに、あなたのすばらしい面をたくさん知ってもらいたいのよ」


 ミネルバは二人の熱意に圧倒されながらも、彼らの中にひそむ苦悩を悟った。

 ルーファス幼いころから、人を愛してはならないと教え込まれてきた。心の周りに防御の壁を張り巡らせて、ずっと心の一部を閉ざしていたのだ。家族以外に本来の自分をさらけ出せない弟を見て、心が痛まなかったわけがない。


 この兄弟もまた、真心で結ばれている。バートネット家の兄妹がそうであるように。ミネルバは胸が温まるのを感じた。

 ミネルバはルーファスの手に、そっと自分の手を重ねた。


「トリスタン様、セラフィーナ様。私はルーファス様のことが大好きです。彼の中にたくさんある傷も含めて」


 ミネルバが微笑むと、トリスタンに抱かれているレジナルドが頬を染めた。


「私も傷ついて、心がすさんでいた時期がありました。でもルーファス様が私を望み、必要としてくれたから、私は幸せになっていいんだって救われた気持ちになって……。ルーファス様ほど喜びをもたらしてくれる人はいません。だから私、二人で長く幸せな人生を送れるよう、一生懸命頑張るつもりです」


 ミネルバは決意を込めて言った。自分がルーファスをどれほど愛しているか、改めて気づかされたような気分だった。


「あなたは素晴らしい女性ね。私たちも愛さずにはいられないわ」


 セラフィーナが近づいてきて、そっと抱きしめてくれる。


「私たち、ルーファスが愛する人を見つけるまでは、真に心が休まることがないと思っていたの。ルーファスが心を分かち合える人が、ミネルバさんでよかった。あなたのグレイリングでの新生活は、私が全力で支えますからね」


「ミネルバがいれば、ルーファスの未来は明るいな。さあ、そろそろ彼らを二人きりにしてあげようか」


 トリスタンが美しい顔に悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「ミネルバと一緒にいると、ルーファスは年相応の若者に見えるな。お前が本当の自分に戻ることができて、私も幸せだよ。さあ、歓迎式典まであと少しだが、二人っきりで過ごすがいい」


 ルーファスが「はい」とうなずく。

 トリスタンの好意を無下にする理由はどこにもない。ルーファスがぎゅっと手を握り返してくれたので、ミネルバは彼と手をつないだまま別室へと移動した。


「兄上と義姉上が心配してくれているのはわかるんだが、やっぱり恥ずかしかったな」


 顔の赤みが引いたルーファスが、少し照れたような声を出す。


「私は嬉しかったわ。昨日まで知らなかったルーファスの顔を見ることができたから」


「グレイリングに行けば、もっと見ることができるぞ。やってみたいことがたくさんあるんだ。あちこちデートに出かけたり、君を長時間ひとりじめしたり。婚約指輪を不本意な渡し方をしてしまったから、その仕切り直しもしたい。一日も早く、ミネルバの事なら何でも知っていると胸を張れるようになりたいんだ」


「すてき。私もルーファスのこと、もっともっと知りたい」


 ミネルバは満面の笑みを浮かべた。ルーファスを見つめる目は、きらきらと輝いているに違いない。


「そろそろ人が集まり出してきたな。どのような場でも、皇族が最後に入場するのがしきたりだから、時間はまだある」


 ルーファスの言葉に窓の外を見ると、遠くのほうに貴族たちの馬車がひしめき合っていた。

 貴族たちはその身分によって、馬車でどこまで入れるかが決まっている。下位の貴族ほど遠くの場所で馬車を降り、長い距離を歩いてこなければならない。


「ミネルバは花嫁修業があるし、結婚式に先駆けての婚約披露会の準備もしなければならない。忙しいだろうし、新しい暮らしに慣れるのは大変だ。おまけに私は、普通の貴族の暮らしに納まりきることができない。皇族として、果たせねばならない義務が多くある」


 ルーファスはミネルバの手を持ち上げ、自らの唇に押し当てた。美しい黒い瞳が、決意の色を増している。


「グレイリングと、その勢力圏の国々がもっとよくなるように努力するつもりだ。尊敬できて、頼りにできて、心から愛せるミネルバがいれば、私はどこまででも頑張れる。以前誓ったように、必ず君を守るから。どうか私を信じてついてきてほしい」


「ルーファス……。私、喜んでついていくわ。あなたと一緒に人々を守ることが、私の務めですもの」


 ミネルバの脳裏を、ルーファスと出会ってからの日々が走馬灯のように駆け巡った。

 彼と出会って、ミネルバの毎日はがらりと変わった。信じられないほど変わって、光に満ちた未来への扉が開いた。


 これから先、きっといろいろなことがあるだろう。嫌なことも数えきれないほどあるに違いない。でもそれ以上に、嬉しいことがいくつもあるはずだ。

 もうしばらくしたら歓迎式典が始まる。グレイリングの皇族としての、ミネルバの新しい人生の始まりだ。


「ミネルバ、君を心の底から愛している。命果てるまで、君だけを愛すると誓うよ」


 ルーファスに力強く抱きしめられて、ミネルバは晴れやかな笑い声を響かせた。


「愛しているわルーファス、私の大事な皇弟殿下。人生最後の日まで、私はあなたと一緒にいるわ」




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 第1部アシュラン王国編は、これにて完結です。お付き合いいただきましてありがとうございました。

 拙い部分も多くあり、書きながら悩む日々でしたが、応援してくださる皆様に支えられて連載を続けることができました。心からお礼申し上げます。

 グレイリングでの新生活や、ジャスティンのお妃問題、ロアンの過去などなど、まだまだ書きたいことがたくさんあります。少しお休みを頂いてから第2部を始める予定です。

 これからも、どうかよろしくお願い申し上げます。

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