第2話 思いの丈
ルーファスが到着したのは翌日の昼過ぎだった。
ミネルバとシーリアは食後の休憩を兼ねて、図書室の二階で読書をしていた。
侍女のリーザが持ってきた知らせに、シーリアが目を丸くする。ミネルバも慌てて本を閉じた。
(こんなに早くいらしてくださるなんて。馬を取り換えながら、ほぼ不眠不休で移動なさったに違いないわ)
シーリアを気遣いながら螺旋階段を降りると、厚手の黒いマントをはおったルーファスが図書室に入ってきた。
ひざまずこうとしたミネルバを、ルーファスが右手を上げて制する。
「ひざまずかなくていい。ミネルバに大切な話があるんだ。シーリア、君はここにいてくれないか。婚約前の女性には付き添い役が必要だ。身重の君に迷惑をかけてしまうが──」
「迷惑だなんてとんでもない。私が下におりますから、殿下とミネルバさんは上でお話しなさったらいいわ。同じ部屋にいることに変わりはないですし、この位置からなら上が見えますから。リーザ、そこの椅子を持ってきてくれる?」
シーリアが茶目っ気のある表情で指示を出す。
彼女が椅子に座ったのを見届けると、ルーファスはマントを脱いでリーザに預けた。黒で統一した装いは、強行軍のせいか少し着崩れている。それでも派手な色と装飾品で着飾っているフィルバートとは比べ物にならないほど力強く、立派だった。
端整な顔は疲労の色が濃かった。いつもはきっちり整えられている黒髪も、掻きむしったように乱れている。
忙しい人のはずなのに、ミネルバを助けるために飛んできてくれたのだ。それを思うと胸がいっぱいになった。
「ではミネルバ、上に行こうか」
「は、はい」
ルーファスの後に続いて螺旋階段をのぼり、彼の向かいの椅子に座る。
「フィルバートをびしびしとやり込めたそうだな。報告書を読んでいて、気分爽快だった」
そう言ったルーファスの顔に笑みが浮かんだ。その優しい笑顔に、ミネルバは改めて心を打たれた。
「フィルバートに常識のかけらでもあったら、ミネルバを愚弄するような提案はできないはずだ。やはりあの男は頭がおかしくなっているらしい。ミネルバを取るに足りない人間のように扱った埋め合わせは、必ずさせるつもりだ」
ルーファスの顔が険しくなった。声にも抑えた怒りがこもっている。まずは彼の話をすべて聞くべきだと思ったから、ミネルバはうなずくことで応じた。
「だが、そのためには……ミネルバ、君の立ち位置をはっきりさせておく必要がある」
ルーファスはひどく緊張しているようだった。黒髪をかき上げて深呼吸をし、ミネルバを真っすぐ見つめる。
「つまり、私と結婚してくれるかどうかの返事がすぐに欲しいんだ。それによってやり方が変わってくるから……。すまない、私の気持ちが本物だと確信できるまで、ミネルバに時間をあげたかったんだが……」
すでに険しかったルーファスの顔がもっと険しくなった。
「私たちが初めて出会ってから、まだ1か月もたっていない。人生をゆだねる決断をするのは怖いだろう。でも私は、君が傷つけられる恐れがあれば必ず阻止したいんだ。ミネルバからあの男の脅威を、永遠に排除したい」
そう言ってルーファスは立ち上がった。驚くミネルバの足元に、彼はためらいもなくひざをついた。
「ミネルバ、どうか私と結婚してもらえないだろうか。君を必ず幸せにすると、名誉にかけて約束する」
「ルーファス様……」
ミネルバは顔が赤くなるのを感じた。すぐに返事をしたいのに、ルーファスの目を見返すのが精一杯だった。
本当は、喜んで妻になりますと答えたいのに。ミネルバを心から愛して、こうして守ろうとしてくれる人がいることが嬉しいのに。
そんなミネルバの様子を見て、ルーファスが悲し気な表情になった。
「好きでもない男と結婚するのはつらいだろう。でも、すぐに私を好きになる必要はないんだ。結婚する理由はフィルバートに復讐するため、奴の鼻をへし折るためだけで構わない。ミネルバの身の安全性を高めるために、私を利用するのだと思ってくれれば──」
「ち、違うんです。違うんですルーファス様!」
ミネルバは慌てて言った。
「ルーファス様のお言葉、本当に嬉しく思っております。あなた様のような方の妻にしていただけるなんて、とても名誉なことです。わ、私だって、あんな男の言いなりになるのはごめんですし──」
ああ、本当に伝えたいのはこんなことじゃないのに。ミネルバが上手く回らない己の舌を内心で罵っていると、ルーファスがぐっと身を乗り出してきた。
「それは、承諾してもらえたと思っていいのだろうか?」
「は、はい」
「よかった。フィルバートに思い知らせてやりたいという点では、私たちの気持ちはひとつだな」
安堵したように息を漏らすルーファスの顔は、やっぱり少し寂しそうだ。ミネルバはうめき声を上げたくなった。
(ああ、そうだけどそうじゃないのに! 私、あれだけいろいろ学んできたのに。心惹かれている人に素直な気持ちを伝えるのが、こんなに難しいだなんて……っ!)
7歳でフィルバートと婚約して、無惨に踏みつけられるまでの10年間、ミネルバは異性に対する『恋』や『愛』という言葉を心の片隅に押しやっていた。
いざそれを引っ張り出してみると、このうえもなく優しく女らしい気持ちになれたが、うまく伝える術がわからない。
「あの、あのルーファス様、あの、私、どうしても聞いていただきたいことが……」
ミネルバは震える声を出した。ルーファスが先をうながすような表情になったのに、やはりミネルバの舌は回らなかった。図書室の二階に気まずい静寂が漂う。
そのとき、螺旋階段を上ってきたシーリアがひょっこり顔を出した。
「ルーファス殿下のプロポーズはひとまず成功したようですし、もう付き添いはいりませんわよね? 邪魔者は退散することにしますわ。あとはミネルバさん、あなたがしっかり頑張るのよ!」
シーリアはそう言って、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
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