第3話 意外な態度

 どうやらルーファスは、ミネルバに対して『たっての願い』があるらしい。父宛ての手紙には、ミネルバと『大切な話』をするために訪問したいという要望がしたためられていたらしいのだ。

 ミネルバを除くバートネット家の人々にとって、これはまさに祝福だった。

 フィルバートとの婚約破棄から1年以上、ミネルバのつらく不幸な姿を目の当たりにしてきた彼らに、この上もない希望と活力を与えたのだ。

 宗主国の皇弟殿下がミネルバを窮地から救ってくれる──つまり求婚してくれるに違いないなどと、特に3人の兄たちが有頂天になっていた。


 両親と、そして兄たちのミネルバに対する愛情は強く、そして深い。彼らはどんなときも変わらぬ愛情と安心感を与えてくれる。

 ミネルバは『異世界人であるセリカを虐め抜いた』という、いわれのない醜聞にまみれた。王太子から婚約破棄され社交界の人々から軽蔑されても、家族は毅然とした態度でミネルバを守ってくれた。

 彼らはミネルバの幸せだけを望んでいる。ミネルバにふさわしい男性が現れることを願っている。

 たしかにルーファスから求婚されれば、ミネルバの名誉が回復されるばかりか、さまざまな特権も与えられるだろう。


 しかし残念ながら、ミネルバにはわかっている。自分自身の魅力のなさを。結婚市場での価値がどれほど低くなったかを。

 元よりルーファスは、ミネルバにとって分不相応な相手だ。

 フィルバートとの婚約破棄以降、近寄ってくるのは財産目当てのろくでなしか、ジェフリーのような後ろ暗いところのある男だけだった。

 世間にはヒーローに救われる娘の物語が溢れているけれど、ミネルバのヒーローなどどこにもいないのだ。まして、宗主国の皇弟であるルーファスがそんなことをしてくれるわけがない。


(それでも、きちんとお迎えしなくては。ルーファス様はきっと、フィルバートとセリカについての話を聞きたいに違いないわ。そう、私だから知っているようなことを……。邪険に扱われ続けた日々のことを思い出すのは、やはりつらいけれど……)


 ルーファスから贈られたドレスを身に着けたミネルバは、本当に輝いていた。

 侍女たちは、ヘアスタイルもメイクもアクセサリーも、ドレスに合わせてコーディネイトするのだと大張り切りだ。

 ミネルバの祖母よりも高齢の王妃様は、古典的な美を好み、派手さや虚飾を嫌っている。だからミネルバの装いも化粧も、つねにオーソドックスで控えめでなければならなかった。

 王妃様がセリカを受け入れたときミネルバは驚いたものだ。社交界からつまはじきにされてよけいに着飾る必要がなくなったこともあり、ずっと変わりばえのしない地味な装いを続けてきた。


「これまでのハイネックのものとは違い『リヴァガス』のドレスは襟が開いているのですから、髪は下ろしたほうが絶対に似合います! ファッションプレートのモデルたちも、髪を結わずに下に垂らしていますでしょう?」

 

「この美しいドレスに負けないために、しっかりメイクをなさるべきです。ミネルバ様はつり目気味なので、その良さを生かしたメイクをしなければ! 目尻のラインに特徴を持たせて、ミステリアスな猫のようにしましょう。ミネルバ様のキリっと上がった目尻が、この上なく愛らしくなりますわ!」


 侍女たちの迫力に押されて、ミネルバはいつも後ろでひっつめたり結い上げたりしていた髪を下ろし、しっかりしたメイクを施して貰った。

 鏡の中の生き生きと輝いている自分を見て、ミネルバの脳裏に『馬子にも衣装』という言葉が思い浮かんだ。流行のドレスとメイクの魔力はすさまじかった。


 午後3時をほんの少しすぎたころ、執事が部屋にやってきて皇弟殿下の到着をつげた。しっかりと心の準備をしていたはずなのに、体中の神経が張りつめる。

 心臓が早鐘のように打つのを感じながら、ミネルバは自室を出た。自分史上最高に華やかな装いで大階段に向かうと、下に見える玄関ホールで父と兄たちがルーファスを出迎えていた。

 後ろからついてきた侍女たちの口から、小さな歓声が上がる。

 ルーファスは真っ赤な薔薇の花束を抱えていた。


(ルーファス様……! これでは彼が、誠実なやり方で私に求婚するつもりでいるのだと、みなが勘違いするのも無理はないわ……っ!)


 ミネルバは頭を抱えそうになった。おまけに衣装まで違っている。彼の代名詞ともなっている黒づくめではなく、ミネルバの髪の色と同じ銀色の騎士服姿だった。

 ルーファスからの強烈な視線を感じながら、ミネルバはスカートを持ち上げて階段を下りた。下に着いても、彼の視線はミネルバから離れない。

 

「ようこそお越しくださいました、トレヴィシック公爵様。お会いできて光栄に存じます」


 ミネルバは極めて礼儀正しく、その場に膝をついて頭を下げた。ルーファスが無言なので立ち上がれない。いぶかしく思っていると「ああ」という声が降ってきた。


「すまない、息が止まっていた。あなたが言葉を失うほどに美しいものだから」


 熱烈な賛辞にミネルバの息も止まった。立つように促されて、努めて笑顔を作って優雅に立ち上がる。


「親愛なるミネルバ嬢。あなたをミネルバと呼ぶことを許してもらえるだろうか。それから、手の甲に口づけすることも」


 その言葉とともに薔薇の花束を差し出され、ミネルバは面食らった。息を吸い込むと、くらくらするほどいい香りがした。

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