第8話 二度目の腕の中で
シャンデリアに照らされたセリカの顔は、異様な紫色になっている。彼女は床に両手両ひざをついて何度も瞬きをし、唇を震わせた。
「ご……、ごめ……ん……なさ……い…………う、うう……うわああん……っ!」
セリカの目からどっと涙があふれだし、耳をつんざくような声で泣き始めた。
ああ、なんてぶざまなんだろう。淑女としての謝罪の仕方もきちんと教えたはずなのに。これでは、本心からの謝罪とは到底思えない。
長兄ジャスティンに肩を支えてもらいながら、ミネルバはわずかに顔をゆがめた。さっき捻った右の足首から、耐えがたい痛みを感じる。もしかしたら腫れあがってきているのかもしれない。
「ここで泣かないでくれセリカ! なんてみっともないんだ……っ!!」
セリカと一緒にひざまずいたフィルバートが怒鳴った。彼自身も泣きたそうな顔をしている。
ふと玉座のほうを見ると、元メイドのリリィまで泣き出していた。状況が目まぐるしく変わりすぎて、精神が極限状態に達したらしい。
赤ん坊のように泣きわめく、いまや正式な婚約者となったリリィを見ながら、ジェフリーが呆然と立ち尽くしていた。
セリカとリリィは、流れる涙を拭って貰うことも、優しい腕に抱き寄せてもらうこともできないとわかると、さらに大声で泣きわめいた。なんとも耳ざわりな、調子はずれの二重奏だ。
ルーファスが深々とため息をつく。
「まったく救いようがないな。浅はかで、自分の事しか頭にない女たちだ。礼儀もわきまえず、厚かましいことこの上ない」
軽蔑したようにそう言って、ルーファスは指先でこめかみを揉み解した。きっと頭が痛くなっているのだろう。
「フィルバート、何がどうなって今日の事態を招いたのか、後できちんと釈明するように」
「は、はい……」
居丈高に言われて、フィルバートがびくりと体を震わせる。ルーファスは泣きじゃくるセリカに背を向け、気遣わしげな表情でミネルバを見た。
「一応の謝罪は済んだことだし、ここにいても気が滅入るばかりだ。さあ、怪我を医者に見せよう。あなたは私が抱えていく」
ミネルバは内心で驚愕したが、礼儀正しく微笑みを浮かべた。
「ご親切にありがとうございます。ですが、私なら大丈夫ですので」
「大丈夫そうには見えない。さっき痛みに顔をしかめていただろう? 無理に歩けば怪我を悪化させかねない。あなたが足を挫いたのは私を庇ったせいなのだから、せめて罪滅ぼしをさせてほしい」
ルーファスの表情がわずかにゆるんだ。
ミネルバは頬に熱が集まるのを感じながら、3人の兄たちの助け舟を期待した。しかしかれらは無言で、なぜかにこにこと笑っている。最高に楽しそうな笑顔に見えた。
「では、失礼」
ルーファスは実に威厳のある、かつ優雅な身のこなしで、軽々とミネルバを抱き上げた。短時間に2度も彼に身を任せることになってしまい、ミネルバは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
ミネルバと兄たちを出迎えてくれた侍女頭が、若いメイドを従えて出入口へ走り、両開きの扉を大きく開いた。悪趣味な制服を着たセリカの使用人たちは、口をぽかんと開けたまま突っ立っている。
廊下に出ると、セリカとリリィの泣き声が遠くなった。
ミネルバはほっとするのと同時に、ルーファスのたくましい腕の感触をより強く感じてうろたえてしまった。
ああ、どんな状況に陥っても決して慌てない自信があったのに、どうしてこんなに混乱してしまうんだろう。
「そこの君、ふさわしい部屋へ案内してくれ。そっちの君は、すぐに医者を寄こすように。他の者たちは、たっぷりの湯と清潔なリネン類の用意を。王妃や王太子妃のものではない、真新しい着替えも必要だ」
ミネルバを抱えて歩きながら、ルーファスはてきぱきと指示を飛ばした。古参の使用人たちはお辞儀をすると、次々に役目を果たしに向かう。
ルーファスは、労りの気持ちの浮かぶ目でミネルバを見下ろした。
「こんな状況では無作法に思われてしまうかもしれないが、改めて自己紹介をさせてほしい。私はルーファス・ヴァレンタイン・グレイリング。グレイリング帝国の第二皇子として生まれた。成人してからはトレヴィシック公爵を名乗っている」
ルーファスのがっしりした胸に体が押しつけられているせいで、心臓の音が二重に聞こえる気がする。まるで夢の中の出来事のように感じながらも、ミネルバは懸命に落ち着いた声を出した。
「私はサイラス・バートネット公爵の娘、ミネルバと申します。トレヴィシック公爵様に、大変なご面倒をおかけして申し訳ございません」
「ではミネルバ嬢、どうか謝らないで欲しい。謝るのはむしろ私のほうなのだから」
ルーファスは一瞬立ち止まり、じっとミネルバを見つめた。ひどく熱心で真剣な眼差しに思えた。
一歩先を進んでいた侍女頭が、廊下の左手にある扉を開ける。ルーファスは気を取り直したように歩き出し、客間の豪華なベッドの上にミネルバの体をそっと下ろした。
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