第2話 素晴らしい贈り物

 四頭の大きな黒馬に引かれた、グレイリング帝国の紋章入りの勇壮な馬車の到着に、バートネット公爵家の使用人たちは騒然となった。

 執事が緊張した面持ちで玄関扉を開ける。エントランスには三つ揃いの黒い制服を優美に着こなす男達が並んでいた。

 背が高くほっそりした、穏やかな容貌の中年男性が前に進み出る。


「私はジェム・キャンベルと申します。グレイリング帝国の皇弟殿下であらせられる、トレヴィシック公爵の使いで参りました」


「ようこそおいでくださいました。皇弟殿下からの使者をお迎えできて光栄でございます」


 父サイラスが威厳をもって応対する。

 使者キャンベルは穏やかな笑みを浮かべた。


「バートネット公爵様に皇弟殿下からの書状を、ご息女ミネルバ様に贈り物をお届けに上がりました」


 玄関先の様子が見渡せる控えの間に移動し、事の成り行きを見守っている3人の兄たちの瞳が悪戯っぽい輝きを放った。ジャスティンの予想はどちらも正解だったのだ。

 ミネルバも兄たちと一緒に、大型のトランクやいくつもの箱を運び込む人々の姿を盗み見た。捻った足首の具合はずいぶんよくなり、ほぼ普段通りの歩き方ができるようになっている。

 ルーファスの使用人たちは長居をしなかった。彼らは短時間で目的を果たすと、礼儀正しくお辞儀をして帰って行った。大広間に山ほどの贈り物、そして父の手の中に、見るからに特別製の紙に封蝋した手紙を残して。


「ほらミネルバ、父上がルーファス殿下からの書状を読んでいる間に、贈り物の中身を確認しよう? 侍女たちにも手伝って貰わないと、包みを開けるだけでもひと仕事だ」


「え、ええ……」


 コリンに促されて、荷物の運び込まれた広間へ移動する。ずらりと並べられたトランクや箱の数があまりに多いので、ミネルバは思わず息をのんだ。


「こんなにたくさん……お詫びの品なんて必要ないのに……」


「お詫びの意味だけではないと思うが。おお、これはグレイリングの帝都デュアートのファッション地区にある、有名な服飾店『リヴァガス』のトランクじゃないか?」


 ジャスティンが感嘆の声をあげる。マーカスもトランクや箱を眺めてうなずいた。


「ファッションにうとい俺でも知っているぞ。最高級の品々ばかりを扱う店で、手ごろな価格の商品はなにひとつ置いていないそうじゃないか」


「僕も知っている。ここはたしか、個性的なデザイナーさんがいる店だよね。ミネルバがファッションプレートを取り寄せては、うっとり眺めてたのも知っているし」


 コリンがミネルバの肩に手を置いて、この状況を楽しめとばかりに悪戯っぽく笑った。 

 ちなみにファッションプレートとは、最新の流行のドレスや装身具、髪型などが描かれた版画のことだ。

 帝都デュアートのファッション地区は流行の発信地で、どの店もグレイリング帝国の皇族や貴族の予約で埋まっているらしい。

 特に『リヴァガス』はミネルバが一度でいいから訪れたいと思っていた店だった。小国アシュランの貴族にすぎない自分には、夢のまた夢だったけれど。

 侍女たちに手伝ってもらい大型のトランクや、包装紙とレースで縁取られた箱を開けていく。蓋を開けるたびに若い侍女たちは興奮した声をあげた。

 繊細な刺繍を施したカシミアのショール、ベルベットの手提げ袋、柔らかい子山羊革の靴、毛皮の縁取りがついたコート。そして、色とりどりの美しいドレスたち。


「なんてすてきなのかしら……」


 ミネルバは感激して、一番手前にあるドレスの生地に指を走らせた。

 たった一週間という短い期間に、これだけの衣装を揃えるだなんて。『リヴァガス』のお針子に特別料金を支払って、夜中まで働いて貰ったに違いない。どれだけの費用が掛かったのかと思うと背筋が寒くなるほどだ。


「これを見ると、アシュランの仕立て屋のドレスはつくづく野暮ったく思えるな。早速着たらどうだミネルバ、どのドレスもお前に似合いそうだ」


「え、ええ」


 ジャスティンに促されて、ミネルバは侍女とともに別室に移動した。喜びで顔が赤くなるのをどうにも抑えられない。

 急いで着付けて貰ったドレスは、ミネルバの体に申し分なく合っていた。

 きっとルーファスは、王宮西翼の侍女頭からミネルバのサイズを聞き出したのだろう。彼女は王太子妃教育を受けていたころのミネルバの世話をしていたし、お茶会の日も間に合わせの着替えを用意してくれたから。


「本当にすてき……夢みたい……」


 鏡を見ると、まるで魔法のような変化が起こっていた。そこに映っているのは、都会的で洗練された娘だ。

 春に咲く薔薇のような淡いピンクのアンダードレスに、手の込んだ刺繍を施した銀色のオーバードレス。無数の宝石のようにちりばめられたビーズ刺繍が、小さな薔薇をいくつも描き出している。ドレスの襟ぐりは浅めで、清楚で上品な雰囲気を醸し出していた。

 不思議なことに、スタイルまでよくなったように見える。自分でもわかっていなかった魅力を引き出してくれたみたいだ。アシュランでは当たり前の、ハイネックで長袖の古典的なスタイルで、身ごろやスカートにリボンや布の花をごてごてと飾ったドレスは、ちっともミネルバに似合っていなかったのだと痛感した。

 兄たちの元へ戻ると、彼らは「女神のようだ」とため息をつき、いくつもの表現を繰り出してミネルバの美しさを褒めそやした。

 ちょうど広間に入ってきた父と母が「おお」「まあ」と驚愕の声をあげた。


「なんという美しさだ。これならば、グレイリング帝国の社交界でも霞むことはなかろう」


「ええ、ええ。まるで春の妖精のようね。これほど魅惑的な娘ならば、皇弟殿下の心をかき乱すのも無理はないわ」


 両親の言葉にミネルバは首を傾げた。父サイラスが咳ばらいをして、ミネルバと3人の兄たちを見回す。


「お前たちに伝えなければならないことがある。三日後、この屋敷でルーファス・ヴァレンタイン・グレイリング皇弟殿下をおもてなしすることになった。ミネルバは入念に美貌を磨くように。ジャスティンたちには準備の手伝いを頼みたい」

 

 ミネルバの心臓がどきんと跳ねた。ざわつく胸を懸命に落ち着かせようとしたが、すぐに無駄な努力だとわかった。

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