第2話 届いてほしい
フィルバートが運び込まれたテントの前に立ち、ミネルバは面会許可が出るのを待った。ほどなくして出入口の布が上げられ、ジャスティンとコリンが出てくる。
コリンがミネルバを見て笑みを浮かべた。ジャスティンは眉間にしわを寄せ、なぜか首を横に振った。
「フィルバート様は……少なくとも、普通に話のできる状態じゃないぞ。現実から目を背けているんだ。心を閉ざし、こちらが呼びかける声に耳を塞いでいる。いまも床に座り込み、うつろな目で宙を見つめるばかりだ」
ジャスティンの顔が歪む。ミネルバは手を伸ばして、両眼に涙をにじませる長兄を抱きしめた。
フィルバートにはいずれ正式な判決が下るだろう。そして恐らく、セリカとも引き離される。罪状や処罰についてはキーナン王や皇帝トリスタンにまかせるしかなく、ミネルバたちにはどうにもできない。
「ジャスティン兄様。ほんの少しだけ、フィルバート様に会うことはできる?」
キーナン王は、すでにフィルバートから王太子の地位を剥奪したらしい。それでもミネルバは彼を敬称付きで呼んだ。ジャスティンがそうしているからというよりも、自分がそうしたかった。
「……ああ。お前が望むなら」
ジャスティンは一瞬ためらう表情を見せたが、そう言ってうなずいた。
コリンが先に立って、テントの中に案内してくれる。四本の木の柱にロープを結び、綿布と獣皮をかけたシンプルな作りだ。
分厚い絨毯が敷かれた一角に、フィルバートが座り込んでいた。ミネルバは思わず立ち止まった。彼は何人もの兵士に取り囲まれていた。手枷足枷をはめられ、腰には縄がかけてある。
ジャスティンの言った通り、完全に感情を遮断しているようだ。心の糸がぷつりと切れてしまったのだろうか。あまりにも惨めな現実から、目をそらしたくなったのだろうか。
たしかに彼は愚かだった。やってはいけないことをしてしまった。誘惑に負け、すべてを失ってしまった。
このフィルバートの姿は、これから先ミネルバの心に取りついて離れないに違いない。決して忘れることはできないだろう。
「フィルバート様……。私、あなたに伝えなければならないことがあるんです」
ミネルバはフィルバートの顔をじっと見つめた。声すら耳に届かないのか、彼は顔を上げない。
「セリカがいま苦しんでいます。あなたに会いたがっています。彼女は能力の無さを責められ、つらい思いをしています。あなたもセリカも、魅了魔法で人が死ぬかもしれないとわかっていた。だから罪は償わなければならない……でも彼女が偽物のレノックス男爵の言いなりになっているのは、あなたへの思いがあるから。あなたを愛しているからこそだと思うんです……」
どうか耳を傾けてほしい。心に届いてほしい。そう思いながら、ミネルバは話し続けた。
「あなたはちゃんと愛されているんですよ、フィルバート様……。このまま現実から目を背けて、セリカと二度と会えなくなったら、あなたは一生後悔することになりませんか……?」
7歳で婚約したときは、こんな結末を迎えるとは思わなかった。フィルバートから愛されるに足る人間ではないのだと、何度も突き付けられる暮らしはつらかったけれど、国民のために添い遂げる覚悟だった。
フィルバートの前では長い間封じ込めてきた涙が、ついに溢れ出す。しかし彼は身動き一つしなかった。
ミネルバは指先で涙を拭いながら、しっかりしなさいと己に言い聞かせた。
「セリカを愛しているからこそ、私にもう一度教育係を頼みにきたのではありませんか? 彼女の能力を利用するだけなら、こちらの世界の教養なんて無くても構わないはずです。国王夫妻やグレイリング帝国から叱られたって、まとめて滅ぼすつもりなら気にならなかったはずだし……。フィルバート様はセリカを立派な王妃にして、一生添い遂げたかったのではないですか? もしそうなんだったら、彼女を置いてきぼりにして逃げちゃ駄目です……っ!」
思わず大きな声が出る。しかしフィルバートが反応を返す兆しはない。
彼の心は修復不可能なまでに壊れてしまったのだろうか。それとも、逃げたいという思い以外は頭の中から消えてしまったのだろうか。
セリカのことはやっぱり好きになれないし、許す気持ちにもなれない。でも、フィルバートのことを「フィル」と呼ぶ彼女には人間味があった。
「セリカがこの世界にやってきたのは、異世界の神のしわざだけではありません。こちらの世界の人間がなしたことです。でもあの子の力は、呼び出した側にとっては申し分のないものではなかったんですよね。それでもあなたの妻に選ばれて、ひとりの生きた女性として愛されて、セリカは嬉しかったんだと思います。私が見たあの子の体は傷だらけでした。ぼろぼろでした。フィルバート様以上にセリカを理解できる人はいないはずです。気持ちを分かち合えるはずです。私の勝手な言い分かもしれないけれど、あの子に『もういいよ』って言ってあげて欲しい……」
どんどん悲しくなってきて、胸が爆発しそうだ。両手で胸を抑えた瞬間、指輪のトパーズが燃え上がるような光を放った。
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