第1部4章
第1話 年上の友人
「それでね、ルーファス殿下が『リヴァガス』に女性の衣装を注文したことが、グレイリングの社交界で噂になったの! 殿下がご自分で、どんなものが必要か指示を出したらしいのね。大切な人への贈り物だから、最高の物をそろえてほしいって」
「ま、まあ。そうだったんですね……」
「そうだったのよ。あの、どんな女性にも心を開くことがなかった殿下が! そりゃ噂が広がるのも当然よね」
シーリアに微笑みかけられて、ミネルバは顔が熱くなるのを感じた。決まり悪さをごまかしたくて、ドレスのスカートの皺を伸ばしてみる。
侍女のリーザの手を借りて着替えたドレスは、あつらえたようにぴったりだった。
客間のクローゼットの中には、ファッションプレートから抜け出たような洒落たデザインの衣装が豊富にそろっていた。恐らくルーファスの指示があってのことだろう。
ミネルバは自分の目の色と同じすみれ色のドレスを選んだ。胸元から裾まで、銀色の薔薇の刺繍が施されている。
大使公邸をシーリアにざっと案内してもらい、いまは図書室でくつろいでいた。
ぎっしり本が詰まったシーリア自慢の図書室の中央には螺旋階段があって、二階部分には座り心地のいい椅子が並んでいた。大きな窓から自然光が差し込み、本を読むにも内緒話をするにもぴったりの空間だ。
「つまり、あなたは特別な人なのよ。グレイリングに行ったら、一躍時の人になるわ。私も里帰り出産する予定だし、グレイリングでもこうしてお茶しましょうね。あっちの社交界についてのアドバイスならまかせて!」
シーリアが輝く笑みを浮かべて言う。ミネルバは喉が詰まるのを感じた。
「あ、ありがとうございます。でもその……先の予定は、まだ何も決まっていなくて……」
あたりまえだ、求婚の返事すらしていないのだから。
ルーファスはバートネット家を辞する際に「一生を左右する決断なのだから、返事にはじっくり時間をかけていい」と言ってくれていた。
「皇弟殿下が到着なさったら……ちゃんと気持ちをはっきりさせるつもりです。うじうじ悩んだままであの方の権力だけ利用するなんて、とんでもないことですから」
「ミネルバさんって真面目ねえ。でも、そのほうがいいわね。本当はルーファス殿下も、あなたの信頼を得るために時間をかけたかったみたいだけど……」
シーリアが同情のこもった目でミネルバを見る。
ミネルバは小さくうなずいた。
「皇弟殿下と婚約したわけではありませんから、私はただのアシュラン人です。フィルバート……アシュランの王太子はすぐには気づかないかもしれませんが、アシュランに自治権が認められている以上、グレイリング大使館が私を保護したことは越権行為だと主張できます。フィンチ閣下は『人道主義の理由』から介入したのだと突っぱねてくださるでしょうが……」
ミネルバはため息をついた。兄たちのように優秀な側近がいたら、そこを突くようにフィルバートに進言するだろう。
ミネルバとシーリアは、向かい合わせに置かれたソファにそれぞれ座っていた。ローテーブルには見るからに美味しそうなお菓子がふんだんに用意されている。
シーリアがドライフルーツのクッキーを指でつまんで、にんまり笑った。
「さすがミネルバさん、甘やかされたどこかの王太子妃とは違うわね。でも心配しないで、ニコラスは見た目以上に手ごわいの。王宮側に動きがあればちゃんとわかるようになっているし。そもそもアシュランの王宮は権力のねじれが起きているから、文官も武官も動きが遅いのよねえ」
シーリアはさすがに大使夫人だけあって、アシュランの政治情勢について詳しく知っているらしい。彼女は上品な仕草でクッキーを口に運んだ。
「まあ、いずれはあの馬鹿王太子が『どうだ!』みたいな自慢気な顔で怒鳴り込んでくると思うけど。そのときに『ミネルバさんはグレイリング皇弟妃に内定しました、残念でしたっ!』って言えたら、ものすごくスカッとするわね」
「そ、そうですね、たしかに……」
「でもルーファス殿下は悩んじゃいそうなのよねえ……ミネルバさんが、自分の求婚を断れない立場に追い込まれてしまった! とかなんとか考えそう。ミネルバさんはそれが嫌だから自分の気持ちをちゃんと伝えたいけど、心をさらけ出すのがとことん苦手そう」
「シーリア様……。何でもお見通しなんですね、すごいです……」
ミネルバは思わず目をみはった。
シーリアがクッキーをもう一枚つまんで、楽し気な口調で答える。
「だって私、ミネルバさんより2歳お姉さんだし。それに7歳で婚約しちゃったあなたと違って、結婚相手を探すためにグレイリングの社交界を泳いでたんだもの。私の実家、わりと歴史の長い侯爵家なの。ルーファス殿下は兄の幼馴染で、小さいころから知っているわ」
「お、お兄様が皇弟殿下の幼馴染……ということは、シーリア様のご実家は相当に立派なお家柄なのですね……」
「そうね、まあそれなりに。あ、誤解しないでね? うちの父は、娘を皇弟妃にするチャンスを狙うような人じゃないの。私だってそんな気なかったし。だってあの方、女性には絶対に笑った顔を見せないのよ! あまりにも近寄りがたくて、子どものころは怖かったわ」
「そ、そうなんですか? たしかに顔立ちは威厳に溢れているというか、威圧的に見えますけれど……」
自分に対しては、わりと頻繁に笑顔を見せてくれた記憶がある。ミネルバは首をかしげた。シーリアが呆れたような声を出す。
「だから言ったでしょ、あなたは特別だって。いいこと? ルーファス殿下はその気になればいくらでも選べたの。でも、あの方はずーっと孤高の存在だった。まあそれにはとある事情があるんだけど……それはともかく、彼はあなたに極端なほど気を使っているんだから。殿下のことを『いいな』と思い始めているなら、ちゃんとそれを言葉にしてあげるべきだと思う!」
「は、はい!」
シーリアに力いっぱい主張されて、ミネルバは大きくうなずいた。
お姉さん的立場の人からの善意に満ちた励ましというのは実に新鮮で、ミネルバはそれからしばらくの間シーリアと話し込んだ。
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